勉強をする上で、先生の説明をそのまま受け入れる子供は「勉強ができる」と評価されます。
 反面それに納得しない子は「勉強ができない」と判断されがちです。しかし、納得しないということは自分の頭で考えようとしてるわけです。

 このことについて、とてもよいエッセイを読みました。
 「まにまに」は西加奈子さんの6年分の短いエッセイの集まりです。
まにまに
西 加奈子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-09-11





  その中の一篇、「そこから」 はわずか2頁ですが、とても心に響きました。

 筆者が中学3年のときの話です。
 小学5,6年と一緒だったS君と、中学3年で久しぶりに同じクラスになりました。
かわいらしい少年だったS君はちょっと目つきが悪くなってました。
 ある日、そのS君に筆者は数学の問題の解き方を聞かれます。
「三角形があり、60度、70度とある。残りの角がxととなってそのxを求めよ」というような問題でした。 
すぐに解き方を教えますが、S君は「なんでなん?」と聞き返します。何度も説明しますがS君は納得しません。何度も問われるうちに少し怖くなります。
 それでも「だから、三角形の内角の和が180度やから」と繰り返すと、
S君は、「だから、なんで180度なん?」
 そこで筆者は初めて気づきます。「三角形の内角の和が180度である」という、そこから疑問を持っていると。それで自分が猛烈に恥ずかしくなりました。

 S君は数学の教師には勉強が出来ないと認識され、問題児扱いを受けていました。
 でも筆者は「全然違った。それどころか、とても聡明でまっすぐな人だった。」と感じます。

 「そういうものだから」という認識を合理的に理解できないひともいる。
 S君のように「そこ」から疑問を持つのは苦しいだろうが、「そういうものだから」をすぐに受け止める自分からすれば、S君はとてもとても眩しいと。
 大人になってから…
 筆者は何かを「そういうものだ」と諦めた時、S君の「なんで?」が聞こえると感じます。 
 (こういう感性を持つ作家さんは好きです。)

 教師側からすれば…
 「そういうものだから」とそのまま受け入れられる方がラクです。
 でも、それでいいのでしょうか?
「受け入れられない子供も受け容れる」大きさを持ちたいです。
 納得しない子供に大人は理路整然と説明できます。でも説き伏せるようなことにはしたくないです。論理で大人は子供に勝つのは簡単です。それよりも言われたことに納得した「ふりをしない」子の勇気とその感性をほめたい。
 一緒に考えたり、悩んだり、憤慨して「最初に言い出した人(学者)にタイムマシンに乗って文句を言いに行こう」と盛り上がったりして…疑問をもったことを否定しない。

 以前、友人からこんな話を聞きました。高校生のとき、数学の先生が同じ大きさの球体はどんな多面体よりも表面積が大きいと説明しました。ところが友人の級友は納得しなかったそうです。とうとう球体よりも表面積の大きい多面体の模型を自分で作ったそうです。

 言うことを真に受けない子は頼もしい…と、感じられる教師でありたいです。

 鵜呑みにしないといえば…
 地動説を唱えたことで有名なイタリアのガリレイ・ガリレオのピザの斜塔のエピソードを聞いたことありませんか。
 彼が生きた時代は、先哲アリストテレスの説が最も権威がありました。
  アリストテレスの「物体の落下速度説」とは
  「大きな石は小さな石よりも速く落下する」ですが、2000年も固く誰も疑いませんでした。

 ガリレオは「自分の目で確かめたい」と実験しました。ピサの斜塔から二つの物体を同時に落下させ、「物体は重さに関わりなく同じ速さで落下する」と証明しました。今なら当たり前ですが、覆すのは大変だったと思います。ガリレオは他にも迫害をうけてます。もしガリレオが長いものにまかれる人だったら…現代の科学の発展は大幅に遅れたかもしれません。

 子供達に言われることを鵜呑みにすることばかり奨励したら、
 自分の頭で考える力の芽を摘んでしまいます。
 


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