不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

不登校体験

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

学校と社会性は関係ない…不登校セミナー クリスタルマジシャン、ミシェルさん

昨秋、自由創造たんぽぽラボ主催の不登校セミナーへ行きました。(2019年9月28日)
やっと内容がまとまりましたのでご報告いたします。

 講師はクリスタルマジシャンのミシェルさんです。神奈川県出身で17歳からニュージーランドへ行き、20歳で帰国しました。
 青山学院のオファーによりEテレのTEDで「常識」をテーマにスピーチしました。(スピーチはYouTubeでご覧になれます)
 当日はTEDでは語らなかった、強迫神経症や不登校など壮絶な体験をお父さんと話して頂きました。

 講演後のグループ別フリートークタイムでお父さんのお話を近くで伺い、それも加えて構成し、まとめました。終わりの質疑応答でニュージーランドの教育制度についても少し触れています。

 講演前にクリスタルマジックを披露していただきました。重いはずの水晶玉が近くから見ても浮いて見え、とても不思議でした。

 (休憩時間に子供たちにクリスタルマジックを見せているミシェルさん)
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発端


 幼いころは明るく社交的な性格で、将来が楽しみでした。

 ところが、テレビで人類滅亡を描いた番組が引き金となり、大きなショックを受け発症します。

 強迫神経症とは
 手を洗うと菌が怖くていつまでも洗い続け、壁にシミがあればいつまでも気になり続けます。生きているのが怖い、死にたい。放っておくと当時住んでいたマンションの7階から飛び降りてしまう恐れさえありました。

 小4の頃から薬を処方されますが、副作用で見えてはいけないもの…幻覚…見えてしまいます。

日本の学校では
 症状から「変わっている」といじめられます。
 薬の副作用と、いじめ…
 あまりにつらい時期…自分のことですが、当時を覚えていません。

 病院に入院したこともありました。そこは子供の自殺未遂の救急搬送が日常茶飯事でした。1~2か月後学校に戻ります。

 ところが、学校はそういう事情さえ認識しようとしません。
 薬の副作用で心拍数が異常にあがり体育の時間も走るどころではありません。友達と遊ぶのも辛いです。薬は…少し減らす、すると、悪くなる、元の量に戻されるが続きます。

 高校二年の時、
 薬をやめたいと激しく拒否しますが、急にやめると離脱症状が出て命に関わります。親御さんは反対し対立したこともありました。

 体重は37、38kgに落ちました。
 そんな中、活路を求めてニュージーランド留学を決めます。

 日本での学校にいい思い出はありません。小中高のアルバムは全部捨てました。

お父さんのお話 (高校の先生で、定年後私学の非常勤講師をされてます。)
 不登校については若いころは理解できませんでした。

 実際、自分の子供がなったときこんなに大変かと。
 また、不登校以前に強迫神経症にどう向き合うか。今日、明日はどうか?毎日子供の去就を気にする生活が続きます。

 教師の研修では、不登校は思春期の嵐、自分が自分で分からない。自分の評価が0~100まで変動する、イライラがすごい、子供にとっては戦場のような状態だと。 自身が26歳のとき「この平和な気分は?」と思い、それが思春期の終わりと実感しました。
  
 強迫神経症の本で、兵隊に行けば死の恐怖が常態化して症状が治まるとありました。それなら留学はどうか。海外に行けば、その緊張の中で症状が治まるのではと。

 ニュージーランドの留学生が身近にいたことがきっかけとなり、留学先が決まりました。
 当時、(ミシェルさんは)自分でスーツケースがしめられないほど体力が落ちていました。
 出発当日は、家を出るのがぎりぎりになり、この電車に乗らないと飛行機に間に合わない…そのとき体力のない子が走りました。

 留学後「帰りたい」と電話があると「いつでも帰っておいで」と答えました。

ニュージーランドの学校では
 日本人留学生は大きく二つのタイプがいました。
  真面目に授業をうけるタイプ
  問題を起こし困って「とりあえず海外へ…」と留学させられたタイプ
 後者は先生が日本語を分からないのをいいことに、ミシェルさんはいじめられ、お金もとられました。でも殴られても殴り返せる力がありません。ミシェルさんは英語が話せなかったので先生に相談できません。

