不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

時事

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

教師の説明を鵜呑みにしない子~西加奈子さんの随筆より

 勉強をする上で、先生の説明をそのまま受け入れる子供は「勉強ができる」と評価されます。
 反面それに納得しない子は「勉強ができない」と判断されがちです。しかし、納得しないということは自分の頭で考えようとしてるわけです。

 このことについて、とてもよいエッセイを読みました。
 「まにまに」は西加奈子さんの6年分の短いエッセイの集まりです。
まにまに
西 加奈子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-09-11





  その中の一篇、「そこから」 はわずか2頁ですが、とても心に響きました。

 筆者が中学3年のときの話です。
 小学5,6年と一緒だったS君と、中学3年で久しぶりに同じクラスになりました。
かわいらしい少年だったS君はちょっと目つきが悪くなってました。
 ある日、そのS君に筆者は数学の問題の解き方を聞かれます。
「三角形があり、60度、70度とある。残りの角がxととなってそのxを求めよ」というような問題でした。 
すぐに解き方を教えますが、S君は「なんでなん?」と聞き返します。何度も説明しますがS君は納得しません。何度も問われるうちに少し怖くなります。
 それでも「だから、三角形の内角の和が180度やから」と繰り返すと、
S君は、「だから、なんで180度なん?」
 そこで筆者は初めて気づきます。「三角形の内角の和が180度である」という、そこから疑問を持っていると。それで自分が猛烈に恥ずかしくなりました。

 S君は数学の教師には勉強が出来ないと認識され、問題児扱いを受けていました。
 でも筆者は「全然違った。それどころか、とても聡明でまっすぐな人だった。」と感じます。

 「そういうものだから」という認識を合理的に理解できないひともいる。
 S君のように「そこ」から疑問を持つのは苦しいだろうが、「そういうものだから」をすぐに受け止める自分からすれば、S君はとてもとても眩しいと。
 大人になってから…
 筆者は何かを「そういうものだ」と諦めた時、S君の「なんで?」が聞こえると感じます。 
 (こういう感性を持つ作家さんは好きです。)

 教師側からすれば…
 「そういうものだから」とそのまま受け入れられる方がラクです。
 でも、それでいいのでしょうか?
「受け入れられない子供も受け容れる」大きさを持ちたいです。
 納得しない子供に大人は理路整然と説明できます。でも説き伏せるようなことにはしたくないです。論理で大人は子供に勝つのは簡単です。それよりも言われたことに納得した「ふりをしない」子の勇気とその感性をほめたい。
 一緒に考えたり、悩んだり、憤慨して「最初に言い出した人(学者)にタイムマシンに乗って文句を言いに行こう」と盛り上がったりして…疑問をもったことを否定しない。

 以前、友人からこんな話を聞きました。高校生のとき、数学の先生が同じ大きさの球体はどんな多面体よりも表面積が大きいと説明しました。ところが友人の級友は納得しなかったそうです。とうとう球体よりも表面積の大きい多面体の模型を自分で作ったそうです。

 言うことを真に受けない子は頼もしい…と、感じられる教師でありたいです。

 鵜呑みにしないといえば…
 地動説を唱えたことで有名なイタリアのガリレイ・ガリレオのピザの斜塔のエピソードを聞いたことありませんか。
 彼が生きた時代は、先哲アリストテレスの説が最も権威がありました。
  アリストテレスの「物体の落下速度説」とは
  「大きな石は小さな石よりも速く落下する」ですが、2000年も固く誰も疑いませんでした。

 ガリレオは「自分の目で確かめたい」と実験しました。ピサの斜塔から二つの物体を同時に落下させ、「物体は重さに関わりなく同じ速さで落下する」と証明しました。今なら当たり前ですが、覆すのは大変だったと思います。ガリレオは他にも迫害をうけてます。もしガリレオが長いものにまかれる人だったら…現代の科学の発展は大幅に遅れたかもしれません。

 子供達に言われることを鵜呑みにさせ続けたら、
 自分の頭で考える力の芽を摘みます。
 
※後日、西さんはオードリーの若林さんとのラジオでもS君について話してました。(YouTubeで公開
されてます。)
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日本もリンクワーカーが欲しい 行政と福祉

ETV特集「認知症とともに よく生きる旅へ~丹野智文42歳~」をみました。

 丹野さんは自動車会社のトップセールスマンでしたが、若くして認知症を発症しました。
 認知症と診断を受けた後、診断されただけでどうしたらよいか全くわかりません。ネットで認知症を調べると進行して寝たきりになるなどの情報が自分の診断された内容と一致すると感じたと。自分のことはどうでもいいが、妻に多大な負担をかけることになり、子どもたちはどうなるのだろうと絶望的な気持ちになったと。

 しかし、ネットで調べるうちに認知症をポジティブに生きているイギリス婦人のブログを読み、イギリスは認知症への制度が進んでいることも知ります。丹野さんは休暇を取り自腹をはたいてイギリスへ行き、生き生きと認知症を生きる人たちと出会います。中には認知症後も自動車が好きで運転を続ける男性がいました。丹野さんは自動車が大好きでしたが病気の発症とともに運転をあきらめました。でも車が大好きだったので、その話に涙ぐんでいました。(テレビのニュースによると認知症の免許返還は一律にするのを見直してほしいとの申し入れが最近行われました)
 
 ドキュメンタリー中でもっとも注目したのはリンクワーカーという存在でした。
 それは「診断後一年無料保証」という専門職です。当事者に一人、最低一年間ついてくれ、精神的なサポートと生活のさまざまな困難に対応する制度などを教えてくれます。番組で紹介されたリンクワーカーは中高年の優しそうな婦人でした。当事者夫婦は夫が認知症と診断されたとき絶望して何日も家に閉じこもったと。しかしリンクワーカーのおかげで希望がもてたと。
 特にいいなと思ったのは、「彼女はこういう方法、相談先がありますよと提示するだけで私たちの意志を尊重して決めさせてくれる」と。リンクワーカーは強制も押しつけもしないのですね。「彼女は私たちの親友です」と紹介してました。関係は対等です。

 日本でもそのような取り組みをしてほしいとの主張がネットで公開されてます。


 話はそれますが、

 自分の周りを振り返ると知らないばかりに福祉の恩恵をうけられないことがあまりに多いです。
 6年位前ですが、地元の当時の市会議員が「こんなに日本は福祉が進んでいるのに何でみんな利用しないのだろう」と、自宅を老親のために助成制度をつかってバリアフリーにした写真を周囲に見せていました。

