不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

読書

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

口に出せなくても…東田直樹さんの「自閉症の僕が跳びはねる理由」




東田さんは重度の自閉症者です。

お母さんと大変な訓練を重ね、言葉を修得し、
文章力があることをお母さんは発見されました。
こう書くと簡単なのですが、
とても大変な辛苦であったと講演で語られたそうです。

本書の中にこんな表現がありました。

記憶は「点と点」でなかなかつながらない、「面」にならない。


同じことを何度も何度も聞きます。

東田さんとはタイプは違いますが、
以前、教え子にこんなことがありました。
問題の解き方を説明して、1人で解かせようとすると
鉛筆をもったまま固まってしまいす。
何度も繰り返すうちに
1人でできるようになります。

次に会ったときは…
それを覚えてません。
また始めから説明します。
でも、根気よく繰り返すと残ります。
決して無駄ではありません。
気分転換に、別な単元を学習し、
久しぶりに戻ったら、
あっけないほど簡単に出来たこともありました。

新しいことを学習するときは、
安心させたくて「大丈夫、何回も説明するからね」と声をかけました。

東田さんの本にも何度も何度も
繰り返してほしいとの表現があります。

記憶のしくみが違うのですね。

東田さんは
自分の体は壊れたロボットみたいだ。
自分の思うように動かない。
「はい」と言いたくて、「いいえ」と応えてしまう。
思っていることと逆のことを言ってしまう。

私の教え子は
表現があまり得意ではありませんでした。
誤解されても言い返せずそのままになることも多いです。

それでも明るく振る舞います。
こちらを安心させようとしているのでしょう。

言えないだけで、傷ついていることも多いでしょう。
心の中に沢山の思いを抱えています。
でも明るく振る舞います。
後で、察してあげられなかったこともあったのではと心配になることもありました。


この本はわかりやすい表現を駆使して思いを話してくれます。

心の中は沢山のことが詰まっています。

この本のように素直な真摯な言葉で語られると心にしみます。


追記:読みましたので加えます。


高校生になった著者の本です。
各章は質問形式をとっています。
「第7章援助」の項に
「ぼくはロボットではありません。どうせ説明してもわからないと思われることは、説明している内容が理解できるかどうか、ということ以上に傷つくのです。」
とありました。



私と一緒に勉強したい方は

歴史を学ぶこと「立場主義」で読み解ける日本

 私は立場でモノを言うのが苦手です。それは、自分の意思と離れるからです。

 子供は鋭いです。立場でものを言うとそれを見抜きます。

 あるとき、中学生の教え子に勉強の有用性を問われました。家庭教師の立場なら、「勉強は役に立つからしなさい」と誘導すべきなのですが…。「読み書き、算数」は生きるために必要ですが、例えば因数分解等が実生活で役に立つのか…正直分かりません。受験のために間違いなく必要ですが、そんなその場しのぎの答えを子供は求めてません。高校数学の知識で、実際に役に立ったと言う人の意見をネットで探し印刷して、子供に渡しました。子供はそれを読んでその意見の欠点をついてきました。実は私も同じことを感じてたので正直に答えました。明快な答えは出ませんでしたが、今思うと立場でモノを言わなくて良かったと思います。教え子と一緒に考えることが、子供が私に求めていたものだったのかも。
 


 10日ほど入院することになり、図書館でこの本を借りました。書名は固いですが、難しい内容を非常に平易に書いてあり、理解しやすいように途中で何度もそこまでの論旨を整理してある非常に親切な本です。

 日本の満洲での失敗とは何か、この本は歴史をわかりやすく解説しながら、その失敗の構造が現在にも修正されることなく脈々と続いていると解き明かしてくれます。


 歴史を学ぶということはこういうことなんだと思いました。歴史は過去ではない。


 年表を覚えることが無益とは言いませんが、その起きたことの流れから「何か」を読み取る力をつけることこそ歴史を学ぶことではないかと思います。
 
 日本は何か不祥事が起きても、誰も責任を取りません。この無責任体制が不思議であり、それに対抗する手段もなく、日本はそんな国なんだと自嘲してそれ以上考えるのを私は放棄してました。

 そこに安富さんは「立場主義」を見ます。

 例えばこの本ではスタップ細胞を取り上げてました。会社側は疑惑の中心の女性を解雇しませんでした。彼女は依願退職しました。彼女が自ら辞めざる負えないように追い込んだのでしょう。

 なぜ彼女を解雇しなかったのか?

 それは解雇したら、彼女を推薦し、認めた人たちも責任の追及しなければならなくなるからだと安冨さんは分析してます。つまりそれらの人たちの「立場」を守るためだと。彼女ひとりをスケープゴートにしたわけです。

 これは、いろんなところで起きています。何か事故が起きると誰かをスケープゴートを仕立て上げ、責任追及がうやむやになる…。
 しかも、この「立場主義」には悪者はいません。

 でも立場を守るために原理原則を逸脱して、弱い立場の人を犠牲にします。

 立場を守るのが最優先事項だから…立場を守った人はどんなに悲惨な結果が出ても立場が守られます。

 戦争で自分のしたことの悲惨な結果を自覚したのか自殺した人も中にはいますが、多くの人は立場がまもられ裕福に生活しました。満洲国を通してその暴走の構造を分析し、それが現在の日本にもあてはまると安冨さんは言います。

 その構造が見える、得体が分かることは大きいです。対象が見えれば対応できます。どんなに時間がかかろうとも…。

 友人がインパール作戦に興味をもちいろいろ調べていると聞いたのですが、そのインパール作戦も立場をまもる暴走の一環であるとこの本は分析してます。

 第二次世界大戦の日本の戦死者の六割が餓死でした。食べ物の補給路も確保せず戦地に多くの兵士を送り込む…子供でもおかしいと分かる戦略を大の大人が何故、決行したのか?…この背景にも立場主義が見えます。理屈がおかしくなると、精神論が跋扈しました。おかしいと反対すれば「非国民」と黙らせたのでしょうか。

 特攻隊から何度も生還した方のドキュメンタリーをバラエティ番組で見ました。飛行機で敵艦に突っ込むのは揚力が邪魔をし、爆弾を落とすよりも命中率が落ちるそうです。その上、貴重な飛行機を失うと。かなりおかしな作戦です。当事者のリーダーが指摘し、訴えましたが、無視されました。その方は戦死し、その意思を継いで、生還を繰り返した方がいたと。やっと爆撃に成功し、生還したこの方は、特攻隊として撃破し、死んだと報道されました。ここにも立場主義が見えます。

 だれかの立場を守る捏造報道がなされました。

 2020年の東京オリンピックをインパール作戦と本間龍氏は発言します。

 新国立競技場の冷房設備の予算を削り、脆弱だとの2015年の記事があります。
 熱中症対策も脆弱です。競歩のコースが危険だとか、馬術では馬が持たないとか競技者が声を上げてます。危険なのは競技者だけでなく、観戦者も入場時にセキュリティチェックで炎天下で少なくとも20分は待たされるそうです。担当者の中には自己責任という声も出て…。それに対応する医者を無料ボランティアで募集…。私はオリンピック中は東京へ行きたくありません。

 そんな中、小学生を観戦動員要請がありました。競技場最寄りの駅は混むので一駅手前で下車して歩くようにと学校へ要請があったとのこと。子供を集団で炎天下を歩かせ…さらに入場もすぐにできるわけではありません。親から不安の声があがってます。2019年8月、オリンピック実施前年同時期、東京だけでも八日間に54人が熱中症で死亡してます。そこに小学生の団体が観戦にくる…考えなくてもおかしい。
 
 明らかにおかしな施策が行われています。おかしいと指摘するのはネット情報ばかりで、感情誘導装置のテレビは私の知る限りではほとんど報道してません。むしろ、雪をふらせるとか、焼け石に水のような対策を報道。

 テレビも立場主義の補強中でしょうか。

 立場主義に無責任体制が見えます。

 だれも悪者がいない、でもだれかの立場を守るためにどんどんトンチンカンな方向へ転がっていき、弱い立場の人へ、多くの犠牲者を出す。そして中心者はその立場をまもるために行われたので無傷…。実に嫌なパターンです。

 私は我慢することを美徳と育てられました。「我慢すること」は人と揉めず、平和です。楽です。「我慢しないこと」は話し合いが必要になり揉めます。

 でも、明らかにおかしいことを「我慢する」のは立場主義を野放し、弱い人たちをつぶします。

※東京オリンピックがコロナで延期になりました。でもIOCは中止を示唆してると英語での報道がありました。当然?日本では報道されません。




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「私たちは必死にがまんしないできた」清水眞砂子著書より

 出会いは楽しいですね。
 この場合は本との出会いです。

 教育に興味のある人の集まりの後の雑談で本の話、あの作家ならお勧めは〇〇、この作家なら△△…とかそんな話で盛り上がりました。その帰りがけ私がふとカバンに入れてたカニグズバーグの講演集を出して、この作家が「大好きなんですよ」と見せたら、「その翻訳者の随筆がいいですよ」と…意外なお返事が。小説、物語の翻訳ならとてつもなく読み込んで訳されている方のはず。カニグズバーグの翻訳者ならば…面白いかもしれない…と思いました。

 早速、随筆を二冊読みました。海外、日本を問わずいろんな作家さんをとりあげてありそこからまた興味がわくものが見つかりそうと、新たな作家さんの名前をメモし、読んでいたら、自分が最近凄いと思った「A3」の著者、森達也さんのことを誉めていました。

  嗜好が自分に合う…と思いつつ、三冊目を読み始めました。






 随筆集です。

 教師時代の経験など、若かりし頃の話も読みごたえがありましたが、中でも「私たちは必死にがまんしないできた」の章には心を射抜かれました。

 映画「鉄道員」を久しぶりに観て…そのストーリーは、事が起こって家庭が崩壊、夫も娘も家を出て行ったあと、妻がこうつぶやきます。

 「こうなったのはみんなが少しずつがまんしたからよ」

 筆者は以前この映画を観たときはこのセリフに気が付かなったけど、今は、はっとしたとお話がはじまります。


 筆者自身が結婚生活で真剣に守ってきたことのひとつに「がまんしないこと」があったと述懐します。(他は「わすれない」「はぐらかさない」)そして、このセリフにひかれたのは「がまんしない」ことの難しさと大切さがわかりかけたからだと述べています。

 「がまんしない」を「言い出したのは夫」で当時、筆者は単純にいいことと思い、賛成しました。それを聞いた結婚生活の先輩である「夫の友人たちはみんな反対」結婚は「一年ももたない」と言われたと後に聞かされたそうです。

 しかし二人は守り通しました。「夫はがまんしなかった。私もそれに応えた」「結婚して六年半たった今、」がまんしなかったから「こうしていられるのだ、と確認し合っている」そうです。

 さて、ここからが佳境です。

 「がまんしないことは」「私も必死」「夫も」。並大抵のことではなく「べそをかきながら懸命にがまんしないでいる」という他人からはおかしな光景もありましたと。「理解し合うとか、わかりあうとか、そんなことをこえて」いつでもどこでも、よく話すふたりとなり、それを見た喫茶店の人は、夫婦?恋人?と賭けをしたと。

「必死にがまんするのではなく、必死にがまんしなかったのである」

「そんな中で私は、がまんすることがどんなにエネルギーのいらない、らくなことかを知った。」

 目からウロコです。

 そうか、がまんする方が確かにラクです。
 人ともめないで済みます。その場を簡単に収められます。

 でもがまんした方の心に澱ががたまる…。私は我慢強いと言われるのですが…そんな生活の頃はお腹に腫瘍ができた…関係ないかな?!…。

 がまんしない方がラクだと思ってましたが、筆者の言う「がまんしない」ことはいかに大変か。でも、やりがいがありそう。それもお互いにがまんしない、させないからいいのですね。それを貫いたのもすごい。

 自分には難しいけど…

 でも、この随筆で「がまんしない」ことへのとらえ方が変わりました。

 筆者はがまんが「どんなに人と人との距離をひろげ、その関係を浅くしていくものであるかも」知ったと述べています。

 がまんしないから…
 自分の思いをことばにして相手に伝えなければならない。
 黙ってしまう方がラク。言っても仕方ないと思う時も。ここはがまんした方がラクと筆者も「つい思ってしまう」「そのほうが波風立たない」と。

