不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

教育

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

新語「エリートバカ」自分の答えに合わない事実を無視する思考

授業の後、教え子や親御さんと雑談をするのが楽しみ。

そこで…

親御さんの「ウチの子供は頭が悪くて…」
教え子の「自分は頭が悪いから…」と端々にでてくる言葉。

引っかかる。

親御さんは謙遜ともとれるけど…子供は違う。

受け答えが絶妙で、会話も楽しい子。
自分で考えようとする。
大人の言いなりにならない…。

これで頭が悪い?
でも、本人が何回も言う。

ここの頭のいいとは…
英単語や年表等をすぐ覚えること。
AI…と同じ能力…

勉強を覚えない子は頭が悪い…と言われ、思わされる。
果たしてそうか?
興味の対象が勉強でないだけ。
自分の好きなものは覚える。
興味がないのを覚えないのは当然。

英単語をどんなに書き取りしても覚えられない子がいた。
でも、ポケットモンスターの名前は100近く覚えてる。

そこで子供たちの興味に合わせて、工夫する先生もいる。
人気マンガ「鬼滅の刃」…教え子の勧めでアニメを見たがストーリがおもしろくキャラクターがよくできている…難しい漢字を多用するマンガだ。それで漢字ドリルを作るなど…


 さて、記憶力=頭がいい…で鍛えられた人は…
 反応力はあるけど自分の思ってもいないことが起きたらその事実を認めようとしない…
 例えば不登校児童へのある学校の先生の対応。
 「子供の方がおかしい」
  病院へ行けと言われた親御さんがいる。うけた病院側は先生の対応に首をかしげたそうだ。
 これだけ不登校が増えたら流石に学校も変わらざるおえないが、まだそんな先生もいる。

 自分の考えに合わない…現場を見ない、認めない人たち…その傾向。

 エリートバカ

上杉隆氏が名付けた。それを4点にまとめて解説。
①自分たちに都合の悪い事実が出てくると精神論を振り回す。
 「頑張っているんだ。(事実を言うべきでなない。)」
  …論旨のすり替え。

 この思考経路は身近にも。
 私はあることでシステムがおかしいと指摘したら、「でも、そこで頑張っている人がいる」と友人に「反論」された。とっさに「それを持ち出すのはズルい」と言うのがやっと。でも、後で考えたら、「頑張っている人」も犠牲者。

 事実から目を反らす論法。
 事実を言う人があたかも「人間性が無い」「優しくない」と暗示して…黙らせる

 精神論を、権力のある人が言い出したら、それは信用できないと判断する尺度になりそうだ。

②人をイデオロギー分けする
 「右翼だ、左翼だ」と決めつける。
 今更イデオロギーの時代ではない。
 意見には意見を、事実には事実で議論しない。これも人を黙らせる

答えをひとつに求める

 日本の教育がもたらした病理

  小学校の頃から答えの見つけるのがうまい子を「頭がいい」とする。
  受験がうまい人
  社会に出ると「答え合わせのうまい」人がエリート扱いされる。

  社会的な頭のよさと勉強のできる頭の良さは全く違う。

  答えをひとつに求めるのを常習化している人は…
  過去に例のないことがあると…現実は全部そうなのだが…答えが当然ないから、現場よりも自分たちの周囲の権威を「答え」と思ってしまう(④の権威に弱い)

  事実よりも「こうあってほしい」希望的観測に合わせようとする。

  そういう人が想定外と連発する。

  ほんとうに頭のいい人は想定外と言わない。ちゃんと想定している。

 自分の答えに反する事実を言う人が出てくると、
  ①と②を多用して
  「危険だ」「左翼だ」中身と関係ない論調でいじめる。
  嘘つきデマよばわりする。

 丁寧な言葉づかいで根拠のないことを言う。

 多様な価値観を認めない。

④最大の問題は権威に弱い
 (官僚、学者、専門家、大手報道、西洋コンプレックス)
  厚生労働省等官僚、政治家、東大、京大の学者等、大手報道等など
  国連、WHO,ニューヨークタイムズ等
 事実の根拠を挙げられても、「自分たちの答え」に合う権威に頼り受け付けない。
 自分の答えに合わない事実は無視する。
  例えば、WHOでも内容が自分の希望に合うかで無視したり取り上げたりする…ご都合主義

 ……これらは悪い人ではない、
      いい人だけど、現実に対処できない。自己決定能力がない。
 
 
以上…
  3.11からテレビで政府などの要人の論調に違和感をもった。
  批判を巧みにかわす言い回し。それが上記のことかと。
  今回のコロナ(2020年3月)も同じ臭いがする。
  こういうエリートをせっせと育てたのが教育だったのか。
  

ある意味、不登校に希望が…関連するブログ 
    河合隼雄と村上春樹の対談から思うこと
     不登校は進歩…へ


私と一緒に勉強したい方は

勉強=「強いて勉める」…やだな。

「勉強」とは…熟語の成り立ちからみると「強いて勉める」と読める。
  わぁー強制的だ
  「ビりギャル」で有名な坪田先生によると
  学校に行った人の80%が「勉強が嫌い」と答えたとの記事を見た。
  この意味ならば納得の数字…

塾の個別指導。
勉強を受け付けない中一の子の
英語と数学。
復習をすると…
「覚えてない」「わからない」と拒否。
宿題は一切やらない。

前回と同じ説明をする。
塾の方針は予習だが、
学校の授業進度よりも周回遅れ。
どの講師にも同じ反応。

ある意味、意志が強い子だ。


勉強が本当に嫌ならかわいそう。
でも塾は遅刻するが、休まない。
授業中は筆記用具が壊れたとか、
トイレへ行きたいとか
いろいろなことをして、授業時間のロスを起こし続ける。
更に、うたたねをする。猛者。

英語
ふと試しに
例文の主語をcatに替えた。
すると顔が輝き、
「カバは?」
「サイは?」
「カピバラは?」と質問しだした。

カバはたまたま知ってたけど…
カピバラはちょっと…(笑)
「動物が好きなの?」と聞くと
「違う」と言う。
でも「which animal  do you like?]と例文を書いたら
いつもは覚えないのに、animalを一発で覚えた。

「おかしいは?なんて言うの」
「バカは?」
「カッコいいは?」ときいてくる。

どんな単語をきかれてもおもしろがって応じた。
ちょっと悪いことした感が子どもも好きなのだ。

「学校じゃ役に立たないこと沢山、教えるよ」と悪乗り。

これだけ興味を見せるなら…辞書をみせた。
のぞきこんできて、おもしろがり、勝手に辞書を読み始めた。
その日の授業の半分はこれでつぶれた。まっいっか。

ヘンな単語の並ぶ例文をノートにとらせながら、
「お母さんが見るかなあ?」とちょっと心配すると…
「見ないよ」とその子。
でも、ボードにそんな例文がいくつも並ぶと
周囲の目を気にして
「早く消した方がいいよ」とはずかしそう。

そう、しっかりした子です。

もののついでに
「eaと続くと『イー』と読むことが多いよ」とボードに書くと、
指示しないのにノートにとる。こんなの初めて。

数学の授業のときに
「英語が好き」と言い出した。

設問を解きながら
「Englishを見ないで書けたよ」と言う。

単語の和訳テストを見せると
見もしないで「分からない、できない」と即、拒否。
でも「読めるのはあるかな?」と促すと…
プリントを見入り読み仮名をふりはじめた。
そう、まず読めればOK!