   「あるとさえ思ってない制度」 に誰がアクセスできるのでしょうか。

 市会議員の無神経さに腹が立った覚えがあります。そのとき、「何ででしょうね」と言うのが精いっぱいで、ちゃんと意思を伝えられなかった私も私ですが。
 
 福祉制度をしらせまいとしているとしか思えないです。
 例えば精神科も通院ならば市区町村に申請すると診療、薬品代が自治体によって割合は違いますが、減額されます。
 私の市では半額になりました。 私は埼玉県の友人が遠慮がちに教えてくれました。その制度は病院の掲示板にさえはってありません。東京の友人に話したら、経済的な理由で病院へ行くのを控えていた不眠症の老婦人に知らせたいとお礼を言われました。

 リンクワーカーとまで行かないまでも、福祉をうけるためにいくつも書類を用意させ、何度も通わせる…これは福祉を受けるのをあきらめさせるためではないかとさえ勘ぐります。まあ、それ以前に存在さえ周知してないのですから…。自分で調べろと言われても存在さえ知らないのだから無理…堂々巡りですね。
 厚生労働省の若い方に聞いたら、そういう援助は分厚い冊子の後ろの方にあります…目立たないですね…と。

 不登校のサポートもインターネットの時代でもなかなか出会えません。一番身近で頼りになるはずの学校はとにかく「来るように」の一点ばりです。親も子も追い込むだけです。
   一般的に中学校に通わなくても卒業できることとか、
   高校へ行かなくても高認検を受ければ同等の資格がとれるとか、
   リンクワーカーのように提示してくれたらどんなに楽になるでしょうか。
   学校へ戻らなくていいと言ってるわけではありません。でも戻るのは選択肢のひとつに過ぎません。その子に合うものを選ばさせてほしいのです。高認検などの情報は誰も教えてくれません。さんざん悩んで動き回ってやっと知る…今もそれが現状です。

このドキュメンタリーについて、NHKサイト
認知症とともに よく生きる旅へ

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「この世界の片隅に」 戦争映画の変遷

久しぶりに映画館へ行きました。
 普通の日常を描く。冒頭はファンタジーのような導入で引き込まれました。しかし、内容は甘くなく
戦争が始まって嫌がることなく、受け容れる庶民の生活が描かれている…ヒロインすずもその一人です。戦争が日常化していく過程を淡々と描いている。

 戦争ってこんなに簡単に私たちの生活に入り込むものだと思いました。

 だから私たちも油断してはならない…。戦争は始まったら止められない。

 私たちの普通の生活と戦争は地続きなのです。

 ヒロインすずは私の母とほぼ同じです。
 母は結婚してすぐ父の仕事で中国の北京に行きました。父は現地召集です。父は中国を行軍し落伍…母と日本に戻りました。
 母からはアメリカと開戦した途端にガスが止まったことや、ソ連(現・ロシア)が不可侵条約をやぶって日本に入ってきたときは本当に怖かったと…何度も聞かされました。直接聞いた戦争の話はその程度です。確かに、現在も日本が戦争になったら…資源の無い国です、簡単に枯渇しますね…。
 戦争映画は「愛する人を守るために死ぬ」などの犠牲的ヒーローを描くなど…見たあとその美しさに酔ってしまうようなものが多々あります。
 一見「反戦」ですが実は違います。…反戦と論点がずれてるのに気付かない。
 テレビもそんな映画をもてはやします。最近は、戦争の悲惨さを真っ向から描いた映画の企画自体が通らなくなったそうです。
 予算ではなく、内容ではねられると。
 例えば映画「野火」です。内容は軍部の無謀な作戦…少ない兵站(食糧)でジャングルを行軍させます。食糧は尽き、飢餓に苦しむ兵隊を描いた小説です。死んだ仲間の肉を食べるショッキングなエピソードもあります。それで頭がおかしくなった兵隊も。(私は中三で原作を読みましたが忘れられない小説です。)監督の方はこのような映画の企画が以前よりも通らなくなり、このままでは作れないと危機感を感じたそうです。この話をしたのはが出演した映画「沈黙」での舞台挨拶でした。余談ですが「沈黙」がマーチン・スコセッシ監督でなかったら彼の談話をマスコミは取り上げなかったと思いました。

 「この世界の片隅に」は戦争を庶民にとってどんな存在だったかを等身大に描いた実に稀な映画だと思います。この映画も実現が難しかったのではと…。クラウドファンディングの応援があったからこそ実現したのですね。今こそこういう映画を見たい。
 
 ここからは「この世界の片隅に」にから少し離れます。ヒロインすずの年齢(プログラムだと1926年生まれとの思ったのですが、…原作では千人針のところで自分の干支を丑だとのこと1925年生まれに訂正します。)を重ねて私の印象にのこっている戦争を扱った映画の描かれ方の変遷を見たいと思います。(選んだ3本の映画は私の見た狭い範囲で、独断と偏見のそしりを免れませんが…悪しからずお願いします)

 そうすると、映画「この世界の片隅に」の価値が更にわかります。

 戦争の描き方はずいぶん変わりました。

一本目…「ヨーク軍曹」(1941年)アメリカ映画 ゲーリー・クーパー主演 すず16歳
 母は主演俳優の大ファンで「好きな俳優は?」と聞くと「ゲーリー・クーパー!」とよく即答しました。ハンサムだけど、陰のある俳優です。母の好きな映画でした。ストーリーは母から聞かされました。私はテレビで見ました。すずも夢中になったかもしれません。

実在の人物の伝記映画です。
主役のヨーク青年は鉄砲の腕前が抜群です。
猟に行っては鳥の鳴き真似をして、鳥を振り向かせ、いとも簡単に仕留めます。

やがて、戦争がはじまり、彼も徴兵されますが、始めは戦争に批判的でした。
ところが、仲間が殺されたとき、燃え、銃を握ります。
敵兵を見つけ、鳥の鳴き真似をして振り向かせ続けざまに仕留めます。
そのとき、彼は一言「なんだ鳥と同じだ」と。それが、ユーモラスに描かれてました。

そしてなんと一人で何百人の敵兵を捕虜にする大活躍をします。
英雄となり、ビルの谷間にテープが舞う華やかな凱旋パレードをする映画でした。

 痛快で楽しい映画。1941年なら戦争真っ最中。プロパガンダかも。

 二本目は、時代はかなり下ります。このころは反戦映画がふえます。でもどこかあまい。
「遠すぎた橋」(1977年) イギリス・アメリカ合作 すず52歳。ロバート・レッドフォードなどの当時の大スターを何人も使い、超大作映画です。

