不登校の子どもたちに会うと
忘れていた
子どもの頃を思い出します。


私は、登校拒否児と呼ばれました。
幼稚園からだから登園拒否児でもありました。

家族の反応は…
母には追いかけまわされ、
父は傍観者。
「(学校へ行かなくても)昼寝して嫁に行けばいい」とは母から聞きました。
高校をやめるとき、父は「ここまで頑張ったのだからもういいよ。」と言ったそうですが、これも母づたいです。
父と不登校について話した覚えは一切ありません。

3人の姉兄たちは…
10歳上の姉には「よその人に何と説明したらいいの?」と責められました。
9歳上の長兄はほとんどノータッチ。幼い私が学校へ行かず隠れているのをみつけたら言いつけますが。「しょうがないな」程度で終わらせます。傍観者に近いです。
2歳上の次兄は私が怠けてると苛立ち実力行使。中学生の時「学校へ行け」と廊下を引きずられたこともあります。大学生の講義で「学校へ行くときお腹が痛いのは本当に痛い」と聞いたと。そこからは多少理解を示しましたが、私は既に高校中退してました。
 

そんな状態が幼稚園から高校中退まで12年くらい続いたわけです。
きつかった。家族一同、親戚一同から結果的に疎外されたから。

一番つらいのは
登校時間になる度に「私はダメな存在」と自分に刷り込むことです。毎日ですね。
自分はいなければいいと強烈な自殺願望になりました。
家族はもちろん誰にも言いませんでした。
自殺した親戚が生前「本当に自殺したい人は口にしない」と言ったと聞かされたことも効いてました。

母は私を治療院や病院などあちこち連れていきました。
ある医者は「学校へ行こうと思うから悩むんだ。学校へ行くのを諦めなさい」と言いました。
なげやりで冷たい感じを受けました。でも、こういう医者が当たり前の時代でした。

薬にも頼りましたが、こんな事件が起きました。
高校を中退した後、
母がある本で「よい薬」を見つけ
早速、隣駅の病院でその薬を処方してもらいました。
ところが
薬を飲んだその日に、
体がひきつり、即入院。
目を閉じることもできず、自分でトイレへも行けません。
母に生まれて初めて謝られました。
眠られないまま夜が明けたころ、やっと楽になりました。

病院ではいろいろな検査をうけました。
異常はありませんでした。
そこの医師に、別な病院を紹介されました。

県をまたいだほど、遠方の大病院でした。
電車やバスを乗り継ぎ、何時間もかかり、迷い、やっと着きました。
病院ではさらに長時間待たされました。
初めてあった医師は私たちの態度を病気だと言う「自覚がない」と厳しく叱りました。
大病院の常識…薬で待たされ、会計で待たされ、家に帰ったときはくたくた…。
母も私も通う気は失せました。
自覚がないと言われれば医師の言う通りです…。

処方された薬は飲みました。
しかし、私自身、今まで処方された薬が効いて学校へ行った覚えはありません。
だから期待もしません。
ちなみに飲む甲斐があったのは睡眠薬だけです。

薬がだめなら…
カウンセラーはいいかもしれません。
ただし、自分に合うカウンセラーならばの話です。

こんな苦い経験があります。
私が14歳の時、登校拒否児を扱う青少年相談センター関連の中学へ1年間転校しました。
そこでは28歳の女性カウンセラーとの週1回の面談をもたれました。
狭い面談室で二人きりです。気を使ってどうでもいいことをたくさんしゃべりました。

そのセンターは不登校対象ですが、理解のある先生はたった1人。
他の職員は認識が無く、
中には「勉強が嫌いだから学校へ行かないのでしょ」と平気で言う男性教師もいました。
勘の鋭い生徒はその教師をとても嫌ってました。

やがて中2の終わり、元の中学校に戻る時期になりました。
戻る中学へセンターの女性教師とカウンセラーと母の3人で面談に行きました。
そこから帰ってきた母は、カンカンに怒ってました。私がひどいことを言ったと報告されたと。
ホントにしたのかと責められ、身に覚えはありません。
翌日、女性教師に聞きに行くと、簡単に丸め込まれてしまいました。
更に、カウンセラーには「知らない、そんなことあったの?」と逆に聞かれ、ウソをつかれました。
(帰って母に伝えたらカウンセラーの言葉に目をむきましたっけ。)

ところで…
唯一の認識のある先生が付き添った生徒のお母さんは感動してました。
「娘のことを責任もって学校へ説明してくれた」と。
私は運が悪い(泣)

その日は、女性教師やカウンセラーに腹が立つよりも、
体よく丸め込まれ言い返せなかった自分が情けなく、
私はめったに泣かないのですが、帰り道はぽろぽろ泣きながら歩きました。

だから、自分に合うカウンセラーでないといけません。
無理にしゃべらなくていい、
子どもの期が熟するのをまってくれるようなカウンセラー。
みえすいたウソをつかないカウンセラー。

さいわい、
戻った中学校の担任はあたたかい先生でした。
センターの女性教師の話を真に受けず、自分の目で私を評価しました。
戻っても、よく休み、遅刻しました。
しかし、休んだらノートをとってくれる同級生も出てきました。
その先生はそんな場を作ってくれたのかもしれません。
卒業文集に「中3が一番楽しかった」と書きました。


このように
子どもたちと出会っていろいろ思い出しました。
今なら見えることもあります。
思い出すと気持ちがワサワサもしますが、恨みやつらみにまで発展しません。

とりあえず生きてきました。

思い出すのが悪い事ばかりではないです。
そういうきっかけをくれた
子どもたち…

思うのは

自分の幸、不幸を決めるのは誰でもない

自分だということです。

とりあえず生きて下さい。

前よりも強くなれるよ。



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長い文章なのに、読んで下さりありがとう。
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