不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

時事

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

新語「エリートバカ」自分の答えに合わない事実を無視する思考

授業の後、教え子や親御さんと雑談をするのが楽しみ。

そこで…

親御さんの「ウチの子供は頭が悪くて…」
教え子の「自分は頭が悪いから…」と端々にでてくる言葉。

引っかかる。

親御さんは謙遜ともとれるけど…子供は違う。

受け答えが絶妙で、会話も楽しい子。
自分で考えようとする。
大人の言いなりにならない…。

これで頭が悪い?
でも、本人が何回も言う。

ここの頭のいいとは…
英単語や年表等をすぐ覚えること。
AI…と同じ能力…

勉強を覚えない子は頭が悪い…と言われ、思わされる。
果たしてそうか?
興味の対象が勉強でないだけ。
自分の好きなものは覚える。
興味がないのを覚えないのは当然。

英単語をどんなに書き取りしても覚えられない子がいた。
でも、ポケットモンスターの名前は100近く覚えてる。

そこで子供たちの興味に合わせて、工夫する先生もいる。
人気マンガ「鬼滅の刃」…教え子の勧めでアニメを見たがストーリがおもしろくキャラクターがよくできている…難しい漢字を多用するマンガだ。それで漢字ドリルを作るなど…


 さて、記憶力=頭がいい…で鍛えられた人は…
 反応力はあるけど自分の思ってもいないことが起きたらその事実を認めようとしない…
 例えば不登校児童へのある学校の先生の対応。
 「子供の方がおかしい」
  病院へ行けと言われた親御さんがいる。うけた病院側は先生の対応に首をかしげたそうだ。
 これだけ不登校が増えたら流石に学校も変わらざるおえないが、まだそんな先生もいる。

 自分の考えに合わない…現場を見ない、認めない人たち…その傾向。

 エリートバカ

上杉隆氏が名付けた。それを4点にまとめて解説。
①自分たちに都合の悪い事実が出てくると精神論を振り回す。
 「頑張っているんだ。(事実を言うべきでなない。)」
  …論旨のすり替え。

 この思考経路は身近にも。
 私はあることでシステムがおかしいと指摘したら、「でも、そこで頑張っている人がいる」と友人に「反論」された。とっさに「それを持ち出すのはズルい」と言うのがやっと。でも、後で考えたら、「頑張っている人」も犠牲者。

 事実から目を反らす論法。
 事実を言う人があたかも「人間性が無い」「優しくない」と暗示して…黙らせる

 精神論を、権力のある人が言い出したら、それは信用できないと判断する尺度になりそうだ。

②人をイデオロギー分けする
 「右翼だ、左翼だ」と決めつける。
 今更イデオロギーの時代ではない。
 意見には意見を、事実には事実で議論しない。これも人を黙らせる

答えをひとつに求める

 日本の教育がもたらした病理

  小学校の頃から答えの見つけるのがうまい子を「頭がいい」とする。
  受験がうまい人
  社会に出ると「答え合わせのうまい」人がエリート扱いされる。

  社会的な頭のよさと勉強のできる頭の良さは全く違う。

  答えをひとつに求めるのを常習化している人は…
  過去に例のないことがあると…現実は全部そうなのだが…答えが当然ないから、現場よりも自分たちの周囲の権威を「答え」と思ってしまう(④の権威に弱い)

  事実よりも「こうあってほしい」希望的観測に合わせようとする。

  そういう人が想定外と連発する。

  ほんとうに頭のいい人は想定外と言わない。ちゃんと想定している。

 自分の答えに反する事実を言う人が出てくると、
  ①と②を多用して
  「危険だ」「左翼だ」中身と関係ない論調でいじめる。
  嘘つきデマよばわりする。

 丁寧な言葉づかいで根拠のないことを言う。

 多様な価値観を認めない。

④最大の問題は権威に弱い
 (官僚、学者、専門家、大手報道、西洋コンプレックス)
  厚生労働省等官僚、政治家、東大、京大の学者等、大手報道等など
  国連、WHO,ニューヨークタイムズ等
 事実の根拠を挙げられても、「自分たちの答え」に合う権威に頼り受け付けない。
 自分の答えに合わない事実は無視する。
  例えば、WHOでも内容が自分の希望に合うかで無視したり取り上げたりする…ご都合主義

 ……これらは悪い人ではない、
      いい人だけど、現実に対処できない。自己決定能力がない。
 
 
以上…
  3.11からテレビで政府などの要人の論調に違和感をもった。
  批判を巧みにかわす言い回し。それが上記のことかと。
  今回のコロナ(2020年3月)も同じ臭いがする。
  こういうエリートをせっせと育てたのが教育だったのか。
  

ある意味、不登校に希望が…関連するブログ 
    河合隼雄と村上春樹の対談から思うこと
     不登校は進歩…へ

歴史を学ぶこと「立場主義」で読み解ける日本

 私は立場でモノを言うのが苦手です。それは、自分の意思と離れるからです。

 子供は鋭いです。立場でものを言うとそれを見抜きます。

 あるとき、中学生の教え子に勉強の有用性を問われました。家庭教師の立場なら、「勉強は役に立つからしなさい」と誘導すべきなのですが…。「読み書き、算数」は生きるために必要ですが、例えば因数分解等が実生活で役に立つのか…正直分かりません。受験のために間違いなく必要ですが、そんなその場しのぎの答えを子供は求めてません。高校数学の知識で、実際に役に立ったと言う人の意見をネットで探し印刷して、子供に渡しました。子供はそれを読んでその意見の欠点をついてきました。実は私も同じことを感じてたので正直に答えました。明快な答えは出ませんでしたが、今思うと立場でモノを言わなくて良かったと思います。教え子と一緒に考えることが、子供が私に求めていたものだったのかも。
 


 10日ほど入院することになり、図書館でこの本を借りました。書名は固いですが、難しい内容を非常に平易に書いてあり、理解しやすいように途中で何度もそこまでの論旨を整理してある非常に親切な本です。

 日本の満洲での失敗とは何か、この本は歴史をわかりやすく解説しながら、その失敗の構造が現在にも修正されることなく脈々と続いていると解き明かしてくれます。


 歴史を学ぶということはこういうことなんだと思いました。歴史は過去ではない。


 年表を覚えることが無益とは言いませんが、その起きたことの流れから「何か」を読み取る力をつけることこそ歴史を学ぶことではないかと思います。
 
 日本は何か不祥事が起きても、誰も責任を取りません。この無責任体制が不思議であり、それに対抗する手段もなく、日本はそんな国なんだと自嘲してそれ以上考えるのを私は放棄してました。

 そこに安富さんは「立場主義」を見ます。

 例えばこの本ではスタップ細胞を取り上げてました。会社側は疑惑の中心の女性を解雇しませんでした。彼女は依願退職しました。彼女が自ら辞めざる負えないように追い込んだのでしょう。

 なぜ彼女を解雇しなかったのか?

 それは解雇したら、彼女を推薦し、認めた人たちも責任の追及しなければならなくなるからだと安冨さんは分析してます。つまりそれらの人たちの「立場」を守るためだと。彼女ひとりをスケープゴートにしたわけです。

 これは、いろんなところで起きています。何か事故が起きると誰かをスケープゴートを仕立て上げ、責任追及がうやむやになる…。
 しかも、この「立場主義」には悪者はいません。

 でも立場を守るために原理原則を逸脱して、弱い立場の人を犠牲にします。

 立場を守るのが最優先事項だから…立場を守った人はどんなに悲惨な結果が出ても立場が守られます。

 戦争で自分のしたことの悲惨な結果を自覚したのか自殺した人も中にはいますが、多くの人は立場がまもられ裕福に生活しました。満洲国を通してその暴走の構造を分析し、それが現在の日本にもあてはまると安冨さんは言います。

 その構造が見える、得体が分かることは大きいです。対象が見えれば対応できます。どんなに時間がかかろうとも…。

 友人がインパール作戦に興味をもちいろいろ調べていると聞いたのですが、そのインパール作戦も立場をまもる暴走の一環であるとこの本は分析してます。

 第二次世界大戦の日本の戦死者の六割が餓死でした。食べ物の補給路も確保せず戦地に多くの兵士を送り込む…子供でもおかしいと分かる戦略を大の大人が何故、決行したのか?…この背景にも立場主義が見えます。理屈がおかしくなると、精神論が跋扈しました。おかしいと反対すれば「非国民」と黙らせたのでしょうか。

 特攻隊から何度も生還した方のドキュメンタリーをバラエティ番組で見ました。飛行機で敵艦に突っ込むのは揚力が邪魔をし、爆弾を落とすよりも命中率が落ちるそうです。その上、貴重な飛行機を失うと。かなりおかしな作戦です。当事者のリーダーが指摘し、訴えましたが、無視されました。その方は戦死し、その意思を継いで、生還を繰り返した方がいたと。やっと爆撃に成功し、生還したこの方は、特攻隊として撃破し、死んだと報道されました。ここにも立場主義が見えます。

 だれかの立場を守る捏造報道がなされました。

 2020年の東京オリンピックをインパール作戦と本間龍氏は発言します。

 新国立競技場の冷房設備の予算を削り、脆弱だとの2015年の記事があります。
 熱中症対策も脆弱です。競歩のコースが危険だとか、馬術では馬が持たないとか競技者が声を上げてます。危険なのは競技者だけでなく、観戦者も入場時にセキュリティチェックで炎天下で少なくとも20分は待たされるそうです。担当者の中には自己責任という声も出て…。それに対応する医者を無料ボランティアで募集…。私はオリンピック中は東京へ行きたくありません。

 そんな中、小学生を観戦動員要請がありました。競技場最寄りの駅は混むので一駅手前で下車して歩くようにと学校へ要請があったとのこと。子供を集団で炎天下を歩かせ…さらに入場もすぐにできるわけではありません。親から不安の声があがってます。2019年8月、オリンピック実施前年同時期、東京だけでも八日間に54人が熱中症で死亡してます。そこに小学生の団体が観戦にくる…考えなくてもおかしい。
 
 明らかにおかしな施策が行われています。おかしいと指摘するのはネット情報ばかりで、感情誘導装置のテレビは私の知る限りではほとんど報道してません。むしろ、雪をふらせるとか、焼け石に水のような対策を報道。

 テレビも立場主義の補強中でしょうか。

 立場主義に無責任体制が見えます。

 だれも悪者がいない、でもだれかの立場を守るためにどんどんトンチンカンな方向へ転がっていき、弱い立場の人へ、多くの犠牲者を出す。そして中心者はその立場をまもるために行われたので無傷…。実に嫌なパターンです。

 私は我慢することを美徳と育てられました。「我慢すること」は人と揉めず、平和です。楽です。「我慢しないこと」は話し合いが必要になり揉めます。

 でも、明らかにおかしいことを「我慢する」のは立場主義を野放し、弱い人たちをつぶします。





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脅しの教育、怯えのエリート。虐待サバイバー 安冨あゆみさん

 正しいと思うことを表明するのにどうしてこんなに勇気が必要なのか。それが、やすとみ歩さんのこの演説でその萎縮した気持ちの原因が分かったような気がしました。

 自分の言いたいことを言うときは組織のクビを覚悟でいいました。そこまでの内容ではないのに…被害妄想(笑)でもその臆病の根源は…これかもと思いました。「自分に力をふるえる上の人に叱られるのが怖い」と刷り込まれています。周囲の様子を見て自分の行動を決める頻度が高すぎます。

