不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

2017年02月

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

日本もリンクワーカーが欲しい 行政と福祉

ETV特集「認知症とともに よく生きる旅へ~丹野智文42歳~」をみました。

 丹野さんは自動車会社のトップセールスマンでしたが、若くして認知症を発症しました。
 認知症と診断を受けた後、診断されただけでどうしたらよいか全くわかりません。ネットで認知症を調べると進行して寝たきりになるなどの情報が自分の診断された内容と一致すると感じたと。自分のことはどうでもいいが、妻に多大な負担をかけることになり、子どもたちはどうなるのだろうと絶望的な気持ちになったと。

 しかし、ネットで調べるうちに認知症をポジティブに生きているイギリス婦人のブログを読み、イギリスは認知症への制度が進んでいることも知ります。丹野さんは休暇を取り自腹をはたいてイギリスへ行き、生き生きと認知症を生きる人たちと出会います。中には認知症後も自動車が好きで運転を続ける男性がいました。丹野さんは自動車が大好きでしたが病気の発症とともに運転をあきらめました。でも車が大好きだったので、その話に涙ぐんでいました。(テレビのニュースによると認知症の免許返還は一律にするのを見直してほしいとの申し入れが最近行われました)
 
 ドキュメンタリー中でもっとも注目したのはリンクワーカーという存在でした。
 それは「診断後一年無料保証」という専門職です。当事者に一人、最低一年間ついてくれ、精神的なサポートと生活のさまざまな困難に対応する制度などを教えてくれます。番組で紹介されたリンクワーカーは中高年の優しそうな婦人でした。当事者夫婦は夫が認知症と診断されたとき絶望して何日も家に閉じこもったと。しかしリンクワーカーのおかげで希望がもてたと。
 特にいいなと思ったのは、「彼女はこういう方法、相談先がありますよと提示するだけで私たちの意志を尊重して決めさせてくれる」と。リンクワーカーは強制も押しつけもしないのですね。「彼女は私たちの親友です」と紹介してました。関係は対等です。

 日本でもそのような取り組みをしてほしいとの主張がネットで公開されてます。


 話はそれますが、

 自分の周りを振り返ると知らないばかりに福祉の恩恵をうけられないことがあまりに多いです。
 6年位前ですが、地元の当時の市会議員が「こんなに日本は福祉が進んでいるのに何でみんな利用しないのだろう」と、自宅を老親のために助成制度をつかってバリアフリーにした写真を周囲に見せていました。

   「あるとさえ思ってない制度」 に誰がアクセスできるのでしょうか。

 市会議員の無神経さに腹が立った覚えがあります。そのとき、「何ででしょうね」と言うのが精いっぱいで、ちゃんと意思を伝えられなかった私も私ですが。
 
 福祉制度をしらせまいとしているとしか思えないです。
 例えば精神科も通院ならば市区町村に申請すると診療、薬品代が自治体によって割合は違いますが、減額されます。
 私の市では半額になりました。 私は埼玉県の友人が遠慮がちに教えてくれました。その制度は病院の掲示板にさえはってありません。東京の友人に話したら、経済的な理由で病院へ行くのを控えていた不眠症の老婦人に知らせたいとお礼を言われました。

 リンクワーカーとまで行かないまでも、福祉をうけるためにいくつも書類を用意させ、何度も通わせる…これは福祉を受けるのをあきらめさせるためではないかとさえ勘ぐります。まあ、それ以前に存在さえ周知してないのですから…。自分で調べろと言われても存在さえ知らないのだから無理…堂々巡りですね。
 厚生労働省の若い方に聞いたら、そういう援助は分厚い冊子の後ろの方にあります…目立たないですね…と。

 不登校のサポートもインターネットの時代でもなかなか出会えません。一番身近で頼りになるはずの学校はとにかく「来るように」の一点ばりです。親も子も追い込むだけです。
   一般的に中学校に通わなくても卒業できることとか、
   高校へ行かなくても高認検を受ければ同等の資格がとれるとか、
   リンクワーカーのように提示してくれたらどんなに楽になるでしょうか。
   学校へ戻らなくていいと言ってるわけではありません。でも戻るのは選択肢のひとつに過ぎません。その子に合うものを選ばさせてほしいのです。高認検などの情報は誰も教えてくれません。さんざん悩んで動き回ってやっと知る…今もそれが現状です。

