不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

ちょっと硬いこと

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

「この世界の片隅に」 戦争映画の変遷

久しぶりに映画館へ行きました。
 普通の日常を描く。冒頭はファンタジーのような導入で引き込まれました。しかし、内容は甘くなく
戦争が始まって嫌がることなく、受け容れる庶民の生活が描かれている…ヒロインすずもその一人です。戦争が日常化していく過程を淡々と描いている。

 戦争ってこんなに簡単に私たちの生活に入り込むものだと思いました。

 だから私たちも油断してはならない…。戦争は始まったら止められない。

 私たちの普通の生活と戦争は地続きなのです。

 ヒロインすずは私の母とほぼ同じです。
 母は結婚してすぐ父の仕事で中国の北京に行きました。父は現地召集です。父は中国を行軍し落伍…母と日本に戻りました。
 母からはアメリカと開戦した途端にガスが止まったことや、ソ連(現・ロシア)が不可侵条約をやぶって日本に入ってきたときは本当に怖かったと…何度も聞かされました。直接聞いた戦争の話はその程度です。確かに、現在も日本が戦争になったら…資源の無い国です、簡単に枯渇しますね…。
 戦争映画は「愛する人を守るために死ぬ」などの犠牲的ヒーローを描くなど…見たあとその美しさに酔ってしまうようなものが多々あります。
 一見「反戦」ですが実は違います。…反戦と論点がずれてるのに気付かない。
 テレビもそんな映画をもてはやします。最近は、戦争の悲惨さを真っ向から描いた映画の企画自体が通らなくなったそうです。
 予算ではなく、内容ではねられると。
 例えば映画「野火」です。内容は軍部の無謀な作戦…少ない兵站(食糧)でジャングルを行軍させます。食糧は尽き、飢餓に苦しむ兵隊を描いた小説です。死んだ仲間の肉を食べるショッキングなエピソードもあります。それで頭がおかしくなった兵隊も。(私は中三で原作を読みましたが忘れられない小説です。)監督の方はこのような映画の企画が以前よりも通らなくなり、このままでは作れないと危機感を感じたそうです。この話をしたのはが出演した映画「沈黙」での舞台挨拶でした。余談ですが「沈黙」がマーチン・スコセッシ監督でなかったら彼の談話をマスコミは取り上げなかったと思いました。

 「この世界の片隅に」は戦争を庶民にとってどんな存在だったかを等身大に描いた実に稀な映画だと思います。この映画も実現が難しかったのではと…。クラウドファンディングの応援があったからこそ実現したのですね。今こそこういう映画を見たい。
 
 ここからは「この世界の片隅に」にから少し離れます。ヒロインすずの年齢(プログラムだと1926年生まれとの思ったのですが、…原作では千人針のところで自分の干支を丑だとのこと1925年生まれに訂正します。)を重ねて私の印象にのこっている戦争を扱った映画の描かれ方の変遷を見たいと思います。(選んだ3本の映画は私の見た狭い範囲で、独断と偏見のそしりを免れませんが…悪しからずお願いします)

 そうすると、映画「この世界の片隅に」の価値が更にわかります。

 戦争の描き方はずいぶん変わりました。

一本目…「ヨーク軍曹」(1941年)アメリカ映画 ゲーリー・クーパー主演 すず16歳
 母は主演俳優の大ファンで「好きな俳優は?」と聞くと「ゲーリー・クーパー!」とよく即答しました。ハンサムだけど、陰のある俳優です。母の好きな映画でした。ストーリーは母から聞かされました。私はテレビで見ました。すずも夢中になったかもしれません。

実在の人物の伝記映画です。
主役のヨーク青年は鉄砲の腕前が抜群です。
猟に行っては鳥の鳴き真似をして、鳥を振り向かせ、いとも簡単に仕留めます。

やがて、戦争がはじまり、彼も徴兵されますが、始めは戦争に批判的でした。
ところが、仲間が殺されたとき、燃え、銃を握ります。
敵兵を見つけ、鳥の鳴き真似をして振り向かせ続けざまに仕留めます。
そのとき、彼は一言「なんだ鳥と同じだ」と。それが、ユーモラスに描かれてました。