次の授業で、また同じプリントを出したら
即拒否。
「意味でも、読みでも書けたら点あげるよ」と提案をすると
のってきた。
40題ある単語の意味はあまり書けなかったが、
読みはほとんどができた。
意味も多少は覚えているようだが、
間違えるのを怖れるのか書きたがらない。
この怖れは少しずつほぐそう。

そして文法の勉強…
テキストの説明に聞き入る。
アホな例文は不要になった。

チュートリアルもすぐにとりかかる。
まだ、一緒にやる必要はあるが、
これなら、一人で解くようになるかも。

塾からは宿題再開の指示が出た。

…………………………

……やってこない…

…………………………

そう簡単にはいかないか…

でも、例文に使う単語を選んでと
辞書を渡すと喜んで見入る。
「単語選んで」の指示は従わないが、辞書を楽しんでいる。

これもひとつの芽…大事に育てよう。

……勉強に自ら取り組むようになり…

めでたしめでたしとは……そうは簡単にいかないが。

英語に対する拒否感は減った。
変わったことを言わなくても問題に取り組むように。
授業時間が余ったときは辞書で遊ぶ。


数学は
計算を掛け算を足し算と間違え、
直前に説明した内容を確認したら、
「忘れた」とバッサリ。

たまにちゃんと取り組む。
計算ならつきっきりでなくてもする。

チェックテストもするように。

あまり続かない…

うたたねもする。
でもここまで来たら起こす。

つらいなあ。

でも空気を読んで

教える側の「都合のいい子」になったら


それはそれで喜べない。


勉強とは…強いて勉める…

なんとか、楽しめるようにしたい。

なかなかむずかしい…。

まあ、あきらめません。
ときどきめげかけるけど(笑)

授業後、その子に笑いながら
「(したくない)勉強をよく頑張ったね」と声をかける…。
「鍛えてくれてありがとう……」と心の中で思う。

定期テストの結果が出て
成績があがらず、
「役に立てなくてごめんね」と言ったら
その子は
とてもびっくりして狼狽えた顔をした。

私の方がびっくりした。

勉強ができる、できないはその子の要素のほんの一部に過ぎません。





私と一緒に勉強したい方は

前川喜平さん講演会② トーク部分

講演会の後半は弁護士の太田啓子さんとのトークでした。
 
 太田さんは弁護士をしており、ご自分のお子さんを通して感じたこと、また、憲
法改正の動きに関して、憲法とはなにかを意外に皆知らないのではないかと論議
以前の問題…賛成、反対以前に憲法について知りましょうと、気軽に話し合える場
として地元で憲法カフェを主催されてるそうです。

太田さん
   前川さんの参政権には学習権の側面があるという話は眼から鱗。
   森有礼さんについては良いイメージしかなかったので意外でした。
   人は学んではじめて市民になります。
   ところが、学校は政治や憲法にふれるのがタブーとなってます。
前川さん 投票権が18歳に下がり、現実に教室の中に投票権者がいます。
     文科省は3年前に「主権者教育」をするよう学校に通達しました。
     その反面、教師は自分の見解を言うな。中立性を保てとも(通達)
     不用意な影響を子どもに与えるなは教師の萎縮へつながりました。

太田さん 子どもたちは主権者教育をうけないまま大人になっています。
    20年後が不安。
     
    マスコミなどで憲法改正というが、憲法のことを知らない人が多いです。

    (まず確認したいことは)

     憲法を守るのはだれか?
       国家権力がその義務を負う。
       国家権力側の人=天皇・国会議員・公務員等


       国民ではない

        それさえ知らない人があまりに多いです。

      憲法は何かを知らないで改正論議をするのは…どうなんだろうか。
      そこで知るために憲法カフェをはじめました。

ブラック校則について
太田さん ヘンな校則が多いです。自毛証明書(髪を染めていない)・下着は白を
    指定等…

前川さん (日本は)人権感覚が希薄です。
      そんな校則が増えた背景には
         当時の校内暴力を力で抑えた成功体験があります。
         心の乱れは服装の乱れに現れるという意識がありました。
          髪の色、下着の色まで規定する校則が沢山作られました。
       しかし、今の学校の先生もその校則を守る理由が説明できません。
太田さん 守る根拠がない校則は…
     ルールだから守らなくてはならないというメンタリティが子どもたちに育つの
    が恐いと思います。
     子どもたちにはおかしなルールは変えられるという成功体験をつんで欲し
    いが、現実に学校の先生はそれに応じる時間や余裕がありません。難しい。

前川さん 子どもの権利条約でそれらの主張することは認められてます。
    学校はそれを受け止める学校であって欲しい。
    教員を公募した、コミニティースクールの工藤校長は「あれをしてはダメこれ
   もしてはダメと禁止すると子どもは考えなくなる」とおっしゃってます。その学
   校では制服ノーデーを生徒会(子供たちの話し合い)で決めたそうです。

太田さん 言いたいことがあっても(お母さん余計なことを言わないでと)子どもに
    止められます。 

    憲法15条 公務員は全体の奉仕者である。公立学校の先生も公務員。

前川さん 国務大臣や国会議員は、一部のために仕事をしたくなる誘惑がありま
   す。

太田さん 自分の生活そのものが政治。
    政治の話をふつうにできる教育にしたいです。

前川さん 多数決は最後の手段。話し合いを尽くしてからのもの。
    人は何らかの少数者に属していることは共有すべき感覚です。
    その少数者をないがしろにすることは自分自身をないがしろにすること
   です。

会場からの質問①~④
  ①アクティブラーニング(対話的、主体的、学び)は学校にそぐわないのではな
   いか。

前川さん 名古屋の小学校を訪問した時、その学校では子供たちの(感想を聞く)
   インタビューの受け答えに規制をかけませんでした。その学校は自分で考
   え自分で行動することを主眼として先生も主体性をもつべきという姿勢で
   した。

    自分は官僚時代、真正面から闘うとつぶされるので「面従腹背」でした。
   
  ②教員が社会体験がないからと英語の先生がコンビニの品出しをしていたが
   無意味では?

