不登校の子、勉強のわからない子のためのプロ家庭教師です

困っている子のために

When one door is closed,many more is open. 「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」ボブ・マーリー
元不登校で共感力が強い家庭教師です。
家庭教師歴20年以上 大人の目線で見ない、世間の見方に流されません。 その子の道が必ずあります。

 不登校、学習障害とくくるのは抵抗を感じます。
 ひとりひとり、全く違います。
 それぞれのお子さんの様子をじっくり見て、その子に合う方法を見つけます。授業後にお母さんとたくさんおしゃべりして、いい勉強法を見つけることも多いです。
 子供たちは色んな人の目で、色んな角度で見てあげたいですね。私もその一人です。

鹿の王

出版されたのが昨年なのに
図書館の予約者が160人!
本屋大賞を受賞の影響もあるかもしれません。

上橋菜穂子さんのこの世にない、架空の世界でありながらリアリティあふれるストーリーです。


読み始めた時、守り人シリーズに比べておちついた書き出しでだいぶ趣が違うと思い、ゆっくり読めるかなと思いました。しかし、上巻を3分の1読み終えた頃には読むのをやめられなくなりました。
それでも、すぐに読み終わるのがもったいないという葛藤が…(笑い)多少スピードをセーブしました。

激烈な感染症から生き残ったのは二人…男と赤子。
男はその赤子を捨て置けず、連れて捕虜の奴隷生活から逃亡します。

その伝染病の解明と治療を探求する名門出身の
頭脳明晰な青年が登場します。

この二人が主人公です。
追うものと追われるもの。追われた先での信頼を得るまでの生活。
民族間の軋轢や葛藤。
こまやかな描写と、医学の知識、重厚でありながらも、重くなり過ぎないストーリー。
全くタイプの違う、この二人の主人公が魅力的です。


鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐
上橋 菜穂子
KADOKAWA/角川書店
2014-09-24

鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐
上橋 菜穂子
KADOKAWA/角川書店
2014-09-24

 
読み終わった後、しばらくこの世界から抜けられなくなりました。 

時を経てまた読み直したら別な発見がありそうです。

 

私と一緒に勉強したい方は

奥行の深い児童文学 「守り人」シリーズ

当時小6の教え子に「精霊の守り人」を勧められました。

精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社
2007-03-28


最近、TBSテレビのゴロウデラックスで
著者 上橋菜穂子さんがゲスト出演されたのを偶々みました。
番組の中で
文化人類学者の視点から、
為政者が文化の異なる国民に
よかれと思って自分の価値観で政治を行い悲劇を生んでいることにふれ
「善意ほど怖いものはない」と穏かな表情で語られたのが印象的でした。

「精霊の守り人」読みました。

その奥行のある世界観にすっかりはまりました。
随分前に発表された作品なのに知らなかったなんて…。

権力者の自分の権威を守るために伝説を作り、
歴史を改ざんする話なども盛り込まれ、
世の中を読み解く力の重要さを感じました。


たまたま並行して「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著・岩波書店を
読んでいたので頭の中でリンクしてしまいました。


こんな変わった組合せで読む人もあまりいないと思いますが。
このドキュメントは慎重に検証を重ねた本でした。
私が学校で習い、親から聞いていた「歴史」とは随分違いますので少なからずショックを受けました。

さて「守り人」シリーズ。
この物語は私の苦手な教訓めいたものはなく、
登場人物も魅力的で
ぐいぐいひきこまれていくストーリー展開のおもしろさにも魅せられました。

ラインナップと簡単なご紹介です。



※外伝「炎路を行く者」の感想をまとめました。 
 
 こちらも少し触れました。



読み終わったらすぐに「闇の守り人」「夢の守り人」「虚空の旅人」と次々読みました。









「神の守り人」来訪編と帰還編を読み終わりました。


この物語も人間の心に対する深い考察を感じる物語でした。




差別される民族に
圧倒的に大きな破壊の能力を持ってしまった少女が登場します。
紆余曲折の後、
差別する側を破滅させ、
同族をたすけるためにその力を使うことを要請されます。
それは大量殺戮を意味します。
少女は拒みます。
ところが、
同族の女性の殺されそうになるのを目の当たりにして
少女の怒りがふくれあがります。
はげしく怒りを燃え上がらせながらもその力を使いたくないという
少女の葛藤と結末が心にひびきました。