 それでも「つらくてもがまんしないできた」と。
 「傷口に塩をすりこむようなこともなかったわけではない」
絶えず話をしている。「わかりあうために話すのかと言われたら…笑い出してしまう」そんなことをこえて、私たちはよく話す。「話すことはそのまま生きること」

 こうして自分たちの「解放区が生まれた」

 日々のくらしも、小さな具体的なことの連続。

 家事の分担という発想はなく、そのとき、できる方がやる。平等ということばには、頓着しない。料理をつくるのは「夫のほうが手早く上手だから」「夫」が圧倒的にすることになりました。でも「夫」が台所にいるのに、自分がテレビを観たり新聞を読んだりするのは抵抗があり、ついあやまってしまう。「そこにひそむ傲慢さ、思い違いに気づかせてくれたのは夫だった。」と。

「あなたがそんなことを言ったら、ぼくは四六時中すまないすまないと言い続けなければならないんだよ」と「夫」が言ったと。

 今も自分との小さな闘いの連続。「互いの世界」を「侵し、侵され、包み、包まれ、生きたまま心中すること、解放区を日々新たにしていく…」と結んでいます。

 がまんしないことの方が大変。でも心に澱はたまりません。
 
 自分の心に沁みついた、がまんが美徳の概念を引きはがしたくなりました。
 
 がまんしないともめる…
 もめごとをすべて悪とみなす社会は…息苦しく、がまんを強要します。
 自分はもめごとは苦手で怖気づくほうですが…がまんしない勇気を出したい…です。

 一概に真似できないかもしれませんが、このような発想を知るだけでも違うと思います。

 引用しながら、省いた部分も良い文が多く、短い随筆なので是非、本書を読んで頂ければと思います。当然、そのほうが筆者の言う「がまんしない」ことの意味がきちんと伝わると思います。
 
 他に家族というものについての随筆もとてもいいです。この方のはステレオタイプでないのが好きです。

 他に読んだ随筆も挙げておきます。









 
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児童文学とナチス退廃「芸術」美術展

退廃「芸術」展を御存知ですか?

以前…
友人と鎌倉の近代美術館に寄りました。
たまたま「芸術の危機ヒトラーの退廃美術」開催中でした。
何の知識もなく閲覧したのですが、
それは、ヒトラーが退廃と決めつけ貶めた芸術作品を集めたものです。
見たことのない作品が多かったのですが、
作者は誰でも知っている、そうそうたるアーティストばかりでした。

それから、20年ぶりにこの言葉に出会いました。

それが、児童文学、カニグズバーグの小説です。

私はカニグズバーグが好きです。
カニグズバーグは小5の国語教科書にものりました。
「流星の夜」…読んだ方も多いのではないでしょうか。
おばあちゃんと少年(孫)のやりとりが辛辣でおもしろかった記憶があります。

ムーンレディの記憶
E.L. カニグズバーグ
岩波書店
2008-10-17



さて、ここでとりあげるのは「ムーンレディの記憶」です。
孤独なふたりの少年が出会い、
そこに、謎のおばあちゃんゼンダーさんが加わり…

見覚えのあるパターン。

ところが…

読み進めていくと…

少年の一人の名付け親、ピーターが登場。
そのピーターはアートセンターの館長で
退廃「芸術」展を開催する…えっ!

結構、重い内容ですね。ところが、カニグズバーグの手にかかると読みやすい。

退廃芸術とは…

本書によれば
1937年の夏、ヒトラーは宣伝大臣ゲッペルスに第三帝国(つまりヒトラー)が認めない近代美術品のすべてを押収する(強奪する)権限を与え、1万6千点以上の作品を押収した。ミュンヘンの古い倉庫で退廃「芸術」展と題して展示し貶めた。それはドイツ人に近代美術がいかに有害かを教えることを目的としていた。ナチス高官が隠匿したり、消防訓練として、消防署の庭で焼かれた作品もあります。

戦後…これは物語の伏線にあたります。

ピーターはかつてサンフランシスコで退廃芸術と呼ばれるコレクションを見に行って興味をもちます。

以下「  」内は、本書からの引用です。

「退廃『芸術』展の最初のスポンサーは、」以下のような「疑問を問い続けたいと考え」ます。

「政府が芸術作品を強奪する権利があるのか?
国民に好き嫌いを押しつける権利があるのか?
なぜこのようなことが起こっただろう?
また起こる可能性はあるのだろうか?
好みは政府が決めることなのか?」

そこで「大都市の美術館を気軽におとずれることができない人にも」鑑賞してもらえるようなシステムをとりました。

ピーターもそのシステムに申し込み、彼のアートセンターで退廃芸術展が実現します。
 

「退廃とは degenerate  本来は『劣化・変質』という意味の医学用語です。神経の不調により『正常』でない状態を指すのに用います。」

ナチスの理論は
「ナチスは<退廃>とは正常からかけ離れたものー堕落したものーと定義づけ、そうしたものは同じ人間と認められない、としました。」

「ナチスは勇んで退廃者リストを作り、」
「身体障害者、精神障害者、ユダヤ人、同性愛者、ジプシー、エホバの証人、共産党員などはすべて生まれながらに退廃している」

   ユダヤ人の虐殺は映画化も繰り返され、よく知られています。しかし、他の対象者についてはほとんど知りません。
  
 私の場合
 身体障害者、精神障害者については… 
 ドキュメンタリーがNHKで放映されました。戦後70年を経た頃のもので、ごく最近ですね。
 驚いたのはユダヤ人虐殺の装置、ガス室は 元は身体障害者、精神障害者のために医者が開発したことでした。当時、地方の病院に、多くの患者が次々と送り込まれてくる、ところが、退院していく人がいない。地元の人も不可解さは感じていたと。…行方不明になった、おば(障害者)の消息を探す女性も描かれていました。てんかん等 当時治る見込みのない病の人も対象になったと。家族も疑いをもちながらも恐れて触れずにきた…。

 ジプシーについては…
 ジプシーに加わった少年の手記「ジプシー」(早川文庫、1977年版)で知っていました。でもそれ以来は無し。本書でやっと再確認しました。そして、他の排除の対象者については全く知りませんでした。

話を広げすぎました。

本書に戻ります。

「退廃した者たちが作り出すものはすべて退廃している」

近代美術について「政府がこれらを野放しにしておけば」「すべてのドイツ文化は退廃するだろう」「深刻な脅威となる」よって「排除されなければならない」とナチスは実行したわけです。

要は自分と異質なものを排除するということ。
ナチスが特別ではなく、人間にはどうもこういう術中にはまってしまう習性があるように思えます。


ピーターはアート・センターの退廃芸術展の開催にあたり、パンフレットをつくります。
そこに
「ナチスが没収と<退廃>という言葉を悪用することによって反近代芸術運動を始めた」と記します。さらに退廃とみなされた芸術家の名を挙げその理由を解説します。

この辺りの記述もわかりやすいです。

ちなみに本書であげられた芸術家は

アンリ・マティス、
ピエール・オーギュスト・ルノワール、
パプロ・ピカソ、
フィンセント・ファン・ゴッホ、
マルク・シャガール、
ジョルジュ・ブラック

近代美術史に欠くことのできない人ばかりです。

さて、
そこに、ぶっとんでいるおばあちゃん、ゼンダーさんの過去がリンクしてきます。

歴史の大きな流れ、過去と現在に行き来し……

ミステリみたいなテイストもあります。

少年たちとゼンダーさんとの会話も楽しいです。


児童文学を侮ることなかれ…こういう形で歴史を読めるのはいいですね。

カニグズバーグの作品はほとんど読んだつもりだったのですが…
読んでない作品がまだあるかもしれない…と思った次第です。

これはカニグズバーグが80歳に手が届く頃の執筆だったそうです。
エネルギッシュ!







私と一緒に勉強したい方は

不登校は進歩…村上春樹著「約束された場所で」より

 村上春樹著「約束された場所でunderground2」で、一人ひとりをもっと強くする教育について語られています。 
 
 話の中心は村上春樹著「約束された場所でunderground2」ですが…
 
 まず、前置きです。

 私は村上春樹氏の作品が好きですが、「アンダーグラウンド」は
地下鉄サリン事件の被害者の方々の証言を集めたもの…内容が重くて…読むのが辛い気持ちになりました。それで手に取っても結局もとに戻す、そんなことを繰り返していました。



 先月、大学の国文学科の先生から、村上春樹の作品でおすすめは何かといわれたら「アンダーグラウンド」ですと伺いました。この本を読むと今まで当たり前と思っていた日常、景色が違って見えると。ものの見え方が変わる本…その言葉に背中を押されて読みました。
 読むのに時間がかかりました。被害者の方たちの後遺症、苦しみは今も続いているはずです。周囲の「いつまで言ってるんだ」との対応に傷ついている人たちもいて何とも言えない気持ちになりました。

 ここから「約束された場所で」について…

 さて、それでは加害者側の人たちはどうなんだろうと。なぜ、あんな大事件を起こしたのかわかりません。それで
オウムをやめた人、続けている人など証言を集めた「約束された場所で」も読みました。

 

約束された場所で (underground2)
村上 春樹
文藝春秋
2001-07-01


 事件当時はマスコミの「正義感」に振り回され、オウムに対して嫌悪感しかありませんでした。

 
 当時、オウム信者は駐車違反で逮捕されました…世論はオウムなら駐車違反でも捕まえていいと…オウム以外にも拡大適用される不安もありましたが…その声はテレビが繰り返す「正義感」の放送にかき消されました。

 最近、年配の方にこの事件の話をしたらいまだにあの報道のままの嫌悪感をむき出しにします。オウム側の証言集「約束された場所で」は読む必要が無いといわんばかりで取りつく島がありませんでした。テレビの影響はすごい…。テレビの意見が自分の意見になっている。自分もテレビばかり見ているとそうなります。テレビは感情の装置と言う方がいますが、その通りです。

 私が、世間の風潮に比較的従わないのは不登校というマイノリティにいたせいでしょうか。世間で言われているのと自分の見ているものが違う経験が多々ありました。だから、あの報道の洪水に振り回されたのは否めませんが冷めた目もありました。 

 オウムの施設に警察が大々的に入ったのを生中継されたのはゴールデンウィークのさなかだったように思います。テレビをつければ必ず「オウム」でした。連休中はオウム漬け。
 
 サリン事件犯の中には高学歴の人も目立ちました。その人たちの履歴も事細かに報道されました。私は当時中学受験塾に勤めてました。自分の仕事がああいう事件を起こすのに何の歯止めにもならないと思い、塾の先生をやめたくなりました。まあ、連休が終わると、テレビを見る機会が減り頭が冷えましたが。

 その当時の様子は森達也著「A3」に詳しく書かれています。マスコミの人たちは当時
オウムについて書けば売れ、放送すれば視聴率がアップするので「オウムバブル」と呼んだことや、その後、微罪での逮捕対象者がオウム以外にも拡大し行われるようになった事実が記されています。この本は著書が現在の日本と同じものを感じ危惧して、特別にネットで公開されました。(2019年4月当時)
 

A3
森 達也
集英社インターナショナル
2010-11-26




  ここから…不登校について…我田引水かもしれませんが…。

 「約束された場所で」の証言集の巻末に村上氏と河合隼雄氏の対談がありました。非常に興味深い内容でした。

 このような事件を起こす人を出さないために、河合氏は「一人ひとりをもっと強くする教育」が必要と言い、不登校の子供が「十万もおる」のは「ずいぶん進歩して」と不登校を評価します。

 それに対して、村上氏が自分も「学校が嫌い」と応え、話題は「自由」について移ります。

 自由のコワさを知っている子供、そんな子供は強い子供になれるのではないかと。自分の頭で考える子供になる。

 以前、オルタナティブスクールを選んだ親御さんから子供が自由の素晴らしさとコワさの両方を学んでいると伺ったことを思い出しました。

 河合氏はこれを学ぶのが「教育の根本だ」とこの対談で言ってます。こういう教育こそ、行動の歯止めができるのではないかと。だから不登校、意図せず、結果的に長いものに巻かれない子が増えたのを河合氏は「進歩」と評価したのかもしれません。