 安冨さんは「成果を上げない人間は生きている価値がない」そんな教育を受けてきた。これは戦中の教育の残滓です。お国の役に立つ人間…しかし、形を変え今も生き残っている価値観です。今は「お金儲けができる人間」でしょうか。テレビなどの成功話のオチがお金持ちが多いような気がするのですが…どうでしょうか。

 だから不登校の子も自分は生きていて価値が無いと追い込まれます。10代から30代の若い人の死因の一位が自殺だそうですが、その背景はこれもあるのでは。

 あるいは子供が不登校になるのはこの怯えを誘発される教育に無意識に拒絶をしているのではないかとも。子供自身が理路整然と抗弁できませんが、その場合は体が勝手に反応して学校へ行けなくなります。

 役に立つか立たないかを判別され続けたら、気の休まる暇はないです。

 そう言えば、母は不登校の私が役に立たないと思ったときに、進学が順調な次兄を指して4人子供がいたので「この子を4人産めばよかった」と弱っている私に向かって言いました。役に立つ子がいい子。私も母と同じ価値観で染まってましたから口ごたえ出来ませんでした。でも安冨さんのお母さんのお話をこの演説で聞くと大なり小なり母も似た価値観で育ったのかもと思いました。

 エリートだけではありません。脅しの教育は…

 勉強が苦手な塾の教え子が、勉強が好きだと言い出すようになりました。ところがその後、勉強にたいする意欲が消え、それどころか拒絶に。それがあまりにひどく勉強どころではなくなりました。安冨さんの演説…「子供の言うことを聞いてください」に背中を押され、勉強を中断して、子供の話をじっくり聞きました。

 子供はとつとつと言葉を絞り出します。学校に友達はいないしつまらない。友達はネットだけ。家では勉強をしないと、自分の唯一の楽しみのゲームを取り上げ、契約を解除すると脅す。口ごたえをすると家を出て行けと言われる。だから塾へは行く。塾はやめさせてくれない。

 ゲーム機は子供が一生懸命、小遣いをためて購入したもの。子供にとっては取り上げるのは理不尽です。自分の貯めたお金は親にとりあげられたけど自分のものじゃないの?と。

 これは私の子供の頃は当たり前の親のやり方ですが、今も続いてます。その親御さんは塾の面談ではその子に自信をつけさせたい、褒めてほしいと要望してます。でも、怒るとなると…脅しになってしまう。親御さんもおそらくそう教育されたのでしょう。でも、好きなものを取り上げ、家を出ていけ…それに怯えて塾に通う。なんだか…。

 安冨歩さんは演説で、学歴エリートの人も、名家エリートの人も怯えて生きている。それは虐待の教育を受けてきたから、自分も虐待のサバイバーだと述べています。

 私は選挙演説に興味を感じたことがないのですが、これは秀逸です。不登校で悩んでいる子供達、親御さんにもぜひ聞いていただきたい。文字起こしもしましたが、リンクから安富歩さんの演説も見ることができます。


 もとの演説画像リンクです。読むよりいいかも。なんで文字おこししたのか…(笑)
  やすとみ歩 新橋駅前の演説 7月5日  

 こんばんは。やすとみあゆみです。このタスキをもらって今日気づいたんですけど、やすとみ「あゆむ」と書いてありましたがやすとみ「あゆみ」なんですけども。これ私が生まれたときはっていうか…親につけられた名前、呼び方はやすとみ「あゆむ」でした。

 で、それで2、3年前にですね、あの、読み方変えました。みんな割と知らないのですが読み方は住民票を単に訂正すれば済むだけで裁判とか要らないです。

 で、なぜ変えたかと言うと、「あゆむ」っていう名前をよばれると、ドキッてすることに気づいたんです。なんか嫌な感じがするなということに気づいて、それからまあこういう格好もするようになったんで、男性的な感じのする「あゆむ」という名前よりも「あゆみ」って言う名前の方が自分にふさわしいなと思いまして「あゆみ」っていう名前に変えました。(拍手に)ありがとうございます。

 それであの住民票もですね単に引越しした時に名前の読み方を「あゆみ」にしたら住民票もそうなるので、銀行もキャッシュカードも全部変えられます。パスポートだけが面倒くさくてまだ残っているのですが、なんか外務省にいろいろ説明しないといけないそうなんですが、そのうち変えようと思ってますが。

 「あゆみ」って変えたら名前を呼ばれてもドキッとしなくなりました。なんでドキッとしないのかなあと思ったら、えっと多分ですね、「あゆむ」という名前は母親に叱られる名前だったんです。ということに気が付きました。

 それであのう、親とはですね十何年か前に私が離婚しようとしたときに猛烈に母親が妨害して、で、弟経由ですね、「もう連絡してくんな」と言ったら、それきり連絡してこないですね。うちの親は。なので、えーと一応、振り切ったつもりでいたんですけども。名前をですね、呼ばれるたびにドキッとすることを繰り返してたということに気づいて本当に驚きました。

 子供の虐待と言うのは私たちが普通に虐待と思っているようなものだけではありません。

 私の両親は私を立派な人間に育てました。誰よりも立派に育てたと思います。

 彼らは必死に私を育てて立派な人間にしようとして、そして京都大学に入って、で、銀行…住友銀行、(れいわ新選組の候補者の)三井さんと同じところに入って二年半で辞めたんですけど。大学院に入って博士号をとって大学教授になって最後、名古屋大学から東京大学の教授になるという立派なエリートコースを歩んで…ように立派に育てたんですが、でもその私は虐待のサバイバーだと思ってます。

 子供を守るというのは私のような人間を作らないということです。

 私は例えば京都大学に合格した時も、34歳で最初に書いた博士号をとった論文を本にした本で日経経済図書文化賞をとりました。そういう賞も受賞の連絡を受けた時も、東大に職を得たときも、これぽっちもうれしくなかったんです。いつも私はそういった時にはほっとしていました。

 例えばその日経賞という賞は、だいたい取っても功成り名遂げた立派な先生が受賞するような賞なんですけども私は34歳の時にそれを受賞したんですが、本を書いて出版した時に、「この賞をとらなかったら死ぬ」って思っていました。だから、本当に怖くて、「とれなかったらどうなるだろう」と思ったときに、電話がかかってきてですね、受賞をしたのでほっとしたんですね。

 完全におかしいです。成功する人間というのはそういう人間です。

 「成果を挙げなければ生きている値打ちなんかない」って心の底から思っているから、成果を上げられます。東大や京大に合格するような勉強を、そんなことのために青春を捧げるのはまともな人間には無理です。「合格しなかったら死ぬ」と思っているから合格するんです。

 そんなふうに人間、子供を育てるのは虐待です。

 考えてみてください。この国はそういう学歴エリートによって指導されています。私たちは、私たちエリートは怯えています。誰かに何かを言われるんじゃないかと思って怯えています。特に自分に力をふるうことのできる人に叱られるのに怯えています。

 50何歳にもなって親から縁を切って十何年も経って、東大教授で、有名人なのに、「あゆむ」という名前を呼ばれるだけで私は怯えるんです。

 そんな人間に社会は指導させたらどうなるか。想像してください。

 なぜ彼らは原子力発電所のような最初から安全に運営することなど不可能なシステムを安全に運営できると信じられるのか考えてください。彼らは偉い人に叱られるのが怖いのでそう信じられるのです。

 そういう人々にこの国を任せてはいけません。怯えない人に任せないと駄目なんです。自分自身が自分自身であるということを受け容れている人、自分がおかしいと思ったらおかしいと思える人、そういう人にしか重要な決定を任せてはいけません。

 安倍さんは学歴エリートではないです。だけど、彼はもっとすごいエリートの家の出身です。そういう人々も怯えています。お母さんに叱られるのに怯えています。おじいさんの夢を実現できないと叱られるから怯えているんです。恐怖にかられて決定を下す人に社会を任せれば社会は滅亡に向かいます。

 私たちが必要としているのは怯えない、優しい、強い、そういう心をもった人々です。それは残念ながら私はこのれいわ新選組の人々の中にもやはり私はいないと思うのです。なぜなら私たちの世代は全員殴られて育っています。私たちの親たちはまだ子供を殴る、そういうことが当たり前の世代でした。

 私の親は私がアレルギー性鼻炎でグズグズ言わしていると「そんな弱虫だと兵隊に行けないぞ」と言って脅しました。世間が万博とかやって浮かれているときにですね、子供にそんなことを言う親はちょっとどうかしているんですけども、彼らは昭和9年、10年なので、生まれたときには戦争が始まっていて、子供時代のすべてを戦争の時代に育ちました。

 だから父親は「大きくなったら戦争に行って死ぬと信じていた」と言ってました。

 おそらく母親は大きくなったら男の子を生んで戦場に送り出して戦死したらニッコリするそいうい靖国の母のモデルを体にしみ込ませ育ったのだと思います。

 その恐怖が私に埋め込まれています。同じ恐怖はおそらく日本人の間に埋め込まれています。

 戦争は終わってはいません。私たちは子供たちを守らないといけません。さもないとこの国の戦争は終わりません。
 私たちの心に埋め込まれた恐怖心がこの発展した豊かな社会を産み出したんです。

 そんな恐怖心によって産み出された豊かさは偽物です。その豊かさは収奪によってしか成り立ちません。何を収奪しているのか、貧しい国の人々、私たちの社会の中の弱い人々、そして自然環境です。私たちの豊かさはこれらの破壊によって、その犠牲によって成り立っています。そのような暴力性を帯びた豊かさを味わってもおいしくないです。その味は苦いんです。

 だから私たちはどんなに立派な家に住もうと、どんなに立派な都市に住もうと、どんなに優れた製品を使おうとも、心が空っぽになっています。私たちが幸福と感じるとき、私たちは幸福です。何かを手に入れても幸福にはなりません。

 そして恐ろしいことに怯えに支配された人間は何を手に入れても何をやっても何も感じません。暇つぶしができるだけです。

 暇つぶしをやめましょう。自分たちが何を食べているのか感じましょう。おいしいものを食べましょう。気持ちのいい家に住みましょう。楽しいことをやって下さい。そのための心を取り戻しましょう。そのためには私たちは子供たちに学ばないといけません。子供を叱るのをやめて下さい。子供をしつける権利なんか大人にありません。

 今日、私は阿佐ヶ谷で小学生三人とお話をさせていただきました。

 おなかが空いていてご飯が食べられない子供がいるのに学校に何百万円もかけて、一人当たり百万も二百万もかけて学校を運営していると言ったら「何でそんなことするんだ」と、「まずおなかが空いた子にご飯を食べさせてから学校を作ればいいじゃないか」と小学生は私に言いました。「何でそんなことするの」ときかれました。大人が狂ってるからです。私は答えました。

 私たちの狂気を今日、断ち切って子供たちを守って本当に楽しい社会を今つくりましょう。ありがとうございました。太郎さんが来られたようです。









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勉強=「強いて勉める」…やだな。

「勉強」とは…熟語の成り立ちからみると「強いて勉める」と読める。
  わぁー強制的だ
  「ビりギャル」で有名な坪田先生によると
  学校に行った人の80%が「勉強が嫌い」と答えたとの記事を見た。
  この意味ならば納得の数字…

塾の個別指導。
勉強を受け付けない中一の子の
英語と数学。
復習をすると…
「覚えてない」「わからない」と拒否。
宿題は一切やらない。

前回と同じ説明をする。
塾の方針は予習だが、
学校の授業進度よりも周回遅れ。
どの講師にも同じ反応。

ある意味、意志が強い子だ。


勉強が本当に嫌ならかわいそう。
でも塾は遅刻するが、休まない。
授業中は筆記用具が壊れたとか、
トイレへ行きたいとか
いろいろなことをして、授業時間のロスを起こし続ける。
更に、うたたねをする。猛者。