 さらに別な事態が……
 ニュージーランドは精神系の薬の投薬歴があるとビザがおりません。
 だから、留学申請には敢えて書きませんでした。

 しかし、知られることとなり、学校に呼び出され、入国審査局から自宅待機を勧告されました。
 自分は好きで飲んだ薬でもないのに、なぜこんな目に遭うのか、ホームステイ先で死のうかと思いました。

ジョーンズ先生との出会い
 ジョーンズ先生は英語のできない子供たちに英語を教える先生で、日本語は話しませんが、授業ではカツラ、鼻メガネ等先生とは思えないものを使い楽しませてくれる先生でした。
 そのジョーンズ先生に声をかけられました。それも日本語で! 実は先生の奥さんは日本人でした。日本語を話さなかったのは…子供達がそれを知れば、甘えが出て、英語を使わなくなってしまうからでした。ミシェルさんはその一回だけですがジョーンズ先生と日本語で話しました。

 先生は、
「ミシェルは人間として問題ない。校長先生もニュージーランドにいられるように入国審査局に手紙を書いてるよ」
「日本人以外のタイや韓国の人とも仲が良い。勉強も頑張っている」と。

 やがて帰国しなくていいと許可が出ました。
 これは特例…非常に珍しいケースです。

 余談ですが…ミシェルさんをいじめた日本人留学生は器物損壊で訴えられ、入国5年間拒否の裁定が下されたそうです。

 その後、ミシェルさんは色んな発案をし学校生活を謳歌しました。
日本人紹介のビデオに出演しました。卒業式では成績優秀の表彰を受けました。

 自身の変化について
 日本では自分を40%しか活用できなかったが、元の自分の変わらない部分はあるが、ニュージーランドで話し方、人間性、運動能力が変わりました。

 現在、クリスタルマジシャンをして人を楽しませています。
 エンタティメントの道を選んだのはジョーンズ先生の影響です。
 先生は日本語が通じない環境で怯えている生徒の授業でエンタティメント性をもたせました。今の自分を先生に報告したかったのですが、残念ながら先生はその前に他界されてました。

ニュージーランドについて
 自然がすごい、ただ、ただ広く。スーパーマーケットは夕方6時に閉まり「やる気があるのかないのか」そんな国です。
 南極に近いので陽も沈まない…。
  移民の国で、街を歩いているとどの国出身かわからない人たちばかり、まるで「地球の公園」ようです。
 空軍はオーストラリアに委託。ニュージーランドの空軍のマークは「キウイ(鳥)」です。キウイは飛べない鳥です。それを空軍のマークにしてもいい国。

日本では
 子供にとって学校がすべて。
 学校が居心地が悪いとすべてが終わってしまう。

 学校に行かないと社会性がつかないのか? 
 学校は社会の縮図ではありません。
 同年齢の子を集めて、先生は「先生」しかしたことがありません。
 生徒も先生も未熟です。

 学校は行ける時だけ行ければいい。

 学校は、お金の取引もない、大人になって出る社会とは違います。
 今、プロモーションの仕事もしているが、お金の動きなどの裏側も見えます。
 社会は社会に出て学べます。
 今は、小学生ですごい質問をする子に会うが、そのソースはYouTubeでした。そんな時代です。

お父さんのお話 
 日本に帰国した時、見違えるように元気でした。
 親は子供を「どこまで見守れるか」

 今は一つのレールから外れたら駄目な時代ではありません。

 この子はこんなに凄いのかと思う瞬間があります。自宅にいたころは通信教育の教材を取り寄せたが、子供は一週間分を20分で終わってしまいます…出来ることの発見、出来ないことの発見の繰り返しです。
 子供はニュージーランドの高校は卒業しましたが、日本の大学はやめました。でも満足です。子供の25年間は壮絶でした。
  小5のときに「生きていけない」と言われました…。
 「将来は笑い話になるよ」と言い続けました。

質疑応答


質問①留学の背中を押したものは何ですか。

ミシェルさん: 
 親です。「いつ帰ってきてもいいよ」と言われると「もう一日頑張ろう」と思えました。
 また、出発の空港で大泣きした祖母の存在もありました。

質問②親として「心配」は手放せるでしょうか。

お父さん:手放せません。見守るしかありません。


質問③日本では普通でない生き方は難しいです。(うちの)子は「何もしたくない」と言います。

ミシェルさん:
 
 それは、体力がなくなっているときです。本当に何もできません。

 日本は本当に出る杭は打たれる社会です。

 何も知らない酔客に説教されることもあります。努力と、周囲と同じことをすればうまくいくと思い込んでいる人達。したいことを我慢して今があると思っている世代。したいことをしている人を認めると自己否定になってしまう。負の遺産です。