前川さん ひところ流行った。非常に不評で効果が無いと実証済です。
    それよりも他の職業経験がある人を中途採用、特に就職氷河期だった30代
   の人などを採用した方が良いのでは。

  ③不登校の中一の子が沖縄基地反対者の違法建築の実態を見に行きたいと
   いうが。

前川さん
 一次資料を自分で見たいということは頼もしいです。


  ④今日の聴衆も年配者が多いが…(ここに少ない)20代、30代に伝えるにはど
   うしたらいいか。

前川さん 世代間の対話があれば、今日の内容も家族間等で話し合いをしてくれ
   たらといいなと思います。


 以上、メモをもとにまとめましたので終わりがちょっと未消化な感じがして…すみ
ません。
 太田啓子さんはツイッターもされてるのでフォローしました。





私と一緒に勉強したい方は

親がしてあげたいことはしたが子供がしてほしいことは…

 亡くなられたある女優さんのドキュメンタリーを見ました。(2015年頃の放送)
 知的でとても素敵な女優さんです。
 晩年はテレビのコメントが歯切れがよく、聞いてて気持ちがよい方でした

 ドキュメンタリーの中で息子さんの長年の家庭内暴力が紹介されました。

 その息子さんが幼い頃、父親に倣い、歌舞伎役者の稽古をしている映像が紹介されました。

 ところが、思春期の頃、両親が離婚して、母方に引き取られました。歌舞伎のけいこも無くなります。同時に学校は私立中から公立中に転校させられました。転校先でいじめにもあったようです。当時の息子さんのうつろな表情の写真が何枚か…番組の意図的な選択の可能性がありますが…紹介されました。

 基本的に、子供は無条件に親を信じ、親の期待に応えようとする存在であること。
 子供は幼ければ幼いほど、(母)親のことで頭の中はほとんど占められているということ。
 これらはいろんなお子さんに会って、いつも実感することです。ほとんどの子供は親に褒められたくて頑張るんですね。
 
 その見方をすれば、思春期のその息子さんに起きたことは、親の期待に応えていたのに両親の離婚によってその目標が消えました。その上、転校により友達もいなくなり、さらにいじめにあいます。今まで立っていた大地が無くなった…子どもにとってはかなり過酷な状況です。

 子供は気持ちをうまく表現できない混沌の中にいることが多いのです。
 不登校の子供がよく親にあたりますが、自分の気持ちのもって行き場がなく自分の気持ちが整理できません。それで整理できない感情を、一番甘えられ、信頼できる親に暴言や暴力でぶつけます。

 このドキュメンタリーでは子供の時にフォローがあったのかどうかはわかりません。おそらく、母親に大変な事件が重なり、周囲には子供の状況を察する余裕が不幸にしてなかったのでしょう。あるいは、その母親の大変さに遠慮して子供も親に言えなかったのかもしれません。
 
 成人して、俳優を目指しますがうまくいきません。うまく行かないことを自分では受け止める力もありません。子供時代に使いきってしまったのかもしれないです。むしろ、子供時代の「信じ切っていた親に裏切られた意識」が初めて実感を伴ってきます。仕事がうまくいかない状況が続くと、怒りになり噴出し、初めて叫びます。「お前の(母親)のせいでこうなった」と。
 

 ドキュメンタリーでは母親自身も命の危険を感じることが多々あったと描かれてました。こうなると家族だけでの解決は不可能で危険です。お母さんが大女優なだけに事件を週刊誌は書きたて芸能ニュースにもなりました。そして、息子さんは若くして自ら命を絶ちました。

 女優さんの最期の言葉は「教育をやり直したい」でした。「自分の」してあげたいことはしたが、子供がして欲しいことはしなかったと。
 
 よその方のことを論評するのは簡単なことです。
 私はその女優さんのコメントが好きでした。その女優さんはとても大変な状況を何度も乗り越えられています。限られた時間でのドキュメンタリーですから描ききれなかった事実もあるでしょう。
 
 これは子供からの側面だけを見て感じたこです。

 持って行き場のなかった子供の感情がどうしても気になりました。

 
 
 

私と一緒に勉強したい方は

教科書を鵜呑みにするのはイヤだ

教え子とのある日の出来事

数学の教科書の解き方を拒否されて
勉強自体いやなのかなとちょっと心配したのだが、
じゃあ私が解くのを見ててと計算し始めたら、
自分のやり方で解きたいと計算を始めた。

確かに、教科書の解き方は簡単に答えをだせる。
でも、自分で考えるのはとてもいいことだ。

自ら考えようとしてくれるのは嬉しい。


また、そこには
規定のものに盲従したくない自我も見えた。
長いものに巻かれたくない…いいなあ…そういうの好きだ。

そのうえで、やはり規定の方法がいいと実感して
納得したらその方が身に付くだろう。
自分で判断することが大切。

結局
いろんなアプローチを試みて、自分なりのやり方を貫いた。
これは新しい方法だと自慢。

そーかなぁ、さすがに進化じゃなくて退化だと言ったが
こういうことをする子は好きなんだよねと。
自分で考えるのはいいことだと伝えた。

そこで、
こんな内容をツイッターで見たとメモを見せた。
(実は大分前に教え子に見せたくてメモしたもの)
  割り算を習う前の子が、
    40÷8は?
      子ども 5+5=10
           4+4=8  答え5

どういうつながりなのかな、割り算を知らないですごいねと。
自分なりに考えた答えは価値があるよねと。

答え合わせは
こういう解き方もあるよと教科書の方法もノートの余白に書き入れ説明しつつマル付けをした。
もし、使いたくなったら参考になるようにと、とりあえずのエクスキューズ。
教え子がそれを使うかどうかは自由だ。
もちろん、教え子の出した答えもプロセスは違うが…多分学校じゃ通用しない…答えは正解だから〇。


宿題は同様の設問を
解き方は好きにしていいよと出した。

自分で工夫したいという気持ちは大切だ。
簡単に大人に従うことは無い。
黙って従うことの方がラクだけど
あえて難しいことを選んだのだから尊重したい。

教え子は楽しそうだった。




私と一緒に勉強したい方は

脳の発達の仕方は人により違う…

 大人と子供の脳の違いについて、興味深い本を読みました。


怠け数学者の記 (岩波現代文庫)
小平 邦彦
岩波書店
2000-08-17


 随筆と対談の本です。著者の小平邦彦氏は数学者で、日本初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者だそうです。数学が得意な人でなくても楽しめる本です。(以下、引用は原文の各文末の敬体を常体にかえる等の変更はありますが、主旨は変えないよう留意しました。)
 