このドキュメンタリーについて、NHKサイト
認知症とともに よく生きる旅へ

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「この世界の片隅に」 戦争映画の変遷

久しぶりに映画館へ行きました。
 普通の日常を描く。冒頭はファンタジーのような導入で引き込まれました。しかし、内容は甘くなく
戦争が始まって嫌がることなく、受け容れる庶民の生活が描かれている…ヒロインすずもその一人です。戦争が日常化していく過程を淡々と描いている。

 戦争ってこんなに簡単に私たちの生活に入り込むものだと思いました。

 だから私たちも油断してはならない…。戦争は始まったら止められない。

 私たちの普通の生活と戦争は地続きなのです。

 ヒロインすずは私の母とほぼ同じです。
 母は結婚してすぐ父の仕事で中国の北京に行きました。父は現地召集です。父は中国を行軍し落伍…母と日本に戻りました。
 母からはアメリカと開戦した途端にガスが止まったことや、ソ連(現・ロシア)が不可侵条約をやぶって日本に入ってきたときは本当に怖かったと…何度も聞かされました。直接聞いた戦争の話はその程度です。確かに、現在も日本が戦争になったら…資源の無い国です、簡単に枯渇しますね…。
 戦争映画は「愛する人を守るために死ぬ」などの犠牲的ヒーローを描くなど…見たあとその美しさに酔ってしまうようなものが多々あります。
 一見「反戦」ですが実は違います。…反戦と論点がずれてるのに気付かない。
 テレビもそんな映画をもてはやします。最近は、戦争の悲惨さを真っ向から描いた映画の企画自体が通らなくなったそうです。
 予算ではなく、内容ではねられると。
 例えば映画「野火」です。内容は軍部の無謀な作戦…少ない兵站(食糧)でジャングルを行軍させます。食糧は尽き、飢餓に苦しむ兵隊を描いた小説です。死んだ仲間の肉を食べるショッキングなエピソードもあります。それで頭がおかしくなった兵隊も。(私は中三で原作を読みましたが忘れられない小説です。)監督の方はこのような映画の企画が以前よりも通らなくなり、このままでは作れないと危機感を感じたそうです。この話をしたのはが出演した映画「沈黙」での舞台挨拶でした。余談ですが「沈黙」がマーチン・スコセッシ監督でなかったら彼の談話をマスコミは取り上げなかったと思いました。

 「この世界の片隅に」は戦争を庶民にとってどんな存在だったかを等身大に描いた実に稀な映画だと思います。この映画も実現が難しかったのではと…。クラウドファンディングの応援があったからこそ実現したのですね。今こそこういう映画を見たい。
 
 ここからは「この世界の片隅に」にから少し離れます。ヒロインすずの年齢(プログラムだと1926年生まれとの思ったのですが、…原作では千人針のところで自分の干支を丑だとのこと1925年生まれに訂正します。)を重ねて私の印象にのこっている戦争を扱った映画の描かれ方の変遷を見たいと思います。(選んだ3本の映画は私の見た狭い範囲で、独断と偏見のそしりを免れませんが…悪しからずお願いします)

 そうすると、映画「この世界の片隅に」の価値が更にわかります。

 戦争の描き方はずいぶん変わりました。

一本目…「ヨーク軍曹」(1941年)アメリカ映画 ゲーリー・クーパー主演 すず16歳
 母は主演俳優の大ファンで「好きな俳優は?」と聞くと「ゲーリー・クーパー!」とよく即答しました。ハンサムだけど、陰のある俳優です。母の好きな映画でした。ストーリーは母から聞かされました。私はテレビで見ました。すずも夢中になったかもしれません。

実在の人物の伝記映画です。
主役のヨーク青年は鉄砲の腕前が抜群です。
猟に行っては鳥の鳴き真似をして、鳥を振り向かせ、いとも簡単に仕留めます。

やがて、戦争がはじまり、彼も徴兵されますが、始めは戦争に批判的でした。
ところが、仲間が殺されたとき、燃え、銃を握ります。
敵兵を見つけ、鳥の鳴き真似をして振り向かせ続けざまに仕留めます。
そのとき、彼は一言「なんだ鳥と同じだ」と。それが、ユーモラスに描かれてました。

