不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

不登校

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

新語「エリートバカ」自分の答えに合わない事実を無視する思考

授業の後、教え子や親御さんと雑談をするのが楽しみ。

そこで…

親御さんの「ウチの子供は頭が悪くて…」
教え子の「自分は頭が悪いから…」と端々にでてくる言葉。

引っかかる。

親御さんは謙遜ともとれるけど…子供は違う。

受け答えが絶妙で、会話も楽しい子。
自分で考えようとする。
大人の言いなりにならない…。

これで頭が悪い?
でも、本人が何回も言う。

ここの頭のいいとは…
英単語や年表等をすぐ覚えること。
AI…と同じ能力…

勉強を覚えない子は頭が悪い…と言われ、思わされる。
果たしてそうか?
興味の対象が勉強でないだけ。
自分の好きなものは覚える。
興味がないのを覚えないのは当然。

英単語をどんなに書き取りしても覚えられない子がいた。
でも、ポケットモンスターの名前は100近く覚えてる。

そこで子供たちの興味に合わせて、工夫する先生もいる。
人気マンガ「鬼滅の刃」…教え子の勧めでアニメを見たがストーリがおもしろくキャラクターがよくできている…難しい漢字を多用するマンガだ。それで漢字ドリルを作るなど…


 さて、記憶力=頭がいい…で鍛えられた人は…
 反応力はあるけど自分の思ってもいないことが起きたらその事実を認めようとしない…
 例えば不登校児童へのある学校の先生の対応。
 「子供の方がおかしい」
  病院へ行けと言われた親御さんがいる。うけた病院側は先生の対応に首をかしげたそうだ。
 これだけ不登校が増えたら流石に学校も変わらざるおえないが、まだそんな先生もいる。

 自分の考えに合わない…現場を見ない、認めない人たち…その傾向。

 エリートバカ

上杉隆氏が名付けた。それを4点にまとめて解説。
①自分たちに都合の悪い事実が出てくると精神論を振り回す。
 「頑張っているんだ。(事実を言うべきでなない。)」
  …論旨のすり替え。

 この思考経路は身近にも。
 私はあることでシステムがおかしいと指摘したら、「でも、そこで頑張っている人がいる」と友人に「反論」された。とっさに「それを持ち出すのはズルい」と言うのがやっと。でも、後で考えたら、「頑張っている人」も犠牲者。

 事実から目を反らす論法。
 事実を言う人があたかも「人間性が無い」「優しくない」と暗示して…黙らせる

 精神論を、権力のある人が言い出したら、それは信用できないと判断する尺度になりそうだ。

②人をイデオロギー分けする
 「右翼だ、左翼だ」と決めつける。
 今更イデオロギーの時代ではない。
 意見には意見を、事実には事実で議論しない。これも人を黙らせる

答えをひとつに求める

 日本の教育がもたらした病理

  小学校の頃から答えの見つけるのがうまい子を「頭がいい」とする。
  受験がうまい人
  社会に出ると「答え合わせのうまい」人がエリート扱いされる。

  社会的な頭のよさと勉強のできる頭の良さは全く違う。

  答えをひとつに求めるのを常習化している人は…
  過去に例のないことがあると…現実は全部そうなのだが…答えが当然ないから、現場よりも自分たちの周囲の権威を「答え」と思ってしまう(④の権威に弱い)

  事実よりも「こうあってほしい」希望的観測に合わせようとする。

  そういう人が想定外と連発する。

  ほんとうに頭のいい人は想定外と言わない。ちゃんと想定している。

 自分の答えに反する事実を言う人が出てくると、
  ①と②を多用して
  「危険だ」「左翼だ」中身と関係ない論調でいじめる。
  嘘つきデマよばわりする。

 丁寧な言葉づかいで根拠のないことを言う。

 多様な価値観を認めない。

④最大の問題は権威に弱い
 (官僚、学者、専門家、大手報道、西洋コンプレックス)
  厚生労働省等官僚、政治家、東大、京大の学者等、大手報道等など
  国連、WHO,ニューヨークタイムズ等
 事実の根拠を挙げられても、「自分たちの答え」に合う権威に頼り受け付けない。
 自分の答えに合わない事実は無視する。
  例えば、WHOでも内容が自分の希望に合うかで無視したり取り上げたりする…ご都合主義

 ……これらは悪い人ではない、
      いい人だけど、現実に対処できない。自己決定能力がない。
 
 
以上…
  3.11からテレビで政府などの要人の論調に違和感をもった。
  批判を巧みにかわす言い回し。それが上記のことかと。
  今回のコロナ(2020年3月)も同じ臭いがする。
  こういうエリートをせっせと育てたのが教育だったのか。
  

ある意味、不登校に希望が…関連するブログ 
    河合隼雄と村上春樹の対談から思うこと
     不登校は進歩…へ

アニメ PSYCHO-PASS サイコパス…何でも数値化すること

 アニメ、サイコパスのパート3が放送終了しました(2019年10月~全8話)。ダークな話ですので気楽なアニメではなく、当初は見なかったのですが、教え子からパート1を見ていると聞き、気になり見ました。途中からだと複雑で「わからない」(苦笑)。でも、見ました。

 私は「攻殻機動隊」が好きですが、サイコパス2からは構成、脚本に共通の方がいました。その冲方丁さんは「攻殻機動隊」の製作中に「サイコパス」のオファーが来たそうです。


 ここからは2012年に放送されたパート1について触れます。



 ご存知の無い方のために

基本設定は…
 人間の適性を計測できる「シビュラシステム」に支配された近未来の日本です。
 その計測された数値により進路、職業も決められる…
 更に犯罪係数も測れ、それが高いと「潜在犯」と裁かれ、矯正施設行きです。

 この物語は犯罪を取り締まる公安局の刑事課のメンバーが主役の群像劇です。

 刑事課の役職で目立つのがこの二つ
「監視官」
 犯罪係数がない、クリアでエリートです。
  新人監視官として常守 朱(つねもりあかね)が登場します。
「執行官」
 監視官の部下。
 シビュラシステムに弾かれた潜在犯の中から適正を認められ、起用された人たちです。
 行動には監視官の許可が必要であり、通常は外出できません。

 執行官の本音を、5歳で犯罪係数が高いとされ隔離され育った21歳の青年、秀星(かがりしゅうせい)というサブキャラクターに随所で語らせてます。

 おもしろいのは中に、元監視官の執行官がいることです。犯罪係数があがりすぎ、執行官に降格された設定です。そのあたりの人間関係も描かれます。
 狡噛慎也(こうがみしんや)、主役の一人です。

 その狡噛慎也と常守朱がペアを組み物語は進みます。

 使う武器、「ドミネーター」という「銃」が特徴的です。

 ドミネーターは銃口を向けると対象者の色相を瞬時に計測し射殺するか否かを指示します。
 初期のストーリーで、事件に巻き込まれ、人質にされた女性の方も色相が悪化したと、ドミネーターが射殺を指示する場面がありました。

 人間ではなく、機械が数値化して「判断」します。

 物語が進むと、その矛盾、葛藤もしっかり衝いてきます。

 ドミネーターの声には、実際に電化製品や自動車のナビ音声を多く担当された声優さんを起用しており、凝ってます。



 原案者、虚淵玄さん、この物語の発想について
 虚淵さんは『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)が評判になり、サイコパスのオファーがきたそうです。ちなみに「まど☆マギ」も長寿コンテンツ…2020年1月に外伝の放映が始まりました。

虚淵さんは犯罪係数は思い付きだけど。
企画会議で

「そもそも数字って何よ」

 最初は体脂肪率…うのみにしていいの、でも分かりやすいし信じやすい。その数値だけで健康って割り切っていいの。他に何か(病気が)ひそんでいるかもしれない。
 他のスタッフも身近な数字を挙げたそうです。クーラーの快適温度、偏差値、DNA、さらに、占いのラッキーカラー。

 見なければすむのに気にしてしまう。


 軽くこう言われてましたが…深いです。
 このアニメが2012年に放映開始され、今も作り続けられているのはこの発想への共感が原因かもしれません。

「数字で割り切ってしまうあやうさ」


 我田引水ですみません…私は偏差値にひっかかりました。

それを考案された方はその使われ方に落胆されたと聞いた覚えがあります。

便利ですが…

偏差値を前提に自分の進路を選ぶ…。シビュラシステムに似ている(笑)…。

例えば、アインシュタインは
4歳まで喋らず、普通に話せるようになったのは9歳だったそうです。


そこに、もし偏差値があったら…相対性理論はなかったかもしれません。

偏差値は少なくとも子供の個性を見ない傾向を強化したのでは。

人間は工業製品ではないのです。
人によってばらつきがあってもおかしくありません。
理解力の段階が人によって違う。

逆に工業製品のように子供が皆同じだったら…コワいのでは?

でも、これを私たちは子供に押し付けてきたのではないでしょうか。

「皆と同じになれと」

勉強も、できない側の努力不足と一概に片づけるのはどうなんでしょうか。

教育は誰のためにあるのか。

現実にはシステムに合わないならば、子供側を合わせようと努力させる。
それを疑問にさえ思わない…
今もそれが続いています。

不登校はそれらへの拒絶反応のひとつでは。

皆と同じにしないといけない学校。
「私」がいなくなると言った8歳で不登校になった子もいます。

その子に合う学びを工夫する。
教育側を子供に合わせる。

昨今の不登校に対しての周囲の変化は…
「死にたくなるなら学校へ行かなくてもいい」と言い出しましたが、
当初は、世間も理解をしめしてきたと思ったのですが。

でも「死にたくなるくらい深刻でないと認めないのか」と問われると言葉を失います。

まだ人間を、子供を見ていない…。

不登校でなくても…
偏差値という数値化はわかりやすくて便利ですが…
明確に「できない」と烙印をおされる感覚、
中学受験では早い子は10歳前後から偏差値にさらされますから、親や大人のフォローが必要です。

子供は自分の気持ちを言語化できません。出来ないから、体の具合が悪くなったり、体に出なければ反抗的になったり引きこもったり、そんな反応が出ます。でも反応が出るだけましかもしれません。出ない方がゆくゆく心配…大人になって動けなくなる人も。


 さて、アニメのサイコパスは犯罪を起きないようなシステムの世界。その設定でどのような犯罪が起きるか、脚本の方々の腕のみせどころ…です

 
 パート1ではシビュラシステムについては興味深い結末を出してきました。

 ここからはストーリーの前提に関わる重要なネタバレになります。

 シビュラシステムのコアな部分を捜査官ふたりが別々に見てしまいます。

 一人は執行官の縢秀星。彼はこんなものに自分の人生を歪められたと自嘲気味な反応をします。その場で射殺されます。

 もう一人は常守朱。彼を射殺した上司は何もなかったように彼女に接します。

 彼女もシステムの秘密に驚愕しますが、
 社会秩序を保つために必要と、シビュラシステムを自らに進んで受け容れます。

 縢秀星は行方不明と処理されますが、仲間の捜査官たちは誰もそれを信じない…でも追及もしない。そんな終わり方でした。

 ただ、狡噛慎也は組織に疑念をもち姿を消し……余韻を残してパート1は終わります。

 企画の段階で狡噛慎也のような信念を貫く人物を登場させると決めてたそうです。
 シビアなストーリーですが、狡噛の存在は救いです。

 続編にあたる映画では、彼が中心です。

 それにしても、シビュラシステムは架空ではなさそう。

 偏差値もそのつもりがなくても、人の評価に広げてしまい、シビュラシステムに似ているかも…このアニメは侮れません。

 最新話のパート3は
 登場人物を総とっかえし、主役の二人におもしろい性格をもたせてます。お話も潜在犯と測定された集団に宗教者をからめる、ディープな内容になっています。連続テレビアニメには珍しい1時間の長尺ものでした。でも長いと感じませんでした。緻密で、正直、ぼーっとみていると訳が分からなくなります。最終回は釈然としない終わり方をしました。でも、考えさせてくれるアニメは好きです。



 
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脅しの教育、怯えのエリート。虐待サバイバー 安冨あゆみさん

 正しいと思うことを表明するのにどうしてこんなに勇気が必要なのか。それが、やすとみ歩さんのこの演説でその萎縮した気持ちの原因が分かったような気がしました。

 自分の言いたいことを言うときは組織のクビを覚悟でいいました。そこまでの内容ではないのに…被害妄想(笑)でもその臆病の根源は…これかもと思いました。「自分に力をふるえる上の人に叱られるのが怖い」と刷り込まれています。周囲の様子を見て自分の行動を決める頻度が高すぎます。

