今、数学ができなくても、あるとき急に理解できた…そんなことがあるそうです。

 数学(算数)に必要な…論理的理解力の発達のスピードはその人、その人で違います。早い人もいればゆっくりな人もいます。私自身、子供の頃、数学がそれほど得意ではありませんでした。今は楽しめます。子どもの頃よりも、論理的思考が育ったということではないかと思います。

     そんな数学で苦労した方の手記をネットで読んだことを思いだしました。覚えていることを書きます。

    その方は中学校から数学が分からなくなり、高校生では完全に受け付けなくなりました。
 ただ英語は得意です。運の悪いことに数学の先生が担任でした。「英語はできるのだから…数学はできないはずはない、怠けているんだ」と誤解され辛かったそうです。
 大学は入試科目に数学のない学部を選びました。その後、教師をめざし、どうしても数学が必要になりました。やむを得ず久しぶりに数学の勉強を始めました。すると今までのことが嘘のように分かるのです。どうしてだろうかと自分でもびっくりしました。多分、就職で必死だったこともあったかもしれないが、数学を理解できる脳の回路が育ったからではないかと思ったそうです。
 
 その方は数学が出来ない程度のことで苦しんではいけないと結んでおられました。 
 
 大分前のことですが、私の教え子もこんなことがありました。
 当時小4のその子は小数ができません。いろいろ例を使って説明しても解けません。小数点をずらすだけの単純作業に絞っても受け付けません。やむおえず、その単元をとばし次へ進みました。ところが、その4か月位後、再び小数点の問題を解かせたら、説明をほとんどしないのに簡単に解きました。あんなに手こずったのがうそのようでした。

 先の方の言葉を借りれば、脳が発達した…

 ひとりひとりの顔が違うように脳も人によって千差万別なのでは。脳の発達のスピードが違う。それにともない、人によって理解できる、できないもある。それを努力すれば皆同じにできるとするのは乱暴な話ではないかと思いました。どうすれば理解しやすいかいろいろ試すのが教える側の仕事です。その中には時を待つのもありとその子に教えてもらいました。

 子供の先のことはわかりません。

 追い詰めるのも諦めるのもどちらも正しくありません。
 「育つのをあきらめないで待つ」ことが大切です。その育ち方も千差万別です。子供は工業製品のように皆同じではありません。



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