 自分は「普通じゃない」を極めるしかないと思います。

お父さん: 
 昔は階級にこだわらず出世できる、フェアでした。しかし、それは幸せとは関係ないと気づく社会になりました。かつて総合学科高校に勤務した時、不登校の子も就学してきましたが、入学後何の問題もありませんでした。
 普通高校は大学受験をフェアに行うためのところでした。それと違う総合学科高校に期待したのですが…今は後退してしまい残念です。

 ニュージーランドの学校制度について
 ニュージーランドの小学校は誕生日に入学します。
 高校は進路や仕事が決まったら個々に抜けていきます。残るのは大学進学をする子供だけです。その子に合った緩いカリキュラムがあります。
 またニュージーランドの子供の就学は無料で、留学生は高額です。ニュージーランドは留学生から活力をもらっている。いいやり方です。

.................................................END
※全体の講演に個別のフリートークで伺ったことを加え構成しなおしたものです。語尾は敬体にしました。
※名前の表記を訂正しました。×ミッシェル → 〇ミシェル 2020/01/16


セミナー主催 リンク

不登校・ホームエデュケーション
自由に過ごす君へ  ホームページ
NPO法人「自由創造ラボたんぽぽ」
(神奈川県藤沢)
活動内容
ラボたんぽぽ(フリースペース)
マイクラ部
そとラボたんぽぽ
カフェたんぽぽ(親の会)
不登校相談
セミナー、講演会定期開催





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不登校当事者の講演 「居場所がほしい」の著者

 5月中旬に 藤沢のNpo法人自由創造ラボたんぽぽ主催の不登校当事者の講演に行きました。

 当事者側と親側の気持ちを交互に述べる形式でした。

 登壇者、当事者側は不登校について下記の本を出版されている方、親側は娘さんが現在不登校で、起立性調節障害の啓蒙活動もされている方でした。

この本を出版されています。


 当日は不覚にも筆記用具を忘れてしまい…携帯でメモをとりました。短めになりますが…その方がいいかもしれないと思い、書くことにしました。(浅見さんのインタビュー記事のリンクを後ろに貼りました。お時間があるときに是非お読みください。)

まず当事者側から、
 いろんな、子どもたちに話を聞くと
 こんな声が聞こえました。
 「いつも頑張っていた。」
 「常に頑張っていないとだめ。」そして…苦しくなる。
 「私の話を聴いて欲しい。」でも先生は忙しそうだ。
  また、先生に「私」を見るのではなく「クラス」としてひとまとめにされるのが嫌だと。

 なぜ不登校になったのかと聞かれて…
 本人も理由はわからない。学校へ行かないことには罪悪感があります。
 理由をしつこく聞かれ、無理矢理、作って答えました。すると、周囲はその解決のために動き出してしまうことに。そこで、「自分は親を苦しめている」ともっと罪悪感に苦しむようになりました。

 不登校の原因(きっかけ)は
 自分はおとなしいタイプでした。クラスにやんちゃな(不良)グループがおり、いじめるターゲットをよく替えるコワイ存在でした。ある日、彼らがひどい悪ふざけをしました。それを知った担任教師が誰がしたのか「手をあげろ」と言ったら、そのグループが手を挙げ、後で別室へ来るようにと言われました。ところが、その不良たちは何もしていない自分も強引に同行させました。その別室で教師に、(後の仕返しが怖くて何も言えない)自分をやっていないこともしたことにされ、「さっき手を挙げなかった」と卑怯者呼ばわりをされました。それがきっかけでした。

 不登校の子に「かけて欲しい言葉は?」とよく聞かれますが…言葉というよりは「優しい気持ち」を感じたいです。

親側
 不登校の親の集まりでは子供に笑顔で接するようにとのアドバイスを受けました。笑顔になれません。でも、口角をあげるとセロトニンは出ます(だから意味がある)。それでも不登校にしたのは「私」と自責の念に苛まれました。子供には見せないように、辛い時は車の中や風呂場で大きな声で泣きました。(これは必要でした)