英語
ふと試しに
例文の主語をcatに替えた。
すると顔が輝き、
「カバは?」
「サイは?」
「カピバラは?」と質問しだした。

カバはたまたま知ってたけど…
カピバラはちょっと…(笑)
「動物が好きなの?」と聞くと
「違う」と言う。
でも「which animal  do you like?]と例文を書いたら
いつもは覚えないのに、animalを一発で覚えた。

「おかしいは?なんて言うの」
「バカは?」
「カッコいいは?」ときいてくる。

どんな単語をきかれてもおもしろがって応じた。
ちょっと悪いことした感が子どもも好きなのだ。

「学校じゃ役に立たないこと沢山、教えるよ」と悪乗り。

これだけ興味を見せるなら…辞書をみせた。
のぞきこんできて、おもしろがり、勝手に辞書を読み始めた。
その日の授業の半分はこれでつぶれた。まっいっか。

ヘンな単語の並ぶ例文をノートにとらせながら、
「お母さんが見るかなあ?」とちょっと心配すると…
「見ないよ」とその子。
でも、ボードにそんな例文がいくつも並ぶと
周囲の目を気にして
「早く消した方がいいよ」とはずかしそう。

そう、しっかりした子です。

もののついでに
「eaと続くと『イー』と読むことが多いよ」とボードに書くと、
指示しないのにノートにとる。こんなの初めて。

数学の授業のときに
「英語が好き」と言い出した。

設問を解きながら
「Englishを見ないで書けたよ」と言う。

単語の和訳テストを見せると
見もしないで「分からない、できない」と即、拒否。
でも「読めるのはあるかな?」と促すと…
プリントを見入り読み仮名をふりはじめた。
そう、まず読めればOK!

次の授業で、また同じプリントを出したら
即拒否。
「意味でも、読みでも書けたら点あげるよ」と提案をすると
のってきた。
40題ある単語の意味はあまり書けなかったが、
読みはほとんどができた。
意味も多少は覚えているようだが、
間違えるのを怖れるのか書きたがらない。
この怖れは少しずつほぐそう。

そして文法の勉強…
テキストの説明に聞き入る。
アホな例文は不要になった。

チュートリアルもすぐにとりかかる。
まだ、一緒にやる必要はあるが、
これなら、一人で解くようになるかも。

塾からは宿題再開の指示が出た。

…………………………

……やってこない…

…………………………

そう簡単にはいかないか…

でも、例文に使う単語を選んでと
辞書を渡すと喜んで見入る。
「単語選んで」の指示は従わないが、辞書を楽しんでいる。

これもひとつの芽…大事に育てよう。

……勉強に自ら取り組むようになり…

めでたしめでたしとは……そうは簡単にいかないが。

英語に対する拒否感は減った。
変わったことを言わなくても問題に取り組むように。
授業時間が余ったときは辞書で遊ぶ。


数学は
計算を掛け算を足し算と間違え、
直前に説明した内容を確認したら、
「忘れた」とバッサリ。

たまにちゃんと取り組む。
計算ならつきっきりでなくてもする。

チェックテストもするように。

あまり続かない…

うたたねもする。
でもここまで来たら起こす。

つらいなあ。

でも空気を読んで

教える側の「都合のいい子」になったら


それはそれで喜べない。


勉強とは…強いて勉める…

なんとか、楽しめるようにしたい。

なかなかむずかしい…。

まあ、あきらめません。
ときどきめげかけるけど(笑)

授業後、その子に笑いながら
「(したくない)勉強をよく頑張ったね」と声をかける…。
「鍛えてくれてありがとう……」と心の中で思う。

定期テストの結果が出て
成績があがらず、
「役に立てなくてごめんね」と言ったら
その子は
とてもびっくりして狼狽えた顔をした。

私の方がびっくりした。

勉強ができる、できないはその子の要素のほんの一部に過ぎません。





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前川喜平さん講演会② トーク部分

講演会の後半は弁護士の太田啓子さんとのトークでした。
 
 太田さんは弁護士をしており、ご自分のお子さんを通して感じたこと、また、憲
法改正の動きに関して、憲法とはなにかを意外に皆知らないのではないかと論議
以前の問題…賛成、反対以前に憲法について知りましょうと、気軽に話し合える場
として地元で憲法カフェを主催されてるそうです。

太田さん
   前川さんの参政権には学習権の側面があるという話は眼から鱗。
   森有礼さんについては良いイメージしかなかったので意外でした。
   人は学んではじめて市民になります。
   ところが、学校は政治や憲法にふれるのがタブーとなってます。
前川さん 投票権が18歳に下がり、現実に教室の中に投票権者がいます。
     文科省は3年前に「主権者教育」をするよう学校に通達しました。
     その反面、教師は自分の見解を言うな。中立性を保てとも(通達)
     不用意な影響を子どもに与えるなは教師の萎縮へつながりました。

太田さん 子どもたちは主権者教育をうけないまま大人になっています。
    20年後が不安。
     
    マスコミなどで憲法改正というが、憲法のことを知らない人が多いです。

    (まず確認したいことは)

     憲法を守るのはだれか?
       国家権力がその義務を負う。
       国家権力側の人=天皇・国会議員・公務員等


       国民ではない

        それさえ知らない人があまりに多いです。

      憲法は何かを知らないで改正論議をするのは…どうなんだろうか。
      そこで知るために憲法カフェをはじめました。

ブラック校則について
太田さん ヘンな校則が多いです。自毛証明書(髪を染めていない)・下着は白を
    指定等…

前川さん (日本は)人権感覚が希薄です。
      そんな校則が増えた背景には
         当時の校内暴力を力で抑えた成功体験があります。
         心の乱れは服装の乱れに現れるという意識がありました。
          髪の色、下着の色まで規定する校則が沢山作られました。
       しかし、今の学校の先生もその校則を守る理由が説明できません。
太田さん 守る根拠がない校則は…
     ルールだから守らなくてはならないというメンタリティが子どもたちに育つの
    が恐いと思います。
     子どもたちにはおかしなルールは変えられるという成功体験をつんで欲し
    いが、現実に学校の先生はそれに応じる時間や余裕がありません。難しい。

前川さん 子どもの権利条約でそれらの主張することは認められてます。
    学校はそれを受け止める学校であって欲しい。
    教員を公募した、コミニティースクールの工藤校長は「あれをしてはダメこれ
   もしてはダメと禁止すると子どもは考えなくなる」とおっしゃってます。その学
   校では制服ノーデーを生徒会(子供たちの話し合い)で決めたそうです。

太田さん 言いたいことがあっても(お母さん余計なことを言わないでと)子どもに
    止められます。 

    憲法15条 公務員は全体の奉仕者である。公立学校の先生も公務員。

前川さん 国務大臣や国会議員は、一部のために仕事をしたくなる誘惑がありま
   す。

太田さん 自分の生活そのものが政治。
    政治の話をふつうにできる教育にしたいです。

前川さん 多数決は最後の手段。話し合いを尽くしてからのもの。
    人は何らかの少数者に属していることは共有すべき感覚です。
    その少数者をないがしろにすることは自分自身をないがしろにすること
   です。

会場からの質問①~④
  ①アクティブラーニング(対話的、主体的、学び)は学校にそぐわないのではな
   いか。

前川さん 名古屋の小学校を訪問した時、その学校では子供たちの(感想を聞く)
   インタビューの受け答えに規制をかけませんでした。その学校は自分で考
   え自分で行動することを主眼として先生も主体性をもつべきという姿勢で
   した。

    自分は官僚時代、真正面から闘うとつぶされるので「面従腹背」でした。
   
  ②教員が社会体験がないからと英語の先生がコンビニの品出しをしていたが
   無意味では?

前川さん ひところ流行った。非常に不評で効果が無いと実証済です。
    それよりも他の職業経験がある人を中途採用、特に就職氷河期だった30代
   の人などを採用した方が良いのでは。

  ③不登校の中一の子が沖縄基地反対者の違法建築の実態を見に行きたいと
   いうが。

前川さん
 一次資料を自分で見たいということは頼もしいです。


  ④今日の聴衆も年配者が多いが…(ここに少ない)20代、30代に伝えるにはど
   うしたらいいか。

前川さん 世代間の対話があれば、今日の内容も家族間等で話し合いをしてくれ
   たらといいなと思います。


 以上、メモをもとにまとめましたので終わりがちょっと未消化な感じがして…すみ
ません。
 太田啓子さんはツイッターもされてるのでフォローしました。


前川喜平さん講演会①

8月に行われた前川喜平氏(元 文部科学事務次官)に行きました。
その講演の走り書きのメモをもとにまとめました。
前半は講演 後半は弁護士の太田啓子さんとのトークと質疑でした。
テーマ
   子どもに合った教育を
    ~これからの教育と日本

前川さんは「学習権」を提唱し、
   その法的根拠を憲法で謳っているいる権利をあげて述べられました。

「学習権」憲法13条に根拠
 ①1976年最高裁判決 旭川学力テスト
    一人一人の子は自ら学習する権利がある。
    自ら選べない子はそれを満たすことを大人に求める権利がある。
 ②1985年 学習権宣言 ユネスコ  想像し、創造する権利
    生存権=学習が満たされなければ生きていけない。
        読み書き計算 人間が生きて行くのに不可欠な手段。  
        学習することは人間らしく生きることにつながる。
    自由権=どこで何を学ぶかは選べる。
      憲法の「学問の自由」とは大学の教師だけを指すのではない。
      学習することすべてを指す。
    社会権=これら、国に対して学習機会の補償を求める
    平等権=等しく学ぶ権利
        現実は経済格差などで教育に差別が生じている。
    参政権=国が何をしているかを「知る権利」が必要
        知らないと誰を選んでいいのかわからない。

        学ぶ権利→政治家を選べるようになる。
          欧米諸国では
            学校で選挙の教育で行われている。
          文部科学省は
           「教師は選挙について教育せよ」と
            勧めながらも「教師の主張は控えるべき」
             …これは難しい。教師も萎縮、忖度してしまう。

普通教育について…その意味
   まっとうな大人、
   社会の一員として生きて行くのに必要な教育のこと。
 26条 無償の普通教育 
     義務教育イコール学校へ行くことではない。

     子どもに教育を受けさせる義務を国民の義務との表現は誤解を生む。
 
    「国が義務を負う」にすべき。

  憲法は国民が決めて国が守るもの
    名称を「無償普通教育」にかえるべき。
    現実に、経済格差でこぼれ落ちた人を国は放置している。

  憲法に「学校」という言葉は出てこない。
     学校教育法では…
      「学校に行かせよ」とあるが、
       子どもの権利なので強制的に行かせることはない。



学校になじめない子たち 
 9月に十代の自殺者が急増する。
  死ぬほど学校に行きたくない子には
    「行かなくていい」では弱い、「行くな」と言うべき。
     死ぬほど行きたくない場所は危険なところだ。

  前川氏自身の不登校経験
   小学校3年で奈良から東京へ転校した。
   東京では方言に違和感をもたれ、
   昭和30年代の東京の学校ではプール授業があったが、 
   奈良ではプールが普及されておらず、自分は初めて。
   授業では泳げないまま居場所がなかった。
   

