正しいと思うことを表明するのにどうしてこんなに勇気が必要なのか。それが、やすとみ歩さんのこの演説でその萎縮した気持ちの原因が分かったような気がしました。

 自分の言いたいことを言うときは組織のクビを覚悟でいいました。そこまでの内容ではないのに…被害妄想(笑)でもその臆病の根源は…これかもと思いました。

「自分に力をふるえる上の人に叱られるのが怖い」と刷り込まれています。

 周囲の様子を見て自分の行動を決める頻度が高すぎます。

 安冨さんは「成果を上げない人間は生きている価値がない」そんな教育を受けてきたそうです。これは戦中の教育の残滓です。お国の役に立つ人間…しかし、形を変え今も生き残っている価値観です。今は「お金儲けができる人間」でしょうか。テレビなどの成功話のオチがお金持ちが多いような気がするのですが…どうでしょうか。

 だから不登校の子も自分は生きていて価値が無いと追い込まれます。
 10代から30代の若い人の死因の一位が自殺だそうですが、その背景はこれもあるのでは。

 あるいは子供が不登校になるのはこの怯えを誘発される教育に無意識に拒絶をしているのではないかとも。子供自身が理路整然と抗弁できませんが、その場合は体が勝手に反応して学校へ行けなくなります。

 役に立つか立たないかを判別され続けたら、気の休まる暇はないです。

 そう言えば、母は不登校の私が役に立たないと思ったときに、進学が順調な次兄を指して4人子供がいたので「この子を4人産めばよかった」と弱っている私に向かって言いました。役に立つ子がいい子。私も母と同じ価値観で染まってましたから口ごたえ出来ませんでした。でも安冨さんのお母さんのお話をこの演説で聞くと大なり小なり母も同じ価値観で育ったと思いました。

 エリートだけではありません。脅しの教育は…

 勉強が苦手な塾の教え子が、勉強が好きだと言い出すようになりました。ところがその後、勉強にたいする意欲が消え、それどころか拒絶に。それがあまりにひどく勉強どころではなくなりました。安冨さんの演説…「子供の言うことを聞いてください」を思い浮かべ、勉強を中断して、子供の話をじっくり聞きました。

 子供はとつとつと言葉を絞り出します。学校に友達はいないしつまらない。友達はネットだけ。家では勉強をしないと、自分の唯一の楽しみのゲームを取り上げ、携帯の契約を解除すると脅す。口ごたえをすると家を出て行けと言われる。塾はやめさせてくれない。

 ゲーム機は子供が一生懸命、小遣いをためて購入したもの。子供にとっては取り上げるのは理不尽です。自分の貯めたお金は親にとりあげられたけど自分のものじゃないの?と。

 これは私の子供の頃は当たり前の親のやり方ですが、今も続いてます。その親御さんは塾の面談ではその子に「自信をつけさせたい、褒めてほしい」と要望してます。でも、怒るとなると…脅しになってしまう。親御さんもおそらくそう教育されたのでしょう。でも、好きなものを取り上げ、家を出ていけ…それに怯えて塾に通う。なんだか…。

 安冨歩さんは演説で、学歴エリートの人も、名家エリートの人も怯えて生きている。それは虐待の教育を受けてきたから、自分も虐待のサバイバーだと述べています。

 私は選挙演説に興味を感じたことがないのですが、これは秀逸です。不登校で悩んでいる子供達、親御さんにもぜひ聞いていただきたい。以下に文字起こしもしましたが、リンクから安富歩さんの演説も見ることができます。


 もとの演説画像YouTubeリンクです。読むよりいいかも。なんで文字おこししたのか…(笑)
やすとみ歩 新橋駅前の演説    2019年7月5日  
  ※すみません!リンクつながってませんでしたので修正しました。

 こんばんは。やすとみあゆみです。このタスキをもらって今日気づいたんですけど、やすとみ「あゆむ」と書いてありましたがやすとみ「あゆみ」なんですけども。これ私が生まれたときはっていうか…親につけられた名前、呼び方はやすとみ「あゆむ」でした。