物語はだれかを悪人にせず、
主人公を妨害する人々にも
どうしてそうなるに至ったかの裏付けもしっかり描かれています。

勧善懲悪ではない。

この物語の視点がほんとうに必要です。




(追記1)
終わりの三部作へつなぐ「蒼路の旅人」、


「天と地の守り人」三部作も読み終わりました。




これで本編10冊を読み終わりました。

外伝を読み始めています。




※まだ読んでませんが…外伝がもうひとつ出版されてたので付け加えます。
風と行く者 守り人シリーズ電子版
上橋菜穂子
偕成社
2019-10-21



本の版は読んだものを選びました。

「守り人」シリーズを全部読み終わったら…

教え子に「獣の奏者」シリーズを勧められました。

すぐに次に移るのがもったいない…
しばらく余韻に浸りたい…。
でも読んじゃうかな。

守り人シリーズは私にとって今夏の大収穫です。

(追記2)すぐに「獣の奏者」を一気に読みました。読み足りなくて後日談などのスピンオフも。ただアニメだとヒロインがいじめられる場面はつらいから見れません。…しかし、その後、声優の石田彰さんのファンになりました。大事なサブキャラのダミアのCVと知り、その登場シーンを中心に観ました。その演技がすごかったなぁと思ったら、上橋さんの談話見つけました。"44 話…エリンのまっすぐな眼差しと石田さんの声の演技の素晴らしさは鳥肌ものです。様々な思惑を胸に秘めながら、表にしっかり怪しさを出しながら、その裏側に知性を感じさせると言う、極めて難しい「声の演技」を石田さんがどう演じておられるか、是非、堪能してください。…"と。わが意をえたりと長く引用してしまいました。






私と一緒に勉強したい方は

人格を変えてしまう 超エリート職場

以前こんな話を聞きました。
時間も経ちましたので
思うこともありまとめてみました。

人間としておかしくても出世できる職場があります。

反社会的な職場ではありません。

高級官僚です。

そんな親戚がいました。
私とは親子以上に年が違います。
ですから、親族の集まりでは私は子供で全く接触はありません。

その方が官僚の現役バリバリの頃ですが、
正月の集まりで
年長の従兄が「子ども時代のように年上でも『〇〇ちゃん』って呼び合えるけど
彼は、呼びにくくなったね」と笑いながら話しているのが聞こえてきました。
ふと従兄を見たら、ふんぞりかえった感じの人が隣に座ってました。
感じが悪い人だなと思いました。


その方の定年後
何十年ぶりに親族の集まりがありました。
その方から初めて声をかけられ、昔話を楽しそうに聞かされました。
感じが良かったです。

ところが、その数年後です。
法事のことで初めてその方のお宅へ電話をしました。
その方が電話に出ました。
丁寧にあいさつしても返さない、
話しかけても返事をしない、電話の向こうでだまってます。
何とか法事の日程を聞きだしました。
社会経験を積んだはずの大人に、こんな失礼な対応をされたのは初めてでびっくりしました。

電話を切って、ふつふつと腹が立ってきました。
後で、その方の妹の方に話すと「あそこは奥さんじゃないとダメ」と言われました。
その上、お子さんも父親を嫌っていると聞かされました。

その方のお母さんはかつて「ああいう子ではなかった」と嘆いたとも聞きました。
お母さんは本当にやさしく穏やかな人でした。
私もやさしくしていただきました。

さて、
官僚現役時代はどうだったかを聞きました。

若い頃、出向先の役所で「下へも置かぬもてなし」をうけた。
海外へ政治家に同行して戻ると「政治家は馬鹿だ」とよく家族に言っていた。

官僚あるある話で聞いたことはあったのですが、本当だったんだと思いました。

あの電話のような非礼な態度をする人が通用する職場ってどんなところなんだろう。

全員がそうだとは決めつけられませんが、
でも思いやりある人でも、それを保つのはかなりの至難のわざではないかと。
所謂日本を動かす、エリート集団ですからコワイものを感じます。

後日、その方の奥さんが病気になり入院して、「その間だけ」の約束でその方は高級施設に入所しました。
ところが、奥さんは退院し、お子さんが引き取った後もその方は入所したままだそうです。
お子さんはその方が外出して施設にいないと分かっている時間に着替え等を届けに来ると職員の人から聞いたそうです。