 安冨さんは「成果を上げない人間は生きている価値がない」そんな教育を受けてきた。これは戦中の教育の残滓です。お国の役に立つ人間…しかし、形を変え今も生き残っている価値観です。今は「お金儲けができる人間」でしょうか。テレビなどの成功話のオチがお金持ちが多いような気がするのですが…どうでしょうか。

 だから不登校の子も自分は生きていて価値が無いと追い込まれます。10代から30代の若い人の死因の一位が自殺だそうですが、その背景はこれもあるのでは。

 あるいは子供が不登校になるのはこの怯えを誘発される教育に無意識に拒絶をしているのではないかとも。子供自身が理路整然と抗弁できませんが、その場合は体が勝手に反応して学校へ行けなくなります。

 役に立つか立たないかを判別され続けたら、気の休まる暇はないです。

 そう言えば、母は不登校の私が役に立たないと思ったときに、進学が順調な次兄を指して4人子供がいたので「この子を4人産めばよかった」と弱っている私に向かって言いました。役に立つ子がいい子。私も母と同じ価値観で染まってましたから口ごたえ出来ませんでした。でも安冨さんのお母さんのお話をこの演説で聞くと大なり小なり母も似た価値観で育ったのかもと思いました。

 エリートだけではありません。脅しの教育は…

 勉強が苦手な塾の教え子が、勉強が好きだと言い出すようになりました。ところがその後、勉強にたいする意欲が消え、それどころか拒絶に。それがあまりにひどく勉強どころではなくなりました。安冨さんの演説…「子供の言うことを聞いてください」に背中を押され、勉強を中断して、子供の話をじっくり聞きました。

 子供はとつとつと言葉を絞り出します。学校に友達はいないしつまらない。友達はネットだけ。家では勉強をしないと、自分の唯一の楽しみのゲームを取り上げ、契約を解除すると脅す。口ごたえをすると家を出て行けと言われる。だから塾へは行く。塾はやめさせてくれない。

 ゲーム機は子供が一生懸命、小遣いをためて購入したもの。子供にとっては取り上げるのは理不尽です。自分の貯めたお金は親にとりあげられたけど自分のものじゃないの?と。

 これは私の子供の頃は当たり前の親のやり方ですが、今も続いてます。その親御さんは塾の面談ではその子に自信をつけさせたい、褒めてほしいと要望してます。でも、怒るとなると…脅しになってしまう。親御さんもおそらくそう教育されたのでしょう。でも、好きなものを取り上げ、家を出ていけ…それに怯えて塾に通う。なんだか…。

 安冨歩さんは演説で、学歴エリートの人も、名家エリートの人も怯えて生きている。それは虐待の教育を受けてきたから、自分も虐待のサバイバーだと述べています。

 私は選挙演説に興味を感じたことがないのですが、これは秀逸です。不登校で悩んでいる子供達、親御さんにもぜひ聞いていただきたい。文字起こしもしましたが、リンクから安富歩さんの演説も見ることができます。


 もとの演説画像リンクです。読むよりいいかも。なんで文字おこししたのか…(笑)
  やすとみ歩 新橋駅前の演説 7月5日  

 こんばんは。やすとみあゆみです。このタスキをもらって今日気づいたんですけど、やすとみ「あゆむ」と書いてありましたがやすとみ「あゆみ」なんですけども。これ私が生まれたときはっていうか…親につけられた名前、呼び方はやすとみ「あゆむ」でした。

 で、それで2、3年前にですね、あの、読み方変えました。みんな割と知らないのですが読み方は住民票を単に訂正すれば済むだけで裁判とか要らないです。

 で、なぜ変えたかと言うと、「あゆむ」っていう名前をよばれると、ドキッてすることに気づいたんです。なんか嫌な感じがするなということに気づいて、それからまあこういう格好もするようになったんで、男性的な感じのする「あゆむ」という名前よりも「あゆみ」って言う名前の方が自分にふさわしいなと思いまして「あゆみ」っていう名前に変えました。(拍手に)ありがとうございます。

 それであの住民票もですね単に引越しした時に名前の読み方を「あゆみ」にしたら住民票もそうなるので、銀行もキャッシュカードも全部変えられます。パスポートだけが面倒くさくてまだ残っているのですが、なんか外務省にいろいろ説明しないといけないそうなんですが、そのうち変えようと思ってますが。

 「あゆみ」って変えたら名前を呼ばれてもドキッとしなくなりました。なんでドキッとしないのかなあと思ったら、えっと多分ですね、「あゆむ」という名前は母親に叱られる名前だったんです。ということに気が付きました。

 それであのう、親とはですね十何年か前に私が離婚しようとしたときに猛烈に母親が妨害して、で、弟経由ですね、「もう連絡してくんな」と言ったら、それきり連絡してこないですね。うちの親は。なので、えーと一応、振り切ったつもりでいたんですけども。名前をですね、呼ばれるたびにドキッとすることを繰り返してたということに気づいて本当に驚きました。

 子供の虐待と言うのは私たちが普通に虐待と思っているようなものだけではありません。

 私の両親は私を立派な人間に育てました。誰よりも立派に育てたと思います。

 彼らは必死に私を育てて立派な人間にしようとして、そして京都大学に入って、で、銀行…住友銀行、(れいわ新選組の候補者の)三井さんと同じところに入って二年半で辞めたんですけど。大学院に入って博士号をとって大学教授になって最後、名古屋大学から東京大学の教授になるという立派なエリートコースを歩んで…ように立派に育てたんですが、でもその私は虐待のサバイバーだと思ってます。

 子供を守るというのは私のような人間を作らないということです。

 私は例えば京都大学に合格した時も、34歳で最初に書いた博士号をとった論文を本にした本で日経経済図書文化賞をとりました。そういう賞も受賞の連絡を受けた時も、東大に職を得たときも、これぽっちもうれしくなかったんです。いつも私はそういった時にはほっとしていました。

 例えばその日経賞という賞は、だいたい取っても功成り名遂げた立派な先生が受賞するような賞なんですけども私は34歳の時にそれを受賞したんですが、本を書いて出版した時に、「この賞をとらなかったら死ぬ」って思っていました。だから、本当に怖くて、「とれなかったらどうなるだろう」と思ったときに、電話がかかってきてですね、受賞をしたのでほっとしたんですね。

 完全におかしいです。成功する人間というのはそういう人間です。

 「成果を挙げなければ生きている値打ちなんかない」って心の底から思っているから、成果を上げられます。東大や京大に合格するような勉強を、そんなことのために青春を捧げるのはまともな人間には無理です。「合格しなかったら死ぬ」と思っているから合格するんです。

 そんなふうに人間、子供を育てるのは虐待です。

 考えてみてください。この国はそういう学歴エリートによって指導されています。私たちは、私たちエリートは怯えています。誰かに何かを言われるんじゃないかと思って怯えています。特に自分に力をふるうことのできる人に叱られるのに怯えています。

 50何歳にもなって親から縁を切って十何年も経って、東大教授で、有名人なのに、「あゆむ」という名前を呼ばれるだけで私は怯えるんです。

 そんな人間に社会は指導させたらどうなるか。想像してください。

 なぜ彼らは原子力発電所のような最初から安全に運営することなど不可能なシステムを安全に運営できると信じられるのか考えてください。彼らは偉い人に叱られるのが怖いのでそう信じられるのです。

 そういう人々にこの国を任せてはいけません。怯えない人に任せないと駄目なんです。自分自身が自分自身であるということを受け容れている人、自分がおかしいと思ったらおかしいと思える人、そういう人にしか重要な決定を任せてはいけません。

 安倍さんは学歴エリートではないです。だけど、彼はもっとすごいエリートの家の出身です。そういう人々も怯えています。お母さんに叱られるのに怯えています。おじいさんの夢を実現できないと叱られるから怯えているんです。恐怖にかられて決定を下す人に社会を任せれば社会は滅亡に向かいます。

 私たちが必要としているのは怯えない、優しい、強い、そういう心をもった人々です。それは残念ながら私はこのれいわ新選組の人々の中にもやはり私はいないと思うのです。なぜなら私たちの世代は全員殴られて育っています。私たちの親たちはまだ子供を殴る、そういうことが当たり前の世代でした。

 私の親は私がアレルギー性鼻炎でグズグズ言わしていると「そんな弱虫だと兵隊に行けないぞ」と言って脅しました。世間が万博とかやって浮かれているときにですね、子供にそんなことを言う親はちょっとどうかしているんですけども、彼らは昭和9年、10年なので、生まれたときには戦争が始まっていて、子供時代のすべてを戦争の時代に育ちました。

 だから父親は「大きくなったら戦争に行って死ぬと信じていた」と言ってました。

 おそらく母親は大きくなったら男の子を生んで戦場に送り出して戦死したらニッコリするそいうい靖国の母のモデルを体にしみ込ませ育ったのだと思います。

 その恐怖が私に埋め込まれています。同じ恐怖はおそらく日本人の間に埋め込まれています。

 戦争は終わってはいません。私たちは子供たちを守らないといけません。さもないとこの国の戦争は終わりません。
 私たちの心に埋め込まれた恐怖心がこの発展した豊かな社会を産み出したんです。

 そんな恐怖心によって産み出された豊かさは偽物です。その豊かさは収奪によってしか成り立ちません。何を収奪しているのか、貧しい国の人々、私たちの社会の中の弱い人々、そして自然環境です。私たちの豊かさはこれらの破壊によって、その犠牲によって成り立っています。そのような暴力性を帯びた豊かさを味わってもおいしくないです。その味は苦いんです。

 だから私たちはどんなに立派な家に住もうと、どんなに立派な都市に住もうと、どんなに優れた製品を使おうとも、心が空っぽになっています。私たちが幸福と感じるとき、私たちは幸福です。何かを手に入れても幸福にはなりません。

 そして恐ろしいことに怯えに支配された人間は何を手に入れても何をやっても何も感じません。暇つぶしができるだけです。

 暇つぶしをやめましょう。自分たちが何を食べているのか感じましょう。おいしいものを食べましょう。気持ちのいい家に住みましょう。楽しいことをやって下さい。そのための心を取り戻しましょう。そのためには私たちは子供たちに学ばないといけません。子供を叱るのをやめて下さい。子供をしつける権利なんか大人にありません。

 今日、私は阿佐ヶ谷で小学生三人とお話をさせていただきました。

 おなかが空いていてご飯が食べられない子供がいるのに学校に何百万円もかけて、一人当たり百万も二百万もかけて学校を運営していると言ったら「何でそんなことするんだ」と、「まずおなかが空いた子にご飯を食べさせてから学校を作ればいいじゃないか」と小学生は私に言いました。「何でそんなことするの」ときかれました。大人が狂ってるからです。私は答えました。

 私たちの狂気を今日、断ち切って子供たちを守って本当に楽しい社会を今つくりましょう。ありがとうございました。太郎さんが来られたようです。









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私が不登校だった頃 高校生以降~

 中学までを書いてから4年たってました。
 頑張ろうと立ち上がっても続かない…
 そんな子がいると聞いて、ああ私もそうだった。
 いやいや、
 私のは、かなりひどく逡巡しまくり倒しました…。

 今は、何とかしのげるようになった…

 続きです。

 中学を卒業し、私立高校に進学しました。
 出席日数が少なくても受け入れてくれ、
 なかなか雰囲気がよい学校でした。
 しかし、遠方なので、六時台に起き、七時には家を出なくてはなりません。
 やる気さえあればできる子と思われ、思っていたのですが…

 今思うと、起立性調節障害の傾向がありました。
 もしそうなら、本当に的外れなことをしました。

         | 午前中が弱い人は起立性調節障害の可能性があります
         | 起立性調節障害についてはこちらをご覧ください
         |           ↓
         |     起立性調節障害と不登校  

 朝は食欲がないので牛乳だけ飲んで家を飛び出しました。

 新たな気持ちで、高校では積極的に行動しました。
 ただ、続きません。早起きしなくては。前の日から緊張し…夜眠れない…どうしよう。行ったり、行かなかったり、行かなかったり…。とうとう行けなくなり…

 そんな私を見かねてとうとう母が言いました。
  「お父さんが『もういいよ。』って言ってたよ。」

 学校をやめる時は父と行きました。担任の先生が止めてくれました。まあ、登校すればやる気満々でしたから、納得できなかったと思います。
 そこの校長先生が父に行った言葉が胸に響きました。