 どのような話の運びで河合氏からその発言が導き出されたか、少々長いですが引用します。終わり部分は特別な人が起こした事件ととらえない見解の引用です。この捉え方は同じ事件をおこさないための問題提起だと思います。

  (アンダーラインは私がつけました。)
 
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村上
…世間の人は「あんなエリートがどうしてオウムなんかに」って疑問に思うわけですが、そんなのはぜんぜん不思議じゃないです。彼らは様々な理由によって、広い現実世界ではなく、ミニチュア疑似世界のエリートになっただけなんです。たぶん広い世界に出るのが恐いからじゃないかと思うんですが。そういう人たちはどんな小さなところにも必ず出てくると思います。
河合
そういうものを出さないためには教育をちゃんとしなくてはならない。今の教育はぜんぜん駄目です。一人ひとりをもっと強くする教育を考えないかんです。それでもね、学校に行かない子供が十万もおるなんて、やっぱりこれはずいぶん進歩してきたんです。それを文部省が許容しているというのは、文部省もずいぶん変わってきたんです。
村上
それはいいことですよね。僕も学校嫌いだから。でもね、この前どこかの調査…日本人の好きな言葉を選ばせると、「自由」というのは四番目か五番目くらいなんですってね。僕はなんといっても「自由」がいちばんなんですが。…
<中略>
村上
でも、そういう意味では日本人は本当に自由を求めているのだろうかって僕はときどき疑問に思ってしまうんですよね。…
河合
いや、日本人にはまだ自由というのは理解しにくいでしょう。「勝手」ちゅうのはみんな好きやけど。自由というのは恐ろしいですよ。
村上
だからオウムの人たちに「飛び出して一人で自由にやりなさい」と言っても、ほとんどの人はそれに耐えきれないんじゃないかという印象を持ちました。みんな多かれ少なかれ「指示待ち」状態なんです。どこかから指示が来るのを待っている。…
河合
それこそフロムやないかと、「自由からの逃走」やね。だから小さいときから、自由というのはどれほど素晴らしいことでどれほど怖いことかというのを教育することが、教育の根本なんですよ。それを本当にやってほしいんですが、なかなかそれができなくてね。でもまあこれはね、うまいことやったらできるんですよ。…じょうずな先生は子どもを自由にさせるんですね。子供にやらすんですよ。そしたら子供はけっこうちゃんとやるんです。変なこともちょっとずつやるけど、変なこともさせておいたりしてね。
村上
僕はなるべく暇をみつけて裁判の傍聴をするように心がけているんですが…あれだけ多くの被害者の皆さんにお目にかかって僕なりに激しい怒りを感じてはいるんですが、それでもなお(犯人たちに)哀れさというのはしっかりと残ります。
河合
それは日本のたくさんのBC級戦犯の人たちについても言えることですね。
村上
結局システム問題ということになるのかもしれない。でもああいう、命令を狭義に集約的に与えてそれを実行させるシステムというのは、大きくも小さくも自然にできちゃうんですね。それは僕にとってはすごく怖いことです。そうしてそんなノウハウがぱっと出てきて、比較的短い期間に、あらがえないくらいがちがちに固められてしまうのか、それは謎です。そういうものの存在を好む力が自然に、あるいは自縛的に働いているとしか思えないところがあります。本当に戦犯の問題に似ていますよね。どのように裁いても、必ず問題は残るでしょうね。
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 この対談部分は他にも深い内容が語られ読みごたえがありました。興味がわいたら、是非、「約束された場所で」を読んで下さい。

 


余談
私は村上春樹氏と河合隼雄氏の対談を「村上春樹河合隼雄に会いに行く」を読んで好きになりました。







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「痛み」とは何か…ペインレスとキズナイーバー

小説「ペインレス」を手にしたときと、アニメ「キズナイーバー」を教え子にすすめられました。
 両方とも心と体の痛みがテーマです。このタイミングは…ちょっと不思議…。



 アニメ「キズナイーバー」の主人公の少年、阿形勝平(あがたかつひら)は体の痛みがなく、理不尽な暴力にも抵抗しようとしません。学校に謎めいた少女、園崎法子(そのざきのりこ)が転校してきて、なぜか勝平にからんできます。

 法子は学校の七人の少年少女が、痛みを皆で分け合うという「キズナイーバー」になり、夏休みの間、実験を行うと告げます。
 その目的は一人の痛みを皆で分けることによって、理解し合い、平和な世界はできないかということでした。法子も含めた8人の少年少女を中心に話が進みます。


 自分が殴られると痛みは減り、他の子は何もないのに急に痛みを感じます。分散しているのでひどくはないですが。そして、体の痛みだけでなく、心の痛み迄共有するようになってしまいます。一人が失恋すると他の子にも伝わってしまう。秘めておきたいことまで共有するのは…きつい。

 実験はこじれる前に終了します。その後もキズナイーバーだった少年少女たちは反発しながら友達としてつながろうとするストーリが続きます。

 やがて、勝平がどうして体の痛みがなくなったかの謎がわかります。

 勝平は幼いころに同世代の子供たちと、同様の人体実験の被験者の一人だったと明かされます。彼は忘却していたわけです。

 その時の実験で、皆の痛みがある少女一人に集中してしまう現象が起きてしまいます。
 急遽、実験は打ち切られました。その少女こそが法子であり、今も彼女は痛みを集めており、その激痛をおさえるため太い注射を打ち続けています。勝平の痛みは今も法子へ移っている…。

 ところが、法子はそれら痛みを拒否しません。彼女はとても孤独でした。皆の痛みを集めることだけに自分の存在価値を見出し、幼いころの人体実験の失敗を認めません。そこからまた新たな事件が起きるのですが。

 興味深いのが、過去の実験の被験者たちが痛みが無くなったら、感情がなくなり抜け殻のようになってしまったことです。彼らは社会復帰ができず現在も実験施設に保護されています。その中で辛うじて社会復帰できたのが勝平でした。

☆☆☆☆

 確かに痛いとか辛いとかはいやだけど、これを感じることは生きていることなんですね。こういうことはあまり考えたことはありませんが…そんなことを考えさせてくれる良質なアニメです。

 




 小説「ペインレス」は生まれつき心の痛みがない女性、万浬がヒロインです。心の痛みがない人は社会から疎まれ、精神病院などに隔離され、あるいは自殺する現状があると語られます。

 小説には登場しませんが、医療関係の友人から聞きましたが、生立ちで辛い目にあい、心の痛みがなくなって育つ人もいるそうです。

 万浬が幼いころ母親は他界します。父親は再婚し、妹が生まれます。

 祖母により万浬は社会に適合できるように理性的に育てられます。しかし、恋をされても独占されるのを嫌い、手ひどく相手を切り捨てます。

 妹はそんな姉が奔放に見え憧れ、姉の手ひどい行動を踏襲しますが、その代償は大きく、精神に異常を来たしてしまいます。父は姉妹を会わないようにしなかったことを後悔し、継母は万浬を怖れ何年も会わない状態が続いてます。

 祖母は学者で、万浬の精神構造を熟知しているので、「私が死ぬときは悲しんだふりをしてね」と頼み、死後の身じまいを万浬に託すなど冷静に接します。

 彼女は自分はどんな存在なんだろうと追求しつづけます。

 事件に巻き込まれて体の痛みを失った男性に興味をもち会います。

 また、家族を皆殺しにした元少年犯罪者が、自分の仲間ではないかと会います。
 通常、少年犯罪者はプライバシーが守られているので会うのは困難ですが、彼女は心の痛みがないからこそできる手段で会います。彼女は元少年を思考の幼い人間で、会いたい同類の人間と違うと判断します。

 その後、心に痛みを感じない理性的な人間、亜黎(あれい)が存在したことをしります。すでに彼はいませんが、彼に多大な影響を受けた人から話をききます。

 ここで万浬の行動の動機が語られます。
「...ただ自分のほうが本当に異常なのか、なぜ周囲の者と同じ感覚を持たずに生まれたのか、それは生物学的に意味があるのかないのか・・・幾つもの疑問に対する答えを求めてもいました。また、自分のような存在がほかにもいるだろうかという好奇心もありました。あるいは死を選ばすにいたのは、亜黎さんほど賢くなかったからかもしれません。一方で、時代の変化もある気がしています。その度合いなりも、狭く、低くなっているのを感じます。つまり、わたしが自分のことを特別と感じずに済み、周囲からさほど特別視されずに済む状況が増えています」

亜黎の存在を教えてくれた人は
「それは・・・亜黎のような人間が生まれる可能性が増えている、ということかね?」と問います。

 万浬は
「逆でしょう。自分の痛みに敏感になり過ぎて、意識的に、また無意識に、わずかな痛みも遠ざけたい、という心理が働いているのだと思います。そのため他者が痛がっているのを見聞きすると、同情するのではなく、不快に感じる。なぜ我慢しないのか、なぜこっちにまで痛みを押しつけてくるのか、と。痛みを外へ向かって訴えかける人間や集団には、苛立ちのあまりに攻撃的になることさえある。だから、互いの痛みを理解し、より痛みの少ない社会の構築を目指すこととは逆に、自分たちを取り巻く状況に対して、恐れやおびえだけで反応することが常態化しつつある・・・亜黎さんの言われた進化の芽を育てるのとは、明らかに反対方向へ後退しています」

 さて、祖母が他界し、その遺産のことで父親が久しぶりに万浬に会いに来ます。
父は娘に通じないと知っていながらも苛立ち、、こう言わずにはいられません。
「...きみが新しい人間のモデルだとか、心に痛みを感じない人間が増えたら世界はよい方向へ変わるなんて考えに、根拠があるかね?いまの世界のとげとげしさだって、実は心に痛みを感じない人が増えてきているからこそなんじゃないのか」

すると、万浬は
「痛みを感じない人が増えているのではなく、自分の痛みを理解してほしいと、心の内で叫んでいる人がふえているからでしょう」と応じます。

 そして、祖母の遺言を淡々と遂行します。この動じなさはちょっとうらやましい…。

 世の中がますます悪くなっているのは、むしろ痛みを感じる人こそ、他人の痛みに自分は巻き込まれたくないので、見ないふりをする人が増えていているからだと著者は万浬に分析させます。

 …厳しい内容です。


 小説「ペインレス」は心の痛みがない人たちを排斥する、痛みのある人間の無慈悲さを感じます。こちらの方は痛みを感じる側の人間に問題をつきつけてきます。

 それは「見ないふり」です。自戒をこめて…

追記:「ペインレス」は官能的な部分が多く、それを天童氏はTVで「作家の腕のみせどころ」とおっしゃってました。天童氏の作品でなければ終りまで読めたか…読んだ直後は何だったのだろうと考えたくなる…。ひと月近くたってからやっと自分なりに感じたことがまとまりました。本来なら共感しにくいヒロインに共感してしまう…やはり天童氏はすごい。



私と一緒に勉強したい方は

自分の居場所は自分で決めればいいんだよ…心地よい刺激の対談



実におもしろい。

この二人の組み合わせから、何か刺激が受けられると期待して読みました。

その期待を裏切られませんでした。

他と違うことを恐れない、学校以外にも世界はある。

読後、残った言葉

「自分の場所を自分で決めて行くということが、本当に<自分>を生きるということになる」
「枠から一歩外れてみないと。」

(以下抜粋)
坂本氏
「…いじめなんかあったらさ、そんな学校やめちゃえばいいんだよ。でもなかなかそうしないでしょ?」
(略)
天童氏
「学校をやめたら友だちがいなくなるから無理して通いつづけるとか、寂しいからいじめグループを拒否できないとか言う子もいるでしょう。でもそういうのを聞くと、胸が痛みますね。友だちは学校や近所でしかできないと思い込んでいるというか、思い込まされている。」

坂本氏
「ほんとは自分の居場所なんて自分で決めればいいんだよ。(略)」

天童氏
「そうやって自分の場所を自分で決めて行くということが、本当に<自分>を生きるということになるんでしょうね。でも(略)坂本さんだから言えるんだ、なんて反応が来ませんか。」

坂本氏
「そんなことないよ。誰だってできるはずだよ。」

天童氏
「うん、僕もできると思う。そのための計画とか戦略をたててさえいけば。なにか芸術的に飛び抜けていなくても、また少々気持ちに弱い面があったって、焦らず時間をかけて、自分なりの<どう生きていくか>という小さな戦略を積み重ねていけば、自分の居場所を決めることはできる。(略)枠から一歩外れてみないと。別の世界に行けば気持ちの通じる人、想いをわかち合える人とも出会えるチャンスがふくらむわけだし。(略)…小中高の教師の方々でひとりとして外の世界について語ってくれた人はいませんでした。」

