中学までを書いてから4年たってました。
 頑張ろうと立ち上がっても続かない…
 そんな子がいると聞いて、ああ私もそうだった。
 いやいや、
 私のは、かなりひどく逡巡しまくり倒しました…。

 今は、何とかしのげるようになった…

 続きです。

 中学を卒業し、私立高校に進学しました。
 出席日数が少なくても受け入れてくれ、
 なかなか雰囲気がよい学校でした。
 しかし、遠方なので、六時台に起き、七時には家を出なくてはなりません。
 やる気さえあればできる子と思われ、思っていたのですが…

 今思うと、起立性調節障害の傾向がありました。
 もしそうなら、本当に的外れなことをしました。

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 朝は食欲がないので牛乳だけ飲んで家を飛び出しました。

 新たな気持ちで、高校では積極的に行動しました。
 ただ、続きません。早起きしなくては。前の日から緊張し…夜眠れない…どうしよう。行ったり、行かなかったり、行かなかったり…。とうとう行けなくなり…

 そんな私を見かねてとうとう母が言いました。
  「お父さんが『もういいよ。』って言ってたよ。」

 学校をやめる時は父と行きました。担任の先生が止めてくれました。まあ、登校すればやる気満々でしたから、納得できなかったと思います。
 そこの校長先生が父に行った言葉が胸に響きました。

     「学校でなくても学びはできます」
   
 後で友達が、「高校は冷たい。普通は止めないよ。」と言ったのでいい学校だったようです。

 さて、ではどうすればいのか。てっとり早いのは語学でした。外語学校に入りました。何もしないのは許されません。恰好がつき…とりあえず…です。始めはいいものの続きません。

 16歳。未来があると周囲は言いますが。
 それが何だと言うのでしょう。
 何の励ましにもなりませんでした。
 今は、それを言う側の年齢になりましたが、言わないです(笑)

 当事者には若さに何の価値も見えません。


 何をしても続きません。知人の紹介でアルバイトに行ったこともありますが、仕事内容は好きでしたが、小さな労働争議に巻き込まれてしまい、それを越えて頑張るような執着もなくフェイドアウト。そこの経営者は、私がまだ16歳だったことを若いと、とてももてはやしました。私は若いのは得だなと思う反面しらけてましたっけ。

 のこりの十代は何をしていたのか…引きこもりに近かった。ただ、中学の不登校学級で知り合った友達と京都や日光に旅行をした覚えがあります。
 
 その子から大検を教えてもらいました。先に述べた高校も彼女から教えてもらったことが、ヒントになり見つけました。
         |大検(現在は「高校認定試験」といいます。)
         |こちらで触れています 
         |        ↓
       |高校へ行かず大学進学する方法1  制度について
         |高校へ行かず大学進学する方法2 私の経験


 そして大検を受けました。動くことに臆病になっていた私が敵前逃亡をしないで済んだのは、
 二つ上の兄が励ましてくれたことが大きかったと思います。試験の前日、東京の下宿先から帰ってきて、「勉強しよう」と、声をかけてくれたからだと思います。当時の大検は易しかったので半分以上ラクに科目をとれました。そのあと、通信制高校に入り地理と生物の単位を取り、二度目の大検受験と合わせて資格を取りました。

 ただ、大学受験と大検のレベルの差は大きく、受験は簡単にいきませんでした。これ以上浪人したくない、どこかに決めたいと思ったとき相談した人から「私が卒業した学校が良かったけど」と勧められました。試験科目は小論文と面接でした。合格しました。

 その学校は、不思議な縁がありました。講師の先生に早逝した伯父の同僚の名前がありました。その伯父は誰もが尊敬する人でした。すぐに授業をとりました。先生も伯父を覚えていました。また、出席簿順で並んでできた友達もお父さんが伯父のことを知ってました。

 さらに先生の中にもう一人…父が法事で、久しぶりに会った親戚に「うちの子が勤めている学校に娘さんがいますね…」と声をかけられました。私はその先生の授業を受講してたのですが、良い学生ではなく、すでに卒業間近…(笑)まあ、予め知ってたら私はヘンに気を遣うタイプなので…その先生の授業はとらなかったかもしれません。

 「行動を起こす」とこんな嘘のようなことが三つも重なることもある…。
 
 それに不思議なことに、少しも学校をやめたいと思いませんでした。くたびれた時は学校に近い祖母のところに泊めてもらえたのも助けになりました。

 ところが、学校を卒業した後…どうしたらよいか分からなくなりました。

 何のビジョンもありません。今思うと大事な視点が欠けてました。
 学校を卒業したから不登校ではなくなった…でもそんなのが目標では私みたいになってしまう。
 あんなに悩んで苦しんだ「学校」へ行く必要がなくなったら…拍子抜けしました。
 まだ、その悩みがあった方がマシとふと頭をよぎり…ヘンですね。

 学校、学校とこだわってもダメ、その先があります。当たり前ですが。

 学校なんて手段にすぎません。
 根本でも最重要事項でもなんでもありません。

 悩みの根源に学校を据えてた私は浅薄でした。

 そして、外に出るのでもなく、「引きこもり」ですね。

 習い事をしても続かずやめるの繰り返し、思い出せないくらい色んなことをしました。母親に「今度こそやめないわよね」と強く念を押され続けました。追い詰められ「やる」と言い返すのですが。嘘をつくつもりは無いけど何かに飛びつかないと収拾がつかない。

