5月中旬に 藤沢のNpo法人自由創造ラボたんぽぽ主催の不登校当事者の講演に行きました。

 当事者側と親側の気持ちを交互に述べる形式でした。

 登壇者、当事者側は不登校について下記の本を出版されている方、親側は娘さんが現在不登校で、起立性調節障害の啓蒙活動もされている方でした。

この本を出版されています。


 当日は不覚にも筆記用具を忘れてしまい…携帯でメモをとりました。短めになりますが…その方がいいかもしれないと思い、書くことにしました。(浅見さんのインタビュー記事のリンクを後ろに貼りました。お時間があるときに是非お読みください。)

まず当事者側から、
 いろんな、子どもたちに話を聞くと
 こんな声が聞こえました。
 「いつも頑張っていた。」
 「常に頑張っていないとだめ。」そして…苦しくなる。
 「私の話を聴いて欲しい。」でも先生は忙しそうだ。
  また、先生に「私」を見るのではなく「クラス」としてひとまとめにされるのが嫌だと。

 なぜ不登校になったのかと聞かれて…
 本人も理由はわからない。学校へ行かないことには罪悪感があります。
 理由をしつこく聞かれ、無理矢理、作って答えました。すると、周囲はその解決のために動き出してしまうことに。そこで、「自分は親を苦しめている」ともっと罪悪感に苦しむようになりました。

 不登校の原因(きっかけ)は
 自分はおとなしいタイプでした。クラスにやんちゃな(不良)グループがおり、いじめるターゲットをよく替えるコワイ存在でした。ある日、彼らがひどい悪ふざけをしました。それを知った担任教師が誰がしたのか「手をあげろ」と言ったら、そのグループが手を挙げ、後で別室へ来るようにと言われました。ところが、その不良たちは何もしていない自分も強引に同行させました。その別室で教師に、(後の仕返しが怖くて何も言えない)自分をやっていないこともしたことにされ、「さっき手を挙げなかった」と卑怯者呼ばわりをされました。それがきっかけでした。

 不登校の子に「かけて欲しい言葉は?」とよく聞かれますが…言葉というよりは「優しい気持ち」を感じたいです。

親側
 不登校の親の集まりでは子供に笑顔で接するようにとのアドバイスを受けました。笑顔になれません。でも、口角をあげるとセロトニンは出ます(だから意味がある)。それでも不登校にしたのは「私」と自責の念に苛まれました。子供には見せないように、辛い時は車の中や風呂場で大きな声で泣きました。(これは必要でした)

当事者側
 元気になったきっかけは…
 適応支援センターのカウンセラーとの出会いです。
 通常、周囲は学校へ「行く」そぶりを見せると喜び、「行けない」と怒る。「僕」を見ていない。学校へ行くか行かないかしか見ないと感じました。
 それに対してそのカウンセラーは僕の好きなことを聞いてくれました。好きな野球の話をしました。好きな球団についての話で盛り上がりました。初めて「僕」を見てくれました。
 学校へ行かないのは一番いけないことと思っていました。
 また、野球部の友達からのメールもありました。一人でも味方がいたことが一番大きいです。学校は傷つく場所ではなくなりました。 

親側 
 親が明るくなるのと娘が動き出したのがほぼ同時期でした。フリースクールへ。そこで娘の好きな声優の授業がありました。好きなことは這ってでも行きます。(今も)学校へは行ってません。でも学校に行ったら解決ではないと思います。根拠のない?(笑)…期待かもしれませんが(笑)

当時者側
 また、不登校になりました。ゴールは学校なのか?辛くても学校に戻るのは、ぶり返します。親と顔を合わせただけで腹が立ちました。
 やがて、親がカフェに行ったり、好きな福山雅治のコンサートに行くようになり、親が明るくなりました。(それが嬉しかった)。子供のせいで親が苦しむ自責の念から解放されました。

・・・・残念ながらメモはここまでです。

当事者…浅見さんのインタビュー記事のリンクです。お話が重複してますが、ずっと詳しく、良い記事です。お時間があれば是非ご覧ください。
不登校の子の居場所についてリポートする連載で、そのひとつです。



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