坂本氏
「ほんとは親が教えてあげるのが一番いいんだけどね。たとえば、自分が銀行員だったら、俺は銀行員を好きでやっている、だけどお前はなにをしてもいいんだ、しかしそのためのリスクはこうだ、というように教えるのが健康的な関係なんだけど。」

天童氏
「外れるのは怖いし、危険もある。我が身を守るための用心も要るし、手間もかかる。でもそのぶん、面白いこともいっぱいあるよって。」

以上 抜粋


 学校以外にもいろんな世界があるということですね。

 サブタイトルにあるように話題は多岐にわたってます。

 坂本氏の子供時代、ハマった映画を再現しようとしたことは…

 坂本氏が高校か中学生のとき、定期テストの日に遅刻し、外から校舎を見上げて、「こりゃ(日本は)駄目だなあと思った」
その理由とは…


 重い話題もあります。
もし、自分の子どもが殺されたらどうするか…坂本氏と天童氏の意見は食い違うのですが、後半の再度行われた対談で坂本氏はそれについて考え続け、その意見に変化が…。

 勇気がでる本ですね。







私と一緒に勉強したい方は

「だから人間は滅びない」…読んで元気が出た対談集

天童荒太さん…小説の単行本の表紙は印象的なので知ってましたが…
内容がヘビーそうで食指がのびませんでした。
 でもTBSの深夜読書番組「ゴロウデラックス」のゲスト出演を見て人間的に興味がわきました。(この番組はたまに見るのですが、ときどき素晴らしい拾い物があります)
まず、短編集を、次に「悼む人」を読みました。後者はやはりヘビーな内容なのですが、読んだ甲斐がありました。(電車で夢中になって読み、降車しそこねそうになったことが二度もありました)いずれ感想をまとめたいですが…難しい…。



 さて、ここで紹介する「だから人類は滅びない」は対談集です。ちょうど落ち込んでいた時期でしたが、読んで元気がでました。
 人と人がつながることは大切とよくいいますが、私は消極的です。特に、東日本大震災の時に「絆」が連呼されたときは、マスコミの情報操作のような、うさん臭さを感じました。

でもこの本の内容は次元が違います。とてもしっくりきました。

本書のまえがきによると、この本の企画書には…

…これからの世界はどうなっていくのか。私たちはこの世界をどう生きていけばいいのか。「生きていくために、つながる」をテーマに、新刊『歓喜の仔』で「人間はなぜ滅びないか」という問いに挑んだ作家。天童荒太氏と、つながることで社会を変えようとしている若手起業家を結ぶ。…

とあったとのこと。

確かに登場される方々の話は現実感と理想、思いやりにあふれ、天童氏曰く
「こんな人がいるんだ、こんなことをしているグループがあるんだ、という事実と、実践に至る経緯を知るだけでも、面白いはずです。」と。(本書まえがきより)

私もこの本を読んで元気が出ました。また、自分のできることで前に進みたくなりました。

参考までに目次をあげます。

第一章 震災と想像力 
     つながりは幸せの目安・自尊感情の回復・大根の値段と世界情勢
     ・「分からない」ことを喜ぶ
第二章 閉塞感を打ち破る農業 
      地域を結び直す・会いに行ける農家・信念を買う
第三章 コミュニティーの基本はものづくり 
      脱下請け・悪循環を断ち切る・孤立した消費者
第四章 母親に寄り添う産後ケア 
      他人への抵抗感・良妻賢母神話・家族を開く
第五章 モードは世界を変える 
      10年先から考える・個人の解放・人の影響を恐れない
第六章 反グローバリーゼーション
      ゴミをプラスに変える・善意の還流・気持ちよさは利益
第七章 週末農業で得られる辛抱と寛容
      貧民窟の豊かな暮らし・成長の限界・広がる快感・都市と農村の共存
第八章 つながることは災害への備え
      正義感と人間性・リーダーの役割・本能に従う


各章の締めは天童氏の感想です。
どの章も目からウロコが落ちるものばかりですが…一部を御紹介します。

第一章
教育関連の方がふたり紹介されてます。
一人は、経済的な事情を抱えた子供たちに学校外教育の機会を提供するバウチャー(クーポン)を配布する公益社団法人「チャンス・フィールド・チルドレン」の代表理事の雑賀雄太さん。
もう一人は首都圏で高校生と学生のスタッフが語り合うキャリア教育プログラム「カタリ場」を運営してきた「NPOカタリバ」の代表理事今村久美さん。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川に「女川向学館」開校した塾形式の学習指導や、心のケアを行っている。

二人とも若いです。うれしいな、こんな人たちがいるんだ。

第四章
産後ケアの一般社団法人「ドゥーラ協会」も是非いろんな方に知ってほしいです。
子供を産んだとたんに母親になるのはかなりきついことです。

第六章
廃材を利用したデザイン雑貨のブランドを展開するNPO法人「NEWSED PROJECT」は障害者通所施設「地域作業所hana」と連携して障害者の高工賃を実現させています。

ところで
テレビで見た天童氏がいいなと思った理由がわかりました。
この本の中で…
「大学卒業後、怖かったけどあえて就職せずに、肉体労働のアルバイトをしたり、町工場で働いたりして、そこでいろんな人に出会いました。(中略…そこで学歴は関係ないと感じる人たちに出会う)…そうした中で、次第に日常生活のあり方が一番大事だと思うようになりました。例えば、普段から家事をするんですけど、油だらけのフライパンや排水口のぬめりを洗うのは大変なんですよ。でもそれは自分がやらなければ誰かが負担する。自分の場合だと、妻に負担がゆく。実際、少なくない数の女性は毎日そうした生活上の小さな嫌悪と向き合っている。それを現実の体験として日々生きることが、自分なりの創作上の基礎になってます。今の大根一本の値段を知ることと、世界情勢を知ることは等価だと思ってる。…」この続きもとてもよいのですが、これ以上長く引用するのは控えます。本書でご確認ください。

こういう感性の方がいるんですね。見習いたいです。





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夏目友人帳②何に惹かれたのか



何で夏目友人帳にはまったのでしょうか。
いろんな見方があると思いますが、

私が惹かれたもので

一番大きいのは
多分、主人公夏目が
自分の存在価値を見出していくお話が多いから…

他の人には見えないものが見えることから、
怖がられ、疎まれた、少年が自分の居場所を見つけ、
誰も見ていなても
自分が正しいと思うことをしたいと行動する。

シリアス一辺倒ではなく軽く笑える部分があるので
読んでいても気づまりになりません。

夏目は
親戚をたらい回しにされて、気を使って苦労している。
それを恨みに変えなかった。
同級生西村になんでぐれなかったのと聞かれると、
そんな余裕はなかった、
ぐれたら居場所がなくなると思ったと応えてます。

親戚の扱いがひどかったとしても
自分が変わっているから当然だと思ってます。
だから、温かく迎えてくれた藤原夫妻との生活では
小さなことにも幸福を実感します。
そんな繊細な夏目に、声優神谷浩史さんの声がぴったりです。
今の幸福を壊さないためふりかかる事件にいどみます。
命に関わる危険な事件も少なくありません。

解決した事件の中には、人間を守れたものもありますが、
それを知る人はまずいません。
数少ないそれを知る人間は
夏目が見えることを知っている人たちです。
友人の田沼と多軌、柴田、ほかは祓い屋の名取、的場、七瀬たちです。
ただし、彼ら自身が関わったごく一部の事件に限ります。

※物語紹介は、「アニメのシーズン数ー何話 タイトル」を表します。今のところ6シーズンまで放映されてます。

「3-10~11割れた鏡、映すもの」で、
田沼が妖にとり憑かれたときに
夏目が自分たちと疎遠になる時があったけど
あれは事件に関わっていたんだと気づきます。
それに対して
夏目の「用心棒」の斑が
こんなのしょっちゅうだと応えたので田沼は驚きます。

「6-3二体さま」では、
事件解決後に柴田は人の役に立ったよと言いますが、
夏目の反応は
たまたま役に立ったけだけ。そうだったらうれしいなと。

よって、ヒーローにならない。これもいい。

おまけに
夏目は物語が進んでも
急に妖怪が現れると、悲鳴をあげるのが笑えて楽しいです。
 物語の回を重ねても成長がないとのツッコミもありますが、私は好きです。


二つ目は
夏目の用心棒、協力者の妖怪、斑(まだら)が
単純な正義の味方ではない。
「4-9月分祭」で夏目に協力するときも、
美味しいお酒の湧くところを守れるからと言います。
その言動は
斑のエゴにもとれるし、夏目に協力するテレにもとれます。
そんな、気まぐれさがいい。
夏目の思いの強さにひかれて助ける感じもします。
物語の終わりにとても含蓄のある事を言うのもいい。

三つめは
祓い屋の名取周一
華やかでおかしみがありながら、陰のある青年、そのコントラストが魅力的。
オーラを放ちながら花に囲まれて登場し、
反面、皮膚を動き回るヤモリ形の妖怪が不気味。
生い立ちは孤独で夏目と似ていますが、考え方は違い、
妖を憎んでます。

夏目は人も妖も差別しない。

そんな夏目に名取は少しずつ感化されます。
物語初期は
妖怪に対して辛辣な物言いをしたのですが、
「4-9~10月分祭・祀られた神様」では、
名取が妖怪を祓うことに迷いが見えると夏目が感じます。

この変化もおもしろいです。

この名取を演じている声優、石田彰さんは秀逸です。
短い言葉にあらゆる感情をのせて表現します。
ご本人は
他のドラマで同様のことをファンに言われたとき
「自分の意図しないところまで
とらえてくれて有難いですね」と言っていますが…
そうであってもスゴイ…

四つめは
読んでて不快になる悪者も登場しません。


祓い屋の的場静司はやや悪役ポジュションです。
「友人帳」のことを絶対に知られてはならない人と描かれてます。
「5-3~4祓い屋からの手紙・連鎖の陰」では、
夏目の協力を得ようと夏目の秘密「見える」ことを藤原夫妻に話しましょうかとほのめかしました。夏目にとっては脅迫に等しいです。結局しませんでしたが。
反面、的場の人間らしい面も
祓い屋は妖怪と契約を結んで仕事に協力してもらうのですが、
的場家は妖怪から信頼されず、特に高貴な妖とは契約が結べません。現在は妖怪とは利害関係で結んでいるようです。それを静司は割り切っているようですが、少年時代「5-4歪みなき世界」では自分が妖と契約できたら「大事にするんだけどな」と名取にもらしています。それが叶わなかったので今の的場になったとも取れます。

そんな背景が描かれると悪者と言い難くなります。
アニメは諏訪部順一さんの声もいいですね。

五つめは
妖と人間との関係がいいです。

特に恋の話がわかりやすいので、3話あげます。

「1-8儚き光」ホタルの妖と青年
妖を見えたことで夏目と同じように孤独だった青年がホタルの妖と友達になり楽しい時をすごします。ところがある日突然、妖が見えなくります。青年はすぐ側にいるホタルを出てきてくれと悲痛な声で呼びます。そしてホタルは自分が見えない青年に寄り添い続けます…。最後にホタルたちが夜空に飛び立つ美しい場面が描かれてました。

「3-3偽りの友人」木の妖と少年(柴田)
妖は妖力が衰え、人間を食べたら回復するかもしれないと、少女に化身して柴田に出会います。ところが、柴田といるのが楽しくて食べるひまがなくなり…。柴田と一緒に走る場面が美しいです。

「6-8いつかくる日」烏の妖と少女
二人は幼馴染です。妖は人間と生きるスパンが全く違います。烏の妖は自分といると少女は不幸になると思い、自ら姿を消します。少女と再会しある決断をするのですが…。それに対する斑の言葉はシンプルですが含蓄がありました。

それらに関わった夏目もその都度ある感慨にふけります。

相容れないもの、理解しあえないものが出会って、
軋轢があってそれでも何とか受け容れようとする。

実らない恋ならば
相手の幸福を願い喜び、我が身を削る場合もある。そんなエピソードが心地よく、各物語の終わりの言葉や場面が美しいです。これらの話は何度も見たくなります。