  こどもは小型の大人である。子供の能力は大人の能力を一様に縮小したものである
  これは間違ったとらえ方である。子どもは理屈抜きの記憶力がある。

物事には子どものときに習得しておかなければ大人になってからではどうしても覚えられないことと、大人になってからでも簡単に覚えられることがある。
子供の時に習得しないと大人では覚えられない教科とは…読み書きである。
小学校の基礎教科(日常生活に必要なもの)まず国語次に算数

子供の成長に合わせてまず基礎教科を徹底的に教え、他の教科は適齢に達してから教えるべきであるという基本は今も昔も変わらない。現在の初等・中等教育はこういう全教科を統制する基本方針が欠けているように見える。

ある教科をまだその適齢に達していない子どもに教えようとすると、教える内容はつまらないものになり、結局時間と労力の浪費になる。現行の小学校一年の理科や社会の教科書を見れば直ぐにわかる。

現在の小学校の一年から週2時間社会を教えているが、仮に昔のように社会を五年から週4時間教えるとすれば現在一年を教えている内容を教えるには二週間あれば十分であろう。

このように適齢に達してから教えれば簡単に教えられる内容をなぜ苦労して一年から教えなければならないのか理解できない。(略)そして五年になれば国語の実力がついてるから、一年からはじめるよりずっと能率よく教えられる。理科についても事情は同じだ。
 (注)この本が出版されたのは1986年です。理科と社会の小学校低学年の履修については、1992年に小学一、二年の科目から理科と社会はなくなりました。

 大人と子供の脳の違いの記述は興味深いですが…

 子供の脳の発達はすごいですね。
 小学一年生で、一年間かけても難しい内容が五年生になったら二週間あれば十分に学べてしまう。勉強は脳の発達に合わせて行うのは効率がよく、子供も学びを楽しめそうです。
 
 教育は成長の段階に合わせることが必要なんですね。

 また、何でも早ければいわけではない…。

 幼児教育についても脳科学者の澤口俊之氏は著書「発達障害の改善と予防」で発達障害を疑い、診断を受けに来た子供の中に、脳に問題はないのに、発達障害と同じ兆候を示す子供がいました。その子たちに共通していたのは澤口先生曰く「非科学的な幼児教育」をうけたことだと述べています。

 脳は複雑な器官です。
 大人と子供の違いはもとより、人によって違うと類推できます。
 ところが、そのような考え方は体系だってあまり聞いたことはありません。
 
 特に勉強に関してはできないと「努力が足りない」と一律に教える側は言う傾向があります。


 脳の発達に関しても個別に見る目があってもいいのでは。
 授業を一回聞いただけで覚える人がいます。
 繰り返すと覚えられる人がいます。
 何度聞いても受け付けない人もいます。
 それをモチベーションで克服する人もいます。でもそれだけでは済まないこともあるのでは?
 

 以前、ある英語の先生の体験を読みました。その方は中学から数学ができなくなり、高校でもまったくだめで、数学の入試がない大学に進学しました。その方は教職をとるためやむを得ず数学の勉強を再開したら、思いがけず簡単に理解できてびっくりしたそうです。これは、資格をとるというモチベーションもあったけど、数学の理解力も育ったのではおっしゃられていました。

 この方の場合は数学を理解できる脳が発達したのは大学生以降だったということでしょう。これは分野別でも物事を理解する脳の発達のスピードが人によって違うと捉えてもいいと思います。

 勉強の出来ない子に「やればできる」と言うのが普通です。

 しかし、このようなことも考えられるので一概に乱用はできません。
 
 また、今できなくても、できるときがくる可能性があるということでもあります。

 先の方も英語は得意でした。高校では数学の先生が担任でしたので「英語ができるのに…数学は出来ない…努力不足…」と対応され、居心地が悪かったそうです。残念ながらよくありがちな話です。でも、もしこの先生が分野別にも理解力が発達するパターンは個人によって違うと知っていたらその方への対応も違っていたのではと思います。

 やればできる、できないのはやらないからだと全員を判断するのは…危険です。

 いつかは分かりませんが、その子の中でスッとつながる時があります。そんな経験を持った先生もおられると思います。

 私もこんな経験があります。
 ある小4の子は、小数の桁とりが出来ませんでした。繰り返し学習しましたが一向に進展しません。出来ないと言うよりも受け付けない感じがしました。それで、その単元を離れました。その学年の終わり、学年のまとめにと再度その単元をやってみたら…時間がかかると想定していたら…あっけなく簡単にでき拍子抜けしました。それまでの間、一回も復習してません。これは脳の中ですっとつながる回路が出来たからと思えました。

 教える側は脳の発達の仕方は人によって違うことを認識すれば、子供に対する態度も謙虚になれると思います。
 総じて…あることが出来なくても少なくともそれはその人のごく一部に過ぎません。そう認識して子供たちに接することは大切です。

 
 
 
私と一緒に勉強したい方は

平方根・助詞の分別は必要?

平方根・助詞の分別は必要なの?
再び不要な知識(かもしれない)を学ぶことについて考えます。


勉強は通常の生活には使うと思えない、
実生活と無関係としか思えないことも学びます。

子供たちが「何でこれを勉強しなくちゃいけないか」と思うのは当然でしょう。

「『は・が・も…』助詞を見分けるなんて要らないと思います
「平方根なんて…ふだん見たことない
「因数分解?使うの?

「役に立たないのにやりたくない
「無駄なことを勉強したくない

私も中学生のときはそう思いました。
それでもおもしろいと思ったものは勉強しましたが…。

大人がよく言うのは
「義務教育は基本だから、知らないと将来、相手にされないよ」
「やらないと後で困るのは自分だよ」

私も子供の頃言われたかな。
大人たちがこう言うのもおそらく
自分自身、子供の頃そう言われたからではないでしょうか。


  子供は「今の不満」を言ってるのに、
  大人は「将来の不安」で応じる…なんだかね。
  話がかみ合わない。

大人のこれらの対応は子供をだまらせる効果はあります。

でも中には負けない子供もいます。
「後で困るのは自分で他の人は困らない。だからやらなくていいでしょう

ここまで言うとは、
素晴らしい!アッタマイイ。覚悟ができている…かどうかはワカリマセンが

初めての教え子に
「なんで勉強するの?」言われたのを思い出しました。
そのときは
「あなたが将来何になるか分からないから
いろんな知識を身に付けて自分の引き出しを増やしましょう。」
と言った覚えがあります。