そしてなんと一人で何百人の敵兵を捕虜にする大活躍をします。
英雄となり、ビルの谷間にテープが舞う華やかな凱旋パレードをする映画でした。

 痛快で楽しい映画。1941年なら戦争真っ最中。プロパガンダかも。

 二本目は、時代はかなり下ります。このころは反戦映画がふえます。でもどこかあまい。
「遠すぎた橋」(1977年) イギリス・アメリカ合作 すず52歳。ロバート・レッドフォードなどの当時の大スターを何人も使い、超大作映画です。

 
 第二次世界大戦で勝利した、連合軍の成功した大作戦の映画は多かったのですが…これは、失敗した大作戦の映画です。
 テーマは「戦争は多大な無駄遣いである」でした。
 確かに、敵地に先に上陸した兵士に必要な食料などの物資をパラシュートで大量に落すのですが、ことごとく敵方に落ちてしまいます。やっと命からがら手に入れた物資の包みをあけたら…連合軍のおそろいのえんじ色の大量のベレー帽が出てきて…がっかりする兵士の顔々々々。
 ヒーローが出てきます。瀕死の戦友を助けてジープをアクロバティックに運転する軍曹(アンソニー・ホプキンズ)とか、端正な顔のドイツの将軍(マクシミリアン・シェル)の登場とか、どちらもかっこよく印象的です。ロバート・レッドフォードも敵軍に爆弾を仕掛けられた橋をそうとは知らず渡り、観客をはらはらさせるのですが、不発で無事。レッドフォードはその橋の上でかっこよくたたずむ。
 
 豪華な俳優陣と、莫大な費用をかけた戦争映画。いちおう反戦らしいですが、戦争を心底嫌だと思えず、テーマもとってつけたようにしか残りませんでした。

 三本目は、「小さいおうち」(2014年)日本 松たか子主演 すず89歳 
 日常の背景に戦争がある映画です。
 ヒロインの不倫が描かれていますが、戦争があるのを当然のようにしている人たちの日常が描かれています。

 人間って戦争にこんなに鈍感になり、受け入れてしまうのだと。
 ヒロインは「あら、戦争になったの いやあね」そんな程度の感覚です。

 もし戦争になったら自分も身近に感じず受け入れてしまうのではないか。
 ヒロインが特に鈍感なのではありません。そこに戦争の怖さを感じました。
 戦争体験者の話の中に戦争が始まったらもう遅い、戦争の芽が少しでも見えたら反対しなければならないとあったのを思いだします。

 ところで、私が初めて戦争が怖いと思ったのは、1970年代にテレビ放映されたベトナム戦争のドキュメンタリーでした。それは戦場で闘う場面はなく、その背景。戦場に兵士を送りだす家族の映像でした。
 特に覚えているのは戦場から一時戻ってきた息子と家族が食事を一緒にしている映像です。ベトナム戦争は20年くらい続きました。もう彼らにとっては戦争は「普通」です。
 東屋で、6人くらいのベトナム人の家族が木のテーブルを囲んで椅子にこしかけ簡素な食事を黙々としています。
 それだけです。

 息子は「また戦場に戻る」とナレーションがあります。母親も他の家族も感情をださず、食べているだけ。延々と続く戦争。嘆くこともしなくなった、受け入れるだけ。食事をしているだけの映像ですが、戦争は異常なもののはずなのに、こんなにも「日常」になるんだと思いました。そこに人間の感覚の怖さがありました。

 冒頭の映画「この世界の片隅に」も同じです。戦争はいつのまにか日常になり、日常を壊す。壊されても生きていく…それを見ている私たちに実感させてくれる。嫌だと思うひまもなく、日常を浸食するのが戦争である。声高に主張しないけど、戦争の事実をきちんと再現している。この映画は秀逸だと思いました。こんな映画を待ってました。

 追記:原作漫画を読みました。原作と映像作品は別物と思って楽しむ…私は基本的にそう割り切るようにしてます。
 ところが、映像に原作のよさがちゃんと生かされています。原作を過不足なくアニメ化できるとは。すごいと思いました。もちろん上映時間の関係でエピソードを減らさざる負えないのですが。でもそれで、後から初めて原作を読む私のような者は、知らないエピソードを新たに知ることができるのもうれしいです。







 



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