この作者さんはすごいですね。

六つ目の魅力は、物語の背景の謎。
名取の皮膚を動き回るヤモリ形の痣の正体がわからない。
 専門家の的場でさえも「わからない」と言いながらも
 ちょっとコワいコメントを言いました。
 これが伏線にならなければいいのだけど。

夏目の亡き祖母レイコの存在
妖怪の話を通してレイコのエピソードはいくつか
断片的に語られています。
詳しいことはわかりません。

この作者は伏線の回収が上手ですが、
回収したら、夏目友人帳が終わってしまうのは…いやだな。

謎は謎のままでもいいとも…わがままなことも思ってしまいます。

さて、アニメも2017年に第六期が作られ、この秋(2018年)には映画も公開されるとのこと。人気があるのですね。
 テレビアニメでは悪くはないけど、物足りないと思う作品がありました。それらはアニメオリジナルストーリーでした。原作を織り交ぜているものはそうでもないのですが。

 さて、映画はどうなのでしょう。

四月の時点で、声優さんたちもまだほとんど内容を知らされてないそうです。

 現在(2018年6月)、BSでセレクト作品が放送中です。たまたま「水底の燕」を見ました。知っている話なのに感動しました。

 追記1・映画 うつせみに結ぶ 観ました。
テレビアニメそれ以上でもそれ以下でもない、映画だからと力んでいない、節度のある良作でした。テレビアニメと違って時間的に余裕のあるのでゆったりして安心して観られました。

 追記2・単行本23巻.24巻について。
23巻は名取と的場が登場しますが、名取と的場の会話の敬語の使い方に違和感がありました。ちょっとお話が痩せたような…と。ところが24巻は今まで登場していた妖の意外な面が見せられ、しかもキャラの絵も魅力的。また、多岐のエピソードで登場する新キャラのニャンコ先生への反応が笑えます。今までの財産を上手に膨らませたストーリーでした。こういうのは嬉しいですね。購入した日に何度も読み返しました。

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夏目友人帳①内容 ファンなら知っていること。

今更ながら、はまっています。
マンガやアニメは本当に侮れない…
夏目友人帳
アニメも原作もいい。読んだ後味がいい。
コミック全巻を揃えたのは本当に久しぶりです。







設定が興味深いです。
以下は友人帳ファンなら知っていることばかりですが…


妖が見える夏目貴志が主人公
幼くして両親を失う。
周囲の人には妖怪は見えません。
夏目少年は
何もないところで驚いたり、転んだりします。
周囲はそのとばっちりでケガをすることもあり、
夏目は異様な少年に見えました。
他の子供にけがをさせることもあり、
施設に預けられず親戚の家をたらい回しされ育ちます。
親戚側は悪い子じゃないけど気持ち悪いと、
夏目少年は気を遣うのですがそれも裏目に。

みかねた、遠縁の藤原夫妻が夏目を引取り、
高校生活が始まるところから本編が始まります。
(藤原夫妻に引き取られた頃の過去のエピソードは結構泣けます。)

表題の「友人帳」について
友人帳とはそれに名前を書いた妖を支配できる絶大な力があります。
夏目には若くして亡くなった祖母レイコがいました。
レイコも妖が見えました。友人帳はそのレイコの遺品です。
妖に名前を返せるのは、レイコの唯一の血縁者の夏目だけです。
夏目は妖を支配せず、名前を返すと決意します。

夏目貴志とは
頼まれると弱い。
妖力が強く、妖怪にとって美味しそうで食べたい存在。
夏目は妖怪に追いかけられても逃げることが主で、積極的に闘いません。
(学習能力がないと突っ込みをいれるファンもいるようです。)
追い詰められるとゲンコツでなぐります。これは結構効き目があります。
基本的に妖怪の斑(まだら)に助けられます。

おもしろい、妖の基本設定
妖たちはは夏目をレイコと間違えます。妖たちには性別は重要事項ではなく、血縁者は同じ匂いがします。「1-12五日印」でレイコ大好きで男嫌いの妖ヒノエは初めて会った夏目をレイコと思って抱きついてから「胸がないっ」と慌てました。
更に人間の一生は妖怪にとって一瞬の短さです。ここから色んな物語が生まれます。妖が久しぶりに人間の友達に会いに行くと、とうの昔に死んでいた…そのスパンの違いが妖と人間の恋にも影を落とします。


お話に欠かせないキャラクター。

夏目の用心棒の妖「斑(まだら)通常はニャンコ先生」。
レイコを知っており、妖怪のことを夏目に教える先生でもあります。
通常、招き猫の姿で普通の人にも見えます。本来は巨大な白いきつねのような妖です。きまぐれな感じが魅力的です。おしゃべりで余計なことを言って夏目のゲンコツを食うことも。夏目と利害関係で用心棒をするのですが、だんだん夏目に情を示すようになります。ただ、夏目で処理できるときは助けないし、気ままに留守にするので、その間に夏目が事件に巻き込まれます。声優、井上和彦さんが、斑の時と、ニャンコ先生の時の声を別人のようにガラリと変えて演じ分けています。

声優さんの声がきれいな、キャラクター二人。 
名取周一。
表の仕事は俳優、裏の仕事は妖怪の祓い屋です。
名取家はかつて祓い屋の名門でしたが妖が見える人がいなくなり、祓った妖の恨みを恐れる家になりました。やっと妖との縁がきれたと思ったら、妖が見える周一が生まれます。家族は見えることを忌み嫌います。周一の皮膚にヤモリ型のアザのような妖が幼いころから住みついており、体中を移動します。
現在の周一は
女性たちを魅了するオーラを出し、周囲からうさんくさいけど魅力的と言われてます。周一を「うさんくさい」とする表現がおもしろいです。意味を調べると納得。男の友達は夏目だけのようです。
アニメでは
周一が登場すると周囲に花が咲き、テーマ曲「輝いてごめんね」が流れ楽しいです。
声優は石田彰さん。この方の表現力がすごいです。短いセリフに複雑な心情が感じられたときはゾワッとしたこともあります。


的場静司。
祓い屋の名門の若き頭主。利があれば、妖怪にも人間にも容赦しない合理主義者。的場家の代々の頭首はある事情で妖怪に右目を狙われ続けてます。静司も狙われ、ひどい傷が右目にあり、布で隠しています。ロン毛で眼帯…イタイ外見らしいですが。彼のセリフがおもしろい。
「君も利用できるものは利用すればいいんですよ。何だって」
「私はよく言葉を間違える」
「では言い方をかえましょうか」など。
口調は丁寧なのに内容はきつい。
作者は静司の言葉は描くのに気を使わなくていいと言ってます。
声優・諏訪部順一さんの深みのある声が、静司の独断的で冷静、冷酷だけど悪人とは言えないキャラクターを表現しています。


アニメのストーリーはざっと次のようなものがあります。
※サブタイトルの前の数字は、アニメのシーズン数と各シーズン内の話数です。

基本は巻き込まれ系ですが。

妖怪に協力、協力せざる負えない系
「1-10アサギの琴」「2-1奪われた友人帳」「2-2春に溶ける」
「3-10割れた鏡~3-11映すもの」「4-10月分祭~4-11祀られた神様」等

友だちに協力系 
 夏目の能力を理解している友達、多軌が登場する、 
 「2-6少女の陣~2-7呼んではならぬ」「5-5結んではいけない」等



ほのぼの系 
「3-13夏目遊戯帳」妖怪とかげふみで遊ぶ。途中から命がけの?かげふみになる。
「5-7音無しの谷」夏目をレイコと勘違いして遊びたがる妖。
「5-11儚き者へ」妖怪から見た夏目です。ラストシーンがきれいです。
かわいい妖怪が主役
「1-7子狐の帽子」「1-11ニャンコ徒然帳」「5-2悪戯な雨」「5-9険しきをゆく」等。
「2-5約束の樹」アニメオリジナルと原作を融合。レイコと妖ヒノエの原作エピソードも。
「2-4雛、孵る」「4-3小さきもの」妖怪は可愛いけど、お話としては少しコワい。



つながり系 きれいな話が多いです。
妖と人間
「1-4時雨と少女」「1-2露神の祠」「4-4代答」等。
「6-4違える瞳~6-5縛られしもの」は廃業した祓い屋と使役されてた妖の話。せつないです。 
妖怪と人間の恋
「3-3偽りの友人」「1-6水底の燕」「1-8儚い光」「4-4代答」(既出)等 
妖怪同士
「6-2明日咲く」妖の師匠とその弟子。



ホラー要素が特に強いもの  
「1-12五日印」たぶんホラー系…。ヒノエが初登場し、話の終わりで彼女の夏目への言葉がいい。
「2-3妖退治、湯けむり行」名取と温泉に行きますが、そこで出会う妖がコワい。
「5-1変わらぬ姿」夏目をレイコと間違え、要求をかなえないとお前の大事なものを奪うと脅されます。みためはコワくない妖ですが、言動がコワい。
「5-7秋風切って」学校が舞台。妖が人間にとり憑いて夏目の過去を知りたがります。
「6-3二体さま」特にコワいかも。
 
祓い屋と夏目
名取 
「1-9あやかし祓い」で名取初登場。
「2-3妖退治、湯けむり行」(既出)、「2-11呪術師の会」「2-12廃屋の少年~2-13人と妖」「4-6硝子のむこう~4-7人と妖の間で」「4-10月分祭~4-11祀られた神様」(既出)「6-4違える瞳~6-5縛られしもの」(既出)、「6-10閉ざされた部屋~6-11大切なモノ」等
名取と的場
「3-6人ならぬもの~3-7祓い屋」で的場初登場。「5-3祓い屋からの手紙~5-4連鎖の陰」等
「5-8歪みなき世界」は高校生時代の名取と的場、二人の出会い。夏目は登場しません。
的場
「4-1とらわれた夏目~4-2東方の森」
的場の登場エピソードはアニメは6話+過去編1話…意外と少ないですね。



過去編 胸がいたむ話が多いです。
「3-4幼き日々に」妖から見た小学生の頃の夏目です。
「4-5過ぎし日の君に」は中学時代の同級生の視点。アニメオリジナルエピソードと融合。
「4-11一枚の写真~4-13遠き家路」小学生の夏目。夏目視点と親戚の女の子視点。
「5-8歪みなき世界」(既出)名取と的場の高校生時代。
夏目が藤原夫妻に引き取られた頃 
「3-12帰る場所」は夏目側の話。秀逸です。夏目がある妖に襲われ過去に引き戻されます。
「5-10塔子と滋」は藤原夫妻側の話。妖怪は登場しません。

「5-8歪みなき世界」(既出)名取と的場の高校生時代。夏目は登場しません。

祖母レイコのエピソード 
レイコについては詳しいことがわかりませn。夏目は妖を通して断片的に知ります。
「2-10仮家」実はレイコと小学生の滋が面識があった。現在と過去の事件とがリンクします。
「5-1変わらぬ姿」(既出)妖に夏目はレイコと間違われ、妖の要求に答えないと…脅されます。
「6-7ゴモチの恩人」妖ゴモチが語るレイコさんの話です。レイコさんの人柄が垣間見えます。



夏目が妖を見えることを知らない友達視点の物語
「6-6西村と北本」妖が見えない友人からは夏目は神秘的に見えるらしい。この物語でも妖はちょっかいをかけてくるのですが、西村や北本は見えないので妖の姿は出てきません。ニャンコ先生の姿はもともと人間にも見えるので登場します。

「5-11儚き者へ」(既出)は妖から見た夏目。夏目は狸や猪よりも下の弱い存在なようです。最後の場面がきれいです。

夏目と友人 妖を見えることを理解してくれる友人田沼、多軌等が登場。
「3-10割れた鏡~3-11映すもの」(既出)田沼が妖にとりつかれます。
「4-6硝子のむこう~4-7人と妖の間で」(既出)田沼が夏目を助けようと妖の世界に足を踏み入れますが、それが夏目の不安を煽ることになります。せつない話です。
「6-1つきひぐい」夏目が妖に子供にされ田沼や多軌のことなど現在の記憶が飛んでしまい、孤独な子供時代に戻ってしまいます。田沼たちが友達だと言っても信じられません。やがて「本当だったらいいな」と言い出す子供姿の夏目がせつないです。
「6-3二体さま」(既出)こちらの話は田沼たちの協力がうまくいったようです。