     「学校でなくても学びはできます」
   
 後で友達が、「高校は冷たい。普通は止めないよ。」と言ったのでいい学校だったようです。

 さて、ではどうすればいのか。てっとり早いのは語学でした。外語学校に入りました。何もしないのは許されません。恰好がつき…とりあえず…です。始めはいいものの続きません。

 16歳。未来があると周囲は言いますが。
 それが何だと言うのでしょう。
 何の励ましにもなりませんでした。
 今は、それを言う側の年齢になりましたが、言わないです(笑)

 当事者には若さに何の価値も見えません。


 何をしても続きません。知人の紹介でアルバイトに行ったこともありますが、仕事内容は好きでしたが、小さな労働争議に巻き込まれてしまい、それを越えて頑張るような執着もなくフェイドアウト。そこの経営者は、私がまだ16歳だったことを若いと、とてももてはやしました。私は若いのは得だなと思う反面しらけてましたっけ。

 のこりの十代は何をしていたのか…引きこもりに近かった。ただ、中学の不登校学級で知り合った友達と京都や日光に旅行をした覚えがあります。
 
 その子から大検を教えてもらいました。先に述べた高校も彼女から教えてもらったことが、ヒントになり見つけました。
         |大検(現在は「高校認定試験」といいます。)
         |こちらで触れています 
         |        ↓
       |高校へ行かず大学進学する方法1  制度について
         |高校へ行かず大学進学する方法2 私の経験


 そして大検を受けました。動くことに臆病になっていた私が敵前逃亡をしないで済んだのは、
 二つ上の兄が励ましてくれたことが大きかったと思います。試験の前日、東京の下宿先から帰ってきて、「勉強しよう」と、声をかけてくれたからだと思います。当時の大検は易しかったので半分以上ラクに科目をとれました。そのあと、通信制高校に入り地理と生物の単位を取り、二度目の大検受験と合わせて資格を取りました。

 ただ、大学受験と大検のレベルの差は大きく、受験は簡単にいきませんでした。これ以上浪人したくない、どこかに決めたいと思ったとき相談した人から「私が卒業した学校が良かったけど」と勧められました。試験科目は小論文と面接でした。合格しました。

 その学校は、不思議な縁がありました。講師の先生に早逝した伯父の同僚の名前がありました。その伯父は誰もが尊敬する人でした。すぐに授業をとりました。先生も伯父を覚えていました。また、出席簿順で並んでできた友達もお父さんが伯父のことを知ってました。

 さらに先生の中にもう一人…父が法事で、久しぶりに会った親戚に「うちの子が勤めている学校に娘さんがいますね…」と声をかけられました。私はその先生の授業を受講してたのですが、良い学生ではなく、すでに卒業間近…(笑)まあ、予め知ってたら私はヘンに気を遣うタイプなので…その先生の授業はとらなかったかもしれません。

 「行動を起こす」とこんな嘘のようなことが三つも重なることもある…。
 
 それに不思議なことに、少しも学校をやめたいと思いませんでした。くたびれた時は学校に近い祖母のところに泊めてもらえたのも助けになりました。

 ところが、学校を卒業した後…どうしたらよいか分からなくなりました。

 何のビジョンもありません。今思うと大事な視点が欠けてました。
 学校を卒業したから不登校ではなくなった…でもそんなのが目標では私みたいになってしまう。
 あんなに悩んで苦しんだ「学校」へ行く必要がなくなったら…拍子抜けしました。
 まだ、その悩みがあった方がマシとふと頭をよぎり…ヘンですね。

 学校、学校とこだわってもダメ、その先があります。当たり前ですが。

 学校なんて手段にすぎません。
 根本でも最重要事項でもなんでもありません。

 悩みの根源に学校を据えてた私は浅薄でした。

 そして、外に出るのでもなく、「引きこもり」ですね。

 習い事をしても続かずやめるの繰り返し、思い出せないくらい色んなことをしました。母親に「今度こそやめないわよね」と強く念を押され続けました。追い詰められ「やる」と言い返すのですが。嘘をつくつもりは無いけど何かに飛びつかないと収拾がつかない。

 病院にも行きました。
 欲しいのは眠れない夜が辛いので睡眠薬だけ。
 外へ出るのが怖い。人に会うのが怖い。
 食欲も無くなり、痩せました。
 
 家族にとって私は困る存在です。
 
 家族に、私を上回る「困った人」…姉がいましたので、私は霞んでました。風当たりは多少やわらいでいたのですが…。
 その姉が、嫁ぐと、母の全エネルギーが私に向かってきました。母の頭の中は120%、否200%私。私の行動にピタっと読んだように母が前に現れることが多く、コワかったです。でも私が悪いのですから…抵抗できません。

 何も食べられなくなりました。少しでも栄養を摂ろうと牛乳を飲みましたが、もどしました。それを母にも伝えたのですが、ホットミルク入りのマグカップを何度も持ってきます。とろんとした目で。(母もおかしかったのですね…でも私がそう訴えても誰も取合いません。相当おかしくなってからやっと父が気づいたのは半年以上後でした。)

 体重は31キロに落ち…。
 私は初めて切れ、家族たちを罵りました。「こんなに辛いのに、どうして私を頼るんだと」

 「私を頼る」とは…話のつじつまが合わないと思いますが…
 家族には強力な先述した「困った人」姉、母の姉への愚痴の受け皿が私でした。小さいころからずっと。それ以外にも子供として聞きたくないことも母は何でもしゃべりました。それらは他の家族にも話せず自分の中に収めました。私は口が堅い、そうほめる兄弟もいましたから、言わないことに誇りもありました。

 普段おとなしい私が切れたので、私の方がおかしいとされ抑え込まれました。結局、あとで「迷惑をかけた」と私が謝まることに。そのとき家族は満足そうな顔をしました。切れた理由を家族は今でも分からないと思います。説明する気はとうに失せました。無駄ですから。
   
 後年、心療内科の先生に切れた時の話をしたら「(悪くなくても謝ったのは)丸く収めるためにはそうするしかなかったですね…」と言われました。他人の方がわかってくれると思いました。逆に明らかに家族が悪くても謝られた覚えがほとんどありません(笑)。

 それを話した従姉から「私は自分が悪くなければ絶対に謝らない」と言われて、びっくりしました。悪くなければ謝らなくていいんだ…私の中には無い思考です。
 
 
 そして、数年後両親はそれぞれ他界しましたが、
 自分は「価値がない」との思いは相変わらず強固でした。
 道路わきを歩いているとすごい勢いで通る、トラックに自分が吸い込まれるような錯覚が起きました。最近、知ったのですが、物理的に本当に「吸い込まれる」そうです(笑)

 私の転機は…

 近所の方から、お子さんのお勉強を頼まれたことでした。私の様子を知っている方ですから勇気がありますね…。その方から、家庭教師を頼むことにしたが、「あなたなら良いとうちの子からお許しがでたのよ」と言われました。次に、別なお宅からも声がかかり、やがて、塾で働くようになりました。生活費の半分を出せるようになりました。

 そして、紆余曲折を経、今に至ります。

 このように、私が適職に出会ったのはかなり遅いです。
 
 出会えると夢にも思ってませんでした。
 自分が勉強を教える側になるとは…

 先のことは誰にもわかりません。

その後、
 年齢を重ね憑き物がとれたのか、強固だった自殺願望がなくなりました。
 気が付いたら「無くなってた」…という感じです。

 こうしたらいいとか、ああしたらいいとか、具体的なことを言えなくてごめんなさい。
 

 あるお母さんから「先生は(不登校を)乗り越えて、立派にやっておられる」と言われたときは「…?…」と返事できませんでした。立派からほど遠く、「乗り越えた」感はまったくありません。(笑)

 私の経験は変わっていて……もっと、いろいろあるのですが、論旨がズレそうなことは割愛しました。 

 何か事件があるたびに「助けを求めれば…」との論評がありますが、
その勇気も出すまで大変です。

 求めても冷たい対応をされて打ちひしがれることも…私も傷ついたことが。

 それでも、誰もが何かに出会える可能性はあると思い直してください。

 傷ついたら、「冬眠」してもいいと思います。
 友だちの中に、ある日突然「会えない」と葉書がきて、交流が途絶える人がいます。何年か後にコンタクトをとって一緒に出掛け交流再開。ところが、数年後、今度は「会えない」とメールがきました。そんなときはそっとしておきます。このような「冬眠」が必要な人もいます。

 今も、私は「不安」の中にいます。
 でも、その「不安」が私の生きている実感です。
 むしろ、うまく行くと、逆に「何かヘン」と思います。貧乏性ですね(笑)

 どうせなら、「人知れず咲く、野の花のようになりたい」…と言ったら、そばで聞いてた友人に軽く笑われました。無理もないか…(笑)
 どこかで聞いたフレーズだったからですね。目立たなくて静かにいたい。

 別な年下の友達に「いつまで生きたい?」と聞かれました。
 「死ぬまで」と即答しました。

 そんなもんです。深く考えても解決しない。

 今でも夜眠れない時もあります。そんなときは眠らない。
 十代の頃、不眠は深刻でした。
 今はそれほどではない。
 長生きしたいと思いませんが、生きてることも悪くありません。
    
 人間、死ぬときは死ぬ。それまで生きましょう。
 いずれ皆死ぬのですから…大丈夫(笑)
 
 今のことに悲観的になったら、無理に歯向かわずやりすごしましょう。

 ※この文章もうちょっと何とかならないものかと何度も読み返すのですが…
  こんな締めになりました。すみません。


         中学生以前についてはこちら↓
           私が不登校だった頃 中学生まで 




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「起立性調節障害ってなーに?」パンフレット

起立性調節障害について非常にわかりやすい説明を頂きました。
そのまま載せます。
2018 年8月発行




起立性調節障害1起立性調節障害2

不登校は進歩…村上春樹著「約束された場所で」より

 村上春樹著「約束された場所でunderground2」で、一人ひとりをもっと強くする教育について語られています。 
 
 話の中心は村上春樹著「約束された場所でunderground2」ですが…
 
 まず、前置きです。

 私は村上春樹氏の作品が好きですが、「アンダーグラウンド」は
地下鉄サリン事件の被害者の方々の証言を集めたもの…内容が重くて…読むのが辛い気持ちになりました。それで手に取っても結局もとに戻す、そんなことを繰り返していました。



 先月、大学の国文学科の先生から、村上春樹の作品でおすすめは何かといわれたら「アンダーグラウンド」ですと伺いました。この本を読むと今まで当たり前と思っていた日常、景色が違って見えると。ものの見え方が変わる本…その言葉に背中を押されて読みました。
 読むのに時間がかかりました。被害者の方たちの後遺症、苦しみは今も続いているはずです。周囲の「いつまで言ってるんだ」との対応に傷ついている人たちもいて何とも言えない気持ちになりました。

 ここから「約束された場所で」について…

 さて、それでは加害者側の人たちはどうなんだろうと。なぜ、あんな大事件を起こしたのかわかりません。それで
オウムをやめた人、続けている人など証言を集めた「約束された場所で」も読みました。

 

約束された場所で (underground2)
村上 春樹
文藝春秋
2001-07-01


 事件当時はマスコミの「正義感」に振り回され、オウムに対して嫌悪感しかありませんでした。

 
 当時、オウム信者は駐車違反で逮捕されました…世論はオウムなら駐車違反でも捕まえていいと…オウム以外にも拡大適用される不安もありましたが…その声はテレビが繰り返す「正義感」の放送にかき消されました。

 最近、年配の方にこの事件の話をしたらいまだにあの報道のままの嫌悪感をむき出しにします。オウム側の証言集「約束された場所で」は読む必要が無いといわんばかりで取りつく島がありませんでした。テレビの影響はすごい…。テレビの意見が自分の意見になっている。自分もテレビばかり見ているとそうなります。テレビは感情の装置と言う方がいますが、その通りです。

 私が、世間の風潮に比較的従わないのは不登校というマイノリティにいたせいでしょうか。世間で言われているのと自分の見ているものが違う経験が多々ありました。だから、あの報道の洪水に振り回されたのは否めませんが冷めた目もありました。 

 オウムの施設に警察が大々的に入ったのを生中継されたのはゴールデンウィークのさなかだったように思います。テレビをつければ必ず「オウム」でした。連休中はオウム漬け。
 
 サリン事件犯の中には高学歴の人も目立ちました。その人たちの履歴も事細かに報道されました。私は当時中学受験塾に勤めてました。自分の仕事がああいう事件を起こすのに何の歯止めにもならないと思い、塾の先生をやめたくなりました。まあ、連休が終わると、テレビを見る機会が減り頭が冷えましたが。