当事者側
 元気になったきっかけは…
 適応支援センターのカウンセラーとの出会いです。
 通常、周囲は学校へ「行く」そぶりを見せると喜び、「行けない」と怒る。「僕」を見ていない。学校へ行くか行かないかしか見ないと感じました。
 それに対してそのカウンセラーは僕の好きなことを聞いてくれました。好きな野球の話をしました。好きな球団についての話で盛り上がりました。初めて「僕」を見てくれました。
 学校へ行かないのは一番いけないことと思っていました。
 また、野球部の友達からのメールもありました。一人でも味方がいたことが一番大きいです。学校は傷つく場所ではなくなりました。 

親側 
 親が明るくなるのと娘が動き出したのがほぼ同時期でした。フリースクールへ。そこで娘の好きな声優の授業がありました。好きなことは這ってでも行きます。(今も)学校へは行ってません。でも学校に行ったら解決ではないと思います。根拠のない?(笑)…期待かもしれませんが(笑)

当時者側
 また、不登校になりました。ゴールは学校なのか?辛くても学校に戻るのは、ぶり返します。親と顔を合わせただけで腹が立ちました。
 やがて、親がカフェに行ったり、好きな福山雅治のコンサートに行くようになり、親が明るくなりました。(それが嬉しかった)。子供のせいで親が苦しむ自責の念から解放されました。

・・・・残念ながらメモはここまでです。

当事者…浅見さんのインタビュー記事のリンクです。お話が重複してますが、ずっと詳しく、良い記事です。お時間があれば是非ご覧ください。
不登校の子の居場所についてリポートする連載で、そのひとつです。





私と一緒に勉強したい方は

高校へ行かず大学進学する方法2 私の経験

 私の大学受験資格受験検定(現 高等学校卒業程度認定試験)の経験です。

私がこの制度を知ったのは… 
 中学の時、学校へ行く代わりに市の青少年教育センターに1年ほど通いました。不登校の子専門の機関です。そこで知り合った、1年留年していた同級生から教えてもらいました。(そこのカウンセラーや教師からではありません。)
 
学校の先生の認識
 私の通った通信制高校の先生の中には直前に「検定を受けます」と話すと「落ちるよ」と軽く言う先生がいました。週に1回会うか会わないかの先生で人間関係はありません。合格した後、退学届を出しにいったとき、その先生にも「受かりました」と報告したら、にやけて返事しませんでした。
 おそらく、学校の先生はこういう制度に対しての認識がないのだと思います。不登校に理解がある先生は学校に一人いればいい方だと伺ったことがあります。認定試験への理解もあまり期待できないかもしれません。


受験勉強
 過去問題集と高校の教科書を購入し、 過去問題集をメインにして勉強しました。

試験問題 殆どが選択問題です。(H27年度の過去問と解答は文部科学省のHPで公開されてます。)
  
  


メンタル面…こっちの方が問題でした。
 自分で「受ける」と決め申し込んだにも関わらず、試験日がせまると受けたくない心境に…前日には家族が「一夜漬けでもいいから勉強しようよ」と数学の教科書を持って励ましてくれました。受かることよりも、「受けるだけ受けよう。参加することに意義がある」とそんな気持ちでした。

余談ですが、
 試験二日目に会場に向かう途中でへまをしました。試験に向かう電車で教科書を読むのに夢中になり、乗換駅を乗り越してしまいました。確実に遅刻です。もどって乗り換え電車を待つと、遅刻による入室猶予時間に間に合うかどうかわかりません。それで乗換駅まで戻り、タクシーに乗りました。1人でタクシーに乗るのは初めてだったと思います。降り際に運転手さんが「がんばってね」と声をかけてくれました。間に合いました。(…結局合格しましたので諦めなくてよかったです。)

 通信制高校で2科目の単位を取り、残りは検定試験で取りました。

検定合格後
 大学受験は検定試験レベルでは歯が立ちません。
 私は小論文のある学校を受験しました。

大学受験で
願書を出す時
 受付の事務員に、大学受験資格検定の願書の記載を見て「何ですか、これ」と言われました。一か所だけ「頑張りましたね」と言って受け付けてくれた事務員の方がいました。
 
面接で必ず聞かれたこと。
 どの大学でも同じ主旨の質問をされました。
 「今まで、ひとりで勉強してきたのだから、わざわざ大学に入る必要はないのではないか」です。
 
 始めは「そんなことはありません」と応えるのが精いっぱいでしたが、
一番いい答えは「1人の勉強では行きづまります。学校でいろんな人に出会って刺激し合って勉強したいです」
これは面接官も、自分自身も納得できるものでした。