はっきり分類しきれませんが、いろんな要素が複合してバラエティに富んでいます。

原作は今も連載中で、23巻もでました。
長期連載はなかなか、スタンスを守るのが大変だと思いますが
いちファンとして楽しませて頂きたいです。

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脳の発達の仕方は人により違う…

 大人と子供の脳の違いについて、興味深い本を読みました。


怠け数学者の記 (岩波現代文庫)
小平 邦彦
岩波書店
2000-08-17


 随筆と対談の本です。著者の小平邦彦氏は数学者で、日本初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者だそうです。数学が得意な人でなくても楽しめる本です。(以下、引用は原文の各文末の敬体を常体にかえる等の変更はありますが、主旨は変えないよう留意しました。)
 
  こどもは小型の大人である。子供の能力は大人の能力を一様に縮小したものである
  これは間違ったとらえ方である。子どもは理屈抜きの記憶力がある。

物事には子どものときに習得しておかなければ大人になってからではどうしても覚えられないことと、大人になってからでも簡単に覚えられることがある。
子供の時に習得しないと大人では覚えられない教科とは…読み書きである。
小学校の基礎教科(日常生活に必要なもの)まず国語次に算数

子供の成長に合わせてまず基礎教科を徹底的に教え、他の教科は適齢に達してから教えるべきであるという基本は今も昔も変わらない。現在の初等・中等教育はこういう全教科を統制する基本方針が欠けているように見える。

ある教科をまだその適齢に達していない子どもに教えようとすると、教える内容はつまらないものになり、結局時間と労力の浪費になる。現行の小学校一年の理科や社会の教科書を見れば直ぐにわかる。

現在の小学校の一年から週2時間社会を教えているが、仮に昔のように社会を五年から週4時間教えるとすれば現在一年を教えている内容を教えるには二週間あれば十分であろう。

このように適齢に達してから教えれば簡単に教えられる内容をなぜ苦労して一年から教えなければならないのか理解できない。(略)そして五年になれば国語の実力がついてるから、一年からはじめるよりずっと能率よく教えられる。理科についても事情は同じだ。
 (注)この本が出版されたのは1986年です。理科と社会の小学校低学年の履修については、1992年に小学一、二年の科目から理科と社会はなくなりました。

 大人と子供の脳の違いの記述は興味深いですが…

 子供の脳の発達はすごいですね。
 小学一年生で、一年間かけても難しい内容が五年生になったら二週間あれば十分に学べてしまう。勉強は脳の発達に合わせて行うのは効率がよく、子供も学びを楽しめそうです。
 
 教育は成長の段階に合わせることが必要なんですね。

 また、何でも早ければいわけではない…。

 幼児教育についても脳科学者の澤口俊之氏は著書「発達障害の改善と予防」で発達障害を疑い、診断を受けに来た子供の中に、脳に問題はないのに、発達障害と同じ兆候を示す子供がいました。その子たちに共通していたのは澤口先生曰く「非科学的な幼児教育」をうけたことだと述べています。

 脳は複雑な器官です。
 大人と子供の違いはもとより、人によって違うと類推できます。
 ところが、そのような考え方は体系だってあまり聞いたことはありません。
 
 特に勉強に関してはできないと「努力が足りない」と一律に教える側は言う傾向があります。


 脳の発達に関しても個別に見る目があってもいいのでは。
 授業を一回聞いただけで覚える人がいます。
 繰り返すと覚えられる人がいます。
 何度聞いても受け付けない人もいます。
 それをモチベーションで克服する人もいます。でもそれだけでは済まないこともあるのでは?
 

 以前、ある英語の先生の体験を読みました。その方は中学から数学ができなくなり、高校でもまったくだめで、数学の入試がない大学に進学しました。その方は教職をとるためやむを得ず数学の勉強を再開したら、思いがけず簡単に理解できてびっくりしたそうです。これは、資格をとるというモチベーションもあったけど、数学の理解力も育ったのではおっしゃられていました。

 この方の場合は数学を理解できる脳が発達したのは大学生以降だったということでしょう。これは分野別でも物事を理解する脳の発達のスピードが人によって違うと捉えてもいいと思います。

 勉強の出来ない子に「やればできる」と言うのが普通です。

 しかし、このようなことも考えられるので一概に乱用はできません。
 
 また、今できなくても、できるときがくる可能性があるということでもあります。

 先の方も英語は得意でした。高校では数学の先生が担任でしたので「英語ができるのに…数学は出来ない…努力不足…」と対応され、居心地が悪かったそうです。残念ながらよくありがちな話です。でも、もしこの先生が分野別にも理解力が発達するパターンは個人によって違うと知っていたらその方への対応も違っていたのではと思います。

 やればできる、できないのはやらないからだと全員を判断するのは…危険です。

 いつかは分かりませんが、その子の中でスッとつながる時があります。そんな経験を持った先生もおられると思います。

 私もこんな経験があります。
 ある小4の子は、小数の桁とりが出来ませんでした。繰り返し学習しましたが一向に進展しません。出来ないと言うよりも受け付けない感じがしました。それで、その単元を離れました。その学年の終わり、学年のまとめにと再度その単元をやってみたら…時間がかかると想定していたら…あっけなく簡単にでき拍子抜けしました。それまでの間、一回も復習してません。これは脳の中ですっとつながる回路が出来たからと思えました。

 教える側は脳の発達の仕方は人によって違うことを認識すれば、子供に対する態度も謙虚になれると思います。
 総じて…あることが出来なくても少なくともそれはその人のごく一部に過ぎません。そう認識して子供たちに接することは大切です。

 
 
 
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世界で最も古いフリースクール

 『出ていけ!子どもたち』…タイトルが明るく豪快で惹かれて思わず手に取り読んみました。この本で「サマーヒル」を知りました。
 サマーヒルはフリースクールみたいだなと思い、検索したらサマーヒルは「世界でもっとも古いフリースクール」という言葉が出てきました。
 この本は不登校についての本ではありません。でも、とても興味深い本です。




大阪で小さなパン工房を営む一家は二歳違いの三人の男の子がいます。
著者(母親)の発想のもと、
 この本のカバーには概要次のような内容の紹介があります。
 11歳の長男をイギリスのサマーヒルへ。次いで、次男もアメリカの学校を経て長男のいるサマーヒルへ。三男は中学校を卒業後、北海道の高校へと進学します。この本はそれらの経緯が語られます。巻末に2000年正月に久しぶりに家族が揃い、少年から青年になった子供たちと協力を惜しまなかった夫、それぞれに当時のことを著者がインタビューします。
 著者がサマーヒルへ長男を入れようと行動を起こすと、次々と援助者が現れ…行動を起こすことは大切ですね。道は開かれ、あれよあれよという間に長男はサマーヒルへ。

この本がいいなと思ったのは…
 家が手狭だから子ども達に出て行って欲しいと明るく言い放っているところと、子どもたちを画一的にとらえていないことでした。
 サマーヒルへ気持ちが動いた理由は著者一家は学校よりも家族中心で行動するので、管理の厳しい日本の学校とはいろいろぶつかると覚悟をしなくては…という思いがあったから。
 そんな自分の思いに子ども達を巻き込みながらも、「合わないことは合わないと言える人になってほしい」とも著者は述べています。

サマーヒルについて…
 著者は学生の頃、サマーヒルの創設者A・S・ニイルの本を読んで感銘を受けたそうです。

 この本で語られたサマーヒルは…
 「世界で一番自由な学校」と。創設者ニイルは「子どもは善良であり、悪なるものではない」「学校に子どもを適応させるのではなく、子どもに適応する学校を作ろう」と述べているそうです。

 サマーヒルには通知表も成績表もない。
 心のバランス、寛容、幸福」を身につけるための場所です。
 著者はイギリスに留学させたのではなく、サマーヒルに行っていると捉えてます。別に英語ができるようになるとか、何になるとか何のためではなく、強いて言えば、気づき、自覚し、自分自身になるためであると。

 サマーヒルは自分自身になるための「ウミを出す期間」があるそうです。それは、社会から押し付けられた規範をすべてをはきだし、本来の自分を取り戻させる期間だそうです。
 長男は初めての帰国当時はお父さんがケガをされていたので家業は手伝ったそうですが、家ではゴロゴロするか、眠ってばかりで親としては不安になったそうです。でもこれが「ウミを出す期間」だったようだと。
 二年目の頃にはどんどん自分を取り戻し、長男であるという社会的規範の中で自分の辛かった思いを母親(著者)にストレートにぶつけられ、母親も涙んぐんだものの長男との関係がスッキリしたエピソードが語られます。


 ネットで検索した内容を加えると…
 サマーヒルは子どもが授業に出ることを強制しない学校。
 授業に出るか出ないかは子供しだい。
 子どもたちは学びたいことが見えてくると、通常のカリキュラムで設定されている期間よりもずっと早くマスターしてしまうそうです。だから授業は年齢分けされてません。
 規則は自分たちで決める。
 学校は子供が作る。大人はその援助者である。サマーヒルの出身の青年は「ぼくらはサマーヒルが大好きなのでサマーヒルの評判をくだらないことで落とすことを一番恐れている。」と。それを守るためのルールであり、やぶった場合の罰則も決めています。

 ところで、子どもの教育がうまくいくとはどういうことでしょうか。
 ステレオタイプで言えば…子どもが社会的に高い地位につくとか、高収入を得るようになったとか…テレビの情報番組ではおおむねそんな評価を野放図に流しています。その方が分かりやすいですし。でも、言うまでもなく、それは一面にすぎないですね。ただ内面はわかりにくいからテレビのようになってしまう。(並行して読んだノンフィクション作家の随筆も知人の娘を「年収一千万円の成功者」と繰り返し書かれていたので…これが世間なのかしらと…いい本でしたがそこだけちょっと…。)

 教育はその子の根本に「生きる力」をつけること。
 生きる力があれば、世の中が変わって、どんな状況になってもくじけず生きていけます。他のものはあとから付いてきます。著者もそんな思いがあってサマーヒルへ11歳の子どもをおくりだしたのでは。

 自分のものの見方を変える、あるいは「他の人と違っていること」を不安に思う気持ちを明るくしてくれる本でした。
 

追記 
サマーヒルスクールサイト(英語)





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教師の説明を鵜呑みにしない子

 勉強をする上で、先生の説明をそのまま受け入れる子供は「勉強ができる」と評価されます。
 反面それに納得しない子は「勉強ができない」と判断されがちです。しかし、納得しないということは自分の頭で考えようとしてるわけです。

 このことについて、とてもよいエッセイを読みました。
 「まにまに」は西加奈子さんの6年分の短いエッセイの集まりです。
まにまに
西 加奈子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-09-11





  その中の一篇、「そこから」 はわずか2頁ですが、とても心に響きました。

 筆者が中学3年のときの話です。
 小学5,6年と一緒だったS君と、中学3年で久しぶりに同じクラスになりました。
かわいらしい少年だったS君はちょっと目つきが悪くなってました。
 ある日、そのS君に筆者は数学の問題の解き方を聞かれます。
「三角形があり、60度、70度とある。残りの角がxととなってそのxを求めよ」というような問題でした。 
すぐに解き方を教えますが、S君は「なんでなん?」と聞き返します。何度も説明しますがS君は納得しません。何度も問われるうちに少し怖くなります。
 それでも「だから、三角形の内角の和が180度やから」と繰り返すと、
S君は、「だから、なんで180度なん?」
 そこで筆者は初めて気づきます。「三角形の内角の和が180度である」という、そこから疑問を持っていると。それで自分が猛烈に恥ずかしくなりました。

 S君は数学の教師には勉強が出来ないと認識され、問題児扱いを受けていました。
 でも筆者は「全然違った。それどころか、とても聡明でまっすぐな人だった。」と感じます。

 「そういうものだから」という認識を合理的に理解できないひともいる。
 S君のように「そこ」から疑問を持つのは苦しいだろうが、「そういうものだから」をすぐに受け止める自分からすれば、S君はとてもとても眩しいと。
 大人になってから…
 筆者は何かを「そういうものだ」と諦めた時、S君の「なんで?」が聞こえると感じます。 
 (こういう感性を持つ作家さんは好きです。)