そしてなんと一人で何百人の敵兵を捕虜にする大活躍をします。
英雄となり、ビルの谷間にテープが舞う華やかな凱旋パレードをする映画でした。

 痛快で楽しい映画。1941年なら戦争真っ最中。プロパガンダかも。

 二本目は、時代はかなり下ります。このころは反戦映画がふえます。でもどこかあまい。
「遠すぎた橋」(1977年) イギリス・アメリカ合作 すず52歳。ロバート・レッドフォードなどの当時の大スターを何人も使い、超大作映画です。

 
 第二次世界大戦で勝利した、連合軍の成功した大作戦の映画は多かったのですが…これは、失敗した大作戦の映画です。
 テーマは「戦争は多大な無駄遣いである」でした。
 確かに、敵地に先に上陸した兵士に必要な食料などの物資をパラシュートで大量に落すのですが、ことごとく敵方に落ちてしまいます。やっと命からがら手に入れた物資の包みをあけたら…連合軍のおそろいのえんじ色の大量のベレー帽が出てきて…がっかりする兵士の顔々々々。
 ヒーローが出てきます。瀕死の戦友を助けてジープをアクロバティックに運転する軍曹(アンソニー・ホプキンズ)とか、端正な顔のドイツの将軍(マクシミリアン・シェル)の登場とか、どちらもかっこよく印象的です。ロバート・レッドフォードも敵軍に爆弾を仕掛けられた橋をそうとは知らず渡り、観客をはらはらさせるのですが、不発で無事。レッドフォードはその橋の上でかっこよくたたずむ。
 
 豪華な俳優陣と、莫大な費用をかけた戦争映画。いちおう反戦らしいですが、戦争を心底嫌だと思えず、テーマもとってつけたようにしか残りませんでした。

 三本目は、「小さいおうち」(2014年)日本 松たか子主演 すず89歳 
 日常の背景に戦争がある映画です。
 ヒロインの不倫が描かれていますが、戦争があるのを当然のようにしている人たちの日常が描かれています。

 人間って戦争にこんなに鈍感になり、受け入れてしまうのだと。
 ヒロインは「あら、戦争になったの いやあね」そんな程度の感覚です。

 もし戦争になったら自分も身近に感じず受け入れてしまうのではないか。
 ヒロインが特に鈍感なのではありません。そこに戦争の怖さを感じました。
 戦争体験者の話の中に戦争が始まったらもう遅い、戦争の芽が少しでも見えたら反対しなければならないとあったのを思いだします。

 ところで、私が初めて戦争が怖いと思ったのは、1970年代にテレビ放映されたベトナム戦争のドキュメンタリーでした。それは戦場で闘う場面はなく、その背景。戦場に兵士を送りだす家族の映像でした。
 特に覚えているのは戦場から一時戻ってきた息子と家族が食事を一緒にしている映像です。ベトナム戦争は20年くらい続きました。もう彼らにとっては戦争は「普通」です。
 東屋で、6人くらいのベトナム人の家族が木のテーブルを囲んで椅子にこしかけ簡素な食事を黙々としています。
 それだけです。

 息子は「また戦場に戻る」とナレーションがあります。母親も他の家族も感情をださず、食べているだけ。延々と続く戦争。嘆くこともしなくなった、受け入れるだけ。食事をしているだけの映像ですが、戦争は異常なもののはずなのに、こんなにも「日常」になるんだと思いました。そこに人間の感覚の怖さがありました。

 冒頭の映画「この世界の片隅に」も同じです。戦争はいつのまにか日常になり、日常を壊す。壊されても生きていく…それを見ている私たちに実感させてくれる。嫌だと思うひまもなく、日常を浸食するのが戦争である。声高に主張しないけど、戦争の事実をきちんと再現している。この映画は秀逸だと思いました。こんな映画を待ってました。