でも、この場合は通用しないですね。
私もそう思うので、さっさと認めます。
「そうだね。役に立たないね」と。
因数分解は思考的には役に立つ事例を聞いて感心したことがあるのですが、
平方根など
ホントに普段の生活で使ったは覚えがありません。

でも、セオリー通りのことを言うのは嫌いです。

  やらないと「テストで困るよ」「将来困る」
  高校入試試験にでるよ。etc
   
  子供たちが求めている納得できる答えはそれではないと思います。


さて、私の反応にあきらめたのか
子供は黙って勉強を再開しましたが、
私はあきらめきれず
教科書の後ろのページをめくって、
「やらなくて済まないかな…ああ…また出てくるね」
子供は勉強の手を止めて「えっ?」
「ほら、終わりの方にまたあるよ」
子供も教科書をめくって「本当だ」

今、流してもいいけど…もし必要になったら、
自分ひとりで調べ学べるよすがになればと勉強を続けました。

後で、実際にどんな場面で使う知識か検索しました。
回答のなかには
「将来困る」「役に立たくても学ぶべきだ」
などもありましたが…

親切な回答もたくさんありました。
役に立った具体的経験です。

その子の興味に沿う内容を選んで
プリントしたものを後日、渡しました。
その中の
ある方の「知識はお金になります」の言葉は
ここだけ抜き出すとあまり感じよくないですが、
ご自身の仕事内容を詳しくのべた後の締めでしたので
説得力がありました。

あまりに現実的で子供と一緒に苦笑しました。

子供の求めている答えはこれではないかもしれません。
でもプリントは持ち帰ってくれたのでひとまずホッとしました。

おそらく子供も明快な答えは無いと分かっているかもしれません。

 



私と一緒に勉強したい方は

教師の説明を鵜呑みにしない子

 勉強をする上で、先生の説明をそのまま受け入れる子供は「勉強ができる」と評価されます。
 反面それに納得しない子は「勉強ができない」と判断されがちです。しかし、納得しないということは自分の頭で考えようとしてるわけです。

 このことについて、とてもよいエッセイを読みました。
 「まにまに」は西加奈子さんの6年分の短いエッセイの集まりです。
まにまに
西 加奈子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-09-11





  その中の一篇、「そこから」 はわずか2頁ですが、とても心に響きました。

 筆者が中学3年のときの話です。
 小学5,6年と一緒だったS君と、中学3年で久しぶりに同じクラスになりました。
かわいらしい少年だったS君はちょっと目つきが悪くなってました。
 ある日、そのS君に筆者は数学の問題の解き方を聞かれます。
「三角形があり、60度、70度とある。残りの角がxととなってそのxを求めよ」というような問題でした。 
すぐに解き方を教えますが、S君は「なんでなん?」と聞き返します。何度も説明しますがS君は納得しません。何度も問われるうちに少し怖くなります。
 それでも「だから、三角形の内角の和が180度やから」と繰り返すと、
S君は、「だから、なんで180度なん?」
 そこで筆者は初めて気づきます。「三角形の内角の和が180度である」という、そこから疑問を持っていると。それで自分が猛烈に恥ずかしくなりました。

 S君は数学の教師には勉強が出来ないと認識され、問題児扱いを受けていました。
 でも筆者は「全然違った。それどころか、とても聡明でまっすぐな人だった。」と感じます。

 「そういうものだから」という認識を合理的に理解できないひともいる。
 S君のように「そこ」から疑問を持つのは苦しいだろうが、「そういうものだから」をすぐに受け止める自分からすれば、S君はとてもとても眩しいと。
 大人になってから…
 筆者は何かを「そういうものだ」と諦めた時、S君の「なんで?」が聞こえると感じます。 
 (こういう感性を持つ作家さんは好きです。)

 教師側からすれば…
 「そういうものだから」とそのまま受け入れられる方がラクです。
 でも、それでいいのでしょうか?
「受け入れられない子供も受け容れる」大きさを持ちたいです。
 納得しない子供に大人は理路整然と説明できます。でも説き伏せるようなことにはしたくないです。論理で大人は子供に勝つのは簡単です。それよりも言われたことに納得した「ふりをしない」子の勇気とその感性をほめたい。
 一緒に考えたり、悩んだり、憤慨して「最初に言い出した人(学者)にタイムマシンに乗って文句を言いに行こう」と盛り上がったりして…疑問をもったことを否定しない。

 以前、友人からこんな話を聞きました。高校生のとき、数学の先生が同じ大きさの球体はどんな多面体よりも表面積が大きいと説明しました。ところが友人の級友は納得しなかったそうです。とうとう球体よりも表面積の大きい多面体の模型を自分で作ったそうです。

 言うことを真に受けない子は頼もしい…と、感じられる教師でありたいです。

 鵜呑みにしないといえば…
 地動説を唱えたことで有名なイタリアのガリレイ・ガリレオのピザの斜塔のエピソードを聞いたことありませんか。
 彼が生きた時代は、先哲アリストテレスの説が最も権威がありました。
  アリストテレスの「物体の落下速度説」とは
  「大きな石は小さな石よりも速く落下する」ですが、2000年も固く誰も疑いませんでした。

 ガリレオは「自分の目で確かめたい」と実験しました。ピサの斜塔から二つの物体を同時に落下させ、「物体は重さに関わりなく同じ速さで落下する」と証明しました。今なら当たり前ですが、覆すのは大変だったと思います。ガリレオは他にも迫害をうけてます。もしガリレオが長いものにまかれる人だったら…現代の科学の発展は大幅に遅れたかもしれません。

 子供達に言われることを鵜呑みにさせ続けたら、
 自分の頭で考える力の芽を摘みます。
 


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不登校…何で役に立たない勉強をするんだ

「何で役に立たないことを勉強しなくちゃいけないんだ。」
そんな言葉が教え子の口から飛び出すことがあります。

不登校からやっと立ち上がり勉強したいと、私のところに来てくれました。
始めは慣れるまでゆっくりと…様子を見ながら徐々に課題を増やします。

それでも、出された課題を毎回こなすことは…
一人の勉強は孤独な作業です。


始めは頑張れても、嫌になるときだってあるし、辛くなったりすることもあるでしょう。そのうち無意味に思えて、
「何で、自分の生活に必要と思えない英語や数学などの勉強をしなきゃいけないんだろう」と
「日本から出なければ、英語は要らないし、因数分解って何に使うの、文字式って現実には使わないじゃん…」
そのとおりです。
意味を見いだせないで、自分で自分を机に向かわせるのはつらいです。


