不登校児童の本音は意外に知られていない。
不登校への認識が「行けない」から「行かないことを選んだ」へどうして変わったのか。
胸を衝かれる内容でした。


 
不登校児童だって学校へ行きたかった、
でもどうしても受け付けなかった。
社会の規範から外れ、孤独になり、将来への希望を失い、もがいた。
それを「不登校を選んだ」といい換えられた時
親たちが子どもを理解しようとして悩み、たどりついた結果と察して
違和感を持ちながらも受け容れたと著者は語ります。

何で不登校だったのか
私自身、不登校だった理由はまだみつかりません。
随分たった後なのに
著者のようにもやもやしたままです。

以前、不登校の子のお母さんに
「今は不登校を克服されて…」と言われたときも返事に窮しました。
果たしてそうなのかなと。
単に学齢期を過ぎて学校へ行く必要がなくなっただけ。


不登校は個々に違う。
不登校児童の人数と同じだけ違う。100人いれば100違う。
(中には不登校を「選んだ」子もいるでしょう。)

だから、自分が以前、不登校児童だったからと
今の不登校の子に「わかる」とは言いません。
「わかる」と簡単に言うのはその子の苦しみへの侮辱のような気さえします。

多少ともわかることは社会の規範に外れた不安を味わった辛さをよく知っていることです。

あるとき、不登校の教え子から、不安と怒りをぶつけられました。
私は「学校以外にも道はあるよ」と他の大人のように言う気になれませんでした。
私もそう言われたことがありました。
でも、気休めにしか聞こえなかったのです。

結局、迷いながらも
私は不登校時代の辛かったエピソードを話しました。
期せずして子どもと二人で、涙ぐんでいました。
その日からその子は私を「先生」と呼び始めました。

初めて「不登校を選んだ」という表現を聞いたとき、
自分の行動が肯定されたような気がしました。
でも冷静になったら私もこの著者と同じく選んだわけではありません。

ただ、ただ、学校へ行く緊張感に耐えられなかっただけ。

私も著者の言うように「学校に行きたかった」
午後から学校へ行った日もありました。
その日はいじめられることもなく普通に過ごせました。
でも翌朝は…気分が悪くなって行けないの繰り返し。


形にならないまま、筆者は気持ちを正直に綴ってくれました。

不登校に特別な理由をつけるのではなく、
不登校をする自分をそのままでいいと受け容れたらどんなにいいか。
自分で自分が受け容れられないのですから…。



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