私は不登校児童の草分けでした。
その頃は登校拒否児と呼びました。
幼稚園に行くのもだめだったので登園拒否から始まりました。

周囲に不登校児童はいません。
中学で同学年にもう一人、保健室登校の男子がいると聞きましたが、
学校でチラッとみかけただけでコンタクトはとりませんでした。

私の不登校の症状は
朝になると気分悪くなり、お腹も痛くなります。
あんまり続くので病院へつれていかれましたが、何でもありません。
そのうち仮病扱いをされるようになりました。
よく言われたのは自律神経失調症…当時のなんにでも使える便利な病名…かな。

(大学の教育学部では子供は本当に痛みを感じてて嘘ではないと講義したそうですが、周知されてません)

幼稚園時代は引きずられて連れていかれたこともありました。

でも、登校してしまうとケロッとして過ごせます。
自分でもわけがわかりません。
自分は怠け者だと思いました。自分の存在自体がいやでした。

登校拒否は幼稚園を含めたら、12年以上続いたことになります。

中学生になると食べられなくなりました。
のどにものがつまったような感覚がつづきました。
中3の時の体重は小6の時より、7キロ減りました。
こんどは食べろ~食べろ~と親に追い回され…太れない状態は中学生から10年以上続きました…
これは拒食症かもしれません。当時そんな言葉はありません。
結局、精神的なもの、気の持ち方とされました。
つまりそう思う私が悪い…です。でもどうしようもないのですけど。


小4くらいから自殺願望がありました。
ただそれを誰にも言う気はなかったですね。
というのも
10歳上の姉が「死んでやると」母を脅かすのを見てたから。
ある親戚が「本当に死ぬなら口に出さないものだ」と母に助言したそうです。
(その親戚は口に出さず自殺しました。)
姉のように親を脅かして慌てさせる気もない、
本当に死にたいから親戚のように誰にも言うまいと思いました。
(後年、医者に自殺願望があった話をしました。そばで聞いた兄は知らなかったとびっくりしました。私は「そうだっけ」と思っただけで、家族はそういう話をしたいと思えない乖離した存在でした。)


その私の気持ちを察知したのは父だけだったと思います。
9歳か10歳の頃、父と二人でテレビを見てました。
元オリンピック選手が、「期待に応えられない」と自殺したニュースが流れました。
それを真剣に見入る私に不気味なものを感じたのか
「お父さんは全く期待していないから、自殺しなくていいんだよ」と声をかけられました。
父の顔を見ると、笑顔でした。
後にも先にもその一回だけでしたが、歯止めになったかもしれません。

中二の時には青少年相談センターという不登校の子を集めた機関に通いました。
ここは学校から教えられ、「何とかしたい」と自ら行くことを決めました。
公立中学校の別室、学校に通うのと同じ扱いだったようです。
教科を教える先生は4人。あと複数のカウンセラーがいました。
数学や英語などを自分のやりたい範囲を勉強し、
定期的にカウンセラーと個人面談をし、
ロールプレイ(即興芝居)をした記憶があります。

不登校生対象ながら、一人を除いて、不登校に無知な大人ばかり。
若い先生は偏見がないのか感じが良かったですが…
「勉強が嫌だから学校にいかないんだろう」と公然と口にする男の先生もいました。
悪気はありません。子供がどう思おうが気楽に口にする感覚ですね。
勘の鋭い子はその先生をはっきり嫌ってました。
でも私自身は何を言われても仕方ないと腹もたちませんでした。
そこでは、ほかにも信頼できない大人に、カウンセラーも含めて出会いました。


ひとりだけ素晴らしい先生がいました。
最年長の男の先生でふだんは温厚で優しいのですが、
悪い時は本気になって叱りますが、
叱りっぱなしをしない気遣いもする先生です。
先ほどの「勉強が嫌いだから…」と言った先生に反論するなど
稀有な存在でした。
私は残念ながらその先生とはあまりご縁がありませんでした…。
その先生は当時、不登校についての番組でテレビに出演したそうですが私は見てません。
でも他の先生は名字しか覚えていませんが、その先生はフルネームで覚えています。