 そこで感じたこと
 世の中にはいろいろな、マイノリティ(少数者)がいる。
   不登校・泳げない・自転車に乗れない等々
        でも、それでいい。
   いろいろなマイノリティをたしていくと50%を越える
              ↓
    マイノリティはマジョリティ(大多数者)だ。
    少数者を無視すると自分にそのお返しがくる。
     (自分もどれかのマイノリティに属している)


 学校は出会う先生によって居心地が左右される。
   転校当時の学校の先生は冷たかったが、その後、よい先生に出会えた。
    「学校になじめない子」というが、言い換えれば
    それは、「子どもがなじめない学校」であり、
      学校は「子どもが安心できない場所」と言える。

      現状は子どもを学校に合わせる。
      反対ではないか。

 学校がどうして「行かなければならない場所」になったのか。
   歴史的変遷をみる。
     森有礼「すべての学校は国家にためにある」と提唱
       国に役に立つ子どもを育てるのが学校。
               そこに権利はない。
       教育を受ける権利はそもそもなかった。
       国の役に立たない子は学校に来なくていい
             ↓
        就学免除(まだ残っている制度)
          障害(精神的・肉体的)者など対象

     学校のもとは軍隊 森有礼の目指したもの 
       例えば、兵式体操、
        「ぜんたい止まれ」の号令は「全体」ではなく「全隊」のこと。
         あきらかに軍隊である。学校にはその残滓が強く残っている。

     教師は権力者
       現在も桜宮高校(大阪)で 生徒の自殺事件が記憶に新しい。

    戦前 学校に行かなくても普通教育は認めていた。
       ところが、1941年「国民学校令」
                 学校以外の学びの道を閉ざした。
    戦後 その制度、「学校以外にない」が残った。
       学校に行かせないと保護者は刑事罰対象になった。
         「1週間、正当な理由なく子どもが学校を休んだ場合」
                          →刑事告発された。
          刑罰は、罰金だが、刑事裁判を経ての判決なので厳しい。
       その摘要は昭和50年代以降はない。
        なぜ続いたか。ネグレストやDVなどへの不安があったから。
        困ったことに、就学義務違反と不登校の境目がなかった。

     1960年代、(前川氏が不登校だったころ)
           前川少年が「(学校へ)行くのがしんどい」と言うと
            母は「寝てなさい」と言ってくれ…助かった。
     1990年代、「不登校」ということばになった。
           不登校は誰にでもおこりうること。

   子どもに合わせる学校の例 
    「みんなの学校」というドキュメンタリーになった学校
     おおぞら小学校初代校長 木村やす子校長
     障害・暴力 など どんな子でも受け容れる。

   ルールはひとつ「自分がされていやなことは人にしない」だけ。

   ルールをやぶると…校長室、別名「やりなおしの部屋」へ
    校長先生は叱らない、本人が自分を見つめる場である。
    学校はその子ありのままで包み込む。
      何度も暴力をふるってしまい、
      何度も校長室で自分を見つめた子。
       やがてその子は「教師になりたい」と前川氏に言う。

学校以外の学び場
  2014年7月 教育機会確保 学校以外の学びの場を認める。
       
          就学義務
          公費負担を検討する。
          第二次安倍内閣もフリースクールを支援すると明言した。

      中央審議会で2003年から議論されていた。
      超党派の国会議員連盟も議員立法
       問題点 国が管理すると…
            学校側の不安→子どもが学校に来なくなる
            フリースクール側の不安
              →国が管理すると自由さを阻害される
        前川氏の提案
         「中間支援組織」アクエリテーション(アメリカの制度)
          お上が裁定するとフリーではなくなる、
          自分たちで認め合う制度。
           歴史的にアメリカの学校は自然発生的に発達したので
          質の悪い学校も多かった。
          そこでお互いに評価し合うようになった。
          一定の水準に達したら仲間にし、その質を保証した。
           

不登校の子に応じた支援
 休養の必要性 
 学校以外の学習の重要性を認める。
 現実を手掛かりにして政策として実践すべき。

  不足しているもの→経済的支援。
 卒業証書は心配ない。
  子どもがどこかの学校に在籍していれば、自動的に証書は出すことになる。

対応がおこなわれる例
 フリースクールの公費負担 大阪市「スマイルファクトリー」
              20019年から世田谷区にもできる。
                 東京シューレが請け負う
不登校への拡大解釈の不安
 北海道の宗教法人の施設にいる信者の子ども
   全員一斉に不登校になったと申告し、
    自分たちのフリースクールに全員を移した。
    (一斉に不登校はありえない。どんな教育をするのか不安)

以上が講演の前半です。
前川さんの話で「学習権」と「中間支援組織」は大変興味深いものがありました。

後半は弁護士の太田啓子さんとのトークです。



親がしてあげたいことはしたが子供がしてほしいことは…

 亡くなられたある女優さんのドキュメンタリーを見ました。(2015年頃の放送)
 知的でとても素敵な女優さんです。
 晩年はテレビのコメントが歯切れがよく、聞いてて気持ちがよい方でした

 ドキュメンタリーの中で息子さんの長年の家庭内暴力が紹介されました。

 その息子さんが幼い頃、父親に倣い、歌舞伎役者の稽古をしている映像が紹介されました。

 ところが、思春期の頃、両親が離婚して、母方に引き取られました。歌舞伎のけいこも無くなります。同時に学校は私立中から公立中に転校させられました。転校先でいじめにもあったようです。当時の息子さんのうつろな表情の写真が何枚か…番組の意図的な選択の可能性がありますが…紹介されました。

 基本的に、子供は無条件に親を信じ、親の期待に応えようとする存在であること。
 子供は幼ければ幼いほど、(母)親のことで頭の中はほとんど占められているということ。
 これらはいろんなお子さんに会って、いつも実感することです。ほとんどの子供は親に褒められたくて頑張るんですね。
 
 その見方をすれば、思春期のその息子さんに起きたことは、親の期待に応えていたのに両親の離婚によってその目標が消えました。その上、転校により友達もいなくなり、さらにいじめにあいます。今まで立っていた大地が無くなった…子どもにとってはかなり過酷な状況です。

 子供は気持ちをうまく表現できない混沌の中にいることが多いのです。
 不登校の子供がよく親にあたりますが、自分の気持ちのもって行き場がなく自分の気持ちが整理できません。それで整理できない感情を、一番甘えられ、信頼できる親に暴言や暴力でぶつけます。

 このドキュメンタリーでは子供の時にフォローがあったのかどうかはわかりません。おそらく、母親に大変な事件が重なり、周囲には子供の状況を察する余裕が不幸にしてなかったのでしょう。あるいは、その母親の大変さに遠慮して子供も親に言えなかったのかもしれません。
 
 成人して、俳優を目指しますがうまくいきません。うまく行かないことを自分では受け止める力もありません。子供時代に使いきってしまったのかもしれないです。むしろ、子供時代の「信じ切っていた親に裏切られた意識」が初めて実感を伴ってきます。仕事がうまくいかない状況が続くと、怒りになり噴出し、初めて叫びます。「お前の(母親)のせいでこうなった」と。
 

 ドキュメンタリーでは母親自身も命の危険を感じることが多々あったと描かれてました。こうなると家族だけでの解決は不可能で危険です。お母さんが大女優なだけに事件を週刊誌は書きたて芸能ニュースにもなりました。そして、息子さんは若くして自ら命を絶ちました。

 女優さんの最期の言葉は「教育をやり直したい」でした。「自分の」してあげたいことはしたが、子供がして欲しいことはしなかったと。
 
 よその方のことを論評するのは簡単なことです。
 私はその女優さんのコメントが好きでした。その女優さんはとても大変な状況を何度も乗り越えられています。限られた時間でのドキュメンタリーですから描ききれなかった事実もあるでしょう。
 
 これは子供からの側面だけを見て感じたこです。

 持って行き場のなかった子供の感情がどうしても気になりました。

 
 
 

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教科書を鵜呑みにするのはイヤだ

教え子とのある日の出来事

数学の教科書の解き方を拒否されて
勉強自体いやなのかなとちょっと心配したのだが、
じゃあ私が解くのを見ててと計算し始めたら、
自分のやり方で解きたいと計算を始めた。

確かに、教科書の解き方は簡単に答えをだせる。
でも、自分で考えるのはとてもいいことだ。

自ら考えようとしてくれるのは嬉しい。


また、そこには
規定のものに盲従したくない自我も見えた。
長いものに巻かれたくない…いいなあ…そういうの好きだ。

そのうえで、やはり規定の方法がいいと実感して
納得したらその方が身に付くだろう。
自分で判断することが大切。

結局
いろんなアプローチを試みて、自分なりのやり方を貫いた。
これは新しい方法だと自慢。

そーかなぁ、さすがに進化じゃなくて退化だと言ったが
こういうことをする子は好きなんだよねと。
自分で考えるのはいいことだと伝えた。

そこで、
こんな内容をツイッターで見たとメモを見せた。
(実は大分前に教え子に見せたくてメモしたもの)
  割り算を習う前の子が、
    40÷8は?
      子ども 5+5=10
           4+4=8  答え5

どういうつながりなのかな、割り算を知らないですごいねと。
自分なりに考えた答えは価値があるよねと。

答え合わせは
こういう解き方もあるよと教科書の方法もノートの余白に書き入れ説明しつつマル付けをした。
もし、使いたくなったら参考になるようにと、とりあえずのエクスキューズ。
教え子がそれを使うかどうかは自由だ。
もちろん、教え子の出した答えもプロセスは違うが…多分学校じゃ通用しない…答えは正解だから〇。


宿題は同様の設問を
解き方は好きにしていいよと出した。

自分で工夫したいという気持ちは大切だ。
簡単に大人に従うことは無い。
黙って従うことの方がラクだけど
あえて難しいことを選んだのだから尊重したい。

教え子は楽しそうだった。






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脳の発達の仕方は人により違う…

 大人と子供の脳の違いについて、興味深い本を読みました。


怠け数学者の記 (岩波現代文庫)
小平 邦彦
岩波書店
2000-08-17


 随筆と対談の本です。著者の小平邦彦氏は数学者で、日本初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者だそうです。数学が得意な人でなくても楽しめる本です。(以下、引用は原文の各文末の敬体を常体にかえる等の変更はありますが、主旨は変えないよう留意しました。)
 
  こどもは小型の大人である。子供の能力は大人の能力を一様に縮小したものである
  これは間違ったとらえ方である。子どもは理屈抜きの記憶力がある。

物事には子どものときに習得しておかなければ大人になってからではどうしても覚えられないことと、大人になってからでも簡単に覚えられることがある。
子供の時に習得しないと大人では覚えられない教科とは…読み書きである。
小学校の基礎教科(日常生活に必要なもの)まず国語次に算数

子供の成長に合わせてまず基礎教科を徹底的に教え、他の教科は適齢に達してから教えるべきであるという基本は今も昔も変わらない。現在の初等・中等教育はこういう全教科を統制する基本方針が欠けているように見える。

ある教科をまだその適齢に達していない子どもに教えようとすると、教える内容はつまらないものになり、結局時間と労力の浪費になる。現行の小学校一年の理科や社会の教科書を見れば直ぐにわかる。

現在の小学校の一年から週2時間社会を教えているが、仮に昔のように社会を五年から週4時間教えるとすれば現在一年を教えている内容を教えるには二週間あれば十分であろう。

このように適齢に達してから教えれば簡単に教えられる内容をなぜ苦労して一年から教えなければならないのか理解できない。(略)そして五年になれば国語の実力がついてるから、一年からはじめるよりずっと能率よく教えられる。理科についても事情は同じだ。
 (注)この本が出版されたのは1986年です。理科と社会の小学校低学年の履修については、1992年に小学一、二年の科目から理科と社会はなくなりました。

 大人と子供の脳の違いの記述は興味深いですが…

 子供の脳の発達はすごいですね。
 小学一年生で、一年間かけても難しい内容が五年生になったら二週間あれば十分に学べてしまう。勉強は脳の発達に合わせて行うのは効率がよく、子供も学びを楽しめそうです。
 
 教育は成長の段階に合わせることが必要なんですね。

 また、何でも早ければいわけではない…。

 幼児教育についても脳科学者の澤口俊之氏は著書「発達障害の改善と予防」で発達障害を疑い、診断を受けに来た子供の中に、脳に問題はないのに、発達障害と同じ兆候を示す子供がいました。その子たちに共通していたのは澤口先生曰く「非科学的な幼児教育」をうけたことだと述べています。

 脳は複雑な器官です。
 大人と子供の違いはもとより、人によって違うと類推できます。
 ところが、そのような考え方は体系だってあまり聞いたことはありません。
 
 特に勉強に関してはできないと「努力が足りない」と一律に教える側は言う傾向があります。


 脳の発達に関しても個別に見る目があってもいいのでは。
 授業を一回聞いただけで覚える人がいます。
 繰り返すと覚えられる人がいます。
 何度聞いても受け付けない人もいます。
 それをモチベーションで克服する人もいます。でもそれだけでは済まないこともあるのでは?
 