 追記:原作漫画を読みました。原作と映像作品は別物と思って楽しむ…私は基本的にそう割り切るようにしてます。
 ところが、映像に原作のよさがちゃんと生かされています。原作を過不足なくアニメ化できるとは。すごいと思いました。もちろん上映時間の関係でエピソードを減らさざる負えないのですが。でもそれで、後から初めて原作を読む私のような者は、知らないエピソードを新たに知ることができるのもうれしいです。







 



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逆効果?トラウマ治療法

 トラウマの原因を思い出させる治療法があります。以前盛んにテレビでも、女優さんを使って放送されました。
 それは、トラウマに関する記憶は意識、無意識に消す、あるいは消そうとしているのが通常である。そのトラウマが無意識下で自分に問題を起こしている。だから、それを思い出し吐露することで正常の意識になれるという治療法でした。

 ところが、その治療法は、アメリカではとうに廃れた考え方だとこの本で初めて知りました。



 この本によると、その経緯は…

 1990年代、アメリカの精神科医学界にトラウマブームが起きました。ところが、医者から虐待が実際に無くても「あったという前提」で治療を受けていくうちに患者は「親に虐待を受けた」と思い込んでしまう、偽りの記憶が表れると心理学者リチャード・オフシーが告発しました。患者が親を訴えたり、訴えられた親が精神科医を訴える等の問題が起きるようになりました。

 さらに1997年に記憶研究者のエリザベス・ロフタスはトラウマ記憶を呼び起こす治療法が逆効果であると突き止めたそうです。むしろ、患者は悪化し、離婚、入院治療が必要になる、自殺、自傷行為を試みる人が大幅に増えたそうです。要はデメリットしかないと。

 この本では過去は肯定的にとらえた方が心の問題が解決につながっていくという考え方も紹介されています。 親に恨みを持っている人でも大抵何かしらいい記憶があるもので、自分は家族に愛されていたと気づけると。愛されていたならば、「私には生きる価値があった」と自己肯定感が増します。

 私自身も、悪いことを思い出すと追体験してしまい…体までも痛くなります。トラウマに関わるのは専門家に誘導してもらわないと危険かもと控えたのですが、この本によれば専門家でも逆効果だったわけです。それに、たまにですが、良かったことも思い出します。すると、確かに体がラクになります。悪いことは「言いたい」のに「言うな」と「抑えつける」のはいいとは思えません。しかし、無理に思い出す必要はありません。良いことを思い出した方が、たしかに元気になります。

 ところで、こんな話を聞いたことはありませんか。
 父親にさんざん困らされた母親が、父親が亡くなった後、いい思い出しか言わなくなる。子どもたちは「あんなにお父さんの悪口を言ってたのに…」とあきれる話です。それは、夫婦だからとか、単純に忘れたのではなく、終わったことを美化してしまうのは、これからを楽しく生きるための自然な防衛本能かもしれません。
 
 この本の他の章は賛否両論ありますが、この精神科関連の章は大変興味深かったです。

 悪いことは「わざわざ」思い出さなくていいと思います。


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他と違う・変わっているって悪い?

「他の子と違うからかわいそう」
こんな言葉が悪気なく言うのをよく聞きました。

キーワードは「同じは良いこと」
違いを受け付けない…。
私たちは「他の人と同じが良い」と飼いならされてます。
だから違うのは悪いことではないと感じる前にその芽をつまれてます。

金子みすずさんの詩の中に
「みんな違って、みんないい」というフレーズがあったと思いますが、
これにいたく感動したら、
アメリカの人に「なんで?」と不思議がられたそうです。
アメリカでは当たり前のことなんですね。