 病院にも行きました。
 欲しいのは眠れない夜が辛いので睡眠薬だけ。
 外へ出るのが怖い。人に会うのが怖い。
 食欲も無くなり、痩せました。
 
 家族にとって私は困る存在です。
 
 家族に、私を上回る「困った人」…姉がいましたので、私は霞んでました。風当たりは多少やわらいでいたのですが…。
 その姉が、嫁ぐと、母の全エネルギーが私に向かってきました。母の頭の中は120%、否200%私。私の行動にピタっと読んだように母が前に現れることが多く、コワかったです。でも私が悪いのですから…抵抗できません。

 何も食べられなくなりました。少しでも栄養を摂ろうと牛乳を飲みましたが、もどしました。それを母にも伝えたのですが、ホットミルク入りのマグカップを何度も持ってきます。とろんとした目で。(母もおかしかったのですね…でも私がそう訴えても誰も取合いません。相当おかしくなってからやっと父が気づいたのは半年以上後でした。)

 体重は31キロに落ち…。
 私は初めて切れ、家族たちを罵りました。「こんなに辛いのに、どうして私を頼るんだと」

 「私を頼る」とは…話のつじつまが合わないと思いますが…
 家族には強力な先述した「困った人」姉、母の姉への愚痴の受け皿が私でした。小さいころからずっと。それ以外にも子供として聞きたくないことも母は何でもしゃべりました。それらは他の家族にも話せず自分の中に収めました。私は口が堅い、そうほめる兄弟もいましたから、言わないことに誇りもありました。

 普段おとなしい私が切れたので、私の方がおかしいとされ抑え込まれました。結局、あとで「迷惑をかけた」と私が謝まることに。そのとき家族は満足そうな顔をしました。切れた理由を家族は今でも分からないと思います。説明する気はとうに失せました。無駄ですから。
   
 後年、心療内科の先生に切れた時の話をしたら「(悪くなくても謝ったのは)丸く収めるためにはそうするしかなかったですね…」と言われました。他人の方がわかってくれると思いました。逆に明らかに家族が悪くても謝られた覚えがほとんどありません(笑)。

 それを話した従姉から「私は自分が悪くなければ絶対に謝らない」と言われて、びっくりしました。悪くなければ謝らなくていいんだ…私の中には無い思考です。
 
 
 そして、数年後両親はそれぞれ他界しましたが、
 自分は「価値がない」との思いは相変わらず強固でした。
 道路わきを歩いているとすごい勢いで通る、トラックに自分が吸い込まれるような錯覚が起きました。最近、知ったのですが、物理的に本当に「吸い込まれる」そうです(笑)

 私の転機は…

 近所の方から、お子さんのお勉強を頼まれたことでした。私の様子を知っている方ですから勇気がありますね…。その方から、家庭教師を頼むことにしたが、「あなたなら良いとうちの子からお許しがでたのよ」と言われました。次に、別なお宅からも声がかかり、やがて、塾で働くようになりました。生活費の半分を出せるようになりました。

 そして、紆余曲折を経、今に至ります。

 このように、私が適職に出会ったのはかなり遅いです。
 
 出会えると夢にも思ってませんでした。
 自分が勉強を教える側になるとは…

 先のことは誰にもわかりません。

その後、
 年齢を重ね憑き物がとれたのか、強固だった自殺願望がなくなりました。
 気が付いたら「無くなってた」…という感じです。

 こうしたらいいとか、ああしたらいいとか、具体的なことを言えなくてごめんなさい。
 

 あるお母さんから「先生は(不登校を)乗り越えて、立派にやっておられる」と言われたときは「…?…」と返事できませんでした。立派からほど遠く、「乗り越えた」感はまったくありません。(笑)

 私の経験は変わっていて……もっと、いろいろあるのですが、論旨がズレそうなことは割愛しました。 

 何か事件があるたびに「助けを求めれば…」との論評がありますが、
その勇気も出すまで大変です。

 求めても冷たい対応をされて打ちひしがれることも…私も傷ついたことが。

 それでも、誰もが何かに出会える可能性はあると思い直してください。

 傷ついたら、「冬眠」してもいいと思います。
 友だちの中に、ある日突然「会えない」と葉書がきて、交流が途絶える人がいます。何年か後にコンタクトをとって一緒に出掛け交流再開。ところが、数年後、今度は「会えない」とメールがきました。そんなときはそっとしておきます。このような「冬眠」が必要な人もいます。

 今も、私は「不安」の中にいます。
 でも、その「不安」が私の生きている実感です。
 むしろ、うまく行くと、逆に「何かヘン」と思います。貧乏性ですね(笑)

 どうせなら、「人知れず咲く、野の花のようになりたい」…と言ったら、そばで聞いてた友人に軽く笑われました。無理もないか…(笑)
 どこかで聞いたフレーズだったからですね。目立たなくて静かにいたい。

 別な年下の友達に「いつまで生きたい?」と聞かれました。
 「死ぬまで」と即答しました。

 そんなもんです。深く考えても解決しない。

 今でも夜眠れない時もあります。そんなときは眠らない。
 十代の頃、不眠は深刻でした。
 今はそれほどではない。
 長生きしたいと思いませんが、生きてることも悪くありません。
    
 人間、死ぬときは死ぬ。それまで生きましょう。
 いずれ皆死ぬのですから…大丈夫(笑)
 
 今のことに悲観的になったら、無理に歯向かわずやりすごしましょう。

 ※この文章もうちょっと何とかならないものかと何度も読み返すのですが…
  こんな締めになりました。すみません。


         中学生以前についてはこちら↓
           私が不登校だった頃 中学生まで 




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