 以前、ある英語の先生の体験を読みました。その方は中学から数学ができなくなり、高校でもまったくだめで、数学の入試がない大学に進学しました。その方は教職をとるためやむを得ず数学の勉強を再開したら、思いがけず簡単に理解できてびっくりしたそうです。これは、資格をとるというモチベーションもあったけど、数学の理解力も育ったのではおっしゃられていました。

 この方の場合は数学を理解できる脳が発達したのは大学生以降だったということでしょう。これは分野別でも物事を理解する脳の発達のスピードが人によって違うと捉えてもいいと思います。

 勉強の出来ない子に「やればできる」と言うのが普通です。

 しかし、このようなことも考えられるので一概に乱用はできません。
 
 また、今できなくても、できるときがくる可能性があるということでもあります。

 先の方も英語は得意でした。高校では数学の先生が担任でしたので「英語ができるのに…数学は出来ない…努力不足…」と対応され、居心地が悪かったそうです。残念ながらよくありがちな話です。でも、もしこの先生が分野別にも理解力が発達するパターンは個人によって違うと知っていたらその方への対応も違っていたのではと思います。

 やればできる、できないのはやらないからだと全員を判断するのは…危険です。

 いつかは分かりませんが、その子の中でスッとつながる時があります。そんな経験を持った先生もおられると思います。

 私もこんな経験があります。
 ある小4の子は、小数の桁とりが出来ませんでした。繰り返し学習しましたが一向に進展しません。出来ないと言うよりも受け付けない感じがしました。それで、その単元を離れました。その学年の終わり、学年のまとめにと再度その単元をやってみたら…時間がかかると想定していたら…あっけなく簡単にでき拍子抜けしました。それまでの間、一回も復習してません。これは脳の中ですっとつながる回路が出来たからと思えました。

 教える側は脳の発達の仕方は人によって違うことを認識すれば、子供に対する態度も謙虚になれると思います。
 総じて…あることが出来なくても少なくともそれはその人のごく一部に過ぎません。そう認識して子供たちに接することは大切です。

 
 
 
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反日の中,中国人による日本文化紹介誌を創刊

 ここしばらく近隣の国への政治家の言動に不安を感じます。
 そこでこの記事を改めて投稿します。

 中国は反日の人が増えても、

   必ず「そうだろうか」と疑問を呈する人たちが出てきます。
 
 私たちも情報に流されずそうありたいと思える内容です。
 
 
 中国に「知日」という日本文化を紹介する月刊誌があるそうです。

 中国の若者に読まれており、毎号5万から10万部、最大で12万部売り上げるそうです。


 創刊は2011年1月。その時期が興味深いです。

 創刊の4か月前、尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡回船と衝突する事件があり、日中関係がかなり緊張した時期です。

 発刊を決めたのは、その衝突事件の最中、

 出版記念会は、反日デモのもっとも激しかった場所の近くで開催。

その時期にした理由は…

 反日行動が激しくなるとそれを疑問視する人が必ず出てくる。

 日本を非難する中国人さえも日本の情報を求める。

編集スタッフはすべて中国人。日本政府や企業の支援は一切受けてません。

ターゲットは18歳~35歳

コンセプト 
    日本について自分のことのように知り尽くす。
           
           「知日」は縦に合わせると「智」になる。

    日本人も気付かない文化の魅力を発信

    ○読者が個人として活用できる情報。

    ○特集テーマは日本のライフスタイルや文化。

    ○政治や歴史認識などは一切扱わない。

 扱った特集 「漫画」「鉄道」「断捨離」など  
 大好評だった特集 「猫」「日本人の礼儀」など

 編集長は1980年生まれの中国人。日中戦争の激戦地で産まれ、反日教育も受けているのですが、村上春樹の作品を暗唱するほどの大ファン。

反日色の強い時期の中国でこの本を創刊した、その勇気がすごいです。

「日中友好」などのスローガンをこの雑誌は訴えていませんが、

人間が本能的に文化を求めている欲求に応えています。

人間はイデオロギーやナショナリズムにとらわれず文化を求めます。

(「知日」主筆・作家・神戸国際大学教授 毛丹青氏のインタビューより概略)

文化の力を感じます。

以前、美輪明宏さんがどんな政治家よりも一人の歌手の方がはるかに

外交に貢献できるという主旨をおっしゃったのを思いだしました。

友好、友好と声高に言うと嘘っぽくなり不自然になります。

でも、この本のように意図せずともその方向へ行くのがいい。

戦争は外交の失敗です。文化交流をと願わずにいられません。









 

平方根・助詞の分別は必要?

平方根・助詞の分別は必要なの?
再び不要な知識(かもしれない)を学ぶことについて考えます。


勉強は通常の生活には使うと思えない、
実生活と無関係としか思えないことも学びます。

子供たちが「何でこれを勉強しなくちゃいけないか」と思うのは当然でしょう。

「『は・が・も…』助詞を見分けるなんて要らないと思います
「平方根なんて…ふだん見たことない
「因数分解?使うの?

「役に立たないのにやりたくない
「無駄なことを勉強したくない

私も中学生のときはそう思いました。
それでもおもしろいと思ったものは勉強しましたが…。

大人がよく言うのは
「義務教育は基本だから、知らないと将来、相手にされないよ」
「やらないと後で困るのは自分だよ」

私も子供の頃言われたかな。
大人たちがこう言うのもおそらく
自分自身、子供の頃そう言われたからではないでしょうか。


  子供は「今の不満」を言ってるのに、
  大人は「将来の不安」で応じる…なんだかね。
  話がかみ合わない。

大人のこれらの対応は子供をだまらせる効果はあります。

でも中には負けない子供もいます。
「後で困るのは自分で他の人は困らない。だからやらなくていいでしょう

ここまで言うとは、
素晴らしい!アッタマイイ。覚悟ができている…かどうかはワカリマセンが

初めての教え子に
「なんで勉強するの?」言われたのを思い出しました。
そのときは
「あなたが将来何になるか分からないから
いろんな知識を身に付けて自分の引き出しを増やしましょう。」
と言った覚えがあります。


でも、この場合は通用しないですね。
私もそう思うので、さっさと認めます。
「そうだね。役に立たないね」と。
因数分解は思考的には役に立つ事例を聞いて感心したことがあるのですが、
平方根など
ホントに普段の生活で使ったは覚えがありません。

でも、セオリー通りのことを言うのは嫌いです。

  やらないと「テストで困るよ」「将来困る」
  高校入試試験にでるよ。etc
   
  子供たちが求めている納得できる答えはそれではないと思います。


さて、私の反応にあきらめたのか
子供は黙って勉強を再開しましたが、
私はあきらめきれず
教科書の後ろのページをめくって、
「やらなくて済まないかな…ああ…また出てくるね」
子供は勉強の手を止めて「えっ?」
「ほら、終わりの方にまたあるよ」
子供も教科書をめくって「本当だ」

今、流してもいいけど…もし必要になったら、
自分ひとりで調べ学べるよすがになればと勉強を続けました。

後で、実際にどんな場面で使う知識か検索しました。
回答のなかには
「将来困る」「役に立たくても学ぶべきだ」
などもありましたが…

親切な回答もたくさんありました。
役に立った具体的経験です。

その子の興味に沿う内容を選んで
プリントしたものを後日、渡しました。
その中の
ある方の「知識はお金になります」の言葉は
ここだけ抜き出すとあまり感じよくないですが、
ご自身の仕事内容を詳しくのべた後の締めでしたので
説得力がありました。

あまりに現実的で子供と一緒に苦笑しました。

子供の求めている答えはこれではないかもしれません。
でもプリントは持ち帰ってくれたのでひとまずホッとしました。

おそらく子供も明快な答えは無いと分かっているかもしれません。

 



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ゲームで心の回復

ETVスーパープレゼンテーションの再放送を見ました。
心理学者のスピーチでした。(好評で何度も再放送されてるようです)

「心にも応急手当てが必要だ」  ガイ・ウィンチ
ニューヨークで活躍する心理学者でセラピストのガイ・ウィンチが登場、心の応急
手当ての必要性を訴える。失敗して悩んだり、拒絶されて孤独感にさいなまれたり.
.....誰もが経験する心の傷。しかし、ウィンチによれば、こうした心の傷を手当て
する方法を身につけている人はほとんどいないという。心も体と同じくらい大切に
メンテナンスする必要があると語るウィンチ。プレゼンでは、手軽にできる心の応
急手当ても紹介する。
(NHKのホームページより)

こんな内容でした…
心も体と同じように傷つく。
体は傷つくと手当をする。
心の方が体よりもきずつきやすい。
ケガしたらすぐに絆創膏を貼るし、
骨折したら手当をする。
でも心は傷ついたら「気のせいだよ」「そのうち治る」と放置する。
心はつらければ体に影響が出る。


ある中年女性は離婚後、やっと立ち直り、ネットで知り合った男性とデートした。
収入もあり、自分に気もありそうだ。
最高におしゃれをし、初めて男性と会った。
ところが、デートの最後に「ごめん」と男性に言われて去られた。
拒絶されたショックで
女性は”友達”に電話したら「あなたお尻が大きいし、話もつまらないわ」と言われた。
なんてひどいことを言うのか…
実は…これは彼女自身が自分に言ったことばだ。
心が痛い時は自分に優しくして自尊心をまもらなくてはいけない。
ところが、自分にひどいことを言い続けさらに傷つく。

一番悪いのは失敗を反芻すること。
何度も何度も失敗を繰り返し思い浮かべ実感する。
悪いことを反芻するのは、傷口に塩をぬりつづけるのと同じだ。
でも止められない。

悪いことを反芻しないようにするにはどうしたらいいか。
簡単な方法は
思い出しそうになったら別のことを考えるようにする。
統計によると2分間気持ちを反らせば反芻が止まる。
例えば、スポーツや映画など集中できることをする。
もっと手軽にするなら携帯ゲームやスーパーの品物の陳列順を思い浮かべる。
何でもいい2分間気持ちを他にそらす。

