私が、
大学受験資格検定(現 高認定試験)に合格とわかった時、

母が

「これで中卒でなくなった」とつぶやくように私に言いました。

ああ、やっぱり、そう思っていたんだ…

私はそんなことのために頑張ったのではないと。
でも、沈黙しました。

母はよく言いました。
「私は子供に特別なことを望んでいない、世間並みでいてほしいだけなのに」
   
家族にも不登校への味方は「私も含めて」いません。

でも、「世間」という言葉は嫌いでした。今も

「世間」とは何?どこにあるのか。見えません。

   何で見えないものにこんなにも振り回されるのか?

「世間」は私を幸せにしてくれるのか?

 そして、私が学校に復帰したら
      「良かったですね」と…ご近所さんに言われ
             
     …それだけで態度が変わった…ように感じました。
    

    …「世間はその程度のものなんだよ。」

         くだらないと、兄に言われました。
         その兄も後年 世間体を振り回すように(苦笑)
さて、今、
不登校児童の多さが表面化し、以前よりは世間的に認知されたされたようですが…

私の感触では
不登校への認識はまだゼロに近い。

私が感心する塾の先生がいます。
思いやりがあり、褒め上手です。
たまに不登校のオファーがきます。
その先生に「不登校の子は親が変わってますよね」と言われたことがありました。
やんわり否定しましたが…。


教えるのに熱心な若い先生がいます。
不登校の小冊子を
「興味なかったら他の人にあげて下さいね」と
遠慮がちに渡しました。
「いや、読みます」と快く受け取ってくれました。
ただ、会話がかみ合いません。

理由は
不登校児童には何らかの問題があるはずだとの前提がその先生にあったからでした。

この先入観は一般的なことなんですね。
不登校の子は特別な変わった存在…
意地悪な言い方をすると…
そう片づけた方がラクなんでしょう。

不登校に限らず
世間は理解できないことがあると「特別」に分類し、思考停止します。

当事者も
不登校のサロンで、あるお母さんに
「不登校の子とそうでない子の違いは何ですか?」と問われたことがあります。
私の教え子には両方います…その子たちの顔を思い浮かべて
ちょっと考えましたが、

どの子も悩みを抱えて生きている…
「ありません」と答えました。
自分の子は特別ではないかと思う…そのお母さんを責められません。
私もそうでしたから。


「世間とは何だろう?」
「不登校は少数派で、それは本当に不幸なことなんだろうか?」
「ほかと同じになることが幸福なのか?」

私はそんな疑問をもつお母さんたちが好きです。

世間に負けないために…
納得できる不登校のコミニティをみつける。
どこのコミニティがいいか相性もあるので軽々に言えませんが、
とりあえず東京シューレのような見識のあるコミニティがいいと思います。
そこから近所のコミニティを教えてもらうなど手があります。

くりかえします。
「世間」に負けないために、「孤立しない」…ですね。


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