 その当時の様子は森達也著「A3」に詳しく書かれています。マスコミの人たちは当時
オウムについて書けば売れ、放送すれば視聴率がアップするので「オウムバブル」と呼んだことや、その後、微罪での逮捕対象者がオウム以外にも拡大し行われるようになった事実が記されています。この本は著書が現在の日本と同じものを感じ危惧して、特別にネットで公開されました。(2019年4月当時)
 

A3
森 達也
集英社インターナショナル
2010-11-26




  ここから…不登校について…我田引水かもしれませんが…。

 「約束された場所で」の証言集の巻末に村上氏と河合隼雄氏の対談がありました。非常に興味深い内容でした。

 このような事件を起こす人を出さないために、河合氏は「一人ひとりをもっと強くする教育」が必要と言い、不登校の子供が「十万もおる」のは「ずいぶん進歩して」と不登校を評価します。

 それに対して、村上氏が自分も「学校が嫌い」と応え、話題は「自由」について移ります。

 自由のコワさを知っている子供、そんな子供は強い子供になれるのではないかと。自分の頭で考える子供になる。

 以前、オルタナティブスクールを選んだ親御さんから子供が自由の素晴らしさとコワさの両方を学んでいると伺ったことを思い出しました。

 河合氏はこれを学ぶのが「教育の根本だ」とこの対談で言ってます。こういう教育こそ、行動の歯止めができるのではないかと。だから不登校、意図せず、結果的に長いものに巻かれない子が増えたのを河合氏は「進歩」と評価したのかもしれません。

 どのような話の運びで河合氏からその発言が導き出されたか、少々長いですが引用します。終わり部分は特別な人が起こした事件ととらえない見解の引用です。この捉え方は同じ事件をおこさないための問題提起だと思います。

  (アンダーラインは私がつけました。)
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
村上
…世間の人は「あんなエリートがどうしてオウムなんかに」って疑問に思うわけですが、そんなのはぜんぜん不思議じゃないです。彼らは様々な理由によって、広い現実世界ではなく、ミニチュア疑似世界のエリートになっただけなんです。たぶん広い世界に出るのが恐いからじゃないかと思うんですが。そういう人たちはどんな小さなところにも必ず出てくると思います。
河合
そういうものを出さないためには教育をちゃんとしなくてはならない。今の教育はぜんぜん駄目です。一人ひとりをもっと強くする教育を考えないかんです。それでもね、学校に行かない子供が十万もおるなんて、やっぱりこれはずいぶん進歩してきたんです。それを文部省が許容しているというのは、文部省もずいぶん変わってきたんです。
村上
それはいいことですよね。僕も学校嫌いだから。でもね、この前どこかの調査…日本人の好きな言葉を選ばせると、「自由」というのは四番目か五番目くらいなんですってね。僕はなんといっても「自由」がいちばんなんですが。…
<中略>
村上
でも、そういう意味では日本人は本当に自由を求めているのだろうかって僕はときどき疑問に思ってしまうんですよね。…
河合
いや、日本人にはまだ自由というのは理解しにくいでしょう。「勝手」ちゅうのはみんな好きやけど。自由というのは恐ろしいですよ。
村上
だからオウムの人たちに「飛び出して一人で自由にやりなさい」と言っても、ほとんどの人はそれに耐えきれないんじゃないかという印象を持ちました。みんな多かれ少なかれ「指示待ち」状態なんです。どこかから指示が来るのを待っている。…
河合
それこそフロムやないかと、「自由からの逃走」やね。だから小さいときから、自由というのはどれほど素晴らしいことでどれほど怖いことかというのを教育することが、教育の根本なんですよ。それを本当にやってほしいんですが、なかなかそれができなくてね。でもまあこれはね、うまいことやったらできるんですよ。…じょうずな先生は子どもを自由にさせるんですね。子供にやらすんですよ。そしたら子供はけっこうちゃんとやるんです。変なこともちょっとずつやるけど、変なこともさせておいたりしてね。
村上
僕はなるべく暇をみつけて裁判の傍聴をするように心がけているんですが…あれだけ多くの被害者の皆さんにお目にかかって僕なりに激しい怒りを感じてはいるんですが、それでもなお(犯人たちに)哀れさというのはしっかりと残ります。
河合
それは日本のたくさんのBC級戦犯の人たちについても言えることですね。
村上
結局システム問題ということになるのかもしれない。でもああいう、命令を狭義に集約的に与えてそれを実行させるシステムというのは、大きくも小さくも自然にできちゃうんですね。それは僕にとってはすごく怖いことです。そうしてそんなノウハウがぱっと出てきて、比較的短い期間に、あらがえないくらいがちがちに固められてしまうのか、それは謎です。そういうものの存在を好む力が自然に、あるいは自縛的に働いているとしか思えないところがあります。本当に戦犯の問題に似ていますよね。どのように裁いても、必ず問題は残るでしょうね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 この対談部分は他にも深い内容が語られ読みごたえがありました。興味がわいたら、是非、「約束された場所で」を読んで下さい。

 


余談
私は村上春樹氏と河合隼雄氏の対談を「村上春樹河合隼雄に会いに行く」を読んで好きになりました。また読み返したくなりました。







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家庭教師…勉強をしない授業?!

家庭教師先で勉強をしないケースにいくつか出会いました。

当初の要望は…
表現力を伸ばしたい、
あるいは
学校から離れて…でも…まだ勉強はしたくない…

では、何をしましょうか…

英語が好き?物語は?

英文の物語を読むことや
おしゃべりから始まりました。

そこから…子供が自分の好きなものを
さまざまなゲーム、アニメ等々を
YouTubeなどで私に見せるようになりました。
始めは、勉強をするのですが…
やがて、それだけになる…


自分の好きなものを人に知ってほしい…

どんな人でもそうではないでしょうか。

子供たちのその気持ちはとてもよく分かります。


一緒に映像をただ見るだけ…
子供が解説をしてくれるときもあります。
あらかじめ私に見せるものを用意しているときもありました。
私も分からないことは質問し、説明してもうらこともあります。

私は見るものに結構、感情移入します。
おもしろいと思ったことは一緒におもしろがってしまう。
お世辞はいいません…子供たちはバレますから。

でも
「家庭教師」です。
子供から見れば

私の顔に「勉強」と書いてある…ように見えると思います。

私が訪問するだけで、
「勉強」へのプレッシャーがかかります。
さりげなく
勉強へは誘導することもありますが、
強制しません。


それに どの子も
小学生であろうが、中学生であろうが、
子供自身、
「このままではいけない…」
と思っている節が見えます。

だから、言わない。
繰り返しますが、
家庭教師は「いる」だけでプレッシャー。


そんな状態が長く続くと
私自身、正直
本当にお役に立っているのかと……

でも、そう思い始めたころ
子供たちが
次のステップへ動き始めました。

子供が動き出すまで待つ。


本人のスピードで
本人のタイミングで

人と比べて、


早いも遅いもない。


でも滞っていたものが「動く」だけですごいです。

このようなケースがたまたま続いたので
共通点は何かなと考えてみました。


「動いた」ケースに共通しているのは

閉ざされた環境ではないこと。

「動いた」ご家庭は

家族だけで問題を抱え込まず

新しい情報を、
「外からの風」を入れています。

それでも
試行錯誤の連続です。

情報を提示した中で
子供が選んだと思ったら
実は周囲の意向に気遣って嫌と言えなかった
なんて場合もあります。

子供自身も揺れ動いています。
見極めるのは難しいです。

でも違うと思ったら「せっかく決めたのに…」と責めないでください。

試行錯誤、

紆余曲折

基本姿勢は子どもの意向に沿うこと。
これはわがままとは違います。
「自分で決める」と続く確率が高いです。

その逆は…やり始め、息切れした時、周囲を恨んでしまう。
避けたいです。

繰り返しになりますが、


人と比べて早いも遅いもありません。

中身が大切。

そして親子ともども

つらかった分、果実は大きい。

もしかしたら…私も
「外からの風」のひとつになれたとしたら嬉しいです。

勉強をしないのは
お勉強を一緒にするより難しいです。

以前、フリースクールの方から
フリースクールに来た子供がひたすらゲームをする時期があります。
でも、大丈夫。
と伺ったことがあります。

ゲームをしている間だけ「ダメな自分」とずっと向き合わなくて済む。
ゲームで自分を癒しているそうです。
気持ちが癒されると自然とゲームから離れると。

家庭教師にいろんなことを見せてくれた子供たちに
それに近いものを感じました。


子どもは…生きててくれれば…いいです。


追記:
元不登校の方のインタビュー記事で、
やっと会えた、良かったカウンセラーの方は
不登校だからあったのにも関わらず「学校」の話は一切せず、
自分の好きな野球の話で盛り上がってくれたとのこと。
それで、元気になったそうです。




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不登校の子へ将来を迫る危険性

ある不登校の子のお母さんから、
たまたま、こんなことを聞きました。
「学校へ行かないなら何かしたいことがあるのか」
「したいことがあっての不登校なら納得できる」と。

でも…
果たしてそこまで割り切って不登校になる子は…いるかもしれませんけど
迷っている子、立ち止まっている子の方が多いのでは…。

子供に将来を迫ること

確かに一日中子供が自宅にいたら、閉塞感があり、
親子、お互いに息苦しい…
そういう言葉が出るのも致し方ない面もあります。





 ところで、このエッセイ集のテーマは、「どのようにして小説家になったか、あるいは、その頃の話、それまでの話」です。36人の方が載っています。

 ほとんどの作家さんがそれに沿った文章を載せています。
 小説家になるということは多くの場合、逆風です。
「誰でもなれる仕事ではない」「不安定だ。」等々、常識的な言葉で責められます。(この「常識的な言葉」で責められるのは不登校に似てますね。)

 読んでみると大人であっても将来を迫られるとかなりつらい…悩み、苦しみ、親を恨み、自分を疑い、……どうしたらいいか見えない、そんなエピソード、心もとなさが語られています。赤裸々なものも多く、読みごたえがあります。
 
 不登校であろうとなかろうと、同じ不安の中で多くの人は生きているんだなということがこのエッセイ集で再確認できます。

 
 ただ、これら作家さんたちは周囲から責められても、周囲から自分で自分を守れました。

 不登校の場合はまだ子供…この課題をつきつけられても、どうしたらいいいか固まっていないうえに、さらに親を頼るしかなく圧倒的に立場が脆弱です。

 この違いは実に大きいです。

 このエッセイを読んでもわかる通り、大人でさえ、かなり厳しく、絶望的な気持ちになることもある状態。それが学校に行ってない期間分、前倒しになり、それを子どもにつきつけることになるわけです。

 自分がその年頃、果たして将来どうするか決められていたか?
 学校へ行くというエクスキューズがあってその問題を先送りできたのに過ぎないのでは?