 さて、高校時代というものは、一生の親友ができると聞かされてました。私は高校時代がほとんどありません。 その点では残念かなと。でも、本当のところ、両方の経験ができるわけではありませんから確かめようがありません。気にしてもしかたありません。

 高校に行かなくても色んな対処がある。
 高等学校卒業程度認定試験はその一助ですね。  

 高等学校卒業程度認定試験について↓
「高校へ行かず大学進学する方法1」


高等学校卒業程度認定試験の詳細は文部科学省のホームページを見て下さい。
 文部科学省ホームページ トップ>教育>大学・大学院、専門教育>高等学校卒業程度認定試験(旧 大学受験資格検定)
文部科学省ホームページへはここをクリック


私と一緒に勉強したい方は

高校へ行かず大学進学する方法1

高等学校卒業程度認定試験という制度があります。
高校在学中でも受験できます。(略して高認験)
高認験でとった単位を在学中の高校で取得した単位に組み込んで、在学中の高校を卒業できるそうです。この数年内の制度変更ですので、念のため学校にお問い合わせください。



高等学校卒業程度認定試験とは
「様々な理由で、高等学校を卒業できなかった者等の学習成果を適切に評価し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験です。合格者は大学・短大・専門学校の受験資格が与えられます。また、高等学校卒業と同等の学力がある者として認定され、就職、資格試験等に活用することができます。」(文部科学省のホームページより引用)


受験資格は…
「受験しようとする試験の日が属する年度の終わり(平成30年度試験については、平成31年3月31日)までに満16歳以上になる人が受験できます。平成17年度から、全日制高等学校等に在籍されている方も受験が可能となりました。」(文部科学省のホームページより引用) 

 前身の大学受験資格検定よりも受験資格などが、かなり緩和されました。
 
 日程や受験科目等、詳しい内容は文部科学省HPの高等学校卒業程度認定試験をご覧ください。
(このページの末尾のリンクをはりました。)

…ツイッターもあります。  文部科学省 中卒・高卒認定試験   
                 アカウント   @k_shiken
                 (https://twitter.com/k_shiken)
    試験日の自然災害等による中止等の情報を知らせるようです。

 受験科目数は7~9ほど。科目の多さに戸惑う人もいると思いますが、科目別に取得できますから、何回かに分けて受験してもいいです。試験は年に2回あります。

 前身の大学受験資格検定だった頃に、16歳の少年が一回で全科目を合格し、ニュースになったことがありました。(ただし、大学受験は受験年齢になるまで受けられません。)

 通っている高校でとれた単位も加えることができます。私は、通信制高校に通い、そこで2科目の単位をとり、残りは大学受験資格検定(現 高等学校卒業程度認定試験)でとりました。通信制高校の同級生を誘って一緒に受けました。その同級生は「思ったよりもたくさんの科目が受かった」と「残りは次の試験でとりたい」と喜んでました。


文部科学省のHPで受験方法、日程など確認できます。最新の情報を必ずご確認ください。

※2019年度試験の詳細は3月中旬頃、更新予定とありました。

過去問は平成26年度分から順次公開されてます。

文部科学省 高等学校卒業程度認定試験のページへはここをクリック


過去問題集も複数の会社から出版されてます。アマゾンで検索したら、これがでました。

私の検定試験の体験はこちら↓
「高校へ行かず大学進学する方法2」


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私は不登校から抜け出したのか?

不登校の解決は
学校へ通えるようになることではないと思います。
もっと、生きることに対して根源的な不安を抱えているとも思えます。


不登校時代は随分前なのに
目の前に不登校の子がいると
思い出すことが増えます。


そのときの悲しさや辛さがよみがえってきます。

自分は不登校でなくなったのは
単に学齢期が終わった、表面的なものに過ぎないような気さえします。

卒業した後の虚脱感。

学校に通ったからといって何も解決してなかったと思います。
学校へ行けないという毎日のようにおそう苦しみはなくなりましたが、
そして、とりあえず大学には通えたので、問題は解決したと思い込んでました。
しかし、単なる問題の先送りでだったように思います。