 
 第二次世界大戦で勝利した、連合軍の成功した大作戦の映画は多かったのですが…これは、失敗した大作戦の映画です。
 テーマは「戦争は多大な無駄遣いである」でした。
 確かに、敵地に先に上陸した兵士に必要な食料などの物資をパラシュートで大量に落すのですが、ことごとく敵方に落ちてしまいます。やっと命からがら手に入れた物資の包みをあけたら…連合軍のおそろいのえんじ色の大量のベレー帽が出てきて…がっかりする兵士の顔々々々。
 ヒーローが出てきます。瀕死の戦友を助けてジープをアクロバティックに運転する軍曹(アンソニー・ホプキンズ)とか、端正な顔のドイツの将軍(マクシミリアン・シェル)の登場とか、どちらもかっこよく印象的です。ロバート・レッドフォードも敵軍に爆弾を仕掛けられた橋をそうとは知らず渡り、観客をはらはらさせるのですが、不発で無事。レッドフォードはその橋の上でかっこよくたたずむ。
 
 豪華な俳優陣と、莫大な費用をかけた戦争映画。いちおう反戦らしいですが、戦争を心底嫌だと思えず、テーマもとってつけたようにしか残りませんでした。

 三本目は、「小さいおうち」(2014年)日本 松たか子主演 すず89歳 
 日常の背景に戦争がある映画です。
 ヒロインの不倫が描かれていますが、戦争があるのを当然のようにしている人たちの日常が描かれています。

 人間って戦争にこんなに鈍感になり、受け入れてしまうのだと。
 ヒロインは「あら、戦争になったの いやあね」そんな程度の感覚です。

 もし戦争になったら自分も身近に感じず受け入れてしまうのではないか。
 ヒロインが特に鈍感なのではありません。そこに戦争の怖さを感じました。
 戦争体験者の話の中に戦争が始まったらもう遅い、戦争の芽が少しでも見えたら反対しなければならないとあったのを思いだします。

 ところで、私が初めて戦争が怖いと思ったのは、1970年代にテレビ放映されたベトナム戦争のドキュメンタリーでした。それは戦場で闘う場面はなく、その背景。戦場に兵士を送りだす家族の映像でした。
 特に覚えているのは戦場から一時戻ってきた息子と家族が食事を一緒にしている映像です。ベトナム戦争は20年くらい続きました。もう彼らにとっては戦争は「普通」です。
 東屋で、6人くらいのベトナム人の家族が木のテーブルを囲んで椅子にこしかけ簡素な食事を黙々としています。
 それだけです。

 息子は「また戦場に戻る」とナレーションがあります。母親も他の家族も感情をださず、食べているだけ。延々と続く戦争。嘆くこともしなくなった、受け入れるだけ。食事をしているだけの映像ですが、戦争は異常なもののはずなのに、こんなにも「日常」になるんだと思いました。そこに人間の感覚の怖さがありました。

 冒頭の映画「この世界の片隅に」も同じです。戦争はいつのまにか日常になり、日常を壊す。壊されても生きていく…それを見ている私たちに実感させてくれる。嫌だと思うひまもなく、日常を浸食するのが戦争である。声高に主張しないけど、戦争の事実をきちんと再現している。この映画は秀逸だと思いました。こんな映画を待ってました。

 追記:原作漫画を読みました。原作と映像作品は別物と思って楽しむ…私は基本的にそう割り切るようにしてます。
 ところが、映像に原作のよさがちゃんと生かされています。原作を過不足なくアニメ化できるとは。すごいと思いました。もちろん上映時間の関係でエピソードを減らさざる負えないのですが。でもそれで、後から初めて原作を読む私のような者は、知らないエピソードを新たに知ることができるのもうれしいです。







 



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逆効果?トラウマ治療法

 トラウマの原因を思い出させる治療法があります。以前盛んにテレビでも、女優さんを使って放送されました。
 それは、トラウマに関する記憶は意識、無意識に消す、あるいは消そうとしているのが通常である。そのトラウマが無意識下で自分に問題を起こしている。だから、それを思い出し吐露することで正常の意識になれるという治療法でした。

 ところが、その治療法は、アメリカではとうに廃れた考え方だとこの本で初めて知りました。



 この本によると、その経緯は…

 1990年代、アメリカの精神科医学界にトラウマブームが起きました。ところが、医者から虐待が実際に無くても「あったという前提」で治療を受けていくうちに患者は「親に虐待を受けた」と思い込んでしまう、偽りの記憶が表れると心理学者リチャード・オフシーが告発しました。患者が親を訴えたり、訴えられた親が精神科医を訴える等の問題が起きるようになりました。

 さらに1997年に記憶研究者のエリザベス・ロフタスはトラウマ記憶を呼び起こす治療法が逆効果であると突き止めたそうです。むしろ、患者は悪化し、離婚、入院治療が必要になる、自殺、自傷行為を試みる人が大幅に増えたそうです。要はデメリットしかないと。

 この本では過去は肯定的にとらえた方が心の問題が解決につながっていくという考え方も紹介されています。 親に恨みを持っている人でも大抵何かしらいい記憶があるもので、自分は家族に愛されていたと気づけると。愛されていたならば、「私には生きる価値があった」と自己肯定感が増します。

 私自身も、悪いことを思い出すと追体験してしまい…体までも痛くなります。トラウマに関わるのは専門家に誘導してもらわないと危険かもと控えたのですが、この本によれば専門家でも逆効果だったわけです。それに、たまにですが、良かったことも思い出します。すると、確かに体がラクになります。悪いことは「言いたい」のに「言うな」と「抑えつける」のはいいとは思えません。しかし、無理に思い出す必要はありません。良いことを思い出した方が、たしかに元気になります。

 ところで、こんな話を聞いたことはありませんか。
 父親にさんざん困らされた母親が、父親が亡くなった後、いい思い出しか言わなくなる。子どもたちは「あんなにお父さんの悪口を言ってたのに…」とあきれる話です。それは、夫婦だからとか、単純に忘れたのではなく、終わったことを美化してしまうのは、これからを楽しく生きるための自然な防衛本能かもしれません。
 
 この本の他の章は賛否両論ありますが、この精神科関連の章は大変興味深かったです。

 悪いことは「わざわざ」思い出さなくていいと思います。


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歴史に当事者感をもたらすエマニュエル・トッド

  
 
 煽るような書名ですが、それにまどわされては勿体ない良書です。
 昨年、パリでテロ事件がありました。その頃、友達がパリから少し離れたところに滞在中でした。友達とのメールのやりとりも自然と国際情勢の話になりました。そのメールで教えてもらったのがフランスの歴史人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッドの存在でした。

 トッドの本は日本では「売らんがためのキャッチ―なフレーズ」をつけられているとも教えてもらいました。そう教えてもらわなかったら私はこの本をスルーして読まなかったと思います。その友達に感謝します。