……以上の内容が印象にのこりました。

不登校の子が
ゲームばかりをするのが心配という話があります。
それに対して
不登校の専門家は
ゲームをしながら回復をしています。
だから好きなだけやっていいですよと答えてます。


先ほどの心理学者の話で更に納得できます。
ゲームをすることでその間は
悪いことを反芻しないですみます。
学校から離れた不安感、哀しさ、自分をダメだと思う。
暗く、揺れ動く自分。
自分で自分を責めて自尊心を傷つけます。
自己評価の低下。
ゲームをする間は、他に気持ちをそらせます。
自分の傷口を広げないですみます。





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教師の説明を鵜呑みにしない子

 勉強をする上で、先生の説明をそのまま受け入れる子供は「勉強ができる」と評価されます。
 反面それに納得しない子は「勉強ができない」と判断されがちです。しかし、納得しないということは自分の頭で考えようとしてるわけです。

 このことについて、とてもよいエッセイを読みました。
 「まにまに」は西加奈子さんの6年分の短いエッセイの集まりです。
まにまに
西 加奈子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-09-11





  その中の一篇、「そこから」 はわずか2頁ですが、とても心に響きました。

 筆者が中学3年のときの話です。
 小学5,6年と一緒だったS君と、中学3年で久しぶりに同じクラスになりました。
かわいらしい少年だったS君はちょっと目つきが悪くなってました。
 ある日、そのS君に筆者は数学の問題の解き方を聞かれます。
「三角形があり、60度、70度とある。残りの角がxととなってそのxを求めよ」というような問題でした。 
すぐに解き方を教えますが、S君は「なんでなん?」と聞き返します。何度も説明しますがS君は納得しません。何度も問われるうちに少し怖くなります。
 それでも「だから、三角形の内角の和が180度やから」と繰り返すと、
S君は、「だから、なんで180度なん?」
 そこで筆者は初めて気づきます。「三角形の内角の和が180度である」という、そこから疑問を持っていると。それで自分が猛烈に恥ずかしくなりました。

 S君は数学の教師には勉強が出来ないと認識され、問題児扱いを受けていました。
 でも筆者は「全然違った。それどころか、とても聡明でまっすぐな人だった。」と感じます。

 「そういうものだから」という認識を合理的に理解できないひともいる。
 S君のように「そこ」から疑問を持つのは苦しいだろうが、「そういうものだから」をすぐに受け止める自分からすれば、S君はとてもとても眩しいと。
 大人になってから…
 筆者は何かを「そういうものだ」と諦めた時、S君の「なんで?」が聞こえると感じます。 
 (こういう感性を持つ作家さんは好きです。)

 教師側からすれば…
 「そういうものだから」とそのまま受け入れられる方がラクです。
 でも、それでいいのでしょうか?
「受け入れられない子供も受け容れる」大きさを持ちたいです。
 納得しない子供に大人は理路整然と説明できます。でも説き伏せるようなことにはしたくないです。論理で大人は子供に勝つのは簡単です。それよりも言われたことに納得した「ふりをしない」子の勇気とその感性をほめたい。
 一緒に考えたり、悩んだり、憤慨して「最初に言い出した人(学者)にタイムマシンに乗って文句を言いに行こう」と盛り上がったりして…疑問をもったことを否定しない。

 以前、友人からこんな話を聞きました。高校生のとき、数学の先生が同じ大きさの球体はどんな多面体よりも表面積が大きいと説明しました。ところが友人の級友は納得しなかったそうです。とうとう球体よりも表面積の大きい多面体の模型を自分で作ったそうです。

 言うことを真に受けない子は頼もしい…と、感じられる教師でありたいです。

 鵜呑みにしないといえば…
 地動説を唱えたことで有名なイタリアのガリレイ・ガリレオのピザの斜塔のエピソードを聞いたことありませんか。
 彼が生きた時代は、先哲アリストテレスの説が最も権威がありました。
  アリストテレスの「物体の落下速度説」とは
  「大きな石は小さな石よりも速く落下する」ですが、2000年も固く誰も疑いませんでした。

 ガリレオは「自分の目で確かめたい」と実験しました。ピサの斜塔から二つの物体を同時に落下させ、「物体は重さに関わりなく同じ速さで落下する」と証明しました。今なら当たり前ですが、覆すのは大変だったと思います。ガリレオは他にも迫害をうけてます。もしガリレオが長いものにまかれる人だったら…現代の科学の発展は大幅に遅れたかもしれません。

 子供達に言われることを鵜呑みにすることばかり奨励したら、
 自分の頭で考える力の芽を摘んでしまいます。
 


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日本もリンクワーカーが欲しい 行政と福祉

ETV特集「認知症とともに よく生きる旅へ~丹野智文42歳~」をみました。

 丹野さんは自動車会社のトップセールスマンでしたが、若くして認知症を発症しました。
 認知症と診断を受けた後、診断されただけでどうしたらよいか全くわかりません。ネットで認知症を調べると進行して寝たきりになるなどの情報が自分の診断された内容と一致すると感じたと。自分のことはどうでもいいが、妻に多大な負担をかけることになり、子どもたちはどうなるのだろうと絶望的な気持ちになったと。

 しかし、ネットで調べるうちに認知症をポジティブに生きているイギリス婦人のブログを読み、イギリスは認知症への制度が進んでいることも知ります。丹野さんは休暇を取り自腹をはたいてイギリスへ行き、生き生きと認知症を生きる人たちと出会います。中には認知症後も自動車が好きで運転を続ける男性がいました。丹野さんは自動車が大好きでしたが病気の発症とともに運転をあきらめました。でも車が大好きだったので、その話に涙ぐんでいました。(テレビのニュースによると認知症の免許返還は一律にするのを見直してほしいとの申し入れが最近行われました)
 
 ドキュメンタリー中でもっとも注目したのはリンクワーカーという存在でした。
 それは「診断後一年無料保証」という専門職です。当事者に一人、最低一年間ついてくれ、精神的なサポートと生活のさまざまな困難に対応する制度などを教えてくれます。番組で紹介されたリンクワーカーは中高年の優しそうな婦人でした。当事者夫婦は夫が認知症と診断されたとき絶望して何日も家に閉じこもったと。しかしリンクワーカーのおかげで希望がもてたと。
 特にいいなと思ったのは、「彼女はこういう方法、相談先がありますよと提示するだけで私たちの意志を尊重して決めさせてくれる」と。リンクワーカーは強制も押しつけもしないのですね。「彼女は私たちの親友です」と紹介してました。関係は対等です。

 日本でもそのような取り組みをしてほしいとの主張がネットで公開されてます。


 話はそれますが、

 自分の周りを振り返ると知らないばかりに福祉の恩恵をうけられないことがあまりに多いです。
 6年位前ですが、地元の当時の市会議員が「こんなに日本は福祉が進んでいるのに何でみんな利用しないのだろう」と、自宅を老親のために助成制度をつかってバリアフリーにした写真を周囲に見せていました。

   「あるとさえ思ってない制度」 に誰がアクセスできるのでしょうか。

 市会議員の無神経さに腹が立った覚えがあります。そのとき、「何ででしょうね」と言うのが精いっぱいで、ちゃんと意思を伝えられなかった私も私ですが。
 
 福祉制度をしらせまいとしているとしか思えないです。
 例えば精神科も通院ならば市区町村に申請すると診療、薬品代が自治体によって割合は違いますが、減額されます。私の市では半額になりました。 ほとんどの人が知りません。私は埼玉県の友人が遠慮がちに教えてくれました。その制度は病院の掲示板にさえはってありません。東京の友人に話したらやはり知らず、経済的に病院に行くのを控えていた近所の不眠症の老婦人に知らせたいとお礼を言われました。

 リンクワーカーとまで行かないまでも、福祉をうけるためにいくつも書類を用意させ、何度も通わせる…これは福祉を受けるのをあきらめさせるためではないかとさえ勘ぐります。まあ、それ以前に存在さえ周知してないのですから…。自分で調べろと言われても存在さえ知らないのだから無理…堂々巡りですね。

 不登校のサポートもインターネットの時代でもなかなか出会えません。一番身近で頼りになるはずの学校はとにかく「来るように」の一点ばりです。親も子も追い込むだけです。
   一般的に中学校に通わなくても卒業できることとか、
   高校へ行かなくても高認検を受ければ同等の資格がとれるとか、
           リンクワーカーのように提示してくれたらどんなに楽になるでしょうか。
   学校へ戻らなくていいと言ってるわけではありません。でも戻るのは選択肢のひとつに過ぎません。その子に合うものを選ばさせてほしいのです。高認検などの情報は誰も教えてくれません。さんざん悩んで動き回ってやっと知る…今もそれが現状です。

このドキュメンタリーについて、NHKサイト
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「この世界の片隅に」 戦争映画の変遷

久しぶりに映画館へ行きました。
 普通の日常を描く。冒頭はファンタジーのような導入で引き込まれました。しかし、内容は甘くなく
戦争が始まって嫌がることなく、受け容れる庶民の生活が描かれている…ヒロインすずもその一人です。戦争が日常化していく過程を淡々と描いている。

 戦争ってこんなに簡単に私たちの生活に入り込むものだと思いました。

 だから私たちも油断してはならない…。戦争は始まったら止められない。

 私たちの普通の生活と戦争は地続きなのです。

 ヒロインすずは私の母とほぼ同じです。
 母は結婚してすぐ父の仕事で中国の北京に行きました。父は中国で召集されたそうです。父は行軍から落伍し…母と日本に戻りました。母からはアメリカと開戦した途端にガスが止まったことや、ソ連(現・ロシア)が不可侵条約をやぶって日本に入ってきたときは本当に怖かったと…何度も聞かされました。直接聞いた戦争の話はその程度です。確かに、現在も日本が戦争になったら…資源の無い国です、簡単に枯渇しますね…。
 戦争映画は「愛する人を守るために死ぬ」などの犠牲的ヒーローを描くなど…見たあとその美しさに酔ってしまうようなものが多々あります。
 一見「反戦」ですが実は違います。…反戦と論点がずれてるのに気付かない。
 テレビもそんな映画をもてはやします。最近は、戦争の悲惨さを真っ向から描いた映画の企画自体が通らなくなったそうです。
 予算ではなく、内容ではねられると。映画「野火」もそんな映画です。ジャングルで飢餓に苦しむ兵隊を描いた小説が原作です。(私は中三で読みましたが今でも忘れられない小説です。)その企画が以前よりも通らなくなり、このままでは作れないと危機感を感じたと、出演、監督した方が後日、映画「沈黙」の挨拶でそのことに触れたそうです。
 「この世界の片隅に」は戦争を庶民にとってどんな存在だったかを等身大に描いた実に稀な映画だと思います。この映画も実現が難しかったのではと…。クラウドファンディングの応援があったからこそ実現したのですね。今こそこういう映画を見たい。
 
 ここからは「この世界の片隅に」にから少し離れます。ヒロインすずの年齢(プログラムだと1926年生まれとの思ったのですが、…原作では千人針のところで自分の干支を丑だとのこと1925年生まれに訂正します。)を重ねて私の印象にのこっている戦争を扱った映画の描かれ方の変遷を見たいと思います。(選んだ3本の映画は私の見た狭い範囲で、独断と偏見のそしりを免れませんが…悪しからずお願いします)

