私は思春期の頃、必要以上に痩せていました。

小学校6年生の時は体重は42キロありましたが、中3の時は35キロになってました。
のどがつまって食べられないのです。
ウエストは55㎝。
でも、やせているほうがいいと思ってたので気にもしてませんでした。
高校生の頃、同級生に病弱な子がいて、二人で出前のざるそばを1時間かけてやっと完食したことがあります。 
口の悪い人にはおもしろがられて「摂食児童」と呼ばれたり、
ふざけて「チビガラ」と呼ぶ壮年もいました。おもしろいことを言うなと思いました。
今思うとひどいけど、私は鈍いですね。

20歳の頃はある男の人に「自分の娘は恥ずかしがって体重をおしえてくれない(くらい太っている)よ。女の人は太ってないと魅力が無い」 と思いやり深く言われたことも。ダイエットじゃないとわざわざ言う気も起きませんでした。誤解されたっていいやとなげやりな気分です。

でも、食べられない。
「あの痩せ方は異常だ」言う伯母がいて母親はそんなことはないと言い返したそうです。

なぜか、家族から離れると食欲がわきます。
もっとも、自分の傾向性は根本から変わらないので長くは続きませんが。

その後、体重が30キロになるまで食べられなくなったことがあって…大変でした。
今は40キロを越えてますが、なぜ回復したのかよくわかりません。
ただ、家族からは完全に離れました。

たまたまこの本を見つけました。


この本でアリサ(仮名)という女の子の事例が紹介されています。カウンセラーである筆者とアリサのカウンセリングの軌跡がしるされています。ずっと家族の中で心配をかけず、手のかからない子でいたアリサ。それが10歳になったころから食がどんどん細くなり、やがて唾液を飲むのも拒否するようになり入院し筆者のところ来ました。

人は精神的に屈託を抱えた場合、その屈託を認識できなくても、体は反応するようにできているようです。

なぜ、そうなったのか本人にも家族にもわからない。
内科に行っても異常は見つかりません。
また、精神的なものだからと言われて、精神科に連れて行っても「食欲がでる薬」を与えるだけではよくなりません。きちんとしたカウンセリングを受けないと回復はしません。

カウンセリングをしても本書に登場するアリサのように期間がかかります。
それは、クライアントはもやもやした「形にならない」不安を抱えているからです。カウンセラーはそれに寄り添いながら解きほぐす作業をします。箱庭療法をしたり、話をひたすら聞いたり、本人が自ら回復するのをじっと待たねばなりません。その過程では薄氷を踏むようなセッションの日もあります。カウンセラーが信用を失いかけることも。

でも、だれにも回復する力はあるのですね。それを引き出すために、水をやり、肥料を与え、あるいは、卵が孵化するイメージでひなが中から殻をやぶろうとしたとき初めて手伝う…そんなじっと待つ姿勢が必要なようです。

私は、自分の拒食症の原因をあまり分析しません。どうしても家族、家庭環境が関わってきそうだからです。今さら誰をどうこう言う気にもなれません。お互いさまの面もありますし。でも、この本を読んで拒食症は生への無意識の拒絶反応かな思いました。私は当時生きることへの興味がなく、思春期の頃は自殺を願い、その後も消極的自殺願望がかなり後まで消えませんでした。この本でおぼろげながら心の整理が進んだような気がします。

  


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