 で、それで2、3年前にですね、あの、読み方変えました。みんな割と知らないのですが読み方は住民票を単に訂正すれば済むだけで裁判とか要らないです。

 で、なぜ変えたかと言うと、「あゆむ」っていう名前をよばれると、ドキッてすることに気づいたんです。なんか嫌な感じがするなということに気づいて、それからまあこういう格好もするようになったんで、男性的な感じのする「あゆむ」という名前よりも「あゆみ」って言う名前の方が自分にふさわしいなと思いまして「あゆみ」っていう名前に変えました。(拍手に)ありがとうございます。

 それであの住民票もですね単に引越しした時に名前の読み方を「あゆみ」にしたら住民票もそうなるので、銀行もキャッシュカードも全部変えられます。パスポートだけが面倒くさくてまだ残っているのですが、なんか外務省にいろいろ説明しないといけないそうなんですが、そのうち変えようと思ってますが。

 「あゆみ」って変えたら名前を呼ばれてもドキッとしなくなりました。なんでドキッとしないのかなあと思ったら、えっと多分ですね、「あゆむ」という名前は母親に叱られる名前だったんです。ということに気が付きました。

 それであのう、親とはですね十何年か前に私が離婚しようとしたときに猛烈に母親が妨害して、で、弟経由ですね、「もう連絡してくんな」と言ったら、それきり連絡してこないですね。うちの親は。なので、えーと一応、振り切ったつもりでいたんですけども。名前をですね、呼ばれるたびにドキッとすることを繰り返してたということに気づいて本当に驚きました。

 子供の虐待と言うのは私たちが普通に虐待と思っているようなものだけではありません。

 私の両親は私を立派な人間に育てました。誰よりも立派に育てたと思います。

 彼らは必死に私を育てて立派な人間にしようとして、そして京都大学に入って、で、銀行…住友銀行、(れいわ新選組の候補者の)三井さんと同じところに入って二年半で辞めたんですけど。大学院に入って博士号をとって大学教授になって最後、名古屋大学から東京大学の教授になるという立派なエリートコースを歩んで…ように立派に育てたんですが、でもその私は虐待のサバイバーだと思ってます。

 子供を守るというのは私のような人間を作らないということです。

 私は例えば京都大学に合格した時も、34歳で最初に書いた博士号をとった論文を本にした本で日経経済図書文化賞をとりました。そういう賞も受賞の連絡を受けた時も、東大に職を得たときも、これぽっちもうれしくなかったんです。いつも私はそういった時にはほっとしていました。

 例えばその日経賞という賞は、だいたい取っても功成り名遂げた立派な先生が受賞するような賞なんですけども私は34歳の時にそれを受賞したんですが、本を書いて出版した時に、「この賞をとらなかったら死ぬ」って思っていました。だから、本当に怖くて、「とれなかったらどうなるだろう」と思ったときに、電話がかかってきてですね、受賞をしたのでほっとしたんですね。

 完全におかしいです。成功する人間というのはそういう人間です。

 「成果を挙げなければ生きている値打ちなんかない」って心の底から思っているから、成果を上げられます。東大や京大に合格するような勉強を、そんなことのために青春を捧げるのはまともな人間には無理です。「合格しなかったら死ぬ」と思っているから合格するんです。

 そんなふうに人間、子供を育てるのは虐待です。

 考えてみてください。この国はそういう学歴エリートによって指導されています。私たちは、私たちエリートは怯えています。誰かに何かを言われるんじゃないかと思って怯えています。特に自分に力をふるうことのできる人に叱られるのに怯えています。

 50何歳にもなって親から縁を切って十何年も経って、東大教授で、有名人なのに、「あゆむ」という名前を呼ばれるだけで私は怯えるんです。

 そんな人間に社会は指導させたらどうなるか。想像してください。

 なぜ彼らは原子力発電所のような最初から安全に運営することなど不可能なシステムを安全に運営できると信じられるのか考えてください。彼らは偉い人に叱られるのが怖いのでそう信じられるのです。