そこで、「勉強しないと…あとで困るよ」ということばは
一見、筋が通るように見えますが、これは脅しです。
不安を煽り、追い込むだけです。
じゃあどうしたらいいのか。理想と現実のはざまで悩みます。

私が不登校だったとき、大学受験資格検定を通りました。
それを聞いた母の第一声は「これで中卒でなくなった」でした。
(中卒が悪いわけではありません。私の場合は自立できてなかったので)
その時の母の表情は喜びではなく「安堵」でした。

母のことばに同調できる親御さんも多いと思いますが、
子どもとしては結構、傷つきました。
母は子どもよりも、「世間体」を気にするように見えました。
その時の母の表情も口調も今でも思い出せます。
楽しい思い出ではありません。
同情的に見れば、おそらく母は子供の将来が不安でいっぱいだったのでしょう。

そして、残念ながら
母の言うことは現実に正しくもありました。(でも嫌だったなあ)
大検を経て進学しなかったら、
親御さんに今のように家庭教師は任せてもらえないかもしれません。

さて、「無駄な勉強だ」とぶつけてくる子にどう応えたらよいのでしょう。
「学歴がないと後で困る」とか、「自分のためだ」とか…
そんなこと子ども自身が一番よく知っており、周囲の誰かに必ず言われてます。
それも一度や二度ではありません。
言う方は良かれと思ってるのでしょうが、子どもたちを追い詰めるだけです。
先述のように脅しの要素はぬぐえません。

不登校の子とは限りませんが
子ども達は自分は将来どうなるか、どうするか見えない不安の中に今います。
更に、不登校の子は常にこの不安に苛まれ続けています。ツライ。

不満をぶつけてくる子は、実は「不安」をぶつけてるのです。

まだ将来がどうするかもどうしたいかもわからないのだから…
可能性を広げるためのひとつの手段としていっしょに勉強しよう…。
それも言えないときで自分の子供時代を思い出して一緒にべそをかいたことも(苦笑)

それが精いっぱいでした。…これで良かったのかわかりません。

大人は理屈では子どもに必ず勝てます。

  折角不安を訴えてくれたのに、理屈でおさえつけては何にもならない。
  それは単にだまらせるだけです。

安心させ、勇気づけるマインドを発するようしたい。

こう言うと良いなどのようなマニュアルはありません。


 

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「友達100人」も要らない

 ♪一年生になったら 一年生になったら、友達百人できるかな♪…

 新一年生が歌うと無邪気で可愛いです。

 友達が多くない私には縁遠い歌です…絵空事かなと思ってました。

 ところが…この歌を気楽に聞き流せない子供達もいるようです。
  
  この歌には友達がたくさんできるのは「良いこと」と暗黙の了解があります。
 だから友達ができないのは「悪いこと」と意識させる圧力がかくれています。
 学校では”クラス全員と仲よくしなければ”という目でクラスメートを見るようになり、(どう考えても不可能!)できないから、教室で自分がひとりぼっちのような寂しさを感じ、それでも頑張ろうとして気を遣い疲れてしまう。やがて学校へ行くのが苦痛になり、不登校へというケースがあるそうです。
   (参照 小栗正幸著「発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ」)



 「友達が多いのは良いこと」が、子供を追い詰めます。
 この歌に悪気はないし、可愛い。でも手放しで賛同するには違和感があります…。
 みんなが賛成することに異をとなえるのは小さなことでも勇気がいります。この歌が好きな人にはごめんなさい。
 

 私が、子供の頃、身近に中・高校時代とても友達が多い人がいました。彼の家にはいれかわり立ち代わり毎日のように友達が遊びに来ました。晩御飯を食べていく友達も多くてとてもにぎやかでした。当時、彼は社交的でかっこよく見えました。ところが…社会人になって、私が数少ない友達と悩みを話し励まし合い、連絡をとりあっているのを知って、「そういう人がいていいな」とうらやましいがっていたと彼の奥さんからきかされたことがあります。彼は、いざとういとき相談できる人がいなかったようです。

 「友達がたくさんいるということは一人もいないのと同じ」これは誰の言葉でしたっけ。ある面あたってますね。

 友達は少なくてじゅうぶん。その友達の顔を思い浮かべるだけで心が温かくなり、頑張ろうと思える人が一人でもいれば幸せです。


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教育の目標 生きる力

教育の目標  よい内容でしたので覚書として載せます。

学問を知り、学ぶことで、子供自身が、自分の力で、自分らしく、自他共の幸福をつかむこと。

昭和初期(戦前 )の教育界「教育とは国家を支え、強くするため」ものだった。

児童中心の教育への転換

親はついつい、自分が正しいと思う生き方や考え方を押し付けてしまう。
しかし、それでは子供が幸福を自分でつかみとる力を得られない。

大切なのは…
ものの見方や考え方を身につけてさまざまな場面で応用ができるようにさせること。 

自分で知識を得る喜びを味わえるようにするためには、あえて大人から答えを出さずに、選択や決断をなるべく子供自身に任せていくこと。

また、
多くの人の幸せのために生きる喜びを大人が子供に教えることが、大きなカギを握っている。


他者のために行動を起こすとき、脳は、高度に活発に働く。


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元々あるものに気付こう!

何をやっても続かない。
高校をやめた後、
「何かをしないと」と、いろんな語学に手を出しました。
でも、その国に行きたいとか、その国の小説を原典で読みたいとかいうモチベーションは全くなく、たまたま語学は学校が多いので、手っ取り早く始められるから飛びついただけでした。

結局、長続きしませんでした。
いろんなことをやってはやめの繰り返し。

ところで、
PRプロデューサー 殿村美樹さんの話をテレビで見ました。
そのお話は大切なことを示唆していました。

殿村さんのヒット作として特に有名なのは、
彦根のゆるキャラ「ひこにゃん」。香川の「うどん県」。

地域活性化と「ご当地もの」を作って盛り上がっても、ブームが去ったら
おしまいになることが多いそうです。

ところが、
彼女のプロデュースしたものは彼女らプロのスタッフがいなくなった今も健在です。
なぜでしょうか。
それは、徹底的なその土地のリサーチです。
彼女らスタッフは時間をかけその土地の産物やお店などをまわります。
土地の人が当たり前と思っているもの、元々あるもので魅力的なものを見つけ出します。
そして、それを中心にすえます。
もともとあるものだから彼女らスタッフがいなくなってもずっと続けられます。