 この本のもっともよいところは…
 私は歴史を学ぶとき、無意識に現実と切り離してとらえてました。昔は戦争があったとか、暴君がいたとか、民主主義がなかったとか、あたかも物語のように当事者感が全くありません。しかし、このトッドの本を読むと否応なしに自分もその歴史のうねりの中にいると実感します。そう感じることがこの本の真骨頂です。それは現在の時事問題を各国の国民性を絡めてわかりやすく的確に分析しているからだと思います。トッドの分析は現実になったものも多々あったそうです。

この本は…
 形式はインタビューにトッドが自分の考えを述べる形をとっていますので読みやすいです。しかし、翻訳もの独特の読みづらさもあります。ぼおっと読んでしまうと「あれ、何がこうなるだっけ?」と主語を探しに戻ることもありました。
 本の口絵にヨーロッパの地図がのっています。それは、「ドイツ帝国」傘下の国がその「隷属」の程度によって色分けされてます。ヨーロッパの国々は経済的にドイツの傘下に入っています。それが口絵でイメージしやすくなります。ヨーロッバのほぼ全土に及んでいるので「ドイツ帝国」と呼ぶわけですね。

具体的な内容に少し触れたいと思います。
 現在も進行中の出来事…ウクライナのロシア”侵攻”についてのトッドの見解が興味深いです。
 先の口絵ではウクライナの「隷属」の度合いは「ドイツ帝国」に”併合途上”に色分けされてます。ドイツから見たウクライナの魅力とは、教育の程度が高いので良質な労働力があります。しかも安価です。ウクライナはロシアと争う価値があるわけです。日本の報道は、アメリカ合衆国やヨーロッパの側のものだけです。昨年インターネットのニュースでウクライナ訪問した鳩山由紀夫元総理大臣の話を聞きました。それによると日本で報道されているようにロシアが強引に占領した様相ではなかったそうです。もっとも日本のマスコミは鳩山氏に取材をしようとせず、訪問したこと自体を大々的に叩きました。ところが、トッド氏のウクライナ問題の分析によるロシアとドイツ(軍事はアメリカ担当でドイツは陰にいて見えない)のウクライナでの計る指標は、人口学のデータが一番信頼できるということでした。
 
 経済や会計のデー関係を読むと鳩山氏の談話が的外れではないとわかります。

 興味深かったのは、国力をタは簡単に捏造できると述べています。そういえば、ギリシャ経済が財政破たんした時、EU加盟前にギリシャの提出した財政データは、「EU加盟できるように」捏造されたものだったと露見しました。
 
 対して、人口学データはきわめて捏造しにくいと述べています。それは人が出生届を出してから死亡届を出すまで、その節目節目に整合性のあるデータが表れるからだそうです。
 1976年、ソ連はは乳児死亡率が再上昇し、当局はその最新のデータの発表をやめました。乳児死亡率の再上昇はその「社会の一般的劣化の証拠」なので、筆者はそこからソ連の崩壊が間近だと結論できました。

 現在のロシアを人口学からみると…乳児死亡率が低下し、出生率が上昇(2013年 ロシアは1.7人、フランスは2.0人、因みに日本は1.43人)また、女子の大学進学率は(100人の男子に対しての女子の人数)ロシアは130人と女子のほうが上回っています。(1位スエーデン140人、3位フランス115人、4位アメリカ110人、4位ドイツ83人)。ロシアでは女性は子供を産みやすくなりつつあり、その地位が高いと推測できます。さらに、人口の流出よりも流入の方が多いので、ロシアは周辺の国から魅力的であると、本書によれば「大多数の国民から暗黙の支持を受ける体制」であると述べられています。今まで持ってたマスコミのロシアのイメージとずいぶん違います…このように根拠のある分析は本当に重要だと痛感します。

 表題からドイツ批判の本にみえますが、(インタビュアーもそこを何度もつっこんでます。)著者は否定しています。ドイツは「強く言えば」軌道修正できる国だ。ただ、第二次世界大戦のヒットラーの台頭は今もヨーロッパ各国のドイツへの対応に大きく影を落としています。暴走したドイツを知っていると、それがドイツへの恐れとなって強く言えないのではないかと危惧しています。
 読んでてコワかったのは、ヨーロッパは1930年代からドイツを中心にしてリセットするようになったのではないかという言葉でした。
 それらのことはリアルタイムで進んでいることで、自分も歴史の当事者だとも思えました。

 



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他と違う・変わっているって悪い?

「他の子と違うからかわいそう」
こんな言葉が悪気なく言うのをよく聞きました。

キーワードは「同じは良いこと」
違いを受け付けない…。
私たちは「他の人と同じが良い」と飼いならされてます。
だから違うのは悪いことではないと感じる前にその芽をつまれてます。

金子みすずさんの詩の中に
「みんな違って、みんないい」というフレーズがあったと思いますが、
これにいたく感動したら、
アメリカの人に「なんで?」と不思議がられたそうです。
アメリカでは当たり前のことなんですね。


差別はアメリカもいろいろあります。
でも、アメリカは問題が表面化するから健全です。
表面化するのは「おかしい」と思う人がちゃんといるからです。

ところが日本は差別があっても「なかったこと」にしちゃう。
「おかしい」と思う前につぶされます。
あるいは「言わない方がいい」と自粛する。
そしてもめ事をさける。

この方が怖いです。

認識しないから自省もできません。


アメリカの差別の事件を聞くと
「アメリカは大変。日本はそんなことない」とほっとします。
私も子供の頃はそうでした。

テレビ「痛快!林先生の生き様大辞典」(2015/02/17放送)で
林修先生が大リーグのダルビッシュ有さんへの子供のころの日本の差別についてふれたとき、パネラーの人たちが「(今の日本は)そんなことない」と安心するかのように言いました。それに対して林先生はそうじゃないと「日本の差別は執念深い」と、とても深い表現しました。

以前、こんな記事を読んだことがあります。
あるインドの人が日本人が突出した人を差別するのを見て
「カースト制よりもひどい」と言ったと。

子供の頃、歴史でカースト制を習ったとき、
日本はそんな制度がなくて良い国だと無邪気に思いました。
だからその記事が意外でとても印象に残りました。

それに、カースト制にはこんな面があります。
カーストの最高位バラモンは最下層の人でもなれると。
スードラ(奴隷)出身の大臣もいました。
カースト制は思ったよりずっと風通しがいいようです。