 不登校の親御さんは不安のあまり、学校へ行かないのなら将来どうするんだと答えを子供に迫ってしまう…。それは、親が思う以上に子供にとっては重圧ではないでしょうか。子供には大人のような耐性はありません。将来を悲観し、自殺を志向する子も…。

 親子共にあせると、結局親の意向に沿って決めることになりがちです。それは本人も親も気づかない問題の先送りになってしまう。
  
  子供の人生は子供に渡す…

 「本人に決めさせてあげると長続きする」とあるお母さんはおっしゃってました。


 進路の問題にぶつかるのは不登校であろうとなかろうと同じです。
 
 不登校は学校に行ってない期間分その問題が早くなる…焦る必要があるのでしょうか。

 このエッセイ集に登場する作家さんたちは答えがでた人ということになりますが、進路が決まったのが早い方もいますが、かなり遅い方もいます。人それぞれ。

 まずは「生きていてくれたらいい」。

 36人の中で自分の波長に合う人をみつかるかもしれません。

 
このエッセイ集の天童荒太氏の文章の感想はこちらへ。



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お母さんのせいにすれば丸く収まる…

 子供が不登校になったとき学校はどんな反応をするのでしょうか?
 親御さんにとって学校は真っ先に相談する先ですが…

 まずは家庭に原因を求めてきます。
 親を責める。

 小4の頃から不登校になった中学生の子は、
「自分が不登校になったのはお母さんのせいだ…そう言っとけば丸く収まる。」
と皮肉たっぷりに言いました。これは、その子の学校や周囲への不信と軽蔑のことばに聞こえました。

 ある子は、不登校になったとき、たまたま中学受験勉強もしていたので、担任の先生は「受験勉強で無理をさせたのではないか」と、原因を家庭に求めてきました。
 でもお母さんに話を伺うと、学校のクラスにいじめがありそれが放置されていることと、その子がほとんどそれに関わらなかったら、クラスでの居場所を失ったとのこと。その様子については偶々他のお母さんからも同様のことを伺っていたのでうなずけました。
 既にそのいじめは担任の先生の手に負える状況ではなく、他のお母さん方にも知れ渡っていました。百歩譲っても不登校のきっかけにはなったと思います。それでも先生がクラスのいじめを振り返ろうとせず、すぐに家庭のせいにする…これは何なんだろう?(論旨がそれますが、この事案で学校の先生の孤独性も感じました。先生も周囲に助けを求めない…。)






 この本は直木賞を受賞した36人の方のエッセイとインタビュー集です。

 わたしは天童荒太氏めあてでこの本を手に取りました。

 やはりこの作家さんはいい。

 問題が起き、都合が悪くなると一番弱いところに皺寄せをする社会。

 東日本大震災の時、家族の絆と連日、テレビで繰り返され、大変な状況も
結局、最後には家族にすべての解決を求め、美談として流し続けるマスコミに、
私は、コワさとうさん臭さを感じました。

 政治も社会もすべて家族に押しつける。家族にも限界があります。
 その限界をこえた痛ましい事件があったとしても根強い家族礼賛…
 
  
 このように、家族礼賛を是とするこの社会で天童氏の以下の文を読んで、
 ああ今まで漠然と思っていたことに的確な言葉が与えられた…と思いました。

 以下  天童荒太「思い起こすままに」より部分 

(前略)
…幸いにもこの作品で賞を得て、二作目は人間にとっての恐怖を描いてみることを勧められ、誰もが逃げられないものをと考え、それは家族だと思い到った。幽霊の出るホテルも、殺人鬼のいる田舎も、近づかなければどうということはない。だが家族ばかりは、どんな人間も逃げられず、問題が生じたときは、金も名声も効力を持たない。

 家族に関する多くの問題が噴出しているのに、政治を含めて社会の風潮が、問題解決の道を家族にすべて押しつけようとしていることにも、怒りを抱いていた。社会の影響を多大に受ける家族間の問題を、周囲がサポートしないまま、家族のみに解決を求めてゆけば、子どもや老人や女性らに皺寄せが行くのは明らかだった。
(後略)
 
 この部分に目が釘付けになりました。

 この前の文章では、寝たきりで、認知症にもなった祖母と中学~大学受験まで同室で暮らしたこと。ニオイがすごかったこと。その後、父親も寝たきりになり、介護のほとんどを担った母親が随分苦労したことに、父親の死後母親がぽつんと言った一言について触れています。

(暖かい思いやりにあふれた文章です。十四、五ページほどですぐ読めます。
是非、全文を一読ください。)
 
 介護はもちろんのこと、不登校も家庭内で全部担いきれるものではありません。せめて家庭、自分と違う視点を知ることも必要です。この拙いブログでもある読んだお母さんから「もっと早く読めば良かった」と言われたことがあります。そうだとしたら嬉しいです。


  家庭で、お母さんひとりで全部背負い込まないでください。


 付記
 この本は直木賞受賞までの生立ちや経緯など、多くはその将来への不安を抱えていた時期が語られており、読みごたえがありました。それらについての感想も書きました。また不登校に寄せての内容になってしまいました(笑)
 ↓その内容はこちら




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前川喜平さん講演会①

8月に行われた前川喜平氏(元 文部科学事務次官)に行きました。
その講演の走り書きのメモをもとにまとめました。
前半は講演 後半は弁護士の太田啓子さんとのトークと質疑でした。
テーマ
   子どもに合った教育を
    ~これからの教育と日本

前川さんは「学習権」を提唱し、
   その法的根拠を憲法で謳っているいる権利をあげて述べられました。

「学習権」憲法13条に根拠
 ①1976年最高裁判決 旭川学力テスト
    一人一人の子は自ら学習する権利がある。
    自ら選べない子はそれを満たすことを大人に求める権利がある。
 ②1985年 学習権宣言 ユネスコ  想像し、創造する権利
    生存権=学習が満たされなければ生きていけない。
        読み書き計算 人間が生きて行くのに不可欠な手段。  
        学習することは人間らしく生きることにつながる。
    自由権=どこで何を学ぶかは選べる。
      憲法の「学問の自由」とは大学の教師だけを指すのではない。
      学習することすべてを指す。
    社会権=これら、国に対して学習機会の補償を求める
    平等権=等しく学ぶ権利
        現実は経済格差などで教育に差別が生じている。
    参政権=国が何をしているかを「知る権利」が必要
        知らないと誰を選んでいいのかわからない。

        学ぶ権利→政治家を選べるようになる。
          欧米諸国では
            学校で選挙の教育で行われている。
          文部科学省は
           「教師は選挙について教育せよ」と
            勧めながらも「教師の主張は控えるべき」
             …これは難しい。教師も萎縮、忖度してしまう。

普通教育について…その意味
   まっとうな大人、
   社会の一員として生きて行くのに必要な教育のこと。
 26条 無償の普通教育 
     義務教育イコール学校へ行くことではない。

     子どもに教育を受けさせる義務を国民の義務との表現は誤解を生む。
 
    「国が義務を負う」にすべき。

  憲法は国民が決めて国が守るもの
    名称を「無償普通教育」にかえるべき。
    現実に、経済格差でこぼれ落ちた人を国は放置している。

  憲法に「学校」という言葉は出てこない。
     学校教育法では…
      「学校に行かせよ」とあるが、
       子どもの権利なので強制的に行かせることはない。



学校になじめない子たち 
 9月に十代の自殺者が急増する。
  死ぬほど学校に行きたくない子には
    「行かなくていい」では弱い、「行くな」と言うべき。
     死ぬほど行きたくない場所は危険なところだ。

  前川氏自身の不登校経験
   小学校3年で奈良から東京へ転校した。
   東京では方言に違和感をもたれ、
   昭和30年代の東京の学校ではプール授業があったが、 
   奈良ではプールが普及されておらず、自分は初めて。
   授業では泳げないまま居場所がなかった。
   

 そこで感じたこと
 世の中にはいろいろな、マイノリティ(少数者)がいる。
   不登校・泳げない・自転車に乗れない等々
        でも、それでいい。
   いろいろなマイノリティをたしていくと50%を越える
              ↓
    マイノリティはマジョリティ(大多数者)だ。
    少数者を無視すると自分にそのお返しがくる。
     (自分もどれかのマイノリティに属している)


 学校は出会う先生によって居心地が左右される。
   転校当時の学校の先生は冷たかったが、その後、よい先生に出会えた。
    「学校になじめない子」というが、言い換えれば
    それは、「子どもがなじめない学校」であり、
      学校は「子どもが安心できない場所」と言える。

      現状は子どもを学校に合わせる。
      反対ではないか。

 学校がどうして「行かなければならない場所」になったのか。
   歴史的変遷をみる。
     森有礼「すべての学校は国家にためにある」と提唱
       国に役に立つ子どもを育てるのが学校。
               そこに権利はない。
       教育を受ける権利はそもそもなかった。
       国の役に立たない子は学校に来なくていい
             ↓
        就学免除(まだ残っている制度)
          障害(精神的・肉体的)者など対象

     学校のもとは軍隊 森有礼の目指したもの 
       例えば、兵式体操、
        「ぜんたい止まれ」の号令は「全体」ではなく「全隊」のこと。
         あきらかに軍隊である。学校にはその残滓が強く残っている。

     教師は権力者
       現在も桜宮高校(大阪)で 生徒の自殺事件が記憶に新しい。

    戦前 学校に行かなくても普通教育は認めていた。
       ところが、1941年「国民学校令」
                 学校以外の学びの道を閉ざした。
    戦後 その制度、「学校以外にない」が残った。
       学校に行かせないと保護者は刑事罰対象になった。
         「1週間、正当な理由なく子どもが学校を休んだ場合」
                          →刑事告発された。
          刑罰は、罰金だが、刑事裁判を経ての判決なので厳しい。
       その摘要は昭和50年代以降はない。
        なぜ続いたか。ネグレストやDVなどへの不安があったから。
        困ったことに、就学義務違反と不登校の境目がなかった。

     1960年代、(前川氏が不登校だったころ)
           前川少年が「(学校へ)行くのがしんどい」と言うと
            母は「寝てなさい」と言ってくれ…助かった。
     1990年代、「不登校」ということばになった。
           不登校は誰にでもおこりうること。

   子どもに合わせる学校の例 
    「みんなの学校」というドキュメンタリーになった学校
     おおぞら小学校初代校長 木村やす子校長
     障害・暴力 など どんな子でも受け容れる。

   ルールはひとつ「自分がされていやなことは人にしない」だけ。

   ルールをやぶると…校長室、別名「やりなおしの部屋」へ
    校長先生は叱らない、本人が自分を見つめる場である。
    学校はその子ありのままで包み込む。
      何度も暴力をふるってしまい、
      何度も校長室で自分を見つめた子。
       やがてその子は「教師になりたい」と前川氏に言う。

学校以外の学び場
  2014年7月 教育機会確保 学校以外の学びの場を認める。
       
          就学義務
          公費負担を検討する。
          第二次安倍内閣もフリースクールを支援すると明言した。

      中央審議会で2003年から議論されていた。
      超党派の国会議員連盟も議員立法
       問題点 国が管理すると…
            学校側の不安→子どもが学校に来なくなる
            フリースクール側の不安
              →国が管理すると自由さを阻害される
        前川氏の提案
         「中間支援組織」アクエリテーション(アメリカの制度)
          お上が裁定するとフリーではなくなる、
          自分たちで認め合う制度。
           歴史的にアメリカの学校は自然発生的に発達したので
          質の悪い学校も多かった。
          そこでお互いに評価し合うようになった。
          一定の水準に達したら仲間にし、その質を保証した。
           

不登校の子に応じた支援
 休養の必要性 
 学校以外の学習の重要性を認める。
 現実を手掛かりにして政策として実践すべき。

  不足しているもの→経済的支援。
 卒業証書は心配ない。
  子どもがどこかの学校に在籍していれば、自動的に証書は出すことになる。

対応がおこなわれる例
 フリースクールの公費負担 大阪市「スマイルファクトリー」
              20019年から世田谷区にもできる。
                 東京シューレが請け負う
不登校への拡大解釈の不安
 北海道の宗教法人の施設にいる信者の子ども
   全員一斉に不登校になったと申告し、
    自分たちのフリースクールに全員を移した。
    (一斉に不登校はありえない。どんな教育をするのか不安)

以上が講演の前半です。
前川さんの話で「学習権」と「中間支援組織」は大変興味深いものがありました。

後半は弁護士の太田啓子さんとのトークです。



不登校…子供は大人の鏡

不登校は文化の森の入口
渡辺 位
東京シューレ出版
2006-11-20





 この本は不登校に関する名著です。


 不登校を通していろんなことが見えてきます。子供は大人の鑑。大人社会の問題が投影されます。



「大人の問題を子供という弱いところにしわよせする、問題児をつくることで大人は自分たちの問題をごまかしている」と著者はいいます。


 中でも日本の公教育は軍隊的であるとの指摘が興味深いです。

 制度化された1885年頃の時代背景に戦争があったということがその根拠です。
 軍隊的特徴…確かに
、整列して歩調をとって歩く、制服、教師の体罰、児童生徒に対して支配的、強権的な傾向等うなずけます。

 余談ですが…2017年11月の報道された教師による小学2年生女児への暴行は本来ならば傷害罪です。それが適用されないのが不思議です。ところで、戦時中の日本軍も上官による下士官への暴力が常態化してたと聞きます。こんな面まで軍隊と似ているのでしょうか。

 戦争当時は「国の役に立つ人間」を育てること。だから学校教育もそれに貢献したわけです。

 今でも当時のクセが抜けていない面があると指摘されてます。高度経済成長期のころは「戦争」から「経済」に切り替えただけで本質は同じだったのではと思いました。
  
要するに公教育制度は
元々「人育て」ではなく国策に沿う「人間作り」が目的です。教育に
熱心であればあるほど人間を一つの目的に合うよう「一律化」していく傾向になります。他の人と違うことが受け入れにくい社会へとなりました。

 このような時代背景の考察をすることでものごとの本質が見えてきます。歴史を勉強することの本当の意義はこういうことです。

 話を戻します。不登校の子供達はそれに「No」と言っているのですね。無意識に。だから、かわいそうなことにその子は「一律化」に当てはまらないので、私はおかしな人間だと自分を責めることになります。
 不登校の解決は学校に戻ることだけではないという声が稀ですがやっとマスコミでも言うようになりました。

