家で育つ子どもたち「在宅不登校」から「ホームエデュケーション」へ
2017年5月
子どもが学校へ行かなくなり、その後家をベースに育つようになった保護者の方に伺います。
Eさん 静岡県(娘 23歳)
Fさん 東京都(息子 17歳・娘 13歳)
①不登校経験を伺います。
Eさん
小2の終わり、不調を訴える。「先生の言うことをきくだけのロボットに私はなってしまう」
母の反応
「どうしよう」…有職だったので幼い娘を家で見られない。
「やっぱり」…娘がネガティブな言動が増え、笑顔に陰りを感じた。
以前は「やりたい」と積極的だったのに、
「自分にできるか」と不安を言うように変わった。
「良かった」…娘がつぶされる。手遅れにならないうちにやめられる。
巨大な川に流される感覚があった。
不登校への悪い感情はなかった。
よその親子の話なら「甘いじゃない?」と思うが、
自分の子は気にならなかった。
でも、休んで放課後近所の子どもと遊ぶと
「(勉強が)遅れちゃうよ」「どうして?」「ずるい」と言われた。
娘は不安になり、「学校へ行く」と言うが、翌朝は起きられない。
親子ともスッキリしなかった。
Fさん
大きなきっかけは無かった。
息子は朝、トイレから出ない、机の下に横になって「登校するかしないか」迷う様子が。休んで「いいよ」と言う。
別な日、(息子の好きなことを挙げて、学校へ)行けばと促す。でも言葉が子どもには届かないと思った。学校に相談するとスクールカウンセラーを紹介され通うことに。夫婦で行くこともあった。自分たちは学校が大好きだったので理解できない。スクールカウンセラーは「学校行くのが解決とは言えない、受け止めてもらえないと、親に言われたことがしこりになる」「家でもいいんだ」とアドバイスされた。
本人の意志を尊重した。休んだら「今日は何をしようか」とポジティブに接した。責めてはいなかったが、ある日息子が「自由なんだなあ」と言ったとき、「もう、ずっと休もうか」と応えたら、息子の顔が輝いた。先は不安だったが、(これで)いいと思った。
②ホームエデュケーションについて
Eさん
家でいいと軽い気持ちで。子どもの気持ちを知りたくてシューレの本「ぼくらしく君らしく」などを読む。学校は義務ではない、ホームエデュケーションは教育のひとつ。
娘は小3新学期になっても登校の兆しがない。フリースクールを提案するが「スクールは学校のことだから嫌だ。」「学校へ行かないと一生ダメだと思った」と初めて娘は泣いた。行くの行かないのと子どもにつめよるのは嫌だった。
娘の様子は腹痛、不眠、外が恐い。どこかに通うのは無理だと思った。
家ではゆっくり起きて、ゆっくり食べて、ゆっくり遊んで、余ったら学校へ行きたいと言う。結局余らなかったが。
Fさん
不登校について本でいろいろ調べた。通わせないといけないとは思わなかった。娘は登園拒否があったが、なだめすかして通った。でも学校は1週間渋々行った後、主体的にホームエデュケーションを選んだ。息子は元気になり、娘は安定した。シューレのアドバイスが「今あるものを大事にやっていこう」が心に残る。
家族で海水浴、スキーをずっと続けている。
本人が習いたいものを探して、希望に沿う。
学校へも伝えた。担任・校長先生からよばれたが「食欲がわき、元気になった」と伝えた。
先生方の寂しそうな様子に、自分の方が子供のことをわかっていると実感した。自分もぐっすり眠れるようになった。
③進路はどうしましたか。
Eさん
苦労してない。
ホームエデュケーションは消去法で選んだが、中学になっても学校へ行きたくないと続ける。高校は単位制を娘が友人から聞き、進学した。
質問 「県立高校は5教科受験ですが勉強はどうしましたか。」
中学時代はドリルをし自分で答え合わせをした。
高校進学をすると決めた時
母は「受験勉強をしないとね」と言ったら
母の不安が見えたのか
娘はやる気をなくし、受験勉強をやめたいと言う。
OKした。ホームエデュケーションに戻るだけだと思った。