日本の差別の基準は…
「目立つ」「突出する」など
他の人と違うこと。
外見や行動も対象になるから油断できません。

突出しちゃいけないのです。

差別されないよう、目立たないように萎縮してしまい、
自分がいつ差別される側になるかもしれないおそれもあります。

「あの人は変わっている」は日本では基本的にマイナスの意味です。
論理的には「変わっていること」は悪いことでないですが…
日本の暗黙の了解。


差別の気持ちは人間の習性らしく、簡単になくならないけど、人間の弱さです。
その弱さと闘うために自分の中にも「差別する気持ちがある」という自覚が必要。
そこから「おかしい」と言えるようになり、問題を表面化させることへ。
そこから始まります。






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熊本…連休中に行った方の話

 熊本のご実家へ連休中行かれた方のお話を聞きました。貴重なお話ですので忘れないうちにレポートします。
 飛行機から熊本を見おろしたとき、その変わり様に胸を衝かれたそうです。ひとつひとつは判別できないものの多くのブルーシートが見えました。
 白川の清流は、泥の流れになってました。堤防はところどころひび割れてました。道路も陥没してます。それに阿蘇は火山活動が活発になり、何メートルか低くなったそうです。

〇お風呂の水が全部飛び出す
 ご実家では入浴中に地震(前震)に遭いました。お風呂の水が天井まではね上がり、湯船の水はなくなったそうです。 天井はびしょぬれ。断水になる前にと、すぐ湯船をいっぱいにしたそうです。ところが本震がきて、蓋も意味なく、水が全部飛び出しました。そのお宅は床をバリアフリーにしていたので、廊下まで水浸しに。
 別なお宅で入浴中に地震に遭った子供たちは、今も怖くてお風呂に入れないそうです。入ってもすぐ出てくると。
 私は日頃、断水に備えてお風呂の水は抜かないようにしているのですが、無駄ではと言うと、 その方はいや、地震が来た「後で」すぐに水を入れた方がいいと繰り返されました。生活水は確保したほうがいいのです。
〇生活水について 
 やはり、水の復旧が一番遅いです。原因には水道管の破裂したところが特定しにくいこともあるようです。 また、復旧しても高台のお宅は水圧の関係で、水の出るのは更に遅くなったそうです。
 とにかく、生活水を毎日ポリタンクで運ぶのが大変だったというのが一番の困りごとでした。(確かに1リットルボトル1本でも水は重い…。)
 年配の御夫婦のお宅はそんなに水は使いませんが、それでも大きいポリタンク2つ。1日に2回くみに行く必要がありました。 
 手を洗うこともままならず、アルコール、ウェットティッシュ類は売切れ、衛生面も悪くなり感染病の心配が。
 近所に貯水槽あったので汲みに行ったそうです。その水は煮沸しないと飲めません。トイレ用です。
 高台から平地に降りて、反対側の高台を登ってそこの給水所へ。満杯のポリタンクを持って、来た道を戻るという方もいたそうです。
 連休中は沢山のボランティアの方が集まってくれましたが、配置はうまくいってません。水を運んでくれるボランティアもあったらいいのにと思ったそうです。 
〇支援の格差
 食糧支援は報道の通り、地域によって格差があったそうです。益城町に一番集まったそうです。余った分を困っているところ(おにぎりが2人で1つのところもあった)へ持って行って欲しいと自衛隊の方に頼んだそうですが、「この地域と決められた物は他に運べない」と断られたそうです。結局、自治会の方が個人的に運んだそうです。
 ところで、自衛隊の方は東日本大震災のときは休めなくて大変だったと思いますが、熊本の場合は近くに駐屯地がいくつかあり、すぐに戻れて休め、交代して活動できたのではと聞き、少し安心しました。
 情報の格差もあります。多くの年配の方はスマホはもっていても情報検索の習慣はありません。情報はたまたま会ったご近所さんに教えてもらう。関東に住むお孫さんから給水場所などの情報を知らせてもらうなんてことも。
〇キャスター(車輪付き家具)の効用
 地震でテレビが跳ねると聞いたことがあります。熊本も壊れたテレビがたくさん外に捨ててありました。ところがキャスター付きの台の上のテレビは揺れが吸収され無事だったそうです。キャスターはすごいですね。こんなお宅もありました。キャスター付きワゴンが地震で左右に大きく動き、止めるに止められなかったのですが、揺れが収まって見るとのっていたガラスのコップが全部無事でした。
〇動物
 飼いネコはしばらく、こたつから出なくなり、エサも受け付けなかったそうです。久しぶりに会ったネコは痩せてたそうです。今もネコは不安なのかこたつに入るそうです。

 地震はおわりません。一日中揺れてる感覚です。昼間も揺れていますが、夜、ふとんに入ると特に感じます。最初の地震は夜でした。揺れで、目が覚めます。その度にこの揺れは逃げなくていいかと考えます。一度覚めるとすぐには眠れません。眠るには眠っているそうですが、疲れはとれないでしょう。そんな日が続いてるそうです。川内原発も不安です。停止して欲しい。でも、日々の生活の方で精一杯です。

 先日、職場で熊本支援で購入した人参を分けて頂きました。段ボール一杯のきれいな形の人参はすべてにタテに深くひびが入ってました。そのひびに添って包丁を入れたら、包丁の切れ目とひびは見分けはつかなくなりました。薄切りにしてサラダにしました。美味しかったです。今年の熊本のスイカも出来がいいと聞きました。


私と一緒に勉強したい方は

不登校…何で役に立たない勉強をするんだ

「何で役に立たないことを勉強しなくちゃいけないんだ。」
そんな言葉が教え子の口から飛び出すことがあります。

不登校からやっと立ち上がり勉強したいと、私のところに来てくれました。
始めは慣れるまでゆっくりと…様子を見ながら徐々に課題を増やします。

それでも、出された課題を毎回こなすことは…
一人の勉強は孤独な作業です。


始めは頑張れても、嫌になるときだってあるし、辛くなったりすることもあるでしょう。そのうち無意味に思えて、
「何で、自分の生活に必要と思えない英語や数学などの勉強をしなきゃいけないんだろう」と
「日本から出なければ、英語は要らないし、因数分解って何に使うの、文字式って現実には使わないじゃん…」
そのとおりです。
意味を見いだせないで、自分で自分を机に向かわせるのはつらいです。


そこで、「勉強しないと…あとで困るよ」ということばは
一見、筋が通るように見えますが、これは脅しです。
不安を煽り、追い込むだけです。
じゃあどうしたらいいのか。理想と現実のはざまで悩みます。

私が不登校だったとき、大学受験資格検定を通りました。
それを聞いた母の第一声は「これで中卒でなくなった」でした。
(中卒が悪いわけではありません。私の場合は自立できてなかったので)
その時の母の表情は喜びではなく「安堵」でした。