 教師側からすれば…
 「そういうものだから」とそのまま受け入れられる方がラクです。
 でも、それでいいのでしょうか?
「受け入れられない子供も受け容れる」大きさを持ちたいです。
 納得しない子供に大人は理路整然と説明できます。でも説き伏せるようなことにはしたくないです。論理で大人は子供に勝つのは簡単です。それよりも言われたことに納得した「ふりをしない」子の勇気とその感性をほめたい。
 一緒に考えたり、悩んだり、憤慨して「最初に言い出した人(学者)にタイムマシンに乗って文句を言いに行こう」と盛り上がったりして…疑問をもったことを否定しない。

 以前、友人からこんな話を聞きました。高校生のとき、数学の先生が同じ大きさの球体はどんな多面体よりも表面積が大きいと説明しました。ところが友人の級友は納得しなかったそうです。とうとう球体よりも表面積の大きい多面体の模型を自分で作ったそうです。

 言うことを真に受けない子は頼もしい…と、感じられる教師でありたいです。

 鵜呑みにしないといえば…
 地動説を唱えたことで有名なイタリアのガリレイ・ガリレオのピザの斜塔のエピソードを聞いたことありませんか。
 彼が生きた時代は、先哲アリストテレスの説が最も権威がありました。
  アリストテレスの「物体の落下速度説」とは
  「大きな石は小さな石よりも速く落下する」ですが、2000年も固く誰も疑いませんでした。

 ガリレオは「自分の目で確かめたい」と実験しました。ピサの斜塔から二つの物体を同時に落下させ、「物体は重さに関わりなく同じ速さで落下する」と証明しました。今なら当たり前ですが、覆すのは大変だったと思います。ガリレオは他にも迫害をうけてます。もしガリレオが長いものにまかれる人だったら…現代の科学の発展は大幅に遅れたかもしれません。

 子供達に言われることを鵜呑みにさせ続けたら、
 自分の頭で考える力の芽を摘みます。
 


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読書「うちの母ちゃんすごいぞ」



この本の始めの頁に
「この物語は9割のノンフィクションと1割のフィクションでできています。」とあります。
WEBサイトで発表されたものを出版した本です。

不登校で引きこもりの当事者の少女の手記です。
と、いっても不登校がテーマのお話ではありません。
自分の生きていることに「これでいいのかな?」と迷ってる人にもいいですし、
思春期の世代に合う内容かもしれません。

日常の思ったことを飾らず率直にかたっている、読みやすいです。

彼女は自分のことをクズ子と呼びます。

話の始まりは、父親が多額の借金を抱え、母親はパートに出ます。
当時、クズ子は14歳、妹は小学3年生、兄は高校生です。
クズ子は親の関心をひきたくて、多重人格のふりをし、病院に通うことに。
ところが、知らないうちに自殺未遂を繰替えし本当に病気になり引きこもりに。
そんな中、
(当時の)借金の取り立てはやくざが来、幼い妹がひとりで応対することになった。

母親はパートから社員へ登用され、収入が安定し、
結局、両親は便宜上の離婚をし、父親を残して引っ越します。
「ちゃんと出直したら、またいっしょに暮らしましょう」と母は父に言います。
父母は仲がいいのです。


引っ越し先で、クズ子は引きこもりのままですが、妹も不登校に。
兄は母親に大学進学を勧められますが、断り働き始めます。
クズ子はやがて夜遊びをするように。
妹のお年玉や兄の働いたお金を使い込み続けます。あるとき兄にばれます。
兄はクズ子を殴り、泣き、諭しますが、クズ子に通じないとみて家を出ていきます。
でも兄は母親に言いつけなかったらしいと。

母親はいつも明るい。
「クレヨンしんちゃん」の「みさえ」のように痩せていて元気で、働きづくめです。
接し方がユニークです。
決して子どもを責めない。

学校に行けないと落ち込む妹に「生きてごはん食べてうんこしてくれればいい」と言いきります。
クズ子は家事を少しずつはじめます。
そんな娘に「お母さんは、今日は世界一幸せかも」と手放しで喜びます。


クズ子が家事やめ、ベッドに引きこもるようになっても追い詰めません。
ただ「いままでのクズ子に謝れ」と諭します。

やがて妹が一大決心して学校へ行き始め、クズ子は焦ります。
クズ子は何度も逃げたり、放り出したりしながらも、
結局、学校というシステムには戻らず、自分の居場所を見つけます。
単純にめでたしめでたしというわけではありません。
まだまだ色々ありそうですが、この物語はそこで終わります。

読みやすいので、すぐに読み終わります。
気分転換になり、気持ちもあかるくなる本でした。

その人にはその人の道があると思えるお話でした。

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逆効果?トラウマ治療法

 トラウマの原因を思い出させる治療法があります。以前盛んにテレビでも、女優さんを使って放送されました。
 それは、トラウマに関する記憶は意識、無意識に消す、あるいは消そうとしているのが通常である。そのトラウマが無意識下で自分に問題を起こしている。だから、それを思い出し吐露することで正常の意識になれるという治療法でした。

 ところが、その治療法は、アメリカではとうに廃れた考え方だとこの本で初めて知りました。



 この本によると、その経緯は…

 1990年代、アメリカの精神科医学界にトラウマブームが起きました。ところが、医者から虐待が実際に無くても「あったという前提」で治療を受けていくうちに患者は「親に虐待を受けた」と思い込んでしまう、偽りの記憶が表れると心理学者リチャード・オフシーが告発しました。患者が親を訴えたり、訴えられた親が精神科医を訴える等の問題が起きるようになりました。

 さらに1997年に記憶研究者のエリザベス・ロフタスはトラウマ記憶を呼び起こす治療法が逆効果であると突き止めたそうです。むしろ、患者は悪化し、離婚、入院治療が必要になる、自殺、自傷行為を試みる人が大幅に増えたそうです。要はデメリットしかないと。

 この本では過去は肯定的にとらえた方が心の問題が解決につながっていくという考え方も紹介されています。 親に恨みを持っている人でも大抵何かしらいい記憶があるもので、自分は家族に愛されていたと気づけると。愛されていたならば、「私には生きる価値があった」と自己肯定感が増します。

 私自身も、悪いことを思い出すと追体験してしまい…体までも痛くなります。トラウマに関わるのは専門家に誘導してもらわないと危険かもと控えたのですが、この本によれば専門家でも逆効果だったわけです。それに、たまにですが、良かったことも思い出します。すると、確かに体がラクになります。悪いことは「言いたい」のに「言うな」と「抑えつける」のはいいとは思えません。しかし、無理に思い出す必要はありません。良いことを思い出した方が、たしかに元気になります。

 ところで、こんな話を聞いたことはありませんか。
 父親にさんざん困らされた母親が、父親が亡くなった後、いい思い出しか言わなくなる。子どもたちは「あんなにお父さんの悪口を言ってたのに…」とあきれる話です。それは、夫婦だからとか、単純に忘れたのではなく、終わったことを美化してしまうのは、これからを楽しく生きるための自然な防衛本能かもしれません。
 
 この本の他の章は賛否両論ありますが、この精神科関連の章は大変興味深かったです。

 悪いことは「わざわざ」思い出さなくていいと思います。


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異質な物への理解のスタンスとは…

 上橋菜穂子さんの物語が好きです。その物語の多くには、本当の悪人は出てこず、お互いによかれと思って行動していることが通じない、異文化の軋轢が描かれてます。
 上橋さんは文化人類学者でもあるのですが、本書「隣のアボリジニ」はオーストラリアへフィールドワークに行った時の話をまとめたものです。


 
 アボリジニとは本書によれば、英語の原住民という単語から派生した言語だそうです。広大なオーストラリア大陸に住んでいた400以上の全く通じない言葉(方言を入れると600以上)を話す集団に分かれていたと。それを「イギリス人が日本人と韓国人は見分けがつかないから同じ民族だと規定してしまったと同じよう」に一括りにしました。
 この本は筆者はどのような思いで書いたのかで始まります。
 あるオーストラリアの白人の運転手さんの半ばジョーク、半ば本気といった表情で言ったアボリジニへの辛辣な評価から、筆者は「『人種偏見は悪だ』とすっきり言い切る思想を足場として考えるより、ジョークを紛らせながら出す本音、『ひどいことを言う奴だな』と、それに腹を立てながらも、どこかで怒りきれないものを感じるというような反応に現れる、複雑で、くるくる変化する意識の方に、どうしても心を惹かれてしまい」、だから、「この本は、『アボリジニは、こんなひどい事をされてきたのだ。現在も、こんなひどい仕打ちを受けているのだ』というテーマでは書くまい」、「その視点だけに囚われていては見えないことが多すぎるから」だと述べています。そして、そのような思いに至るまでは「ずいぶん時間がかかった」と「自戒をこめて」と筆者は断っています。

 さて、国際化とはなんでしょうか。簡単に言えば、異なる国の人々と共存できることだと思います。日本も国際化と言われ始めてから久しいです。しかし、ネットニュースなどでも差別の問題は散見され、ときにはテレビで大きく取り上げられます。そこで差別は「間違っている」と他人事なら簡単に言えます。しかし、実際に接したら自分の不寛容さがしゃしゃりでてくるのではないかとも思います。

 身近なことですが、欧米人にとって食べ物をすするのはマナー違反です。本書ではカルチャーショックの例として挙げていたのですが、日本人の立ち食い蕎麦屋で蕎麦をズルズルすするのを見たオーストラリアの人が「鳥肌が立つほどの嫌悪を感じた」とありました。こちらの想像以上の反応です。ならば、もっと奥にある、異民族の生き方の規範はたやすく判別できません。しかし、生活の節々には現れます。それが日常なら違和感の連続でしょう。

 異文化と暮らすことについて筆者は、
 「ひとつの町で、異なる歴史と文化を背景にもつ『異民族』が一緒に暮らすというのは、決してたやすいことでは」なく、「きれいな思想でかたづくことでもない」と。でも「もっとも『きれいな思想』を信じる心がなくなったら、それはそれで恐ろしいこと」とも断っています。

 オーストラリアはアボリジニを隔離する政策をずっととってましたが、
「次第に異文化の論理があることに気づき、自民族の利益を守ろうとする実利的な意識と、二つの文化のどちらも尊重しようという理想の間を揺れ動いている姿」に変化します。「この本で描いたことが過度に一般化されて理解されてしまうことを防ぐために」個々の出会った人との具体的な出来事、彼らを理解していく過程をきちんと語るようにしたと。著者のインタビューに進んで話してくれる人、話すと言って招かれたのに一切言わない人、始めは拒んだが、時間をかけて信頼を得てからやっと話してくれた人など。さまざまなエピソードが生き生きと描かれます。読む方に考える材料を与え、ゆだねてくれます。声高に「差別はいけない」というよりも、心にしみます。
 
 終章に 「本人たちにさえ見えない原因は、他者には、もっと見えません。そして、人は、問題がはっきりわかれば解決しようと努力するけれど、問題自体がよく見えないと、とても不安になり、なんとか型にはめて理解しようとする傾向があるのです。」
 
 …至言です。



 その傾向は、理解したような錯覚をおこしてしまう、そんな危惧を自分にも感じました。

(余談ですが…このサイトのテーマのひとつ、不登校の子も本人に見えない原因の中にいます。それに対処する周囲の傾向にもあてはまるのではと、ふと思いました。)

 理解しようとすることは必要です。さらに、理解したと思う結果よりも、常に理解しようとする姿勢自体が大切です。 そこに真摯な姿勢があると思います。これは異文化の理解のみならず、人を理解するのにも通じることです。

 

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九九ができなくても…説明上手な脳科学者に

「えっ」大学の先生なのに「今でも九九ができない」?…なんて思ったのですが…。
対談本「海馬」の中での脳学者の池谷裕二さんの話です。

池谷裕二さんは難しいことをわかりやすく書くことで定評のある脳学者さんです。
対談相手の糸井重里さんは言わずと知れた有名なコピーライターです。
異業種の人が対談するとおもしろい化学反応が起きます。
その二人の対談本「海馬」の中で

