小栗正幸氏の対話術
不登校のリスク要因、「こだわり」の強い子への対応について

人は誰でも自分のことを否定されるのは嫌なものです。自分の考えも否定されたら、相手と楽しく対話するのは難しいですね。子供も当然そうです。否定されたら、心を閉ざしたくなります。
でも、間違った考えだったら肯定できない、否定せざる負えない、でも対話の道は断たれかねません。

ではどうしたらよいか?

ここで登場するのが、氏の言う「的を外す」です。
子供のこだわりについては何もふれない(的を外した)が、子供のことは肯定する。ここから対話がしやすくなります。

 不登校の子に対する氏の「的を外す」対話術について具体例もいれてまとめてみます。





「こだわり」…筆者は以下のことが不登校原因かたまりのように見えるそうです。

①「友だち」にこだわる。
…みんなと仲良くする…実際は不可能です。

②「一番」にこだわる。
…「負ける」ことを受け容れられない。
小学校三年くらいまで勝つことや負けることよりも遊びとして楽しめるようになれればよいが。
中学生、高校、大学生になっても例えば集団競技で、みんなで頑張ったけど負けた場合、チーム内で「お前のミスで負けた」などと個人攻撃する人は「勝ち負け」の課題が未消化。

③「いいかげんさ」がない
…これがあるからこそ少々難しい問題も「まあいいか」と無難にその場が切り抜けられる。

④「矛盾」とつきあえない
…悪としての矛盾は無くす努力はするべきだ。しかし、世の中は矛盾に満ちている、子供たちもその矛盾との付き合い方を身に着けてほしい。
   小栗氏曰く、学校は矛盾に満ちているので、
   矛盾の付き合い方の学べる場になるとのこと。

不登校対応 短期目標と長期目標をたてる。
 短期目標
  利害一致を起こしやすい課題を見つける。
  筆者の場合は2~3週間
 長期目標
  今は起こっていないが、
  短期目標の積み重ねで1~2か月後には
   利害一致を起こせそうな課題を見つける


そのための対話とは
うまくいってないところや、改善を要するところでなく、
 本人が納得できるところを足掛かりにする。
②感情でなく理性に訴える。
③本人が気づきやすいようにサインを出す。
④意見が違ったときは楽しめる雰囲気をだす。
  (「それもおもしろいじゃない」など)
 楽しい雰囲気で対話が終わるように配慮する。

子供を変容させるという発想をもたない。まず失敗する。

「こだわり」…指導困難な状況を作る最強要因である。

こだわりへの対応
①こだわる人の言辞は「こだわる」ことに意味がある。
②肝心の理由の説明を聞いても周囲が納得できるものではない。
③周囲が「なんだそんなわかりきっている」ことを気にしている場合が多い。

基本姿勢
①子供の「こだわり」を意味あるものと受け止めすぎない。
②しかし、あからさまに「こだわり」を無視することもダメ。
③押しても引いてもだめ。

ここで登場するのが、冒頭で述べた、肯定的に「的を外す」です。

たとえば
「何もしてほしくない」という決め付けには

やりがちな対応
①真っ向から応じる
「そっとしておいてほしいのですね」「干渉されたくないのですね」
  …×「こだわり」そのものを肯定してはいけない。
②逆に×「こだわり」は否定しても緩和しない。


  元々こだわりやすい子供への指導だから。
  是正したい、こだわる傾向を変容させたいという指導は大抵失敗する。
  

〇肯定的に「的を外す」
①相手を否定しないことは大切だが、こだわりは肯定しない。
「何もしてほしくない」というこだわりに対して
 「自分の意見をはっきり言うのは大切なことだよ」と応じる。
②これは、「こだわり」自体は肯定しない。
 子供が自己主張できたという事実を褒めることで「的」を外している。
③「的」は外しているが、肯定的な表現を用いているので、
  子供の感情を害することはほとんどない。これが対話の糸口になる。

こだわりやすい傾向を否定せず、対話につなげていく。

「こだわり」の内容を役に立つ「こだわり」に変えていく。

「こだわり」は悪いものではない、むしろ宝の山でもある。

小栗氏のエピソードの中に、
 勉強のできていた中学生が「勉強や学校に意味がない」と急に言い始め「学校に行かないこと」に決めてしまい、一年くらい行ったり行かなかったりの状態が続き氏のところへ来ました。
話してみると歴史に非常に詳しい、それも鎌倉時代だけ。かなりマニアックな内容を氏は「おもしろいね」と聞き続けました。少しずつ「歴史でご飯を食べている人がいる」と話しました。すると本人から有名大学の歴史学部のリストを持参して、高校、中学に行った方がいいとその理由をとうとうと説明して自ら学校へ戻り、難関高校へ進学したそうです。
 勉強とは一言も言わず、勉強に付き合い、進学を動機づけ、進路指導らしきものも行ったわけです。子供の言った「勉強や学校に意味がない」に氏は一切こだわらなかったそうです。
 後日談で、歴史を専攻するために大学進学したそうです。ところが鎌倉時代に関係ないドイツ近代史を専攻したらしいとのこと。そういうことはよくあることだそうです。

こだわりは否定せず何かのきっかけにつなげることが大切ですね。

以前聞いた、舞台演出家の宮本亜門氏の話を思い出しました。

宮本氏が
趣味や嗜好がクラスメイトと合わず不登校、引きこもりになったときのお話です。
不登校が長引き両親が心配し病院へ連れていかれました。
その時のお医者さんの対応は…
宮本少年の好きなことの話を
それはおもしろいね。いいねと。一生懸命、聞いてくれたそうです。
クスリの処方は一切なく
病院から帰るころにはすっかり元気になったそうです。

これも「的外し」では。…「学校へ行きなさい」は一切なかったようです。

医師が肯定してくれたのが大きなクスリになったのですね。

肯定がいかに大切か。

そのための「的を外す」です。

繰り返しになりますが、
子供の「こだわり」がもし間違ったことだとしても、「的を外す」ことで肯定できる面をみつけ褒める、ここから対話がひろがり、宝の山ともいえる「こだわり」から解決の糸口を子供とみつけることができる可能性があるのですね。
先ずは、なぜ「的を外す」ことをするのか、そのマインドをきっちり心に据えてから実践したいと思います。あくまでも対話できるようになることが目的です。






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