家族にさえ嫌われるのは極端な例かもしれません…
それに…お子さんも最期にちゃんと引き取られたそうです。

官僚という職業現場では人間らしさを保つのは大変なことかもしれません。











私と一緒に勉強したい方は

私が不登校だった頃 ~中学生まで

私は不登校児童の草分けでした。
その頃は登校拒否児と呼びました。
幼稚園に行くのもだめだったので登園拒否から始まりました。

周囲に不登校児童はいません。
中学で同学年にもう一人、保健室登校の男子がいると聞きましたが、
学校でチラッとみかけただけでコンタクトはとりませんでした。

私の不登校の症状は
朝になると気分悪くなり、お腹も痛くなります。
あんまり続くので病院へつれていかれましたが、何でもありません。
そのうち仮病扱いをされるようになりました。
よく言われたのは自律神経失調症…当時のなんにでも使える便利な病名…かな。

(大学の教育学部では子供は本当に痛みを感じてて嘘ではないと講義したそうですが、周知されてません)

幼稚園時代は引きずられて連れていかれたこともありました。

でも、登校してしまうとケロッとして過ごせます。
自分でもわけがわかりません。
自分は怠け者だと思いました。自分の存在自体がいやでした。

登校拒否は幼稚園を含めたら、12年以上続いたことになります。

中学生になると食べられなくなりました。
のどにものがつまったような感覚がつづきました。
中3の時の体重は小6の時より、7キロ減りました。
こんどは食べろ~食べろ~と親に追い回され…太れない状態は中学生から10年以上続きました…
これは拒食症かもしれません。当時そんな言葉はありません。
結局、精神的なもの、気の持ち方とされました。
つまりそう思う私が悪い…です。でもどうしようもないのですけど。


小4くらいから自殺願望がありました。
ただそれを誰にも言う気はなかったですね。
というのも
10歳上の姉が「死んでやると」母を脅かすのを見てたから。
ある親戚が「本当に死ぬなら口に出さないものだ」と母に助言したそうです。
(その親戚は口に出さず自殺しました。)
姉のように親を脅かして慌てさせる気もない、
本当に死にたいから親戚のように誰にも言うまいと思いました。
(後年、医者に自殺願望があった話をしました。そばで聞いた兄は知らなかったとびっくりしました。私は「そうだっけ」と思っただけで、家族はそういう話をしたいと思えない乖離した存在でした。)


その私の気持ちを察知したのは父だけだったと思います。
9歳か10歳の頃、父と二人でテレビを見てました。
元オリンピック選手が、「期待に応えられない」と自殺したニュースが流れました。
それを真剣に見入る私に不気味なものを感じたのか
「お父さんは全く期待していないから、自殺しなくていいんだよ」と声をかけられました。
父の顔を見ると、笑顔でした。
後にも先にもその一回だけでしたが、歯止めになったかもしれません。

中二の時には青少年相談センターという不登校の子を集めた機関に通いました。
ここは学校から教えられ、「何とかしたい」と自ら行くことを決めました。
公立中学校の別室、学校に通うのと同じ扱いだったようです。
教科を教える先生は4人。あと複数のカウンセラーがいました。
数学や英語などを自分のやりたい範囲を勉強し、
定期的にカウンセラーと個人面談をし、
ロールプレイ(即興芝居)をした記憶があります。

不登校生対象ながら、一人を除いて、不登校に無知な大人ばかり。
若い先生は偏見がないのか感じが良かったですが…
「勉強が嫌だから学校にいかないんだろう」と公然と口にする男の先生もいました。
悪気はありません。子供がどう思おうが気楽に口にする感覚ですね。
勘の鋭い子はその先生をはっきり嫌ってました。
でも私自身は何を言われても仕方ないと腹もたちませんでした。
そこでは、ほかにも信頼できない大人に、カウンセラーも含めて出会いました。


ひとりだけ素晴らしい先生がいました。
最年長の男の先生でふだんは温厚で優しいのですが、
悪い時は本気になって叱りますが、
叱りっぱなしをしない気遣いもする先生です。
先ほどの「勉強が嫌いだから…」と言った先生に反論するなど
稀有な存在でした。
私は残念ながらその先生とはあまりご縁がありませんでした…。
その先生は当時、不登校についての番組でテレビに出演したそうですが私は見てません。
でも他の先生は名字しか覚えていませんが、その先生はフルネームで覚えています。