 国策教育から世の中の動きを見ると、

 数年前に、
ニート、ひきこもりをマスコミが大きく取り上げた時期がありました。

 しかし、ニートやひきもりは昔からいました。急にクローズアップされたのは、
国の赤字財政、年金の不安、少子化などの政治の問題が背景にあると思います。つまり国策に沿わない…
 国策が困る「定職、定収のない人」ニートを追い詰めるのと、不登校児童を問題視する構造が似ています。

 一律化をよしとする教育に適用するのが良いとされた教育を受けた大人たちはそんな世の中の風潮に流されない本質に気づくのはかなり難しい…。

 いろんな人がいていいという多様性に寛容な目を持ちたいです。

 不登校ではなくても、子供に合う教育を求め、学校に行かずホームエデュケーションを選べる、その上、補助金も出す国があります。その動きは日本でも始まっています。
 


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不登校リスクとは 実務家の視点

「不登校ほど、『きっかけ』と『原因』が混同される子供をわたしは知らない。
不登校には必ずきっかけがある。
友達にへんなことを言われた。
教室でいやな経験をした。
しかし、これはあくまで『きっかけ』であっても、
『原因』ではないことの方が多い。」
原因、すなわち問題の所在とは、
「みんなと仲良くしなければならないという大前提、これが原因である場合が非常に多いのだ。」
   小栗正幸著「生きづらさを和らげる対話術」より
                     ※みんなと仲良くについて「友達100人」も要らない 参照

不登校の対策として、この本はとても示唆に富んでいます。

小栗正幸氏は、法務省に所属する心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を退官後、(本書執筆時は)学校巡回に従事し、先生方に子供への接し方のアドバイスをしています。

経歴からも想像できますが、大変困難な状況下にある親や子供たちと多く接した経験をもちます。

でも、それだけではありません。
当ブログのほかのページでも触れましたが…
私はかつて小栗氏が教育テレビの討論番組に出演したのを見たとき、我が子の家庭内暴力に悩むお母さんたち個々への氏の接し方や口調にとても温かみを感じました。

この本も温かみがあります。

この著書には不登校について、原因は「親のせい」とはどこにも書いてありません。
更に、別な著書ですが周囲が言いがちな「親の愛情不足」という言葉を「不毛な言葉」とはっきり批判してます。
         ※親の愛情不足について「無神経な正論」へ反論 参照

本書は
日本の学校が共通してかかえる悩み、
学業不振、不登校、暴言や暴力、いじめや非行などを氏の視点から捉え直したときに見えてくるもの、それへの対話術と、小栗氏が巡回先の学校の先生に伝えていることを一冊の本にまとめたものです。

(補足)
 私がこの本を取り上げたのは学校へ戻すことの効果を期待したものではなく、最も大切な子供自身が自分で決めて自分で立ち上がるのを目指している点です。その結果、学校へ行くのはいいと思いますが、それ以外の道があっていいと思います。






もちろん、不登校についても多くのページを割いてます。

以下「 」内は引用です。


筆者の不登校への基本姿勢

「半世紀以上にわたって、不登校論議を交わしてこられた専門家には申し訳ない限りだが、『この50年以上、不登校の本質は寸分たりとも変わっていない。今まで交わされてきた不登校論議はとても高邁で、人間性に満ちたものだとは思う。しかし、どうも不登校の本質にヒットしていない。だから不登校は減るはずがない』というのがわたしの持論である。
後からのこのこ出てきてひどいことを言うなあ、と怒らないでほしい。白状すると私は団塊の世代だ。いわば不登校の人たちの推移との同居人である。そうした背景をもって言うのだから、これも年の功だと思って、わたしの話を聞いてほしい。」

…主旨は前半部分ですが、それだけだと厳しい言葉に聞こえてしまうかもしれません。それで長文を引用させていただきました。

今まで尽力された方々を否定したものではないと断りつつ…筆者は率直に意見を述べ始めます。

筆者は、
不登校を起こしやすくする[なにものか]をリスク(危険要因)と名付けます。

その数は不登校の研究者の数だけあるそうです。
現実に子供たちに会っていると、いろんなリスクが目に付き増えるもの無理もないと、筆者は同情しつつ…要因を大きく三つに絞り込んで論を進めます。

本書では起立性調節障害、生活習慣獲得不全、不定愁訴などのリスクは論旨を明確にするためあえて入れてません。                         
                  ※起立性自律障害についてはこちら

不登校の三大リスク 
(リスクが一つ乃至二つ以上合併する場合もある。)

①こだわり(決め付け)…不登校リスクでもっとも大きいもの 
「不器用というか、融通が利かないというか、
わたしたちなら何でもないようなことに『こだわって』自分を追い詰める。
結局課題は乗り越えられず不全感を募らせる」 

その課題はあまりにも当たり前のこと「わかりきった事柄」ばかりだから、逆に、支援指導が難しい。

「それが『みんな』の当たり前な(無意味な)課題ではなく、
『自分』の特別な課題になってしまうのが本書の主役たちである。
しかも、息苦しさを感じるが、それが何であるのかを洞察できない。」

②学業不振  
学業不振は自尊心の低下につながり、子供の学校生活への積極性や能動性を阻害する。
発達障害が絡むものもある。

③対人トラブル  
「不登校の『きっかけ』であって『原因』ではないことの方が多い。

不登校の人は元々自信がなかったり、被害感が強かったり、不信感が強かったりする人ではない。
そのかわり、コミュニケーションの力に課題をかかえている人が多い。」

コミュニケーション能力の課題とは…
     相手の考えていることを想像する力が弱い。「メタ認知」が弱い。

「メタ認知」
  筆者は専門用語は避けていますが、この言葉だけは使いたいと言います。
  それだけ重要なことと思われます。

 「メタ認知」とは…自分の姿を第三者の目線で客観的に見つめる、
          成熟した認知スタイルのこと。
     一般的に小学3年から5年生にかけて発達する。
     メタ認知があれば…
       子供は複雑な対人関係を処理でき、社会性がつく。
     例えば、
      「わたしは、いまこの遊びがしたい」
      「でも友達のAさんは、いまこの遊びをしたくないかもしれない」
       と分かる(想像する)ようになる。
     
メタ認知が未熟だと…
不登校の子は
「…クラスメイトの一人と意見が合わなくなった場面で
相手の立場とか思いを理解できず、
相手の言動に対して寛容になりにくくなる。
思いがけず教師から評価されなかったり、
友だちから注目されなかったりした場面でも同じことが起こる。」

「そうした状況は、だれにとっても不快なものであるが、
不登校になるような人は、相手との対人関係を通した解決が図りにくい。
(中略)あの『嫌な感じ』をずるずる長引きやすい。
長引けばその経験はゆがみの元になる。」

「不登校の子どもに自信欠如や被害感、不信感の強さがあるとすれば、
それは原因というより結果的な『ゆがみ』である場合がほとんどである。」


……う~ん。
私もあてはまりそうです。
人間関係で嫌なことがあるとその場面を何回も頭の中で反芻して切り換えられません。
やがて、自信欠如、被害感、不信感が…思い当る…。ひとりでいる方がラク。
中学生のとき、担任の先生が見かねて
自分が思うほど相手は気にしていないよと言われたことがあります。
当時は「そうかもしれない」と思いましたがあまり聞く耳をもってませんでした。
でも今も覚えている有難い言葉でもあります。




本書はこの後、
各リスクへの対応について述べ、「使えるところは使っていただければありがたい」と不登校対応の章へつながります。



対話術の方では、人との接し方、どう話したらこちらの話に耳を傾けてもらえるか、単に同調するのではなく相手が冷静に話しやすくする話の持っていく方法について、実例をあげながら述べています。
ああ、人間の心理ってこうなんだなと。どうしてそう言った方がいいのかそのマインドも説明してくれます。

対話術の要点をまとめようと思ったのですが、
本書の「気遣い」を反映させてまとめるのは難しいです。

興味のある方は、本書を読まれることをお勧めします。





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不登校生との対話術「的を外す」とは 

小栗正幸氏の対話術
不登校のリスク要因、「こだわり」の強い子への対応について

人は誰でも自分のことを否定されるのは嫌なものです。自分の考えも否定されたら、相手と楽しく対話するのは難しいですね。子供も当然そうです。否定されたら、心を閉ざしたくなります。
でも、間違った考えだったら肯定できない、否定せざる負えない、でも対話の道は断たれかねません。

ではどうしたらよいか?

ここで登場するのが、氏の言う「的を外す」です。
子供のこだわりについては何もふれない(的を外した)が、子供のことは肯定する。ここから対話がしやすくなります。

 不登校の子に対する氏の「的を外す」対話術について具体例もいれてまとめてみます。





「こだわり」…筆者は以下のことが不登校原因かたまりのように見えるそうです。

①「友だち」にこだわる。
…みんなと仲良くする…実際は不可能です。

②「一番」にこだわる。
…「負ける」ことを受け容れられない。
小学校三年くらいまで勝つことや負けることよりも遊びとして楽しめるようになれればよいが。
中学生、高校、大学生になっても例えば集団競技で、みんなで頑張ったけど負けた場合、チーム内で「お前のミスで負けた」などと個人攻撃する人は「勝ち負け」の課題が未消化。

③「いいかげんさ」がない
…これがあるからこそ少々難しい問題も「まあいいか」と無難にその場が切り抜けられる。

④「矛盾」とつきあえない
…悪としての矛盾は無くす努力はするべきだ。しかし、世の中は矛盾に満ちている、子供たちもその矛盾との付き合い方を身に着けてほしい。
   小栗氏曰く、学校は矛盾に満ちているので、
   矛盾の付き合い方の学べる場になるとのこと。

不登校対応 短期目標と長期目標をたてる。
 短期目標
  利害一致を起こしやすい課題を見つける。
  筆者の場合は2~3週間
 長期目標
  今は起こっていないが、
  短期目標の積み重ねで1~2か月後には
   利害一致を起こせそうな課題を見つける


そのための対話とは
うまくいってないところや、改善を要するところでなく、
 本人が納得できるところを足掛かりにする。
②感情でなく理性に訴える。
③本人が気づきやすいようにサインを出す。
④意見が違ったときは楽しめる雰囲気をだす。
  (「それもおもしろいじゃない」など)
 楽しい雰囲気で対話が終わるように配慮する。

子供を変容させるという発想をもたない。まず失敗する。

「こだわり」…指導困難な状況を作る最強要因である。

こだわりへの対応
①こだわる人の言辞は「こだわる」ことに意味がある。
②肝心の理由の説明を聞いても周囲が納得できるものではない。
③周囲が「なんだそんなわかりきっている」ことを気にしている場合が多い。

基本姿勢
①子供の「こだわり」を意味あるものと受け止めすぎない。
②しかし、あからさまに「こだわり」を無視することもダメ。
③押しても引いてもだめ。

ここで登場するのが、冒頭で述べた、肯定的に「的を外す」です。

たとえば
「何もしてほしくない」という決め付けには

やりがちな対応
①真っ向から応じる
「そっとしておいてほしいのですね」「干渉されたくないのですね」
  …×「こだわり」そのものを肯定してはいけない。
②逆に×「こだわり」は否定しても緩和しない。


  元々こだわりやすい子供への指導だから。
  是正したい、こだわる傾向を変容させたいという指導は大抵失敗する。
  

〇肯定的に「的を外す」
①相手を否定しないことは大切だが、こだわりは肯定しない。
「何もしてほしくない」というこだわりに対して
 「自分の意見をはっきり言うのは大切なことだよ」と応じる。
②これは、「こだわり」自体は肯定しない。
 子供が自己主張できたという事実を褒めることで「的」を外している。
③「的」は外しているが、肯定的な表現を用いているので、
  子供の感情を害することはほとんどない。これが対話の糸口になる。

こだわりやすい傾向を否定せず、対話につなげていく。

「こだわり」の内容を役に立つ「こだわり」に変えていく。

「こだわり」は悪いものではない、むしろ宝の山でもある。

小栗氏のエピソードの中に、
 勉強のできていた中学生が「勉強や学校に意味がない」と急に言い始め「学校に行かないこと」に決めてしまい、一年くらい行ったり行かなかったりの状態が続き氏のところへ来ました。
話してみると歴史に非常に詳しい、それも鎌倉時代だけ。かなりマニアックな内容を氏は「おもしろいね」と聞き続けました。少しずつ「歴史でご飯を食べている人がいる」と話しました。すると本人から有名大学の歴史学部のリストを持参して、高校、中学に行った方がいいとその理由をとうとうと説明して自ら学校へ戻り、難関高校へ進学したそうです。
 勉強とは一言も言わず、勉強に付き合い、進学を動機づけ、進路指導らしきものも行ったわけです。子供の言った「勉強や学校に意味がない」に氏は一切こだわらなかったそうです。
 後日談で、歴史を専攻するために大学進学したそうです。ところが鎌倉時代に関係ないドイツ近代史を専攻したらしいとのこと。そういうことはよくあることだそうです。