その先生は別として

むしろ、普通の中学校の担任の先生の方がはるかに良かったですね。
少なくとも、わかろうとしてくれました。

中一の時の先生は家庭訪問に来られたとき、
「家にこもっていないで気分転換に旅行でも行ったらどうか」と提案されました。
私も母も「学校にも行かないのに旅行に行くなんてととんでもない」と思ってましたので受け付けませんでしたが、学校の先生からこう言われるのは新鮮でした。

中二の先生はさっぱりしていて
「自分が思うほど他人は自分のこと気にしてないよ」と気持ちを楽にしてくれました。

中三の先生は高校進学先を探すときに、
遠方の高校見学で往復4時間の距離を付き添ってくれました。
その先生は授業中の私の様子を見て「この子はやる気があれば続く子」だと。
私は卒業文集に中三が一番良かったと書きました。
それを読んだ先生がとても喜んでいたと母から聞きました。
数年後、その先生は原因不明で体が動かなくなり先生を辞めることも覚悟したそうです。幸い良い治療法に出会い仕事に復帰できました。
「あなたの気持ちが初めて分かった。」と、その治療法が私にも効くのではと思い、知らせに拙宅に訪ねてこられたそうです。(残念ながら引っ越した後でしたが)十数年後の同窓会のときは私の顔をみてすぐに声をかけに来られました。

専門性も必要ですが、その前提に生徒への思いがないと無意味ですね。

ここまでは中学生までのお話ですね。その後のことは気持ちがまとまったら書きたいと思います。

さて、今の時代は不登校への理解が進みネットワークができるなど随分進展したように見えます。

でも、果たしてそうでしょうか。

実際にお母さんとお話しすると、意外に情報が行きわたっていないこともあります。
学校以外にも道はあるのに、学校は学校に戻すことしか考えてないようです。
不登校でも中学は卒業できるのに、学校はそれを親に教えない。
同じ悩みを抱える親同士のネットワークでやっと知ったと伺いました。

また、不登校対策と銘打った、危うい企業もあります。
5年前、不登校生対応の学習塾兼家庭教師派遣会社の面接を受けたことがあります。
そこの若い室長…名刺の肩書は「支店長」…。

「支店長」と面接中の私にこんなやりとりが聞こえてきました。
教室に中3か高校くらいの男子生徒がきて
「勉強をしたくない」と言うと、
男の先生が「学校にいいつける」と応じてました。
そこは広いワンルームで私にもまる聞こえです。…
「支店長」がまずいと思ったのか、
私との面接を中断して、その男子生徒を廊下に連れ出しました。
ガラス越しに子供と話している様子は見えました。

戻って来た支店長は
この塾は校長先生と連携して、
学校に戻すことを目指していると語っていました。
帰り際「それが、一番いいのですか?」と聞いたら
支店長は「子どもがそう望んでいますから」と即座に答えました。
私は「果たしてそうでしょうか。」と言いました…。

昔と大して変わらない…です。

余談ですが…
その塾は面接の結果も含め何の連絡もありません。
仲介したハローワークから、どうなったのですかと私に問い合わせてきました。
ところが、
2カ月たったころ唐突に仕事の依頼の電話がありました。
杜撰な感じがして、お断りしました。




まずは学校ありきです。他の道を教えない。

今も昔も本質的な苦しさや辛さは変わらないです。

自分が不登校経験者だからと言って
単純に不登校の子の気持ちが分かるというのも無神経な感じがして…言いません。

ひとりひとり違うと謙虚に接したいです。



追記:不登校について話す機会があると、どうしても当時の感情が戻ってきます。幼稚園から成人するまで不登校(園)扱いだったので…長すぎたのかもしれませんね。

追記2 同窓会が久しぶりに開かれ、中三のときの担任の先生に会えました。挨拶をし、今の私の仕事の話をしたら、いいことだと励まして頂きました。ところで、同じクラスの男子の名前を聞いてもあまり覚えてない…不登校生のサガでしょうか。関係ないかな(笑)

続きです。


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