高校は4年計画で週2回通った。公立大学へ。かねてからガーデニングに興味があり、イギリスでガーデニング&ガーデンデザインを学びに留学中。
質問 「英語はいつ学んだのですか。」
高2でも英単語ひとつ書けなかった。
将来したいことを決めたら自分で中学の内容から学んだ。
(学ぶ動機があれば自ら学ぶ)
Fさん
息子 映画監督になりたい。脚本を書いている。
家族会議で大学進学について話合うと、中学を出たら社会に出たいと。
映画を撮るために社会を知りたい。決めてから口にする子なので尊重。
娘 学校の経験がほとんどない。高校へ行きたいと今から練習を始めた。
主体的な行動をする。声優になりたい。歌をうたい、アフレコなどもする。
兄がいてよかったと。高校へ行かなくてもあんな感じかとわかる。
④今、ホームエデュケーションをどう思いますか。
Eさん
すごく良い点は。8歳ときの娘は自死を考えた時期があった。
その子が元気に笑う。
「ねえねえ聞いて」「今日は楽しかったな」と言う。
無条件で子どもにいいよと言える親になれて良かった。
自分の親は自分を信じてくれ守ってくれると娘に伝わっている。
これは自尊感情の土台になった。
イギリスへ娘が行けたのも、自主的主体的な力が身に付いたから。
質問 「ネガティブなことはありませんでしたか?」
自分の両親と学校関係者は理解がなかった。
娘が小2のとき「私は生まれてから一度も幸せではなかった」
と言われたのを思い出す。
Fさん
自分は学校以外を知らなかった。不登校は他人ごとで大変だなあと思った。
今は、ホームエデュケーションを知って自分の人生が広がった。
その子その子のオリジナルで育つ。
色んな人の力をかりて、巻き込んでいくことが大切。
友達や習い事の先生など。ホームエデュケーションをしてることをオープンにしている。
周囲は始めは驚くが、子ども達を見て「あの子なら大丈夫」と言われるのが嬉しい。
(将来を)悩み、模索するのは学校へ行こうが行くまいが同じだ。
家族そろっての習い事もした。
そこでは、子ども達は20代、30代、60代、80代の人たちがいて、いろんな世代の人にもまれて良かった。
質問者「私もホームエデュケーションで6年間育ちました。後悔ありません。
日本社会のホームエデュケーションの不十分な点、もっとこうだったら良かったと思うことはありますか。」
Eさん
学校は意地悪をされたり大変だった。
新しい法律にホームエデュケーションが入らなかったのは残念。
Fさん
周囲に恵まれた。東京だからか。
司会
地方の方が理解がないようです。
学校が安全を確認したいとか、学校の周囲を歩かせろとか言われることもありました。
また、義務教育の無償は学校だけ適用され、ホームエデュケーションはすべて自費です。
質問者「私は祖父母からいつも大丈夫かと聞かれ続けて疲れましたが、どうでしたか」
Eさん
深夜、祖父から孫が心配で眠れないと電話があったことも。シューレの本を読ませても、一流大学に行ったのかと思ったのにそうではないんだなと理解されなかった。自分は娘の側に立ち続けた。傍で元気になった娘をみたら納得すると思うが。留学したので喜んでくれると思う。
Fさん
子どものいないときに(不登校にういて)チラチラ聞かれた。でも孫たちが生き生きする様子を見て安心し肯定的に変化した。
司会
その世代は学校への思いが強いですね。
議員も多様な学びへの認識がない。自分たちの代表を変化させることを続けたいですね。
以上
終了後、ホームエデュケーションをしている若者の自主制作映画が上映されました。
とても深い内容の映画でした。
「信じていることは間違っていたとしても、起きたことは信じたことに合うように解釈し、間違いを指摘されても受け容れられない。」そんな内容の作品でした。私自身は人は真実かどうかよりも信じたいことを信じる習性があると痛感する経験が多々あったので、そう捉えましたが…。
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