差別はアメリカもいろいろあります。
でも、アメリカは問題が表面化するから健全です。
表面化するのは「おかしい」と思う人がちゃんといるからです。

ところが日本は差別があっても「なかったこと」にしちゃう。
「おかしい」と思う前につぶされます。
あるいは「言わない方がいい」と自粛する。
そしてもめ事をさける。

この方が怖いです。

認識しないから自省もできません。


アメリカの差別の事件を聞くと
「アメリカは大変。日本はそんなことない」とほっとします。
私も子供の頃はそうでした。

テレビ「痛快!林先生の生き様大辞典」(2015/02/17放送)で
林修先生が大リーグのダルビッシュ有さんへの子供のころの日本の差別についてふれたとき、パネラーの人たちが「(今の日本は)そんなことない」と安心するかのように言いました。それに対して林先生はそうじゃないと「日本の差別は執念深い」と、とても深い表現しました。

以前、こんな記事を読んだことがあります。
あるインドの人が日本人が突出した人を差別するのを見て
「カースト制よりもひどい」と言ったと。

子供の頃、歴史でカースト制を習ったとき、
日本はそんな制度がなくて良い国だと無邪気に思いました。
だからその記事が意外でとても印象に残りました。

それに、カースト制にはこんな面があります。
カーストの最高位バラモンは最下層の人でもなれると。
スードラ(奴隷)出身の大臣もいました。
カースト制は思ったよりずっと風通しがいいようです。

日本の差別の基準は…
「目立つ」「突出する」など
他の人と違うこと。
外見や行動も対象になるから油断できません。

突出しちゃいけないのです。

差別されないよう、目立たないように萎縮してしまい、
自分がいつ差別される側になるかもしれないおそれもあります。

「あの人は変わっている」は日本では基本的にマイナスの意味です。
論理的には「変わっていること」は悪いことでないですが…
日本の暗黙の了解。


差別の気持ちは人間の習性らしく、簡単になくならないけど、人間の弱さです。
その弱さと闘うために自分の中にも「差別する気持ちがある」という自覚が必要。
そこから「おかしい」と言えるようになり、問題を表面化させることへ。
そこから始まります。






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教育の目標 生きる力

教育の目標  よい内容でしたので覚書として載せます。

学問を知り、学ぶことで、子供自身が、自分の力で、自分らしく、自他共の幸福をつかむこと。

昭和初期(戦前 )の教育界「教育とは国家を支え、強くするため」ものだった。

児童中心の教育への転換

親はついつい、自分が正しいと思う生き方や考え方を押し付けてしまう。
しかし、それでは子供が幸福を自分でつかみとる力を得られない。

大切なのは…
ものの見方や考え方を身につけてさまざまな場面で応用ができるようにさせること。 

自分で知識を得る喜びを味わえるようにするためには、あえて大人から答えを出さずに、選択や決断をなるべく子供自身に任せていくこと。

また、
多くの人の幸せのために生きる喜びを大人が子供に教えることが、大きなカギを握っている。


他者のために行動を起こすとき、脳は、高度に活発に働く。


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カリキュラムは最大公約数「発達の速度は違う」

人はその人のスピードで発達します。

早い人もいればゆっくりな人もいます。

学校のカリキュラムは
この学年は具象概念を中心に履修しようとか、
抽象概念の勉強はまだ早いとか。
子供の発達にそって組んでいるかと思います。

余談ですが、
以前、幼児教育会社の説明会で「蟻」とうい漢字は幼稚園児もよく覚えると聞いたことがあります。
つまり、身近に蟻がいれば、実体(具象)と文字(抽象)がむすびついて難しい漢字も覚えるというわけですね。もしかしたら「蟻」は覚えるけど、「義」は意味が抽象的で幼児は覚えないかもしれません。


話を戻します。そのカリキュラムに対して
修得の早い人もいるし、ちょうど良い人もいるし、ゆっくりな人もいます。
当然ですね。
人間は工業製品ではないのですから。
ところが、早いと褒められ、ゆっくりだと「心配ですね」ということになります。