その先生は別として

むしろ、普通の中学校の担任の先生の方がはるかに良かったですね。
少なくとも、わかろうとしてくれました。

中一の時の先生は家庭訪問に来られたとき、
「家にこもっていないで気分転換に旅行でも行ったらどうか」と提案されました。
私も母も「学校にも行かないのに旅行に行くなんてととんでもない」と思ってましたので受け付けませんでしたが、学校の先生からこう言われるのは新鮮でした。

中二の先生はさっぱりしていて
「自分が思うほど他人は自分のこと気にしてないよ」と気持ちを楽にしてくれました。

中三の先生は高校進学先を探すときに、
遠方の高校見学で往復4時間の距離を付き添ってくれました。
その先生は授業中の私の様子を見て「この子はやる気があれば続く子」だと。
私は卒業文集に中三が一番良かったと書きました。
それを読んだ先生がとても喜んでいたと母から聞きました。
数年後、その先生は原因不明で体が動かなくなり先生を辞めることも覚悟したそうです。幸い良い治療法に出会い仕事に復帰できました。
「あなたの気持ちが初めて分かった。」と、その治療法が私にも効くのではと思い、知らせに拙宅に訪ねてこられたそうです。(残念ながら引っ越した後でしたが)十数年後の同窓会のときは私の顔をみてすぐに声をかけに来られました。

専門性も必要ですが、その前提に生徒への思いがないと無意味ですね。

ここまでは中学生までのお話ですね。その後のことは気持ちがまとまったら書きたいと思います。

さて、今の時代は不登校への理解が進みネットワークができるなど随分進展したように見えます。

でも、果たしてそうでしょうか。

実際にお母さんとお話しすると、意外に情報が行きわたっていないこともあります。
学校以外にも道はあるのに、学校は学校に戻すことしか考えてないようです。
不登校でも中学は卒業できるのに、学校はそれを親に教えない。
同じ悩みを抱える親同士のネットワークでやっと知ったと伺いました。

また、不登校対策と銘打った、危うい企業もあります。
5年前、不登校生対応の学習塾兼家庭教師派遣会社の面接を受けたことがあります。
そこの若い室長…名刺の肩書は「支店長」…。

「支店長」と面接中の私にこんなやりとりが聞こえてきました。
教室に中3か高校くらいの男子生徒がきて
「勉強をしたくない」と言うと、
男の先生が「学校にいいつける」と応じてました。
そこは広いワンルームで私にもまる聞こえです。…
「支店長」がまずいと思ったのか、
私との面接を中断して、その男子生徒を廊下に連れ出しました。
ガラス越しに子供と話している様子は見えました。

戻って来た支店長は
この塾は校長先生と連携して、
学校に戻すことを目指していると語っていました。
帰り際「それが、一番いいのですか?」と聞いたら
支店長は「子どもがそう望んでいますから」と即座に答えました。
私は「果たしてそうでしょうか。」と言いました…。

昔と大して変わらない…です。

余談ですが…
その塾は面接の結果も含め何の連絡もありません。
仲介したハローワークから、どうなったのですかと私に問い合わせてきました。
ところが、
2カ月たったころ唐突に仕事の依頼の電話がありました。
杜撰な感じがして、お断りしました。




まずは学校ありきです。他の道を教えない。

今も昔も本質的な苦しさや辛さは変わらないです。

自分が不登校経験者だからと言って
単純に不登校の子の気持ちが分かるというのも無神経な感じがして…言いません。

ひとりひとり違うと謙虚に接したいです。



追記:不登校について話す機会があると、どうしても当時の感情が戻ってきます。幼稚園から成人するまで不登校(園)扱いだったので…長すぎたのかもしれませんね。

追記2 同窓会が久しぶりに開かれ、中三のときの担任の先生に会えました。挨拶をし、今の私の仕事の話をしたら、いいことだと励まして頂きました。ところで、同じクラスの男子の名前を聞いてもあまり覚えてない…不登校生のサガでしょうか。関係ないかな(笑)