母のことばに同調できる親御さんも多いと思いますが、
子どもとしては結構、傷つきました。
母は子どもよりも、「世間体」を気にするように見えました。
その時の母の表情も口調も今でも思い出せます。
楽しい思い出ではありません。
同情的に見れば、おそらく母は子供の将来が不安でいっぱいだったのでしょう。

そして、残念ながら
母の言うことは現実に正しくもありました。(でも嫌だったなあ)
大検を経て進学しなかったら、
親御さんに今のように家庭教師は任せてもらえないかもしれません。

さて、「無駄な勉強だ」とぶつけてくる子にどう応えたらよいのでしょう。
「学歴がないと後で困る」とか、「自分のためだ」とか…
そんなこと子ども自身が一番よく知っており、周囲の誰かに必ず言われてます。
それも一度や二度ではありません。
言う方は良かれと思ってるのでしょうが、子どもたちを追い詰めるだけです。
先述のように脅しの要素はぬぐえません。

不登校の子とは限りませんが
子ども達は自分は将来どうなるか、どうするか見えない不安の中に今います。
更に、不登校の子は常にこの不安に苛まれ続けています。ツライ。

不満をぶつけてくる子は、実は「不安」をぶつけてるのです。

まだ将来がどうするかもどうしたいかもわからないのだから…
可能性を広げるためのひとつの手段としていっしょに勉強しよう…。
それも言えないときで自分の子供時代を思い出して一緒にべそをかいたことも(苦笑)

それが精いっぱいでした。…これで良かったのかわかりません。

大人は理屈では子どもに必ず勝てます。

  折角不安を訴えてくれたのに、理屈でおさえつけては何にもならない。
  それは単にだまらせるだけです。

安心させ、勇気づけるマインドを発するようしたい。

こう言うと良いなどのようなマニュアルはありません。


 

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「友達100人」も要らない

 ♪一年生になったら 一年生になったら、友達百人できるかな♪…

 新一年生が歌うと無邪気で可愛いです。

 友達が多くない私には縁遠い歌です…絵空事かなと思ってました。

 ところが…この歌を気楽に聞き流せない子供達もいるようです。
  
  この歌には友達がたくさんできるのは「良いこと」と暗黙の了解があります。
 だから友達ができないのは「悪いこと」と意識させる圧力がかくれています。
 学校では”クラス全員と仲よくしなければ”という目でクラスメートを見るようになり、(どう考えても不可能!)できないから、教室で自分がひとりぼっちのような寂しさを感じ、それでも頑張ろうとして気を遣い疲れてしまう。やがて学校へ行くのが苦痛になり、不登校へというケースがあるそうです。
   (参照 小栗正幸著「発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ」)



 「友達が多いのは良いこと」が、子供を追い詰めます。
 この歌に悪気はないし、可愛い。でも手放しで賛同するには違和感があります…。
 みんなが賛成することに異をとなえるのは小さなことでも勇気がいります。この歌が好きな人にはごめんなさい。
 

 私が、子供の頃、身近に中・高校時代とても友達が多い人がいました。彼の家にはいれかわり立ち代わり毎日のように友達が遊びに来ました。晩御飯を食べていく友達も多くてとてもにぎやかでした。当時、彼は社交的でかっこよく見えました。ところが…社会人になって、私が数少ない友達と悩みを話し励まし合い、連絡をとりあっているのを知って、「そういう人がいていいな」とうらやましいがっていたと彼の奥さんからきかされたことがあります。彼は、いざとういとき相談できる人がいなかったようです。

 「友達がたくさんいるということは一人もいないのと同じ」これは誰の言葉でしたっけ。ある面あたってますね。

 友達は少なくてじゅうぶん。その友達の顔を思い浮かべるだけで心が温かくなり、頑張ろうと思える人が一人でもいれば幸せです。


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教育の目標 生きる力

教育の目標  よい内容でしたので覚書として載せます。

学問を知り、学ぶことで、子供自身が、自分の力で、自分らしく、自他共の幸福をつかむこと。

昭和初期(戦前 )の教育界「教育とは国家を支え、強くするため」ものだった。

児童中心の教育への転換

親はついつい、自分が正しいと思う生き方や考え方を押し付けてしまう。
しかし、それでは子供が幸福を自分でつかみとる力を得られない。

大切なのは…
ものの見方や考え方を身につけてさまざまな場面で応用ができるようにさせること。 

自分で知識を得る喜びを味わえるようにするためには、あえて大人から答えを出さずに、選択や決断をなるべく子供自身に任せていくこと。

また、
多くの人の幸せのために生きる喜びを大人が子供に教えることが、大きなカギを握っている。


他者のために行動を起こすとき、脳は、高度に活発に働く。


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元々あるものに気付こう!

何をやっても続かない。
高校をやめた後、
「何かをしないと」と、いろんな語学に手を出しました。
でも、その国に行きたいとか、その国の小説を原典で読みたいとかいうモチベーションは全くなく、たまたま語学は学校が多いので、手っ取り早く始められるから飛びついただけでした。

結局、長続きしませんでした。
いろんなことをやってはやめの繰り返し。

ところで、
PRプロデューサー 殿村美樹さんの話をテレビで見ました。
そのお話は大切なことを示唆していました。

殿村さんのヒット作として特に有名なのは、
彦根のゆるキャラ「ひこにゃん」。香川の「うどん県」。

地域活性化と「ご当地もの」を作って盛り上がっても、ブームが去ったら
おしまいになることが多いそうです。

ところが、
彼女のプロデュースしたものは彼女らプロのスタッフがいなくなった今も健在です。
なぜでしょうか。
それは、徹底的なその土地のリサーチです。
彼女らスタッフは時間をかけその土地の産物やお店などをまわります。
土地の人が当たり前と思っているもの、元々あるもので魅力的なものを見つけ出します。
そして、それを中心にすえます。
もともとあるものだから彼女らスタッフがいなくなってもずっと続けられます。

もともとあるものを見つけ出す。 
これは教育に関しても相通じるものがあると思いました。

あの頃の私も、恰好をつけて自分を振り返らず手近なものに飛びついていました。

何かはしないと自分が見えてこないから、何もしないよりはましですが。
でも、もっと、自分自身とじっくり対話するような面も必要だったと思います。 
今のこの仕事が長続きしているのはもともと自分の中に学習好きな習性があるからのようです。
もともとあるものに気づくー子供達の中のそれに気づけるような静かな眼も持ちたいです。