カリキュラムを厳守すれば、
早い人は分かりきっていることを繰り返され
授業がつまらないでしょう。苦痛になる子もいるかも。

以前、IQの高い友人がいました。
彼は小学校4年生のとき、自分の画を先生に直され、
日本の学校教育はダメだと実感したそうです。
自発的に中学受験をして合格したそうです。勉強も好きだったのですね。
ところが、高校はほとんどいかなくて
久しぶりに教室へ行ったら机がなかったと。
近くの席の子に手伝ってもらい机を運びこんだそうです。
その子と仲よくなったと楽しそうに言ってました。
彼は突出してたので
変わってると言われ続け、社会に出てからも
地球人じゃない…とうとう宇宙人にされました。
いろいろなことで、日本に絶望して真剣に海外に移住することも考えたと言ってました。


ゆっくりな子もつらいです。
「出来ない、出来ない」と言われます。
周囲の人は「自分は一回しか言ってない」と思っても、
結局あらゆる人からそう言われることになります。
すごい暗示になります。
自分には生きる価値が無いと思い込んでしまうことになります…二次障害です。
生き方そのものを負の方へ変えてしまいかねません。
自分の存在を否定されることと闘うため
反社会になったり(非行)、自分を社会から隔絶したり(引きこもり)。
いろいろあります。

修得の早い子の飛び級を認めないのも、
ゆっくりな子を他と比べて『善意で』御心配ですねと言うのも
無邪気で悪気がない分、根が深いです。
(「違いを認めない」参考)

学校カリキュラムは最大公約数です。
管理する側は便利です。
でも突出した子を切り捨てかねません。
そのことを感じられてる方は多く、
カリキュラムの扱いに苦慮されてると思います。


 

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自尊感情の側面

自尊感情についてのある教育者の方(すみません!お名前は失念しました。)のよい考察がありましたのでメモとしてまとめました。
二つの視点からの考察
①「自己肯定感」=自分が自分であってよいという感覚。
自己肯定感は自分が安心できるような居場所があって、周囲の大人が愛情を注いでくれる温かい雰囲気の中でこそ育まれる。家庭で「あなたなんて生まれてこなければよかった」などという言葉が冗談でも伝わってしまえば、子どもは自己肯定できなくなる。

②「自己効力感」=自分が環境に働きかけたら、環境が応えてくれるという感覚。
努力したら何かが返ってきて、人のため、社会のために役立つことがいいという感覚で「自己有用感」ともいえる。
 その反対が「自己無力感」で、「どうせ、自分はなにやってもだめだ」という子どもたちは、適切に自分の気持ちを表現できなかったり、何事にも投げやりな態度をとったりする傾向がある。

 この二つの視点だけでも、自尊感情が学習意欲や生き方に大きく関わることは明らかである。現実には、家庭環境などの問題から、子どもの自尊感情が薄らいでいる。家庭・地域・学校などのあらゆるつながりを通し、子どもの自尊感情を育んでいかなくてはならない。

以上、メモです。

 いろんな問題の背後には自尊感情の欠落があるように思います。
 さて、自分も自尊感情が弱い部類に入りそうです。多少褒められても素直に喜べません。逆に不安になる。自信があるふりをしてもそれは虚勢ですし、子供達には簡単に見抜かれます。ですから正直にふるまいます。悩みもあれば、不安になることもある一人間であると。でも、あなたを「応援する」メッセージを送ります。
 若い頃、私が精神的、肉体的にに弱っている時に母は真顔で「お兄さんみたいな(しっかりした)子を(子供達全員分)産めば良かった」と言われました。母も苦しかったのでしょう。
 塾でも事務員の方から同様の話を聞いたことがあります。
 私の担当クラスに中学の勉強が上位の男の子がいました。その妹さんがとても勉強ができるそうです。そのお母さんが上の子(兄)よりも妹の方を期待してますとはっきり言われたと。
 おそらく、お母さんの悪気はゼロ。
 だから始末が悪い。
 
 「自分の子供なら何を言っても構わない」と思う親御さんはけっこう多いのでは。
 
 親から愛情をもらったとしても
 こういう言葉の方が子どもの印象に残ります。



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