8月に行われた前川喜平氏(元 文部科学事務次官)に行きました。
その講演の走り書きのメモをもとにまとめました。
前半は講演 後半は弁護士の太田啓子さんとのトークと質疑でした。
テーマ
   子どもに合った教育を
    ~これからの教育と日本

前川さんは「学習権」を提唱し、
   その法的根拠を憲法で謳っているいる権利をあげて述べられました。

「学習権」憲法13条に根拠
 ①1976年最高裁判決 旭川学力テスト
    一人一人の子は自ら学習する権利がある。
    自ら選べない子はそれを満たすことを大人に求める権利がある。
 ②1985年 学習権宣言 ユネスコ  想像し、創造する権利
    生存権=学習が満たされなければ生きていけない。
        読み書き計算 人間が生きて行くのに不可欠な手段。  
        学習することは人間らしく生きることにつながる。
    自由権=どこで何を学ぶかは選べる。
      憲法の「学問の自由」とは大学の教師だけを指すのではない。
      学習することすべてを指す。
    社会権=これら、国に対して学習機会の補償を求める
    平等権=等しく学ぶ権利
        現実は経済格差などで教育に差別が生じている。
    参政権=国が何をしているかを「知る権利」が必要
        知らないと誰を選んでいいのかわからない。

        学ぶ権利→政治家を選べるようになる。
          欧米諸国では
            学校で選挙の教育で行われている。
          文部科学省は
           「教師は選挙について教育せよ」と
            勧めながらも「教師の主張は控えるべき」
             …これは難しい。教師も萎縮、忖度してしまう。

普通教育について…その意味
   まっとうな大人、
   社会の一員として生きて行くのに必要な教育のこと。
 26条 無償の普通教育 
     義務教育イコール学校へ行くことではない。

     子どもに教育を受けさせる義務を国民の義務との表現は誤解を生む。
 
    「国が義務を負う」にすべき。

  憲法は国民が決めて国が守るもの
    名称を「無償普通教育」にかえるべき。
    現実に、経済格差でこぼれ落ちた人を国は放置している。

  憲法に「学校」という言葉は出てこない。
     学校教育法では…
      「学校に行かせよ」とあるが、
       子どもの権利なので強制的に行かせることはない。



学校になじめない子たち 
 9月に十代の自殺者が急増する。
  死ぬほど学校に行きたくない子には
    「行かなくていい」では弱い、「行くな」と言うべき。
     死ぬほど行きたくない場所は危険なところだ。

  前川氏自身の不登校経験
   小学校3年で奈良から東京へ転校した。
   東京では方言に違和感をもたれ、
   昭和30年代の東京の学校ではプール授業があったが、 
   奈良ではプールが普及されておらず、自分は初めて。
   授業では泳げないまま居場所がなかった。
   

 そこで感じたこと
 世の中にはいろいろな、マイノリティ(少数者)がいる。
   不登校・泳げない・自転車に乗れない等々
        でも、それでいい。
   いろいろなマイノリティをたしていくと50%を越える
              ↓
    マイノリティはマジョリティ(大多数者)だ。
    少数者を無視すると自分にそのお返しがくる。
     (自分もどれかのマイノリティに属している)


 学校は出会う先生によって居心地が左右される。
   転校当時の学校の先生は冷たかったが、その後、よい先生に出会えた。
    「学校になじめない子」というが、言い換えれば
    それは、「子どもがなじめない学校」であり、
      学校は「子どもが安心できない場所」と言える。

      現状は子どもを学校に合わせる。
      反対ではないか。

 学校がどうして「行かなければならない場所」になったのか。
   歴史的変遷をみる。
     森有礼「すべての学校は国家にためにある」と提唱
       国に役に立つ子どもを育てるのが学校。
               そこに権利はない。
       教育を受ける権利はそもそもなかった。
       国の役に立たない子は学校に来なくていい
             ↓
        就学免除(まだ残っている制度)
          障害(精神的・肉体的)者など対象

     学校のもとは軍隊 森有礼の目指したもの 
       例えば、兵式体操、
        「ぜんたい止まれ」の号令は「全体」ではなく「全隊」のこと。
         あきらかに軍隊である。学校にはその残滓が強く残っている。

     教師は権力者
       現在も桜宮高校(大阪)で 生徒の自殺事件が記憶に新しい。

    戦前 学校に行かなくても普通教育は認めていた。
       ところが、1941年「国民学校令」
                 学校以外の学びの道を閉ざした。
    戦後 その制度、「学校以外にない」が残った。
       学校に行かせないと保護者は刑事罰対象になった。
         「1週間、正当な理由なく子どもが学校を休んだ場合」
                          →刑事告発された。
          刑罰は、罰金だが、刑事裁判を経ての判決なので厳しい。
       その摘要は昭和50年代以降はない。
        なぜ続いたか。ネグレストやDVなどへの不安があったから。
        困ったことに、就学義務違反と不登校の境目がなかった。

     1960年代、(前川氏が不登校だったころ)
           前川少年が「(学校へ)行くのがしんどい」と言うと
            母は「寝てなさい」と言ってくれ…助かった。
     1990年代、「不登校」ということばになった。
           不登校は誰にでもおこりうること。

   子どもに合わせる学校の例 
    「みんなの学校」というドキュメンタリーになった学校
     おおぞら小学校初代校長 木村やす子校長
     障害・暴力 など どんな子でも受け容れる。

   ルールはひとつ「自分がされていやなことは人にしない」だけ。

   ルールをやぶると…校長室、別名「やりなおしの部屋」へ
    校長先生は叱らない、本人が自分を見つめる場である。
    学校はその子ありのままで包み込む。
      何度も暴力をふるってしまい、
      何度も校長室で自分を見つめた子。
       やがてその子は「教師になりたい」と前川氏に言う。

学校以外の学び場
  2014年7月 教育機会確保 学校以外の学びの場を認める。
       
          就学義務
          公費負担を検討する。
          第二次安倍内閣もフリースクールを支援すると明言した。

      中央審議会で2003年から議論されていた。
      超党派の国会議員連盟も議員立法
       問題点 国が管理すると…
            学校側の不安→子どもが学校に来なくなる
            フリースクール側の不安
              →国が管理すると自由さを阻害される
        前川氏の提案
         「中間支援組織」アクエリテーション(アメリカの制度)
          お上が裁定するとフリーではなくなる、
          自分たちで認め合う制度。
           歴史的にアメリカの学校は自然発生的に発達したので
          質の悪い学校も多かった。
          そこでお互いに評価し合うようになった。
          一定の水準に達したら仲間にし、その質を保証した。
           

不登校の子に応じた支援
 休養の必要性 
 学校以外の学習の重要性を認める。
 現実を手掛かりにして政策として実践すべき。

  不足しているもの→経済的支援。
 卒業証書は心配ない。
  子どもがどこかの学校に在籍していれば、自動的に証書は出すことになる。

対応がおこなわれる例
 フリースクールの公費負担 大阪市「スマイルファクトリー」
              20019年から世田谷区にもできる。
                 東京シューレが請け負う
不登校への拡大解釈の不安
 北海道の宗教法人の施設にいる信者の子ども
   全員一斉に不登校になったと申告し、
    自分たちのフリースクールに全員を移した。
    (一斉に不登校はありえない。どんな教育をするのか不安)

以上が講演の前半です。
前川さんの話で「学習権」と「中間支援組織」は大変興味深いものがありました。

後半は弁護士の太田啓子さんとのトークです。







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