もともとあるものを見つけ出す。 
これは教育に関しても相通じるものがあると思いました。

あの頃の私も、恰好をつけて自分を振り返らず手近なものに飛びついていました。

何かはしないと自分が見えてこないから、何もしないよりはましですが。
でも、もっと、自分自身とじっくり対話するような面も必要だったと思います。 
今のこの仕事が長続きしているのはもともと自分の中に学習好きな習性があるからのようです。
もともとあるものに気づくー子供達の中のそれに気づけるような静かな眼も持ちたいです。



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危険ハーブと自尊感情

ss  昨今また、危険ハーブによる痛ましい事件が起きました。
  テレビのコメントはどうしてもあたりさわりのない内容にならざるおえないのでしょう。きいてもあまり印象にありません。
  しかし以前ひとつだけ心に残るものがありました。それは、ハーブにはまる人達に共通することは皆、「自尊感情が低い」というコメントでした。
  内閣府の統計「H25年度我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると日本は調査7か国の中で自己評価の高い人の割合は際立って低いとあります。自分の感触でも以前から自尊感情の低い子は多いのではと思うことがありました。勉強出来る出来ないは関係ありません。
   自尊感情が低いとは、自分が価値のない人間だと思うことです。それがこうじると自分と向き合い挑戦する気持ちをなえさせます。一時でも自分から逃げられる誘惑にはこわいものを感じます。だから危険なハーブを使っていいという良い訳にはできませんが。
 ところで非行化した少年たちも自尊感情を育てるとつきものが落ちたように非行がやむそうです。
 キーワードは自尊感情の欠落です。
 一番大切な教育は子供達の自尊感情を育てることにあります。







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励ます時、したいこと

  これは身内を亡くした人にたいするものですが、その専門医のアドバイスは人への接し方の基本とも思えました。
  以下その内容
本人の励みにつながる励ます側の態度とは…
〇してはいけないこと…
   「助言ばかり」 
   「回復を鼓舞する」 
   「すぐ『分かる』という」
〇したいこと…
   「同じ境遇の人が集まる」
   「本人が話す機会を作る」 
   「そばに居る」
  これは子供たちに接するときも、参考になります。
  特に「本人が話す機会を作る」が大切です。大人は子供に何かを相談されると、ついアドバイスをしなければならないと思いがちです。でも、自分自身を振り返ると、本当に相談して良かったと思える人は話をさえぎらず最後までじっくり聞いてくれる人です。
 これは意外に難しいです。
 自戒もこめて。  




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進学先への報告書…先入観を与えない工夫

教え子の学校への報告書、
進学先から提出するように言われたそうです。
先生がその子の特徴を予め知っておけば
スムーズに授業ができます。

私は学習面を
依頼されました。
ワードからPDFに変換すると
入力間違いが見つけやすくなり助かります。
そして…
見直す度に言い回がきつくないかと心配になり、表現を何度も変えました。

特に苦慮したのは
不得手なことの伝え方です。
得意なことばかり書いたら、ラクですけど役に立ちませんし。


でも無造作に「出来ない」と書いたら、
新任の先生に先入観を与えてしまい、
その先生が「出来ないんだ、じゃあやめた方がいいかな」なんて
思ってしまうかもしれません。

それに
誰だって、出来ないことばかり書かれたら傷つきますよね。
そんなの読んだら親御さんだって悲しくなります。教え子も傷つきます。

その子は新しい解法等が心にストンと落ちるまでの期間が必要です。
繰り返し練習しても受けつけないので、やめて次の内容へととばしたことがあります。
すると数か月後に久しぶりに挑戦すると簡単にできる…なんてことがありました。

報告書の不得手なことの後ろにその具体的な事例を加えました。

今、出来ないからとダメだと決めつけられないと。

…さて、その報告書を親御さんに送信しました。

数時間後
何度も読みましたと感慨のこもった
温かい返信がきました。
ほっとしました。

諦めないことの大切さを私もこの子から何度も学ばせてもらいました。

新年度もガンバロ。




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基礎にもどらなくてもいいときも…

中学の数学が出来ない場合はどうしたらいいか。
 
 それが文字式だったら、小学生レベルに戻る必要はないです。
 数に文字が加わるだけで、計算自体は小学生と変わらないからです。
 
 文字式ができないのは…
 「文字で計算する」という概念がのみこめないからだとも考えられます。
 私も初めて文字式を習ったとき…
 文字と文字を計算することがなかなかピンときませんでした。
 だってAとAを足したら2Aなんてすぐに理解できたでしょうか。
 最近も「なんで文字が足せるの?」教え子からこんな言葉をききました。
 まっとうな疑問ですよね。
 多くの子が出来たのは納得しなくても、「言われるままに作業」をしたからに過ぎません。
 いやな表現ですが「余計な」質問をしない方が無難ですし。
 
 そこでつまづいた子に
 単に「できない」からと機械的に小学生レベルに戻されたら…
 「自分は出来ない子だ」とその子のプライドを傷つけてしまいかねません。
 これは避けたいことです。

 また、新しい概念を受け付けるまで時間を要する子供達もいます。
 その子たちは同じことを何回も聞きます。それは「記憶が点と点」だからです。
 教える側はその点と点がつながり面になるまで待つことが必要です。
 たとえ、その子が計算が得意であっても
 小学校では「計算は数字でするもの」と習っていたのですから文字式は今までとは約束が違います。
 これは考え方を変える「軌道修正」ですね。これがその子たちには難しい。

 そんな子たちが一桁の簡単な文字式でも出来ないのは不思議ではありません。
 文字式自体を受け付けないのですから…
 困って答えに関係ない数字と文字を書くこともあります。
 このあたりは見極めは難しいのでしょうか。
 その根拠のない答えを見て、計算ができないと誤解して
 小学校の計算の宿題をドット出す先生もいます。
 数字だけの計算が得意な子は嬉々としてやりましたが…う~ん、時間のムダ…
 
 文字式ができない場合は基礎に戻った方がいいかどうかは確かめたいですね。
 

 

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苦手科目好きになったよ

塾の講師をしていた頃の話です。

ゴールデンウィークも過ぎた頃でした。
塾を「卒業」し、高校進学した
子供たちが数人
久しぶりに塾に遊びにきました。

陸上部で中の良い男子グループです。

それぞれ別々の高校へ進学してました。
色んな種類の真新しい制服を皆着ています。
子供たち同士も会うのもたのしそうでした。
職員室で、それぞれの近況の話で盛り上がっていました。
その様子を傍らで私も嬉しく、眺めていました。