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危険ハーブと自尊感情

ss  昨今また、危険ハーブによる痛ましい事件が起きました。
  テレビのコメントはどうしてもあたりさわりのない内容にならざるおえないのでしょう。きいてもあまり印象にありません。
  しかし以前ひとつだけ心に残るものがありました。それは、ハーブにはまる人達に共通することは皆、「自尊感情が低い」というコメントでした。
  内閣府の統計「H25年度我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると日本は調査7か国の中で自己評価の高い人の割合は際立って低いとあります。自分の感触でも以前から自尊感情の低い子は多いのではと思うことがありました。勉強出来る出来ないは関係ありません。
   自尊感情が低いとは、自分が価値のない人間だと思うことです。それがこうじると自分と向き合い挑戦する気持ちをなえさせます。一時でも自分から逃げられる誘惑にはこわいものを感じます。だから危険なハーブを使っていいという良い訳にはできませんが。
 ところで非行化した少年たちも自尊感情を育てるとつきものが落ちたように非行がやむそうです。
 キーワードは自尊感情の欠落です。
 一番大切な教育は子供達の自尊感情を育てることにあります。







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励ます時、したいこと

  これは身内を亡くした人にたいするものですが、その専門医のアドバイスは人への接し方の基本とも思えました。
  以下その内容
本人の励みにつながる励ます側の態度とは…
〇してはいけないこと…
   「助言ばかり」 
   「回復を鼓舞する」 
   「すぐ『分かる』という」
〇したいこと…
   「同じ境遇の人が集まる」
   「本人が話す機会を作る」 
   「そばに居る」
  これは子供たちに接するときも、参考になります。
  特に「本人が話す機会を作る」が大切です。大人は子供に何かを相談されると、ついアドバイスをしなければならないと思いがちです。でも、自分自身を振り返ると、本当に相談して良かったと思える人は話をさえぎらず最後までじっくり聞いてくれる人です。
 これは意外に難しいです。
 自戒もこめて。  




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言葉が世界を生成する…ロマン

素敵な文章に出会いました。

言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、

私たちの世界を生成していくものであるという内容です。

こんなエピソードが紹介されてました。

授業中に先生が学生に

「皆さん、窓の外を見てください。青空がありますね。

……しかし、青空はないのです。『青空』という言葉があるのです。」

(丸山圭三郎 言語学者・フランス文学者の講義より)


晴れた日に、空気の層を見上げると青く見えます。

それを「青空」と呼ぶといろんなイメージが浮かびます。

たとえば…

「気持ちがいい」とか、「すがすがしい」とか、

「青空」の場合はプラスのイメージが多いですね。

これも言葉のちから。





 



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進学先への報告書…先入観を与えない工夫

教え子の学校への報告書、
進学先から提出するように言われたそうです。
先生がその子の特徴を予め知っておけば
スムーズに授業ができます。

私は学習面を
依頼されました。
ワードからPDFに変換すると
入力間違いが見つけやすくなり助かります。
そして…
見直す度に言い回がきつくないかと心配になり、表現を何度も変えました。

特に苦慮したのは
不得手なことの伝え方です。
得意なことばかり書いたら、ラクですけど役に立ちませんし。


でも無造作に「出来ない」と書いたら、
新任の先生に先入観を与えてしまい、
その先生が「出来ないんだ、じゃあやめた方がいいかな」なんて
思ってしまうかもしれません。

それに
誰だって、出来ないことばかり書かれたら傷つきますよね。
そんなの読んだら親御さんだって悲しくなります。教え子も傷つきます。

その子は新しい解法等が心にストンと落ちるまでの期間が必要です。
繰り返し練習しても受けつけないので、やめて次の内容へととばしたことがあります。
すると数か月後に久しぶりに挑戦すると簡単にできる…なんてことがありました。

報告書の不得手なことの後ろにその具体的な事例を加えました。

今、出来ないからとダメだと決めつけられないと。

…さて、その報告書を親御さんに送信しました。

数時間後
何度も読みましたと感慨のこもった
温かい返信がきました。
ほっとしました。

諦めないことの大切さを私もこの子から何度も学ばせてもらいました。

新年度もガンバロ。




私と一緒に勉強したい方は

基礎にもどらなくてもいいときも…

中学の数学が出来ない場合はどうしたらいいか。
 
 それが文字式だったら、小学生レベルに戻る必要はないです。
 数に文字が加わるだけで、計算自体は小学生と変わらないからです。
 
 文字式ができないのは…
 「文字で計算する」という概念がのみこめないからだとも考えられます。
 私も初めて文字式を習ったとき…
 文字と文字を計算することがなかなかピンときませんでした。
 だってAとAを足したら2Aなんてすぐに理解できたでしょうか。
 最近も「なんで文字が足せるの?」教え子からこんな言葉をききました。
 まっとうな疑問ですよね。
 多くの子が出来たのは納得しなくても、「言われるままに作業」をしたからに過ぎません。
 いやな表現ですが「余計な」質問をしない方が無難ですし。
 
 そこでつまづいた子に
 単に「できない」からと機械的に小学生レベルに戻されたら…
 「自分は出来ない子だ」とその子のプライドを傷つけてしまいかねません。
 これは避けたいことです。

 また、新しい概念を受け付けるまで時間を要する子供達もいます。
 その子たちは同じことを何回も聞きます。それは「記憶が点と点」だからです。
 教える側はその点と点がつながり面になるまで待つことが必要です。
 たとえ、その子が計算が得意であっても
 小学校では「計算は数字でするもの」と習っていたのですから文字式は今までとは約束が違います。
 これは考え方を変える「軌道修正」ですね。これがその子たちには難しい。

 そんな子たちが一桁の簡単な文字式でも出来ないのは不思議ではありません。
 文字式自体を受け付けないのですから…
 困って答えに関係ない数字と文字を書くこともあります。
 このあたりは見極めは難しいのでしょうか。
 その根拠のない答えを見て、計算ができないと誤解して
 小学校の計算の宿題をドット出す先生もいます。
 数字だけの計算が得意な子は嬉々としてやりましたが…う~ん、時間のムダ…
 
 文字式ができない場合は基礎に戻った方がいいかどうかは確かめたいですね。
 

 

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苦手科目好きになったよ

塾の講師をしていた頃の話です。

ゴールデンウィークも過ぎた頃でした。
塾を「卒業」し、高校進学した
子供たちが数人
久しぶりに塾に遊びにきました。

陸上部で中の良い男子グループです。

それぞれ別々の高校へ進学してました。
色んな種類の真新しい制服を皆着ています。
子供たち同士も会うのもたのしそうでした。
職員室で、それぞれの近況の話で盛り上がっていました。
その様子を傍らで私も嬉しく、眺めていました。