池谷さんはこんな体験を語っておられます。

小学生の時の成績は
いつもビリから数えて何番目という程度。
九九も漢字もできない…漢字テストは100点中2点だった。

それでも
子供の頃はできないことをあまり気にしていなかった。その点では幸福だった。

変わったのは
中学校に入って初めて英語が学校の授業に登場したこと。
当時は小学校に英語の授業はなかった。その頃自分は英語塾に行っていた。塾に行ってなかった中学生にとって英語は「はじめてのもの」になる。塾では自分の出来はよくなかったけど、学校では他の人より少しできた。それがすごくうれしかった。そこから勉強に意欲がわいた。

ただ、暗記が得意な年齢をすぎていた。
でも、記憶力が弱くても何かをやったときの方法がわかっていれば、テストの対処ができると実感としてわかってきた。

最小限のことを覚えればあとは方法の組み合わせで導き出せばいい。

数学の公式もほんとうに憶えない。
試験のたびに公式を導き出していた。みんなもそうしていると思ったので後で違うと知ってびっくりした。

やがてその方がいいと思うようになった。

試験のたびに公式を導き出すから、丸暗記している人より時間がかかってしまう。
時間制限のあるテストには不向きだ。
でも「公式を丸暗記している人よりも導き出せる人の方が原理を知っているから応用力がある。」
「丸暗記だとその範囲でしか公式を使えない。」

それを経験メモリーと言うそうです。

今でも、(対談当時)
漢字は大学の講義で、板書するときはしょっちゅう間違えて「ぼくの漢字の間違いを指摘するのをたのしみにしている学生」がいっぱいいる。
以上のような内容でした。


今も九九を覚えてません。
では、どうしているかというと…

例えば…
9×8
10倍にして  9×10=90
9を2回ひく  90-9-9=90-18=72

池谷さん曰く
九九は81個、暗記する必要があるけど。
十倍することと二倍することと半分にする、この3つの方法だけで全部できますと。


私たちもこれに似た計算をした心当たりはありそうですね。
そういえば…
私のいた塾で三角形の面積を「底辺×高さ÷2」ではなく、
「タテ×ヨコ÷2」で教えている先生がいました。
四角形の面積が「タテ×ヨコ」と原理として分かれば、四角形を半分にすれば三角形です。
覚える必要もないです。

多くの面積の公式…例えば台形や円の面積は形を長方形にしてから導き出しています。

台形の面積=(上辺+下辺)×高さ ここで長方形になりますね。 
このままでは面積が2倍になってしまうから2でわる。
(上辺+下辺)×高さ÷2

円の面積=半径×円周 ここまでで長方形。これも2倍になるので2でわる。 
   半径×直径×円周率÷2=半径×半径×2×円周率÷2  
     整理すると見覚えのある公式になります。→半径×半径×円周率 

このように経験で公式が分かった方が楽しいかもしれません。

暗記メモリーよりも経験メモリーの方が応用力がある…考える力がつきます。
池谷さんの本は経験メモリーが鍛えられているから表現が豊富でわかりやすい。
読んだのは下記の本です。だいぶ前に購入し、久しぶりに本棚から引っ張りだし再読しました。
大変興味深く、また読み直したい本です。


 




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不登校児童の本音

不登校児童の本音は意外に知られていない。
不登校への認識が「行けない」から「行かないことを選んだ」へどうして変わったのか。
胸を衝かれる内容でした。


 
不登校児童だって学校へ行きたかった、
でもどうしても受け付けなかった。
社会の規範から外れ、孤独になり、将来への希望を失い、もがいた。
それを「不登校を選んだ」といい換えられた時
親たちが子どもを理解しようとして悩み、たどりついた結果と察して
違和感を持ちながらも受け容れたと著者は語ります。

何で不登校だったのか
私自身、不登校だった理由はまだみつかりません。
随分たった後なのに
著者のようにもやもやしたままです。

以前、不登校の子のお母さんに
「今は不登校を克服されて…」と言われたときも返事に窮しました。
果たしてそうなのかなと。
単に学齢期を過ぎて学校へ行く必要がなくなっただけ。


不登校は個々に違う。
不登校児童の人数と同じだけ違う。100人いれば100違う。
(中には不登校を「選んだ」子もいるでしょう。)

だから、自分が以前、不登校児童だったからと
今の不登校の子に「わかる」とは言いません。
「わかる」と簡単に言うのはその子の苦しみへの侮辱のような気さえします。

多少ともわかることは社会の規範に外れた不安を味わった辛さをよく知っていることです。

あるとき、不登校の教え子から、不安と怒りをぶつけられました。
私は「学校以外にも道はあるよ」と他の大人のように言う気になれませんでした。
私もそう言われたことがありました。
でも、気休めにしか聞こえなかったのです。

結局、迷いながらも
私は不登校時代の辛かったエピソードを話しました。
期せずして子どもと二人で、涙ぐんでいました。
その日からその子は私を「先生」と呼び始めました。

初めて「不登校を選んだ」という表現を聞いたとき、
自分の行動が肯定されたような気がしました。
でも冷静になったら私もこの著者と同じく選んだわけではありません。

ただ、ただ、学校へ行く緊張感に耐えられなかっただけ。

私も著者の言うように「学校に行きたかった」
午後から学校へ行った日もありました。
その日はいじめられることもなく普通に過ごせました。
でも翌朝は…気分が悪くなって行けないの繰り返し。


形にならないまま、筆者は気持ちを正直に綴ってくれました。

不登校に特別な理由をつけるのではなく、
不登校をする自分をそのままでいいと受け容れたらどんなにいいか。
自分で自分が受け容れられないのですから…。



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歴史に当事者感をもたらすエマニュエル・トッド

  
 
 煽るような書名ですが、それにまどわされては勿体ない良書です。
 昨年、パリでテロ事件がありました。その頃、友達がパリから少し離れたところに滞在中でした。友達とのメールのやりとりも自然と国際情勢の話になりました。そのメールで教えてもらったのがフランスの歴史人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッドの存在でした。

 トッドの本は日本では「売らんがためのキャッチ―なフレーズ」をつけられているとも教えてもらいました。そう教えてもらわなかったら私はこの本をスルーして読まなかったと思います。その友達に感謝します。

 この本のもっともよいところは…
 私は歴史を学ぶとき、無意識に現実と切り離してとらえてました。昔は戦争があったとか、暴君がいたとか、民主主義がなかったとか、あたかも物語のように当事者感が全くありません。しかし、このトッドの本を読むと否応なしに自分もその歴史のうねりの中にいると実感します。そう感じることがこの本の真骨頂です。それは現在の時事問題を各国の国民性を絡めてわかりやすく的確に分析しているからだと思います。トッドの分析は現実になったものも多々あったそうです。

この本は…
 形式はインタビューにトッドが自分の考えを述べる形をとっていますので読みやすいです。しかし、翻訳もの独特の読みづらさもあります。ぼおっと読んでしまうと「あれ、何がこうなるだっけ?」と主語を探しに戻ることもありました。
 本の口絵にヨーロッパの地図がのっています。それは、「ドイツ帝国」傘下の国がその「隷属」の程度によって色分けされてます。ヨーロッパの国々は経済的にドイツの傘下に入っています。それが口絵でイメージしやすくなります。ヨーロッバのほぼ全土に及んでいるので「ドイツ帝国」と呼ぶわけですね。

具体的な内容に少し触れたいと思います。
 現在も進行中の出来事…ウクライナのロシア”侵攻”についてのトッドの見解が興味深いです。
 先の口絵ではウクライナの「隷属」の度合いは「ドイツ帝国」に”併合途上”に色分けされてます。ドイツから見たウクライナの魅力とは、教育の程度が高いので良質な労働力があります。しかも安価です。ウクライナはロシアと争う価値があるわけです。日本の報道は、アメリカ合衆国やヨーロッパの側のものだけです。昨年インターネットのニュースでウクライナ訪問した鳩山由紀夫元総理大臣の話を聞きました。それによると日本で報道されているようにロシアが強引に占領した様相ではなかったそうです。もっとも日本のマスコミは鳩山氏に取材をしようとせず、訪問したこと自体を大々的に叩きました。ところが、トッド氏のウクライナ問題の分析によるロシアとドイツ(軍事はアメリカ担当でドイツは陰にいて見えない)のウクライナでの計る指標は、人口学のデータが一番信頼できるということでした。
 
 経済や会計のデー関係を読むと鳩山氏の談話が的外れではないとわかります。

 興味深かったのは、国力をタは簡単に捏造できると述べています。そういえば、ギリシャ経済が財政破たんした時、EU加盟前にギリシャの提出した財政データは、「EU加盟できるように」捏造されたものだったと露見しました。
 
 対して、人口学データはきわめて捏造しにくいと述べています。それは人が出生届を出してから死亡届を出すまで、その節目節目に整合性のあるデータが表れるからだそうです。
 1976年、ソ連はは乳児死亡率が再上昇し、当局はその最新のデータの発表をやめました。乳児死亡率の再上昇はその「社会の一般的劣化の証拠」なので、筆者はそこからソ連の崩壊が間近だと結論できました。

 現在のロシアを人口学からみると…乳児死亡率が低下し、出生率が上昇(2013年 ロシアは1.7人、フランスは2.0人、因みに日本は1.43人)また、女子の大学進学率は(100人の男子に対しての女子の人数)ロシアは130人と女子のほうが上回っています。(1位スエーデン140人、3位フランス115人、4位アメリカ110人、4位ドイツ83人)。ロシアでは女性は子供を産みやすくなりつつあり、その地位が高いと推測できます。さらに、人口の流出よりも流入の方が多いので、ロシアは周辺の国から魅力的であると、本書によれば「大多数の国民から暗黙の支持を受ける体制」であると述べられています。今まで持ってたマスコミのロシアのイメージとずいぶん違います…このように根拠のある分析は本当に重要だと痛感します。

 表題からドイツ批判の本にみえますが、(インタビュアーもそこを何度もつっこんでます。)著者は否定しています。ドイツは「強く言えば」軌道修正できる国だ。ただ、第二次世界大戦のヒットラーの台頭は今もヨーロッパ各国のドイツへの対応に大きく影を落としています。暴走したドイツを知っていると、それがドイツへの恐れとなって強く言えないのではないかと危惧しています。
 読んでてコワかったのは、ヨーロッパは1930年代からドイツを中心にしてリセットするようになったのではないかという言葉でした。
 それらのことはリアルタイムで進んでいることで、自分も歴史の当事者だとも思えました。

 



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「友達100人」も要らない

 ♪一年生になったら 一年生になったら、友達百人できるかな♪…

 新一年生が歌うと無邪気で可愛いです。

 友達が多くない私には縁遠い歌です…絵空事かなと思ってました。

 ところが…この歌を気楽に聞き流せない子供達もいるようです。
  
  この歌には友達がたくさんできるのは「良いこと」と暗黙の了解があります。
 だから友達ができないのは「悪いこと」と意識させる圧力がかくれています。
 学校では”クラス全員と仲よくしなければ”という目でクラスメートを見るようになり、(どう考えても不可能!)できないから、教室で自分がひとりぼっちのような寂しさを感じ、それでも頑張ろうとして気を遣い疲れてしまう。やがて学校へ行くのが苦痛になり、不登校へというケースがあるそうです。
   (参照 小栗正幸著「発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ」)



 「友達が多いのは良いこと」が、子供を追い詰めます。
 この歌に悪気はないし、可愛い。でも手放しで賛同するには違和感があります…。
 みんなが賛成することに異をとなえるのは小さなことでも勇気がいります。この歌が好きな人にはごめんなさい。
 

 私が、子供の頃、身近に中・高校時代とても友達が多い人がいました。彼の家にはいれかわり立ち代わり毎日のように友達が遊びに来ました。晩御飯を食べていく友達も多くてとてもにぎやかでした。当時、彼は社交的でかっこよく見えました。ところが…社会人になって、私が数少ない友達と悩みを話し励まし合い、連絡をとりあっているのを知って、「そういう人がいていいな」とうらやましいがっていたと彼の奥さんからきかされたことがあります。彼は、いざとういとき相談できる人がいなかったようです。

 「友達がたくさんいるということは一人もいないのと同じ」これは誰の言葉でしたっけ。ある面あたってますね。

 友達は少なくてじゅうぶん。その友達の顔を思い浮かべるだけで心が温かくなり、頑張ろうと思える人が一人でもいれば幸せです。


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