すると中の一人の子が

私に
「先生」

話しかけてきました。

「先生のおかげで国語を好きになったよ」

ちょっとびっくりましした。
彼は数学が得意で、国語はそれほどではありませんでした。
他の先生が「彼は数学はできるが、国語は苦手だ…」と言うのを聞いてます。

私はそんな彼の国語を担当しました。
彼の国語の成績はあまり伸びませんでした。

だから、彼の思わぬ言葉にびっくりしました。
「どうして。役に立ってあげられなかたのに…」と。
すると彼は
「だって、先生は僕のことをあきらめなかったじゃない」

この彼の言葉に
何が大切かを改めて教えてもらいました。

この仕事をしていていろんな失敗もあります。
もう少し何かできたのではと落ち込むこともあります。

そしてこの出来事を思い出して自分をはげまします。
彼のこの言葉に仕事の大切な根っこをつくってもらったと思います。







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カリキュラムは最大公約数「発達の速度は違う」

人はその人のスピードで発達します。

早い人もいればゆっくりな人もいます。

学校のカリキュラムは
この学年は具象概念を中心に履修しようとか、
抽象概念の勉強はまだ早いとか。
子供の発達にそって組んでいるかと思います。

余談ですが、
以前、幼児教育会社の説明会で「蟻」とうい漢字は幼稚園児もよく覚えると聞いたことがあります。
つまり、身近に蟻がいれば、実体(具象)と文字(抽象)がむすびついて難しい漢字も覚えるというわけですね。もしかしたら「蟻」は覚えるけど、「義」は意味が抽象的で幼児は覚えないかもしれません。


話を戻します。そのカリキュラムに対して
修得の早い人もいるし、ちょうど良い人もいるし、ゆっくりな人もいます。
当然ですね。
人間は工業製品ではないのですから。
ところが、早いと褒められ、ゆっくりだと「心配ですね」ということになります。

カリキュラムを厳守すれば、
早い人は分かりきっていることを繰り返され
授業がつまらないでしょう。苦痛になる子もいるかも。

以前、IQの高い友人がいました。
彼は小学校4年生のとき、自分の画を先生に直され、
日本の学校教育はダメだと実感したそうです。
自発的に中学受験をして合格したそうです。勉強も好きだったのですね。
ところが、高校はほとんどいかなくて
久しぶりに教室へ行ったら机がなかったと。
近くの席の子に手伝ってもらい机を運びこんだそうです。
その子と仲よくなったと楽しそうに言ってました。
彼は突出してたので
変わってると言われ続け、社会に出てからも
地球人じゃない…とうとう宇宙人にされました。
いろいろなことで、日本に絶望して真剣に海外に移住することも考えたと言ってました。


ゆっくりな子もつらいです。
「出来ない、出来ない」と言われます。
周囲の人は「自分は一回しか言ってない」と思っても、
結局あらゆる人からそう言われることになります。
すごい暗示になります。
自分には生きる価値が無いと思い込んでしまうことになります…二次障害です。
生き方そのものを負の方へ変えてしまいかねません。
自分の存在を否定されることと闘うため
反社会になったり(非行)、自分を社会から隔絶したり(引きこもり)。
いろいろあります。

修得の早い子の飛び級を認めないのも、
ゆっくりな子を他と比べて『善意で』御心配ですねと言うのも
無邪気で悪気がない分、根が深いです。
(「違いを認めない」参考)

学校カリキュラムは最大公約数です。
管理する側は便利です。
でも突出した子を切り捨てかねません。
そのことを感じられてる方は多く、
カリキュラムの扱いに苦慮されてると思います。


 

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到達点はない…井村コーチと広上淳一氏の対談から

録画をしてあった、広上淳一氏(京都交響楽団常任指揮者)と井村雅代氏(シンクロナイズドスイミングコーチ)の対談を遅ればせながら見ました。この二人の組み合わせは広上氏が希望したそうです。感銘したことを覚書も含めてまとめました。

対談のテーマは教育。

井村コーチのポリシーは
①悪いところを指摘し、叱る。
②どうすれば直るか具体的に教える。
③直ったか確認する。

 決して叱り放しにしません。良くなるまでしつこく繰り返し教えるそうです。

失敗したことを考えるより、成功するためにどうするかを考える。

自分自身も考えすぎない。
トレーニングの後、帰りの車中ではシンクロのことを忘れ、疲れないようにする。
御自身はそのような「排除能力」に優れているそうです。
考え込みそうになると「堂々巡りだ」とパッと止めるそうです。

一番怖いのは…
同じことをすること。
「そこそこ」教えられるがそれは足踏みをすること。
毎日チャレンジしたい。
達成感を得られる場所へ選手を連れてってやりたい。

テレビのニュースなどでは選手を叱咤する場面がほとんどです。
しかし、それだけでは選手があんなについてくるわけはありません。
まして、井村監督は言葉の通じない中国の選手も育てあげたのですから。
ところで…
中国の監督に就任した時は裏切り者扱いをされました。しかしその目的はやっと認められた日本のシンクロの美的感覚を一過性でなく世界スタンダードにするために海外(中国)に出たそうです。未来を見据えての行動でした。

広上淳一氏は
NHKの紹介では「のだめカンタービレ」で飛び跳ねてタクトをふる小柄な指揮者、片平元が登場しましたが、そのモデルではないかとのことです。ちなみにそのドラマでは石井正則さんが演じました。広上氏は最近は、あまり飛び跳ねなくなったそうですが。

広上氏も若手に教えています。
心がけていることは、
①その場でほめる。
②失敗も大事。経験により、失敗しても慌てなくなり、次はどうするか考えられるようになる。
  

子供の頃は転校が多く、転校先によって同じ自分なのに人気者になったり、いじめの対象になったりしました。
そこで学んだのは自分の意思をまげてまで相手に媚びる必要はないということでした。


広上氏は日本の教育の失敗は
「ここまで行けば後はラクになる」と教えたことだと言います。
本来はそこから開拓するのだと。

…到達点はないということですね。

また、遠回りは悪いことではない。
でも、しなくてもすむように教えてあげたいと。






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出来ることを見つける

随分、前のことですが。

知人に5歳くらいの男の子がいました。
その子は
当時はまだ発音がしっかりしてませんでした。

男の子ならではなのか、女の人が好きで、
男の人にはあまり興味を示しませんでした。

ところがある日
お父さんの友達で学習塾の先生が遊びにきました。
男の先生です。
男の子は絵本をもって嬉々として玄関にとんできました。

後でお母さんにきいたら…、
その先生は以前来た時、
男の子の様子を見て
サ行の発音は苦手だけどカ行の発音ができていると気付きました。
それで、その子にカ行で答えられる質問をたくさんしたそうです。

よほど楽しかったのでしょうね。

得意なことで遊んであげるっていいですね。
その影響もあったのか、男の子は読書好きになりました。


 

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