過日、公立の小中一貫校についてテレビのワイドショーがとりあげました。
品川区がその代表でした。

導入当時の報道は
学年のカリキュラムに縛られず、小学校から中学校への連続した学びができる、
公立も私立一貫校のよさを取り入れると。そんな内容でした。

ところが、行政が一貫校を導入した理由は
一貫校にする方が小中別よりもお金が少なくて済むということがあったそうです。

なんだ…お金が中心の発想だったんだ…
こんなやり方が常套手段なのですね。
ちゃんと両面の報道がほしいのだけど。
マスコミの報道はつねに裏を読まないと
うのみにしない…リテラシーが必要です。

さて、話をもどします。

当たり前のことですが、
どんなシステムも良い面と悪い面があります。

大事なのは子供を中心にすえて考えることです。
その子を伸ばすために何がいちばんふさわしいのか。

子供は工業製品ではありません。ひとりひとり違います。
誰もが異を唱えないことと思いますが…
こんなわかりきっていることに対して

「学校」という選択肢しかない。
その不自然さを気づかせたのが不登校の子供達の登場です。

その子に合う教育の場を選べるようにすることが理想です。
やってみて合わなければいつでも替えられる自由度も欲しいです。

一貫校でじっくり勉強するのが合う子もいるでしょう。

別の学校の方が良い子もいるでしょう。
例えば小中一貫校では、9年間も同じ人たちと顔を突き合わせることになります。
いじめなどの人間関係に問題があればつらいです。
でも、別なら中学校でリセットでき、新たな仲間を作れる可能性があります。

学校のような一律の集団が苦手で
制約や強制のないフリースクールの良い子もいるでしょう。
不登校の子のために始められた場ですが。
その子のタイミングでやりたいことを見つかるまで待ってくれ
必要になったときは大人がサポートをしてくれます。

どこにも通わず
家庭学習が合う子もいるでしょう。
自分のスピードで自分の学びたいことを学んでいけます。

あらゆる選択肢があり、
あらゆる側面からあらゆる子供に手をさしのべる。

選んだ学びの場によって差別をしない。


最近、国は大学への予算配分を、人文系を削って、理数系を多くすると聞きました。
すぐに儲けられる人間の育成ですね。
(余談ですが…文系・理系と分けるのはナンセンスだという意見もあります)

そこに見える教育は「国の役に立つ」人の育成ですね。

そこに、その子供の特性を伸ばす視点が見えません。

思い返してみると、
戦前から教育システムはずっとそうだったと感じます。
戦時は戦争で戦えるのに有利な体力のある子供の育成に力を注ぎました。
軍国少年がたくさん育ちました。
体力の無い子は役立たずと差別されました。

その差別については妹尾河童さんの著書「少年H」にも描かれています。

出版当時、私はこの本を上巻しか、読んでなかったのですが、
小学生の教え子に下巻の方がいいよと薦められました。
その下巻に軍隊に合わない青年が出てきます。

少年H (上巻)
妹尾 河童
講談社
1997-01

少年H(下) (講談社文庫)
妹尾 河童
講談社
1999-06-15




戦後は企業の役に立つ教育がなされました。
単純に言うと
自己主張をしない、全体の歯車になる人の育成です。
それは、高度経済成長の原動力になり、
公害という矛盾を傍観する教育でした。


自己主張する芽は子供のころから摘みとられました。
自分の意見を言わず周囲を見る子供をたくさん育てました。

自分、あるいは自分の子供が不登校になって
その理不尽さにおぼろげながら気づきます。

不登校の子は国の方針に合わないということですね。

社会に役立つ子供を育てる…それがずっと続いている教育です。

(もちろんそうではないと個人的に頑張っている先生はたくさんいます)

あるべき形は、真逆です。
…社会が子供に何をしてあげられるか…
教育の中心に据えるのは子供です。
そこから始めたないと。


大人のメンツなんてどうでもいいのです。






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