学校に通うという課題がなくなった後、
自立を怖がる弱い自分が露呈しました。

不登校の奥にもっと根源的な問題があったわけです。

学校は自立へのひとつの手段に過ぎません。
ただし、他に選択肢がない(ように見えた)。


ある方から「今は立ち直って」と言われたとき、
少なからず違和感を感じ、その気持ちを自分でも意外に思いました。
学校を卒業して何十年もたつのに。

不登校で苦しむ子を目の前にして
ありきたりのことしか思い浮かばず、
かつて子供だったときに不登校に無理解だった周囲の価値観が
自分の中に見えました。

誰もが悪気なく、やりがちな、
わかったような慰めや、励ましは口にすまいと思いました。

子供達とひとくくりにするのもおかしな話です。
マニュアルは存在しません。

中心に据えるマインドはぶれないようにすること。
自分は話をしたくなるような存在になること。



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私が不登校だった頃 ~中学生まで

私は不登校児童の草分けでした。
その頃は登校拒否児と呼びました。
幼稚園に行くのもだめだったので登園拒否から始まりました。

周囲に不登校児童はいません。
中学で同学年にもう一人、保健室登校の男子がいると聞きましたが、
学校でチラッとみかけただけでコンタクトはとりませんでした。

私の不登校の症状は
朝になると気分悪くなり、お腹も痛くなります。
あんまり続くので病院へつれていかれましたが、何でもありません。
そのうち仮病扱いをされるようになりました。
よく言われたのは自律神経失調症…当時のなんにでも使える便利な病名…かな。

(大学の教育学部では子供は本当に痛みを感じてて嘘ではないと講義したそうですが、周知されてません)

幼稚園時代は引きずられて連れていかれたこともありました。

でも、登校してしまうとケロッとして過ごせます。
自分でもわけがわかりません。
自分は怠け者だと思いました。自分の存在自体がいやでした。

登校拒否は幼稚園を含めたら、12年以上続いたことになります。

中学生になると食べられなくなりました。
のどにものがつまったような感覚がつづきました。
中3の時の体重は小6の時より、7キロ減りました。
こんどは食べろ~食べろ~と親に追い回され…太れない状態は中学生から10年以上続きました…
これは拒食症かもしれません。当時そんな言葉はありません。
結局、精神的なもの、気の持ち方とされました。
つまりそう思う私が悪い…です。でもどうしようもないのですけど。


小4くらいから自殺願望がありました。
ただそれを誰にも言う気はなかったですね。
というのも
10歳上の姉が「死んでやると」母を脅かすのを見てたから。
ある親戚が「本当に死ぬなら口に出さないものだ」と母に助言したそうです。
(その親戚は口に出さず自殺しました。)
姉のように親を脅かして慌てさせる気もない、
本当に死にたいから親戚のように誰にも言うまいと思いました。
(後年、医者に自殺願望があった話をしました。そばで聞いた兄は知らなかったとびっくりしました。私は「そうだっけ」と思っただけで、家族はそういう話をしたいと思えない乖離した存在でした。)


その私の気持ちを察知したのは父だけだったと思います。
9歳か10歳の頃、父と二人でテレビを見てました。
元オリンピック選手が、「期待に応えられない」と自殺したニュースが流れました。
それを真剣に見入る私に不気味なものを感じたのか
「お父さんは全く期待していないから、自殺しなくていいんだよ」と声をかけられました。
父の顔を見ると、笑顔でした。
後にも先にもその一回だけでしたが、歯止めになったかもしれません。

中二の時には青少年相談センターという不登校の子を集めた機関に通いました。
ここは学校から教えられ、「何とかしたい」と自ら行くことを決めました。
公立中学校の別室、学校に通うのと同じ扱いだったようです。
教科を教える先生は4人。あと複数のカウンセラーがいました。
数学や英語などを自分のやりたい範囲を勉強し、
定期的にカウンセラーと個人面談をし、
ロールプレイ(即興芝居)をした記憶があります。

不登校生対象ながら、一人を除いて、不登校に無知な大人ばかり。
若い先生は偏見がないのか感じが良かったですが…
「勉強が嫌だから学校にいかないんだろう」と公然と口にする男の先生もいました。
悪気はありません。子供がどう思おうが気楽に口にする感覚ですね。
勘の鋭い子はその先生をはっきり嫌ってました。
でも私自身は何を言われても仕方ないと腹もたちませんでした。
そこでは、ほかにも信頼できない大人に、カウンセラーも含めて出会いました。


