文章を読むと、つっかえつっかえ、たどたどしくなる子がいます。
 
 国語の授業の朗読はつらいものになるでしょう。周囲は文を読めない、できない子と判断します。あの子に読む番が回ったら、つっかかるし聞きにくい…と。

 気付かないことが多いのですが、そこに「見え方」の違いがあるかもしれません。

 行や文字をとばすのは、本人に文章の行と行が波打って重なって見えている場合があります。

 その「見え方」は本人にとって日常なので、おかしいと思いません。それしか経験がないから、困るなどと主張しません。その波打つような「見え方」で他の子はちゃんと読めるんだと思います。そして「自分だけ」できないと落ち込みます。 
 
 教え子の中にもそんな子がいました。

 漢字は読めるのに、朗読はひっかかる、変だなと思いました。
 試しに本に定規あてて隣の行を隠して読んでもらいました。読むのが楽になりました。
 そして、ずっと定規をあてて読んでいるうちに定規が不要になりました。繰り返すうちにトレーニングになったのかもしれません。
 
 ビジョントレーニングなるのもがあると知りました。人によって見え方が違う、その「見え方」を改善しましょうということです。定規をあてるのもその一つです。

 以下はそのとき参考にした本のひとつです。画が多く見やすいです。




 その子は睡眠時間も長いと伺って、もしかしたら、その見え方も視覚に負担がかかり、疲労も大きいのではと…思いました。単純に「よく眠るね~」なんて、のんきな子扱いしたら的外れです。

 あるドキュメンタリーで老年期を迎えた婦人が自分が発達障害だったと知り、文章が読めないのも見え方の問題…子どもの頃から「できない」と言われ続けた辛さを思い出し、自分はバカではなかったんだとインタビューに答えてました。

 そんな思いをさせたくありません。

 心したいのは、発達障害などの知識は必要ですが、知らなくてもそういう子に出会ったら、なぜだろう?と疑問をもつことです。

 「できない」には「できない」理由があります。

 繰り返しますが、子供本人は説明できません。周囲が「探る」必要があります。
 
 それで発達障害と分かっても、だからしょうがないとか、だめとか切り捨てる言い訳にするのもいただけません。発達障害だからこそ伸びる部分があります。それを「探る」のも周囲の役目です。

 それは子供から「学ぶ」ことでもあります。
 私自身このブログではなるべく「教える」を使わないようにしてます。なんか上から目線の響きがあるからです。「一緒に学ぶ」方が好きです。


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