すると中の一人の子が

私に
「先生」

話しかけてきました。

「先生のおかげで国語を好きになったよ」

ちょっとびっくりましした。
彼は数学が得意で、国語はそれほどではありませんでした。
他の先生が「彼は数学はできるが、国語は苦手だ…」と言うのを聞いてます。

私はそんな彼の国語を担当しました。
彼の国語の成績はあまり伸びませんでした。

だから、彼の思わぬ言葉にびっくりしました。
「どうして。役に立ってあげられなかたのに…」と。
すると彼は
「だって、先生は僕のことをあきらめなかったじゃない」

この彼の言葉に
何が大切かを改めて教えてもらいました。

この仕事をしていていろんな失敗もあります。
もう少し何かできたのではと落ち込むこともあります。

そしてこの出来事を思い出して自分をはげまします。
彼のこの言葉に仕事の大切な根っこをつくってもらったと思います。







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カリキュラムは最大公約数「発達の速度は違う」

人はその人のスピードで発達します。

早い人もいればゆっくりな人もいます。

学校のカリキュラムは
この学年は具象概念を中心に履修しようとか、
抽象概念の勉強はまだ早いとか。
子供の発達にそって組んでいるかと思います。

余談ですが、
以前、幼児教育会社の説明会で「蟻」とうい漢字は幼稚園児もよく覚えると聞いたことがあります。
つまり、身近に蟻がいれば、実体(具象)と文字(抽象)がむすびついて難しい漢字も覚えるというわけですね。もしかしたら「蟻」は覚えるけど、「義」は意味が抽象的で幼児は覚えないかもしれません。


話を戻します。そのカリキュラムに対して
修得の早い人もいるし、ちょうど良い人もいるし、ゆっくりな人もいます。
当然ですね。
人間は工業製品ではないのですから。
ところが、早いと褒められ、ゆっくりだと「心配ですね」ということになります。

カリキュラムを厳守すれば、
早い人は分かりきっていることを繰り返され
授業がつまらないでしょう。苦痛になる子もいるかも。

以前、IQの高い友人がいました。
彼は小学校4年生のとき、自分の画を先生に直され、
日本の学校教育はダメだと実感したそうです。
自発的に中学受験をして合格したそうです。勉強も好きだったのですね。
ところが、高校はほとんどいかなくて
久しぶりに教室へ行ったら机がなかったと。
近くの席の子に手伝ってもらい机を運びこんだそうです。
その子と仲よくなったと楽しそうに言ってました。
彼は突出してたので
変わってると言われ続け、社会に出てからも
地球人じゃない…とうとう宇宙人にされました。
いろいろなことで、日本に絶望して真剣に海外に移住することも考えたと言ってました。


ゆっくりな子もつらいです。
「出来ない、出来ない」と言われます。
周囲の人は「自分は一回しか言ってない」と思っても、
結局あらゆる人からそう言われることになります。
すごい暗示になります。
自分には生きる価値が無いと思い込んでしまうことになります…二次障害です。
生き方そのものを負の方へ変えてしまいかねません。
自分の存在を否定されることと闘うため
反社会になったり(非行)、自分を社会から隔絶したり(引きこもり)。
いろいろあります。

修得の早い子の飛び級を認めないのも、
ゆっくりな子を他と比べて『善意で』御心配ですねと言うのも
無邪気で悪気がない分、根が深いです。
(「違いを認めない」参考)

学校カリキュラムは最大公約数です。
管理する側は便利です。
でも突出した子を切り捨てかねません。
そのことを感じられてる方は多く、
カリキュラムの扱いに苦慮されてると思います。


 

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到達点はない…井村コーチと広上淳一氏の対談から

録画をしてあった、広上淳一氏(京都交響楽団常任指揮者)と井村雅代氏(シンクロナイズドスイミングコーチ)の対談を遅ればせながら見ました。この二人の組み合わせは広上氏が希望したそうです。感銘したことを覚書も含めてまとめました。

対談のテーマは教育。

井村コーチのポリシーは
①悪いところを指摘し、叱る。
②どうすれば直るか具体的に教える。
③直ったか確認する。

 決して叱り放しにしません。良くなるまでしつこく繰り返し教えるそうです。

失敗したことを考えるより、成功するためにどうするかを考える。

自分自身も考えすぎない。
トレーニングの後、帰りの車中ではシンクロのことを忘れ、疲れないようにする。
御自身はそのような「排除能力」に優れているそうです。
考え込みそうになると「堂々巡りだ」とパッと止めるそうです。

一番怖いのは…
同じことをすること。
「そこそこ」教えられるがそれは足踏みをすること。
毎日チャレンジしたい。
達成感を得られる場所へ選手を連れてってやりたい。

テレビのニュースなどでは選手を叱咤する場面がほとんどです。
しかし、それだけでは選手があんなについてくるわけはありません。
まして、井村監督は言葉の通じない中国の選手も育てあげたのですから。
ところで…
中国の監督に就任した時は裏切り者扱いをされました。しかしその目的はやっと認められた日本のシンクロの美的感覚を一過性でなく世界スタンダードにするために海外(中国)に出たそうです。未来を見据えての行動でした。

広上淳一氏は
NHKの紹介では「のだめカンタービレ」で飛び跳ねてタクトをふる小柄な指揮者、片平元が登場しましたが、そのモデルではないかとのことです。ちなみにそのドラマでは石井正則さんが演じました。広上氏は最近は、あまり飛び跳ねなくなったそうですが。

広上氏も若手に教えています。
心がけていることは、
①その場でほめる。
②失敗も大事。経験により、失敗しても慌てなくなり、次はどうするか考えられるようになる。
  

子供の頃は転校が多く、転校先によって同じ自分なのに人気者になったり、いじめの対象になったりしました。
そこで学んだのは自分の意思をまげてまで相手に媚びる必要はないということでした。


広上氏は日本の教育の失敗は
「ここまで行けば後はラクになる」と教えたことだと言います。
本来はそこから開拓するのだと。

…到達点はないということですね。

また、遠回りは悪いことではない。
でも、しなくてもすむように教えてあげたいと。






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出来ることを見つける

随分、前のことですが。

知人に5歳くらいの男の子がいました。
その子は
当時はまだ発音がしっかりしてませんでした。

男の子ならではなのか、女の人が好きで、
男の人にはあまり興味を示しませんでした。

ところがある日
お父さんの友達で学習塾の先生が遊びにきました。
男の先生です。
男の子は絵本をもって嬉々として玄関にとんできました。

後でお母さんにきいたら…、
その先生は以前来た時、
男の子の様子を見て
サ行の発音は苦手だけどカ行の発音ができていると気付きました。
それで、その子にカ行で答えられる質問をたくさんしたそうです。

よほど楽しかったのでしょうね。

得意なことで遊んであげるっていいですね。
その影響もあったのか、男の子は読書好きになりました。


 

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