ひとりだけ素晴らしい先生がいました。
最年長の男の先生でふだんは温厚で優しいのですが、
悪い時は本気になって叱りますが、
叱りっぱなしをしない気遣いもする先生です。
先ほどの「勉強が嫌いだから…」と言った先生に反論するなど
稀有な存在でした。
私は残念ながらその先生とはあまりご縁がありませんでした…。
その先生は当時、不登校についての番組でテレビに出演したそうですが私は見てません。
でも他の先生は名字しか覚えていませんが、その先生はフルネームで覚えています。

その先生は別として

むしろ、普通の中学校の担任の先生の方がはるかに良かったですね。
少なくとも、わかろうとしてくれました。

中一の時の先生は家庭訪問に来られたとき、
「家にこもっていないで気分転換に旅行でも行ったらどうか」と提案されました。
私も母も「学校にも行かないのに旅行に行くなんてととんでもない」と思ってましたので受け付けませんでしたが、学校の先生からこう言われるのは新鮮でした。

中二の先生はさっぱりしていて
「自分が思うほど他人は自分のこと気にしてないよ」と気持ちを楽にしてくれました。

中三の先生は高校進学先を探すときに、
遠方の高校見学で往復4時間の距離を付き添ってくれました。
その先生は授業中の私の様子を見て「この子はやる気があれば続く子」だと。
私は卒業文集に中三が一番良かったと書きました。
それを読んだ先生がとても喜んでいたと母から聞きました。
数年後、その先生は原因不明で体が動かなくなり先生を辞めることも覚悟したそうです。幸い良い治療法に出会い仕事に復帰できました。
「あなたの気持ちが初めて分かった。」と、その治療法が私にも効くのではと思い、知らせに拙宅に訪ねてこられたそうです。(残念ながら引っ越した後でしたが)十数年後の同窓会のときは私の顔をみてすぐに声をかけに来られました。

専門性も必要ですが、その前提に生徒への思いがないと無意味ですね。

ここまでは中学生までのお話ですね。その後のことは気持ちがまとまったら書きたいと思います。

さて、今の時代は不登校への理解が進みネットワークができるなど随分進展したように見えます。

でも、果たしてそうでしょうか。

実際にお母さんとお話しすると、意外に情報が行きわたっていないこともあります。
学校以外にも道はあるのに、学校は学校に戻すことしか考えてないようです。
不登校でも中学は卒業できるのに、学校はそれを親に教えない。
同じ悩みを抱える親同士のネットワークでやっと知ったと伺いました。

また、不登校対策と銘打った、危うい企業もあります。
5年前、不登校生対応の学習塾兼家庭教師派遣会社の面接を受けたことがあります。
そこの若い室長…名刺の肩書は「支店長」…。

「支店長」と面接中の私にこんなやりとりが聞こえてきました。
教室に中3か高校くらいの男子生徒がきて
「勉強をしたくない」と言うと、
男の先生が「学校にいいつける」と応じてました。
そこは広いワンルームで私にもまる聞こえです。…
「支店長」がまずいと思ったのか、
私との面接を中断して、その男子生徒を廊下に連れ出しました。
ガラス越しに子供と話している様子は見えました。

戻って来た支店長は
この塾は校長先生と連携して、
学校に戻すことを目指していると語っていました。
帰り際「それが、一番いいのですか?」と聞いたら
支店長は「子どもがそう望んでいますから」と即座に答えました。
私は「果たしてそうでしょうか。」と言いました…。

昔と大して変わらない…です。

余談ですが…
その塾は面接の結果も含め何の連絡もありません。
仲介したハローワークから、どうなったのですかと私に問い合わせてきました。
ところが、
2カ月たったころ唐突に仕事の依頼の電話がありました。
杜撰な感じがして、お断りしました。




まずは学校ありきです。他の道を教えない。

今も昔も本質的な苦しさや辛さは変わらないです。

自分が不登校経験者だからと言って
単純に不登校の子の気持ちが分かるというのも無神経な感じがして…言いません。

ひとりひとり違うと謙虚に接したいです。



追記:不登校について話す機会があると、どうしても当時の感情が戻ってきます。幼稚園から成人するまで不登校(園)扱いだったので…長すぎたのかもしれませんね。

追記2 同窓会が久しぶりに開かれ、中三のときの担任の先生に会えました。挨拶をし、今の私の仕事の話をしたら、いいことだと励まして頂きました。ところで、同じクラスの男子の名前を聞いてもあまり覚えてない…不登校生のサガでしょうか。関係ないかな(笑)

続きです。


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