こだわりは否定せず何かのきっかけにつなげることが大切ですね。

以前聞いた、舞台演出家の宮本亜門氏の話を思い出しました。

宮本氏が
趣味や嗜好がクラスメイトと合わず不登校、引きこもりになったときのお話です。
不登校が長引き両親が心配し病院へ連れていかれました。
その時のお医者さんの対応は…
宮本少年の好きなことの話を
それはおもしろいね。いいねと。一生懸命、聞いてくれたそうです。
クスリの処方は一切なく
病院から帰るころにはすっかり元気になったそうです。

これも「的外し」では。…「学校へ行きなさい」は一切なかったようです。

医師が肯定してくれたのが大きなクスリになったのですね。

肯定がいかに大切か。

そのための「的を外す」です。

繰り返しになりますが、
子供の「こだわり」がもし間違ったことだとしても、「的を外す」ことで肯定できる面をみつけ褒める、ここから対話がひろがり、宝の山ともいえる「こだわり」から解決の糸口を子供とみつけることができる可能性があるのですね。
先ずは、なぜ「的を外す」ことをするのか、そのマインドをきっちりこころにおいてから実践したいと思います。あくまでも対話できるようになることが目的です。






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原因探しは悪影響…カウンセラーの視点

子供が不登校になった場合、その原因探しはほとんどの方がされると思います。

以前私は、不登校当事者の実感として原因探しは有効ではなかったと述べたことがあります。
当ブログ「不登校の原因探しは有効か?」へ)

信田さよ子先生の連載記事
「子どもに対してこれだけはやるな!カウンセラーが明かす逆算の育児法」
を読みました。

 その中の章「原因探しはしない?」によると、家族に問題がおきたとき、家族療法をするそうです。臨床心理学や精神医学の分野の家族療法は、家族をシステムとしてとらえます。ある意味、ITと似ていると。ところがITとは決定的な違いがあります。それは家族療法は原因探しをしないことです。

以下 「   」内は引用
「システムというものは、ほんの一部が機能しなくなるとすぐに全体に影響してしまいます。システムの誤作動がビル全体の働きを止めてしまうこともあります。家族もそれと同じで、たとえば子どもが4日間登校しなかっただけで、他の家族にも大きな影響を及ぼします。」

 家族療法で原因探しをしないのはどういうことか次のように述べています。

「本人か母かという区別を除けば、いずれも『因果論』(原因があるから結果としての問題が生じている、だから原因を除去すれば問題は解決される)を前提としていることは同じです。

家族療法はこのような考え方を斥けます。

家族において生じる問題は、原因があるわけではないとするのです。」

 原因を除けばよくなるわけではない…家族療法は原因・結果ではなく、悪循環が起きていると捉え、因果論から循環的認識論への転換を促しています。

 なぜそうするのか、
カウンセリング現場での因果論は良くなるどころか悪化させる以下のような実態があります。

「子どもに問題が生じると、周囲も夫も、そして子どもも『母親が悪い』と母親原因説の大合唱になりがちだからです。それがいったい何を生み出すかと言えば、原因だとされた母親の傷つきや孤立感が、『あんたが不登校にさえならなきゃよかったのに』とばかりに、本人に向かうさらなる支配や締め付けにつながり、まわりまわって本人の状態を悪化させかねない事態です。」

以上のように原因探しは犯人探しへつながり、それは決して解決につながらない、むしろ悪化させるわけです。

信田先生はカウンセラーの仕事とは
 原因を見つけ、犯人を摘発することではなく、生じた問題を解消・解決することであり、
「不登校だった子供が学校に行けるようになること、行けないとしても毎日を楽しく過ごせるように、フリースクールでのびのび暮らせるように援助することが仕事なのです。」
と結んでいます。

詳しくは全文を是非お読みになってください。

「子どもに対してこれだけはやるな!カウンセラーが明かす逆算の育児法」

  http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51328 


 信田さよ子先生… 原宿カウンセリングセンターを開設した方で、日本のカウンセリングの草分け的存在です。多くの著書もあります。かつて私も信田先生の依存症についての教育講座に通ったことがあります。先生の講義で、だいぶ自分の問題の整理につながりました…


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世界で最も古いフリースクール

 『出ていけ!子どもたち』…タイトルが明るく豪快で惹かれて思わず手に取り読んみました。この本で「サマーヒル」を知りました。サマーヒルはフリースクールみたいだなと思い、検索したらサマーヒルは「世界でもっとも古いフリースクール」という言葉が出てきました。この本は不登校についての本ではありません。でも、とても興味深い本です。


 大阪で小さなパン工房を営む一家は二歳違いの三人の男の子がいます。
著者(母親)の発想のもと、
 この本のカバーには概要次のような内容の紹介があります。
 11歳の長男をイギリスのサマーヒルへ。次いで、次男もアメリカの学校を経て長男のいるサマーヒルへ。三男は中学校を卒業後、北海道の高校へと進学します。この本はそれらの経緯が語られます。巻末に2000年正月に久しぶりに家族が揃い、少年から青年になった子供たちと協力を惜しまなかった夫、それぞれに当時のことを著者がインタビューします。




 著者がサマーヒルへ長男を入れようと行動を起こすと、次々と援助者が現れ…行動を起こすことは大切ですね。道は開かれ、あれよあれよという間に長男はサマーヒルへ。

この本がいいなと思ったのは…
 家が手狭だから子ども達に出て行って欲しいと明るく言い放っているところと、子どもたちを画一的にとらえていないことでした。サマーヒルへ気持ちが動いた理由は著者一家は学校よりも家族中心で行動するので、管理の厳しい日本の学校とはいろいろぶつかると覚悟をしなくては…という思いがあったから。そんな自分の思いに子ども達を巻き込みながらも、「合わないことは合わないと言える人になってほしい」とも著者は述べています。

サマーヒルについて…
 著者は学生の頃、サマーヒルの創設者A・S・ニイルの本を読んで感銘を受けたそうです。

 この本で語られたサマーヒルは…
 「世界で一番自由な学校」と。創設者ニイルは「子どもは善良であり、悪なるものではない」「学校に子どもを適応させるのではなく、子どもに適応する学校を作ろう」と述べているそうです。

 サマーヒルには通知表も成績表もない。「心のバランス、寛容、幸福」を身につけるための場所です。
 著者はイギリスに留学させたのではなく、サマーヒルに行っていると捉えてます。別に英語ができるようになるとか、何になるとか何のためではなく、しいて言えば、気づき、自覚し、自分自身になるためであると。

 サマーヒルは自分自身になるための「ウミを出す期間」があるそうです。それは、社会から押し付けられた規範をすべてをはきだし、本来の自分を取り戻させる期間だそうです。
 長男は初めての帰国当時はお父さんがケガをされていたので家業は手伝ったそうですが、家ではゴロゴロするか、眠ってばかりで親としては不安になったそうです。でもこれが「ウミを出す期間」だったようだと。
 二年目の頃にはどんどん自分を取り戻し、長男であるという社会的規範の中で自分の辛かった思いを母親(著者)にストレートにぶつけられ、母親も涙んぐんだものの長男との関係がスッキリしたエピソードが語られます。


 ネットで検索した内容を加えると…
 サマーヒルは子どもが授業に出ることを強制しない学校。授業に出るか出ないかは子供しだい。
 子どもたちは学びたいことが見えてくると、通常のカリキュラムで設定されている期間よりもずっと早くマスターしてしまうそうです。だから授業は年齢分けされてません。
 規則は自分たちで決める。学校は子供が作る。大人はその援助者である。サマーヒルの出身の青年は「ぼくらはサマーヒルが大好きなのでサマーヒルの評判をくだらないことで落とすことを一番恐れている。」と。それを守るためのルールであり、やぶった場合の罰則も決めています。

 ところで、子どもの教育がうまくいくとはどういうことでしょうか。
 ステレオタイプで言えば…子どもが社会的に高い地位につくとか、高収入を得るようになったとか…テレビの情報番組ではおおむねそんな評価を野放図に流しています。その方が分かりやすいですし。でも、言うまでもなく、それは一面にすぎないですね。ただ内面はわかりにくいからテレビのようになってしまう。(並行して読んだノンフィクション作家の随筆も知人の娘を「年収一千万円の成功者」と繰り返し書かれていたので…これが世間なのかしらと…いい本でしたがそこだけちょっと…。)

 教育はその子の根本に「生きる力」をつけること。生きる力があれば、世の中が変わって、どんな状況になってもくじけず生きていけます。他のものはあとから付いてきます。著者もそんな思いがあってサマーヒルへ11歳の子どもをおくりだしたのでは。

 自分のものの見方を変える、あるいは「他の人と違っていること」を不安に思う気持ちを明るくしてくれる本でした。
 

追記 
サマーヒルスクールサイト(英語)





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登校しぶりの対処② 昼夜逆転はいい!

中三の不登校生の親御さんからの要望を読みました。そこには昼夜逆転を直すように言ってくださいとありました。子供の昼夜逆転は理解しがたいこと、怠けている、社会通念から外れており、ただでさえ、不登校で不安なのに、さらに昼夜逆転とは…と悩まれてのことだと思います。

私も不登校時代、昼夜逆転の生活を送りました。
そういえば私も親に苦言を呈されたことが。

うしろめたさを感じつつ、家族が寝静まったら
ひとり、自室から出て、台所へ行って空腹を満たし、テレビを見、本を読みました。
誰にも会わずにすむほっとする時間でした。
もう学校にいかなくてもすむ時間でしたし。

でも、昼間に部屋から一歩も出ず夜中に活動するわけですから、
伯母から「それじゃ結婚できない」と言われたと親から聞かされ、
両親共々に「それなら、どろうぼうと結婚すればいい」と笑われました。
親たちは軽い冗談のつもりだったようで、
その時は自分も一緒に笑いましたが、内心は結構きつかったです。

ところで、

網谷由香里さん(佐倉心理総合研究所理事長)の
「登校しぶりの対処」の記事の中で
昼夜逆転への誤解を述べられています。

要旨をまとめます。

不登校の子供に必要なもの
    子供は大きな不安を抱えているので
    「支える人」と「安心できる場所」が必要。
     ・それも、時間、空間を自由に使え落ち着く環境であること。
     ・空間を制約するのはよくない
         例えば「この場所でなら休んでいい」など限定すること。

大切なのは…
 時間や空間の制約から解放する。
   (制約して回復できるなら、学校へ行っても回復できるはず)
登校しぶりのサインが出たのは…
    学校での制約された時間と空間感覚では回復できないから。


 昼夜逆転のメリット
   昼夜逆転は当たり前の現象
    日中の騒がしい中では、不安や罪悪感が出てきて回復しにくい。
    無意識に朝寝て夕方起きるように体のリズムが変わってくる。

社会常識に照らして不登校の子をみてはいけない。
   「早起きする子は頑張っている子」「勉強する子はえらい」など。
    社会常識に合わせて体調がよくなるくらいなら、
                      はじめから不登校にならない。

心の治癒にとても大切な条件とは…
    ・周囲に自分を支えてくれる人がいる。
    ・どこにいてもいい。
     いつまでも何をしてもいい…本当にそう思える場所がある。

学校に行かないのは子供のわがままなのか?
   ・子供の心が回復すれば自分から動き出す。
   ・基本的に周囲が過度に引っ張るのはよくない。
      鳥が孵化するイメージ。
       卵の中のひながくちばしで殻を割る音が聞こえたら
                      周りが手伝うようなイメージ。



周囲の支えが大切
   言葉かけのマニュアルはない。
   マニュアル通りの言葉をかけられれば…
      子供はかえって傷つくかもしれない。

子供は好きなことをしているように見え…
   実は子供はこもりながら、一生懸命心の治療をしている。
   ゲーム・漫画、その他の遊びなど。
      その子にあったさまざまなこと…
        「夢中になってやること」で心の治療が進む。


周囲の人は心が治癒するイメージを持つことが大切。
子供のすべてを受け入れ、見守ってあげる。


…以上。



夜中は落ち着きます。
誰もいない、静謐な空気中で、自分の気持ちが安堵したのを覚えています。

周囲の人は「将来どうなるのか」と不安を抱えるのが正直な気持ちでしょう。
子供も不安なのです。
親の不安が子供には見えてしまい、子供の罪悪感を煽り回復を遅らせます。