 そうすると、映画「この世界の片隅に」の価値が更にわかります。

 戦争の描き方はずいぶん変わりました。

一本目…「ヨーク軍曹」(1941年)アメリカ映画 ゲーリー・クーパー主演 すず16歳
 母は主演俳優の大ファンで「好きな俳優は?」と聞くと「ゲーリー・クーパー!」とよく即答されました。ハンサムだけど、ちょっと陰のある俳優です。母の好きな映画でした。ストーリーは母から聞かされました。私はテレビで見ました。すずも夢中になったかもしれません。

実在の人物の伝記映画です。
主役のヨーク青年は鉄砲の腕前が抜群です。
猟に行っては鳥の鳴き真似をして、鳥を振り向かせ、いとも簡単に仕留めます。

やがて、戦争がはじまり、彼も徴兵されますが、始めは戦争に批判的でした。
ところが、仲間が殺されたとき、燃え、銃を握ります。
敵兵を見つけ、鳥の鳴き真似をして振り向かせ続けざまに仕留めます。
そのとき、彼は一言「なんだ鳥と同じだ」と。それが、ユーモラスに描かれてました。

そしてなんと一人で何百人の敵兵を捕虜にする大活躍をします。
英雄となり、華やかな凱旋パレードをする…そんな映画でした。

 痛快で楽しい映画。1941年なら戦争真っ最中。プロパガンダかも。

 二本目は、時代はかなり下ります。このころは反戦映画がふえます。でもどこかあまい。
「遠すぎた橋」(1977年) イギリス・アメリカ合作 すず52歳。ロバート・レッドフォードなどの当時の大スターを何人も使い、超大作映画です。
 
 第二次世界大戦で勝利した、連合軍の成功した大作戦の映画は多かったのですが…これは、失敗した大作戦の映画です。
 テーマは「戦争は多大な無駄遣いである」でした。確かに、敵地に先に上陸した兵士に必要な食料などの物資をパラシュートで大量に落すのですが、ことごとく敵方に落ちてしまい全く取りに行けない。やっと命からがら手に入れた物資の包みをあけたら…連合軍のおそろいのえんじ色の大量のベレー帽が出てきて…がっかりする兵士の顔々々々。
 ただ、ヒーローが出てきます。瀕死の戦友を助けてジープをアクロバティックに運転する軍曹(アンソニー・ホプキンズ)とか、端正な顔のドイツの将軍(マクシミリアン・シェル)の登場とか、どちらもかっこよく印象的です。ロバート・レッドフォードも敵軍に爆弾を仕掛けられた橋をそうとは知らず渡り、観客をはらはらさせるのですが、不発で無事。レッドフォードはその橋の上でかっこよくたたずむ。
 
 豪華な俳優陣と、莫大な費用をかけた戦争映画。いちおう反戦らしいですが、戦争を心底嫌だと思えず、テーマもとってつけたようにしか残りませんでした。

 三本目は、「小さいおうち」(2014年)日本 松たか子主演 すず89歳 
 日常の背景に戦争がある映画です。
 ヒロインの不倫が描かれていますが、戦争があるのを当然のようにしている人たちの日常が描かれています。

 人間って戦争にこんなに鈍感になり、受け入れてしまうのだと。
 ヒロインは「あら、戦争になったのいやあね」そんな程度の感覚です。

 もし戦争になったら自分も身近に感じず受け入れてしまうのではないか。ヒロインが特に鈍感なのではありません。そこに戦争の怖さを感じました。戦争体験者の話の中に戦争が始まったらもう遅い、戦争の芽が少しでも見えたら反対しなければならないとあったのを思いだします。

 ところで、私が初めて戦争が怖いと思ったのは、1970年代にテレビ放映されたベトナム戦争のドキュメンタリーでした。それは戦場で闘う場面はなく、その背景。戦場に兵士を送りだす家族の映像でした。
 特に覚えているのは戦場から一時戻ってきた息子と家族が食事を一緒にしている映像です。ベトナム戦争は20年くらい続きました。もう彼らにとっては戦争は「普通」です。
 東屋で、6人くらいのベトナム人の家族が木のテーブルを囲んで椅子にこしかけ簡素な食事を黙々としています。それだけです。息子は「また戦場に戻る」とナレーションがあります。母親も他の家族も感情をださず、食べているだけ。延々と続く戦争。嘆くこともしなくなった、受け入れるだけ。食事をしているだけの映像ですが、戦争は異常なもののはずなのに、こんなにも「日常」になるんだと思いました。そこに人間の感覚の怖さがありました。

 冒頭の映画「この世界の片隅に」も同じです。戦争はいつのまにか日常になり、日常を壊す。壊されても生きていく…それを見ている私たちに実感させてくれる。嫌だと思うひまもなく、日常を浸食するのが戦争である。声高に主張しないけど、戦争の事実をきちんと再現している。この映画は秀逸だと思いました。こんな映画を待ってました。

 追記:原作漫画を読みました。原作と映像作品は別物と思って楽しむ…私は基本的にそう割り切るようにしてます。ところが、映像に原作のよさがちゃんと生かされています。原作を過不足なくアニメ化できるとは。すごいと思いました。もちろん上映時間の関係でエピソードを減らさざる負えないのですが。でもそれで、後から初めて原作を読む私のような者は、知らないエピソードを新たに知ることができるのもうれしいです。







 



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逆効果?トラウマ治療法

 トラウマの原因を思い出させる治療法があります。以前盛んにテレビでも、女優さんを使って放送されました。
 それは、トラウマに関する記憶は意識、無意識に消す、あるいは消そうとしているのが通常である。そのトラウマが無意識下で自分に問題を起こしている。だから、それを思い出し吐露することで正常の意識になれるという治療法でした。

 ところが、その治療法は、アメリカではとうに廃れた考え方だとこの本で初めて知りました。



 この本によると、その経緯は…

 1990年代、アメリカの精神科医学界にトラウマブームが起きました。ところが、医者から虐待が実際に無くても「あったという前提」で治療を受けていくうちに患者は「親に虐待を受けた」と思い込んでしまう、偽りの記憶が表れると心理学者リチャード・オフシーが告発しました。患者が親を訴えたり、訴えられた親が精神科医を訴える等の問題が起きるようになりました。

 さらに1997年に記憶研究者のエリザベス・ロフタスはトラウマ記憶を呼び起こす治療法が逆効果であると突き止めたそうです。むしろ、患者は悪化し、離婚、入院治療が必要になる、自殺、自傷行為を試みる人が大幅に増えたそうです。要はデメリットしかないと。

 この本では過去は肯定的にとらえた方が心の問題が解決につながっていくという考え方も紹介されています。 親に恨みを持っている人でも大抵何かしらいい記憶があるもので、自分は家族に愛されていたと気づけると。愛されていたならば、「私には生きる価値があった」と自己肯定感が増します。

 私自身も、悪いことを思い出すと追体験してしまい…体までも痛くなります。トラウマに関わるのは専門家に誘導してもらわないと危険かもと控えたのですが、この本によれば専門家でも逆効果だったわけです。それに、たまにですが、良かったことも思い出します。すると、確かに体がラクになります。悪いことは「言いたい」のに「言うな」と「抑えつける」のはいいとは思えません。しかし、無理に思い出す必要はありません。良いことを思い出した方が、たしかに元気になります。

 ところで、こんな話を聞いたことはありませんか。
 父親にさんざん困らされた母親が、父親が亡くなった後、いい思い出しか言わなくなる。子どもたちは「あんなにお父さんの悪口を言ってたのに…」とあきれる話です。それは、夫婦だからとか、単純に忘れたのではなく、終わったことを美化してしまうのは、これからを楽しく生きるための自然な防衛本能かもしれません。
 
 この本の他の章は賛否両論ありますが、この精神科関連の章は大変興味深かったです。

 悪いことは「わざわざ」思い出さなくていいと思います。


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歴史に当事者感をもたらすエマニュエル・トッド

  
 
 煽るような書名ですが、それにまどわされては勿体ない良書です。
 昨年、パリでテロ事件がありました。その頃、友達がパリから少し離れたところに滞在中でした。友達とのメールのやりとりも自然と国際情勢の話になりました。そのメールで教えてもらったのがフランスの歴史人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッドの存在でした。

 トッドの本は日本では「売らんがためのキャッチ―なフレーズ」をつけられているとも教えてもらいました。そう教えてもらわなかったら私はこの本をスルーして読まなかったと思います。その友達に感謝します。

 この本のもっともよいところは…
 私は歴史を学ぶとき、無意識に現実と切り離してとらえてました。昔は戦争があったとか、暴君がいたとか、民主主義がなかったとか、あたかも物語のように当事者感が全くありません。しかし、このトッドの本を読むと否応なしに自分もその歴史のうねりの中にいると実感します。そう感じることがこの本の真骨頂です。それは現在の時事問題を各国の国民性を絡めてわかりやすく的確に分析しているからだと思います。トッドの分析は現実になったものも多々あったそうです。

この本は…
 形式はインタビューにトッドが自分の考えを述べる形をとっていますので読みやすいです。しかし、翻訳もの独特の読みづらさもあります。ぼおっと読んでしまうと「あれ、何がこうなるだっけ?」と主語を探しに戻ることもありました。
 本の口絵にヨーロッパの地図がのっています。それは、「ドイツ帝国」傘下の国がその「隷属」の程度によって色分けされてます。ヨーロッパの国々は経済的にドイツの傘下に入っています。それが口絵でイメージしやすくなります。ヨーロッバのほぼ全土に及んでいるので「ドイツ帝国」と呼ぶわけですね。

具体的な内容に少し触れたいと思います。
 現在も進行中の出来事…ウクライナのロシア”侵攻”についてのトッドの見解が興味深いです。
 先の口絵ではウクライナの「隷属」の度合いは「ドイツ帝国」に”併合途上”に色分けされてます。ドイツから見たウクライナの魅力とは、教育の程度が高いので良質な労働力があります。しかも安価です。ウクライナはロシアと争う価値があるわけです。日本の報道は、アメリカ合衆国やヨーロッパの側のものだけです。昨年インターネットのニュースでウクライナ訪問した鳩山由紀夫元総理大臣の話を聞きました。それによると日本で報道されているようにロシアが強引に占領した様相ではなかったそうです。もっとも日本のマスコミは鳩山氏に取材をしようとせず、訪問したこと自体を大々的に叩きました。ところが、トッド氏のウクライナ問題の分析によるロシアとドイツ(軍事はアメリカ担当でドイツは陰にいて見えない)のウクライナでの関係を読むと鳩山氏の談話が的外れではないとわかります。

 興味深かったのは、国力を計る指標は、人口学のデータが一番信頼できるということでした。
 
 経済や会計のデータは簡単に捏造できると述べています。そういえば、ギリシャ経済が財政破たんした時、EU加盟前にギリシャの提出した財政データは、「EU加盟できるように」捏造されたものだったと露見しました。
 
 対して、人口学データはきわめて捏造しにくいと述べています。それは人が出生届を出してから死亡届を出すまで、その節目節目に整合性のあるデータが表れるからだそうです。
 1976年、ソ連はは乳児死亡率が再上昇し、当局はその最新のデータの発表をやめました。乳児死亡率の再上昇はその「社会の一般的劣化の証拠」なので、筆者はそこからソ連の崩壊が間近だと結論できました。

 現在のロシアを人口学からみると…乳児死亡率が低下し、出生率が上昇(2013年 ロシアは1.7人、フランスは2.0人、因みに日本は1.43人)また、女子の大学進学率は(100人の男子に対しての女子の人数)ロシアは130人と女子のほうが上回っています。(1位スエーデン140人、3位フランス115人、4位アメリカ110人、4位ドイツ83人)。ロシアでは女性は子供を産みやすくなりつつあり、その地位が高いと推測できます。さらに、人口の流出よりも流入の方が多いので、ロシアは周辺の国から魅力的であると、本書によれば「大多数の国民から暗黙の支持を受ける体制」であると述べられています。今まで持ってたマスコミのロシアのイメージとずいぶん違います…このように根拠のある分析は本当に重要だと痛感します。

 表題からドイツ批判の本にみえますが、(インタビュアーもそこを何度もつっこんでます。)著者は否定しています。ドイツは「強く言えば」軌道修正できる国だ。ただ、第二次世界大戦のヒットラーの台頭は今もヨーロッパ各国のドイツへの対応に大きく影を落としています。暴走したドイツを知っていると、それがドイツへの恐れとなって強く言えないのではないかと危惧しています。
 読んでてコワかったのは、ヨーロッパは1930年代からドイツを中心にしてリセットするようになったのではないかという言葉でした。
 それらのことはリアルタイムで進んでいることで、自分も歴史の当事者だとも思えました。

 



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他と違う・変わっているって悪い?