 そういう人々にこの国を任せてはいけません。怯えない人に任せないと駄目なんです。自分自身が自分自身であるということを受け容れている人、自分がおかしいと思ったらおかしいと思える人、そういう人にしか重要な決定を任せてはいけません。

 安倍さんは学歴エリートではないです。だけど、彼はもっとすごいエリートの家の出身です。そういう人々も怯えています。お母さんに叱られるのに怯えています。おじいさんの夢を実現できないと叱られるから怯えているんです。恐怖にかられて決定を下す人に社会を任せれば社会は滅亡に向かいます。

 私たちが必要としているのは怯えない、優しい、強い、そういう心をもった人々です。それは残念ながら私はこのれいわ新選組の人々の中にもやはり私はいないと思うのです。なぜなら私たちの世代は全員殴られて育っています。私たちの親たちはまだ子供を殴る、そういうことが当たり前の世代でした。

 私の親は私がアレルギー性鼻炎でグズグズ言わしていると「そんな弱虫だと兵隊に行けないぞ」と言って脅しました。世間が万博とかやって浮かれているときにですね、子供にそんなことを言う親はちょっとどうかしているんですけども、彼らは昭和9年、10年なので、生まれたときには戦争が始まっていて、子供時代のすべてを戦争の時代に育ちました。

 だから父親は「大きくなったら戦争に行って死ぬと信じていた」と言ってました。

 おそらく母親は大きくなったら男の子を生んで戦場に送り出して戦死したらニッコリするそいうい靖国の母のモデルを体にしみ込ませ育ったのだと思います。

 その恐怖が私に埋め込まれています。同じ恐怖はおそらく日本人の間に埋め込まれています。

 戦争は終わってはいません。私たちは子供たちを守らないといけません。さもないとこの国の戦争は終わりません。

 私たちの心に埋め込まれた恐怖心がこの発展した豊かな社会を産み出したんです。

 そんな恐怖心によって産み出された豊かさは偽物です。その豊かさは収奪によってしか成り立ちません。何を収奪しているのか、貧しい国の人々、私たちの社会の中の弱い人々、そして自然環境です。私たちの豊かさはこれらの破壊によって、その犠牲によって成り立っています。そのような暴力性を帯びた豊かさを味わってもおいしくないです。その味は苦いんです。

 だから私たちはどんなに立派な家に住もうと、どんなに立派な都市に住もうと、どんなに優れた製品を使おうとも、心が空っぽになっています。私たちが幸福と感じるとき、私たちは幸福です。何かを手に入れても幸福にはなりません。

 そして恐ろしいことに怯えに支配された人間は何を手に入れても何をやっても何も感じません。暇つぶしができるだけです。

 暇つぶしをやめましょう。自分たちが何を食べているのか感じましょう。おいしいものを食べましょう。気持ちのいい家に住みましょう。楽しいことをやって下さい。そのための心を取り戻しましょう。そのためには私たちは子供たちに学ばないといけません。子供を叱るのをやめて下さい。子供をしつける権利なんか大人にありません。

 今日、私は阿佐ヶ谷で小学生三人とお話をさせていただきました。

 おなかが空いていてご飯が食べられない子供がいるのに学校に何百万円もかけて、一人当たり百万も二百万もかけて学校を運営していると言ったら「何でそんなことするんだ」と、「まずおなかが空いた子にご飯を食べさせてから学校を作ればいいじゃないか」と小学生は私に言いました。「何でそんなことするの」ときかれました。大人が狂ってるからです。私は答えました。

 私たちの狂気を今日、断ち切って子供たちを守って本当に楽しい社会を今つくりましょう。ありがとうございました。太郎さんが来られたようです。










私と一緒に勉強したい方は