無理して登校できるようになることもありますが、
しかし、それは、病気で具合の悪いまま動くようなもので
かえってこじらせ、
大人になってから引きこもりになるなど、問題の先送りにつながるケースがあるそうです。

↓網谷さんの提言の覚書です
登校しぶりの対処①考え方へ

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登校しぶりの対処①…考え方

登校しぶりの対処についての
網谷由香里さん(佐倉心理総合研究所理事長)の記事を読みました。


登校しぶりの対処ですが、
不登校児童の捉え方としてもあてはまると思います。
まとめてみました。

原因
  いじめは引き金で、勉強の問題、家族に何かを訴えているケースがある

周囲の大人たちの「しがちな行動」
  子供を動かして早めに学校へ行くように促す
   これは…
    〇子供の心の回復を遅らせる。
    〇回復していないのに、無理して学校に行き続ければ…
      成人した後、引きこもらざるを得ないようになる人もいる。

不登校の状態を回復するために…
  〇「安心できる場所にこもる」ことが必要。
    十分回復すれば自分から動き出す。
 
昔は…
  登校を促したが、
現在…
  生活環境が異なる。「無理やり動かさないこと」
 

大人が、子供を誘導してしまう理由…
  強い不安…
   〇学校にずっといけなくなる。
   〇社会生活が送れない子供になる。
   〇周囲の目も親の不安を煽る。

親の不安が子供を追い詰めてしまう。
   〇親は口では「無理しないで休んでいい」と言いながら
          「早く学校へ行かないかな」と思ってしまう。
    〇親の本心を子供は敏感にキャッチする。
     子供は「学校に行かないと親を悲しませる。」
        「でも行けない。」「つらい。」罪悪感をもつ。

身体と同じように心にも治癒力がある。
    年齢が低いほど高い治癒力がある。

それがなかなか発揮できない…
  理由の一つが親の不安。
   親の不安
     ↓
  子供を追い詰め
     ↓
  子供の罪悪感が増す
     ↓
  子どもの治癒力が奪われる
     ↓
  心の傷はなかなか回復しない

子供の心の状態
   登校しぶり=無意識のブレーキ=「止まれ」の状態。
     無理にアクセルを踏めば…
      とりあえず動くが「ブレーキを踏んでいる」状態で踏み続けるのと同じ。
      いずれ壊れてしまう。
無理に学校に行かせないこと。
   危ないことがあるから、子供は「ブレーキを引いた」。
   自分を守る無意識の行為。
   だから、止まらなければならない。

登校しぶりは、子供が「健康に生きていくためのチャンス」
   「ブレーキをかけた子供」は自分を守る力がある。
   むしろ、危ないのに「ブレーキをかけない子供」の方が深刻。
          ブレーキをかけない人は、本当に危ない。

子供は回復する可能性が十分にある。
   体も具合が悪いときにちゃんと対応すれば症状は悪化しない。
   心も同じように対応すべき。
     登校しぶりのサインの段階で十分に休み、心の回復を待てばよい。

ブレーキを引いた理由は必ずある。
止まることで、子供の治癒力が働き回復できる。

この記事の続き…
「登校しぶりの対処②昼夜逆転はいい!」へ



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国民的画家 A・ワイエスも不登校。ホームエデュケーションで感情豊かに

 アンドリュー・ワイエス(1917~2009)アメリカンリアリズムの国民的画家で日本でも根強い人気があります。

 そのワイエスは不登校でホームエデュケーション育ちと知りました。

 私は詩情あふれるこの人の絵が好きです。
 最初にワイエスの絵を見たのは京都展でした。そのとき印象に残ったのは、暗い森の中で木の根元に咲く見逃してしまうくらい小さな白い花の絵でした。それから、暗い室内から外が見える窓辺の白いレースのカーテンが風で室内に吹き上がり、見えた窓外の景色が美しい絵も印象的でした。ものを切り取る視点が新鮮でした。
 その何年か後、日本で開催されたワイエス展は化粧っ気のないドイツ移民の女性の肖像画の作品がほとんどでした。

 Eテレの「日曜美術館」によると
 ワイエスは子供のころ病弱で内気、周囲の子供に馴染めずほとんど学校に行くことができませんでした。母親はワイエスに家庭教師をつけ、ホームエデュケーションにしました。

 当時のことをワイエスは孫ビクトリアさんのインタビューにこうこたえています。

「家族の中でいちばん小さい男の子で健康ではなかったので家にいました。」
「午後はすべて自分の時間でひとりで丘を歩き回りました。」
「おかげで感情豊かに育ったのです。」

移民の絵を多く書いてます。
慣れぬ土地に移ってきてたくましく生きている人たち。

学校に馴染めぬワイエスが共感をもって描いたのは
アフリカ系移民の姿でした。
白人社会から切り離され白人が足を踏み入れない集落へワイエスは頻繁に出入りしました。
これがワイエスの描きたかったアメリカだったと番組では述べてました。

家族や友人が近づかなかった人たち。
ワイエスは環境が違っても自分と似ている人たちと付き合いました。

アメリカを作り上げた移民たちは平等ではないかと作品の題材にしました。
そういうことを描く画家はワイエスが最初だっったそうです。


最高傑作と言われる「クリスティーナの家」
実物は日本にも来て私も見ました。

img_0 ワイエスはクリスティーナの家にアトリエを借りました。

ワイエスのインタビュー
「クリスティーナは妻の友人でした。」
「妻との長年の付き合いもあって彼女は私をあたたかく迎え入れてくれた。」
「すぐに打ち解けて『この家を我が家だと思ってください』と言ってくれたんだ。」
 この絵は…
 たまたま、ワイエスは外で用事をすませ家に帰ろうとするクリスティーナを見ました。足の不自由な彼女は手で草原を這って進んでいました。不自由な体で力強く生きてきた彼女を描きました。彼女の力強さを表現するため手のデッサンがたくさん残ってます。
 自分の共感するものを描き続けたら、それが普遍性をもった…

 冒頭でも書きましたが、Eテレの番組で、ワイエスが学校にほとんど行かなかったとナレーションされ、
 ワイエスも不登校…
 そのおかげで感情豊かな子供に育ったとワイエス自身が述懐してました。感情豊かになる…いいですね。


起立性調節障害と不登校

起立性調節障害を御存知ですか。

朝起きられない ⇒ なかなか学校に行けない。
午前中は具合が悪く午後には元気になる
      「時間にだらしない」
      「夜更かしの朝寝坊」
だるくても、横になると血流が回復し体はだいぶ楽になるので、
寝ている姿勢が多くなる。
      「いつもゴロゴロ」
      「怠け者」
      「心が弱い」

            
             …と誤解される、


起立性調節障害 (Orthostatic Dysergulation) 略してODは
体が急速に発育する思春期によくみられる自律神経失調症の一種だそうです。

自律神経の乱れが原因ですが、周囲の無理解等で、不登校や引きこもりなどにつながる場合があります。
周囲に気を使う、自分の気持ちを抑え込む等の心理的ストレスによってさらに悪化するわけです。

小学生の約5%、中学生の約10%がかかるといわれ、女児にやや多いそうです。
大人になるにつれて症状が回復するといわれてますが、成人してかかる人もいるそうです。

春先に症状があらわれやすく、秋から冬に軽快する傾向があるようです。

最新の検査で自律神経の異常が診断できるので仮病や怠けではないことがわかっています。
以下がその症状です。3つ以上あったらODの可能性があります。
<症状>
  朝に起きられない
  立ちくらみ全身倦怠感
  食欲不振
  立っていると気分が悪くなる
  失神発作
  動悸
  頭痛
  夜になかなか寝付けない
  イライラ感・集中力低下

対処法は服薬ありと、服薬無しがあるそうです。
周囲の接し方も心理的ストレスを迫らないことが肝要です。

   ↓参考にしたサイトです。
いしゃまちページへ
起立性調節障害SupportGroupページへ


非常にわかりやすいパンフレットを頂きました。(20190518)
ご覧ください。↓
起立性調節障害ってなーに?

ここから余談 …私もそうだったかも
…幼稚園~中高まで…
「朝は起きられない」
学校に行けない、行っても午後。
午前中の待ち合わせは苦手。よく遅刻した。
「夜なかなか寝付けない」
朝は悪魔、夜は天使だと…母親によく言われた。
…夜はポジティブ頭がさえ眠れず…睡眠薬が手放せない。
「食欲不振」明らかに痩せていた。拒食症。
「頭痛」鎮痛薬を常用。
「倦怠感」小中学生で鍼灸の治療へ連れていかれた。
…おまけ「春が苦手」体がふわふわするようなおぼつかなさがあり、新学期も楽しくない。

私が不登校だった頃のページを読み返すと結構符合します…



さらに余談…薬の失敗
起立性調節障害(OD)は1960年代から言われ始め、1990年代にその知識が普及し始めたそうです。
普及し始める前のことですが…
母が「あなたと同じ症状の女の子」を本で見つけたと言い、「〇〇という薬が効いたのよ」と、医者にその薬を頼みこんで処方してもらいました。ところが、私はその薬で目さえ閉じれなくなり、体がひきつる副作用を起こしました。古い話で今となってはその本の女の子がODかどうかも、処方された薬の名前も確かめられません。ただ、ODを検索したら「起立性調節障害はこの薬で治った」という言葉に出くわしますと、どうしても懐疑的になります。私の杞憂かもしれません。薬自体も進化してる可能性も大です。でも医師選び、服薬は十分、慎重にして下さいね。





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ゲームで心の回復

ETVスーパープレゼンテーションの再放送を見ました。
心理学者のスピーチでした。(好評で何度も再放送されてるようです)

「心にも応急手当てが必要だ」  ガイ・ウィンチ
ニューヨークで活躍する心理学者でセラピストのガイ・ウィンチが登場、心の応急
手当ての必要性を訴える。失敗して悩んだり、拒絶されて孤独感にさいなまれたり.
.....誰もが経験する心の傷。しかし、ウィンチによれば、こうした心の傷を手当て
する方法を身につけている人はほとんどいないという。心も体と同じくらい大切に
メンテナンスする必要があると語るウィンチ。プレゼンでは、手軽にできる心の応
急手当ても紹介する。
(NHKのホームページより)

こんな内容でした…
心も体と同じように傷つく。
体は傷つくと手当をする。
心の方が体よりもきずつきやすい。
ケガしたらすぐに絆創膏を貼るし、
骨折したら手当をする。
でも心は傷ついたら「気のせいだよ」「そのうち治る」と放置する。
心はつらければ体に影響が出る。


ある中年女性は離婚後、やっと立ち直り、ネットで知り合った男性とデートした。
収入もあり、自分に気もありそうだ。
最高におしゃれをし、初めて男性と会った。
ところが、デートの最後に「ごめん」と男性に言われて去られた。
拒絶されたショックで
女性は”友達”に電話したら「あなたお尻が大きいし、話もつまらないわ」と言われた。
なんてひどいことを言うのか…
実は…これは彼女自身が自分に言ったことばだ。
心が痛い時は自分に優しくして自尊心をまもらなくてはいけない。
ところが、自分にひどいことを言い続けさらに傷つく。

一番悪いのは失敗を反芻すること。
何度も何度も失敗を繰り返し思い浮かべ実感する。
悪いことを反芻するのは、傷口に塩をぬりつづけるのと同じだ。
でも止められない。

悪いことを反芻しないようにするにはどうしたらいいか。
簡単な方法は
思い出しそうになったら別のことを考えるようにする。
統計によると2分間気持ちを反らせば反芻が止まる。
例えば、スポーツや映画など集中できることをする。
もっと手軽にするなら携帯ゲームやスーパーの品物の陳列順を思い浮かべる。
何でもいい2分間気持ちを他にそらす。

……以上の内容が印象にのこりました。

不登校の子が
ゲームばかりをするのが心配という話があります。
それに対して
不登校の専門家は
ゲームをしながら回復をしています。
だから好きなだけやっていいですよと答えてます。


先ほどの心理学者の話で更に納得できます。
ゲームをすることでその間は
悪いことを反芻しないですみます。
学校から離れた不安感、哀しさ、自分をダメだと思う。
暗く、揺れ動く自分。
自分で自分を責めて自尊心を傷つけます。
自己評価の低下。
ゲームをする間は、他に気持ちをそらせます。
自分の傷口を広げないですみます。





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