「他の子と違うからかわいそう」
こんな言葉が悪気なく言うのをよく聞きました。

キーワードは「同じは良いこと」
違いを受け付けない…。
私たちは「他の人と同じが良い」と飼いならされてます。
だから違うのは悪いことではないと感じる前にその芽をつまれてます。

金子みすずさんの詩の中に
「みんな違って、みんないい」というフレーズがあったと思いますが、
これにいたく感動したら、
アメリカの人に「なんで?」と不思議がられたそうです。
アメリカでは当たり前のことなんですね。


差別はアメリカもいろいろあります。
でも、アメリカは問題が表面化するから健全です。
表面化するのは「おかしい」と思う人がちゃんといるからです。

ところが日本は差別があってもなかったことにしちゃう。
「おかしい」と思う前につぶされます。
あるいは「言わない方がいい」と自粛する。
そしてもめ事をさける。
この方が怖いです。
認識しないから自省もできません。


アメリカの差別の事件を聞くと
「アメリカは大変。日本はそんなことない」とほっとします。
私も子供の頃はそうでした。

テレビ「痛快!林先生の生き様大辞典」(2015/02/17放送)で
林修先生が大リーグのダルビッシュ有さんへの子供のころの日本の差別についてふれたとき、パネラーの人たちが「(今の日本は)そんなことない」と安心するかのように言いました。それに対して林先生はそうじゃないと「日本の差別は執念深い」と、とても深い表現しました。

以前、こんな記事を読んだことがあります。
あるインドの人が日本人が突出した人を差別するのを見て
「カースト制よりもひどい」と言ったと。

子供の頃、歴史でカースト制を習ったとき、
日本はそんな制度がなくて良い国だと無邪気に思いました。
だからその記事が意外でとても印象に残りました。

カースト制にはこんな面もあります。
カーストの最高位バラモンは最下層の人でもなれるそうです。
スードラ(奴隷)出身の大臣もいました。
カースト制は思ったよりずっと風通しがいいようです。
だから良いとは言いませんが…。

日本の差別の基準は…
「目立つ」「突出する」など
他の人と違うこと。
外見や行動も対象になるから油断できません。

突出しちゃいけないのです。

差別されないよう、目立たないように萎縮してしまい、
自分がいつ差別される側になるかもしれないおそれもあります。

「あの人は変わっている」は日本では当然のように悪口に聞こえます。
論理的には「変わっていること」は悪いことでないですが…
日本の暗黙の了解。


差別の気持ちは人間の習性らしく、簡単になくならないけど、人間の弱さです。
その弱さと闘うために自分の中にも「差別する気持ちがある」という自覚が必要。
そこから「おかしい」と言えるようになり、問題を表面化させることへ。
そこから始まります。






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熊本…連休中に行った方の話

 熊本のご実家へ連休中行かれた方のお話を聞きました。貴重なお話ですので忘れないうちにレポートします。
 飛行機から熊本を見おろしたとき、その変わり様に胸を衝かれたそうです。ひとつひとつは判別できないものの多くのブルーシートが見えました。
 白川の清流は、泥の流れになってました。堤防はところどころひび割れてました。道路も陥没してます。それに阿蘇は火山活動が活発になり、何メートルか低くなったそうです。

〇お風呂の水が全部飛び出す
 ご実家では入浴中に地震(前震)に遭いました。お風呂の水が天井まではね上がり、湯船の水はなくなったそうです。 天井はびしょぬれ。断水になる前にと、すぐ湯船をいっぱいにしたそうです。ところが本震がきて、蓋も意味なく、水が全部飛び出しました。そのお宅は床をバリアフリーにしていたので、廊下まで水浸しに。
 別なお宅で入浴中に地震に遭った子供たちは、今も怖くてお風呂に入れないそうです。入ってもすぐ出てくると。
 私は日頃、断水に備えてお風呂の水は抜かないようにしているのですが、無駄ではと言うと、 その方はいや、地震が来た「後で」すぐに水を入れた方がいいと繰り返されました。生活水は確保したほうがいいのです。
〇生活水について 
 やはり、水の復旧が一番遅いです。原因には水道管の破裂したところが特定しにくいこともあるようです。 また、復旧しても高台のお宅は水圧の関係で、水の出るのは更に遅くなったそうです。
 とにかく、生活水を毎日ポリタンクで運ぶのが大変だったというのが一番の困りごとでした。(確かに1リットルボトル1本でも水は重い…。)
 年配の御夫婦のお宅はそんなに水は使いませんが、それでも大きいポリタンク2つ。1日に2回くみに行く必要がありました。 
 手を洗うこともままならず、アルコール、ウェットティッシュ類は売切れ、衛生面も悪くなり感染病の心配が。
 近所に貯水槽あったので汲みに行ったそうです。その水は煮沸しないと飲めません。トイレ用です。
 高台から平地に降りて、反対側の高台を登ってそこの給水所へ。満杯のポリタンクを持って、来た道を戻るという方もいたそうです。
 連休中は沢山のボランティアの方が集まってくれましたが、配置はうまくいってません。水を運んでくれるボランティアもあったらいいのにと思ったそうです。 
〇支援の格差
 食糧支援は報道の通り、地域によって格差があったそうです。益城町に一番集まったそうです。余った分を困っているところ(おにぎりが2人で1つのところもあった)へ持って行って欲しいと自衛隊の方に頼んだそうですが、「この地域と決められた物は他に運べない」と断られたそうです。結局、自治会の方が個人的に運んだそうです。
 ところで、自衛隊の方は東日本大震災のときは休めなくて大変だったと思いますが、熊本の場合は近くに駐屯地がいくつかあり、すぐに戻れて休め、交代して活動できたのではと聞き、少し安心しました。
 情報の格差もあります。多くの年配の方はスマホはもっていても情報検索の習慣はありません。情報はたまたま会ったご近所さんに教えてもらう。関東に住むお孫さんから給水場所などの情報を知らせてもらうなんてことも。
〇キャスター(車輪付き家具)の効用
 地震でテレビが跳ねると聞いたことがあります。熊本も壊れたテレビがたくさん外に捨ててありました。ところがキャスター付きの台の上のテレビは揺れが吸収され無事だったそうです。キャスターはすごいですね。こんなお宅もありました。キャスター付きワゴンが地震で左右に大きく動き、止めるに止められなかったのですが、揺れが収まって見るとのっていたガラスのコップが全部無事でした。
〇動物
 飼いネコはしばらく、こたつから出なくなり、エサも受け付けなかったそうです。久しぶりに会ったネコは痩せてたそうです。今もネコは不安なのかこたつに入るそうです。

 地震はおわりません。一日中揺れてる感覚です。昼間も揺れていますが、夜、ふとんに入ると特に感じます。最初の地震は夜でした。揺れで、目が覚めます。その度にこの揺れは逃げなくていいかと考えます。一度覚めるとすぐには眠れません。眠るには眠っているそうですが、疲れはとれないでしょう。そんな日が続いてるそうです。川内原発も不安です。停止して欲しい。でも、日々の生活の方で精一杯です。

 先日、職場で熊本支援で購入した人参を分けて頂きました。段ボール一杯のきれいな形の人参はすべてにタテに深くひびが入ってました。そのひびに添って包丁を入れたら、包丁の切れ目とひびは見分けはつかなくなりました。薄切りにしてサラダにしました。美味しかったです。今年の熊本のスイカも出来がいいと聞きました。


不登校…何で役に立たない勉強をするんだ

「何で役に立たないことを勉強しなくちゃいけないんだ。」
そんな言葉が教え子の口から飛び出すことがあります。

不登校からやっと立ち上がり勉強したいと、私のところに来てくれました。
始めは慣れるまでゆっくりと…様子を見ながら徐々に課題を増やします。

それでも、出された課題を毎回こなすことは…
一人の勉強は孤独な作業です。


始めは頑張れても、嫌になるときだってあるし、辛くなったりすることもあるでしょう。そのうち無意味に思えて、
「何で、自分の生活に必要と思えない英語や数学などの勉強をしなきゃいけないんだろう」と
「日本から出なければ、英語は要らないし、因数分解って何に使うの、文字式って現実には使わないじゃん…」
そのとおりです。
意味を見いだせないで、自分で自分を机に向かわせるのはつらいです。


そこで、「勉強しないと…あとで困るよ」ということばは
一見、筋が通るように見えますが、これは脅しです。
不安を煽り、追い込むだけです。
じゃあどうしたらいいのか。理想と現実のはざまで悩みます。

私が不登校だったとき、大学受験資格検定を通りました。
それを聞いた母の第一声は「これで中卒でなくなった」でした。
(中卒が悪いわけではありません。私の場合は自立できてなかったので)
その時の母の表情は喜びではなく「安堵」でした。

母のことばに同調できる親御さんも多いと思いますが、
子どもとしては結構、傷つきました。
母は子どもよりも、「世間体」を気にするように見えました。
その時の母の表情も口調も今でも思い出せます。
楽しい思い出ではありません。
同情的に見れば、おそらく母は子供の将来が不安でいっぱいだったのでしょう。

そして、残念ながら
母の言うことは現実に正しくもありました。(でも嫌だったなあ)
大検を経て進学しなかったら、
親御さんに今のように家庭教師は任せてもらえないかもしれません。

さて、「無駄な勉強だ」とぶつけてくる子にどう応えたらよいのでしょう。
「学歴がないと後で困る」とか、「自分のためだ」とか…
そんなこと子ども自身が一番よく知っており、周囲の誰かに必ず言われてます。
それも一度や二度ではありません。
言う方は良かれと思ってるのでしょうが、子どもたちを追い詰めるだけです。
先述のように脅しの要素はぬぐえません。

不登校の子とは限りませんが
子ども達は自分は将来どうなるか、どうするか見えない不安の中に今います。
更に、不登校の子は常にこの不安に苛まれ続けています。ツライ。

不満をぶつけてくる子は、実は「不安」をぶつけてるのです。

まだ将来がどうするかもどうしたいかもわからないのだから…
可能性を広げるためのひとつの手段としていっしょに勉強しよう…。
それも言えないときで自分の子供時代を思い出して一緒にべそをかいたことも(苦笑)

それが精いっぱいでした。…これで良かったのかわかりません。

大人は理屈では子どもに必ず勝てます。

  折角不安を訴えてくれたのに、理屈でおさえつけては何にもならない。
  それは単にだまらせるだけです。

安心させ、勇気づけるマインドを発するようしたい。

こう言うと良いなどのようなマニュアルはありません。


 

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