続きです。


私と一緒に勉強したい方は

助けてという勇気…木皿泉さんのドラマから

一番言いにくい言葉は…
「助けて」ではないでしょうか。

昨今の家族間の痛ましい事件も「助けて」を言えなかったからでは。

家族の中で屈託を抱えていても
家族の中で解決しようとして 行き詰る。
そして最悪の事態になり初めて表ざたになる。


幼い頃から
「人には迷惑をかけてはいけません」
「人に迷惑をかけない人になりなさい」
と言われ続けてきました。
これだけ擦りこまれているとなかなか他人に「助けて」とは言えません。

 助けを求めたら「人に迷惑をかける」からです。

木皿泉というひとつのペンネームで夫婦で脚本を書かれている方がいます。
私はこの方の本が好きです。
気持ちが温かくなる、ハっとすることばにも出会えます。

その著書「木皿食堂」の中の対談に



「助けてという勇気」…そんな言葉がありました。


その木皿泉さんの脚本
NHKで放送された「昨夜のカレー明日のパン」というドラマがあります。
   原作本はこれです。
(木皿泉さんは俳優にあてがきします。この原作はドラマ化で配役が決まる前に書かれていますから、セリフはドラマの脚本とは違うところがあるそうです)
 
昨夜のカレー、明日のパン
木皿 泉
河出書房新社
2013-04-19




設定は血のつながりのない家族が暮らす物語です。
父と、息子の嫁の二人暮らしがドラマの中心です。
息子は7年前に25歳の若さで他界しました。
お嫁さんは夫の父を「ギフ」と呼び、
義父は彼女を「テツコさん」と呼びます。

お嫁さんには恋人、岩井さんがおり、ドラマの初回で結婚を申し込まれますが

「結婚はしたくない。家族が嫌い。ギフと暮らすのは始めから偽物と分かっているからだ。」

と言い放ちます。

隣の家には引きこもりの元CAの娘さんとその両親が暮らしているなど
各自問題を抱えている人たちが登場します。
しかし、見た後、必ず温かいものが残るドラマです。

そのドラマのある回で
ギフが山登りを始める話があります。
テツコさんはギフの山登りのアドバイザーにと
会社の同僚”山ガール”をギフに紹介します。

ギフはその”山ガール”と二人で山登りをします。
ところが
ギフは下山中、息苦しくなり歩けなくなります。
でも、若い女性”山ガール”に迷惑をかけてはいけないと我慢し続けます。

とうとう見かねて”山ガール”は「私があなたをおんぶします!」と言い切ります。
「女性には無理だし、荷物もある」と断るギフに
彼女は「荷物は捨てます!」と投げ出します。
そんなやりとりをしているうちにギフは元気になります。
それを不思議がる”山ガール”に
ギフはこう言います。


「助けてもらえると思えたら、息苦しくなくなった」と。


そして二人は無事に帰ります。
…そんなストーリーでした。

私たちは助けを求めてはいけないと思ってます。
それは無意識ですが、かなりの緊張を自分に強いているようです。

助けを求めていいと思えるだけでもとっても大きなことです。
たとえ直接の助けでなくても、話を聞いてもらえるだけで解決への道が見つかることも少なくありません。


ところで…余談ですが…
このドラマの最終回。テツコさんと岩井さんが結婚してギフと三人で暮らすことを示唆して終わりました。
血のつながりのない三人が暮らす…
木皿泉さんはある対談の中で


血がつながってるから家族なんではない。


思いやりと気遣いをして「家族」になるんじゃないかと言ってます。


そんな思いがこのドラマで描かれていました。


追記:原作を読みました。8つの章に分かれてました。亡くなった息子一樹や、その母が主役の章もあり、映像と違う部分が多いです。でも同じ人が書いているので違和感は少ないです。結論を強制しないのが良いです。


追記2:テレビドラマ出演者 (だいぶ前に見たのですが山ガール以外は覚えてました。)
 ギフ(鹿賀丈史) テツコ(仲里依紗) 岩井さん(溝端淳平)   
 回想場面 テツコの亡夫(星野源) ギフの亡妻(美保純) 
 山ガール(吉田羊) となりの元CA(ミムラ)



 



私と一緒に勉強したい方は
ギャラリー
  • 「自己責任」…責任回避
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング
  • メタバース入門 独学でアバターモデリング